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こじらせ女子ですが、何か?

心臓外科医との婚約を解消して以後、恋愛に臆病になっていた理穂。そんな彼女の前に今度は耳鼻科医の先生が現れて!?

聖女マリー・ルイスの肖像-【7】-

2017年09月02日 | 聖女マリー・ルイスの肖像
【Blooming Letters】マンディー・リン(オールポスターズの商品ページよりm(_ _)m)


 さて、今回はヒギンスン最大の功績である、彼がずっと文通してきたディキンスンと会った時の会見の模様について、です♪(^^)

 その時の会見の模様について、ヒギンスンは奥さんに手紙を書いているので、そちらのほうを一部引用してみたいと思います


 >>入口でぱたぱたと子供のような足音がして、小柄で美しいとは言えない婦人が滑るように入って来た。赤味がかった髪を左右できちんと束ねて顔はどことなくベル・ダヴ(※ヒギンスン夫妻の知人)のようだった。決して美人ではなかったが――それほど不器量でもなく、とても地味できわめて清潔なうね織りの服を着て、青い網目のウーステッドのショールをかけていた。

 彼女は二本のデイ・リリーの花を持って、私に近づいて来て、子供のようなしぐさで私に手渡して「これが私の名刺代りです」とやさしいおどおどと息をこらした子供のうような声で言った。それから「もし私がびくびくしているとしてもお許し下さい。私は知らない方とは決してお会いしませんので何と言ったらよいのかわからないのです」と声をひそめて付け加えた――けれどやがて彼女は話し始め、それからはひっきりなしに――しかも恭しく――時々話をやめて代りに私に話すように言ったが――すぐまた話し始めるのだった。


 >>「女性はおしゃべりをし、男性は寡黙です。だから私は女性を恐れるのです」

「父は日曜日にだけ読書します――<寂しくて厳格な>本を読んでいます」

「もし私がある本を読んで、身体全体がどんな火でも暖めることができないくらい冷たくなったら、私は<それが>詩だとわかります。まるで私の頭の先が取り去られるように体で感じたら、<それが>詩だとわかるのです。これだけが、私が詩を知る方法です。他に方法があるでしょうか」

「大抵の人は何も考えずにどうやって生きているのでしょうか。この世の中には(あなたも街で気づかれたに違いありませんが)たくさんの人々がいます。あの人たちはどうやって生きているのでしょうか。朝、服を着る力をどうやって手に入れているのでしょう」

「視力を失なった時、本当の<本>はほんの少しだから、それをみんな私に読んでくれる人はたやすく見つかる、と考えるのが慰めでした」

「真実は大変<まれ>なものなので、それを告げることは喜ばしいことです」

「生きていることに恍惚を覚えます――ただ生きていると感じるだけで十分な喜びです」


 私は彼女に何かやりたいと思わないのか、決して家を離れないのか、どんな客にも決して会わないのかと尋ねた。「私はそんなこと思ってみたこともありません。これから先ずっとそんな必要性を少しも感じはしないでしょう」(更につけ加えて)「私は十分はっきりと自分の思うことを申していないと感じます」

 彼女はパンをすべて作る、というのは彼女の父親が彼女のパンだけを好むから。「それに人々にはプリンが要ります」と<大変>夢見心地に言う、まるでプリンが彗星みたいに――だから彼女はプリンも作る。

(『エミリ・ディキンスンの手紙』山川瑞明・武田雅子さん編訳/弓プレスより)


 ……面白いですよねえ♪(^^)

 ヒギンスンは自身本も書き、批評も行っていたという方ですから、それでここまで的確な表現で手紙に書くことが出来た……という、そうした部分があったと思います。そして、彼の文学者としての一番の功績が結局なんだったかといえば、この後世に大きく名を残すことになる詩の巨人に直接会い、そしてその会見の模様を後世に伝えたことだったと思うんですよね(^^;)

 また、メイベル・ルーミス・トッド夫人とともに、エミリーの詩集の編集にもあたり、それ以外にも長い間の文通を通じて――確かに彼はエミリーの詩人としての命を救った、そうした功績もあったと思うんですよね(もちろん、一番いいのは彼がヘレン・ハント・ジャクスンがそうだったように、エミリーの詩人としての資質を高く評価する、ということではあったにしても)。

 エミリーは手紙の中にこう書いています。


 >>あなたは私が一人で暮らしていることをおっしゃっていました――他から来た人にとって、田舎は故郷でなければ退屈なものです。御親切にもお会い下さる由お話し下さいました。よろしければどうかアマストまで出て来て下されば、まことに幸いなのですが。私は父の敷地を越えて他の家や町に出ませんので。

 最も偉大な行為について私たちは無知なのです――

 あなたは私の生命を救って下さったことをお気づきではいらっしゃいません。直接お礼を申したいというのが、以来私の数少ない願いの一つでした。私の花を欲しい時、子供は「いいですか」と聞きます――「いいですか」――それで自分の欲しいものをお頼みする時、私はそれ以外には方法を知らないのです。

 私がこういうたびにお許し下さいますよう。誰も他に私に教えてくれなかったのですから。

(『エミリ・ディキンスンの手紙』山川瑞明・武田雅子さん著/弓プレスより)


「あなたは私の生命を救って下さったことをお気づきではいらっしゃいません」……本当に、そうだったのだと思います。

 ヒギンスンは紳士的な人物で、エミリーと適切な距離を置きつつ文通し、長く彼のほうから手紙がないと、「また御教示いただけましょうか」といった手紙をエミリーは書いています。

 詩の他に、エミリーが熱狂したものに友人たちなどに出した手紙があると思うのですが、やっぱり書簡集をだすに当たって、これだけの数の手紙を収拾できたというのはすごいことだと思います。やっぱり、エミリーの手紙って独特ですから、それで取っておいたという方が、おそらくは多かったのではないでしょうか。

 ではでは、次回の前文はどうしようかな……と思うのですが、それはまた記事の前にでも考えることにしようかなと思います(^^;)

 それではまた~!!



     第5章 マリーとマグダ

 新学期がはじまり、ランディは小学五年、ロンは小学四年、ミミは小学二年生に進級した。また、マリーはマグダにミミの幼稚園のことを相談したのだが、三人の子供を育て上げたマグダが「もう少し様子を見たほうがいいかもしれませんね」と言ったため、ミミのことはまだ保育園へも幼稚園へも入れないということに決めていた。

 これはマグダ個人の考えであったが、教会学校でも同じくらいの子供と馴染むことが出来ないのに、荒療治とばかり保育園などにやってもまだ早いという気がしていたのだ。それに、ミミはマリーに懐いているし、本来母親ともっと親密に過ごすはずの時間を十分に持たせてやってから――幼稚園には入れたほうがいいだろうという気がしていた。

 それでも、マリーが子供といるよりも自分の時間のほうが大切だという価値観の女性であったらば、マグダにしても分をわきまえてそんな助言はしなかったろう。だが、マグダがそう言った時、マリーがほっとした顔をしたのを彼女は見た。それで、マリーのほうでもミミをまだ手元に置いておきたいのだろうと見てとったのである。

 また、マグダはいずれこの屋敷から引退するつもりなため、自分の教えられそうなことはなんでもマリーに教えた。たとえば、ランディは野菜全般が嫌い、ロンは人参が嫌い、ココはピーマンと玉ねぎが嫌いだったわけだが、そんな子供たちのために彼女は甘みのある美味しい野菜ジュースをジューサーで毎日作っていた。もちろん、そのレシピをマグダから教わって、マリーもすぐ同じものが作れるようになった。

「とにかく野菜はすり潰すことですよ」とも、マグダは言った。「きのう教えたカレーですけどね、じゃがいもも人参も玉ねぎも何もかも、すり下ろして入れてあるんです。でも、カレー粉の味と一緒になってしまえば、何入ってるかなんてわからないんですから、もしココお嬢さんが「これ、玉ねぎ入ってないでしょうね?」と言っても、とにかくしらを切り続けることです。嘘も方便。ええ、教育には健全な嘘ってものが絶対必要ですとも」

 マグダが惜しみなく子供たち用のレシピを教えてくれて良かったが、ここまで彼女が創意工夫を施すまでにどれほど苦労したか――そのことを思うとマリーとしても頭が下がるばかりだったといえる。また、マグダがそう遠くないうちにこの屋敷から去っていってしまうのはマリーにしても寂しいばかりだったが、辞めたあとでも危急の際にはなんでも相談に乗ると言ってくれ、その点ではマリーとしても心強かったかもしれない。

 他に、子供たちの友達関係や、その親がどういった人物かなど、マグダは事細かに自分の知っている限りのことを教えてくれた。それと、この近所の人々も、マリーのことを不審に思い、この屋敷の中を覗き込みたくてうずうずしているだろうといったことも……。

「事の発端は、マリーさんが教会へ行ってからはじまったと言ってもいいでしょうね」

 そうマグダが言うので、マリーは驚いていた。日曜にまだ十度ほどしか教会へは行ってないとはいえ、それでも人々はみな好意的で優しかったというようにしか、マリーは思っていなかった。第一、教会というのは神の家だ。

「まあ、マリーさんがそんな方だから、わたしとしても心配で、老婆心をつい起こしてしまうんですよ」

 ろくに魚を食べない子供たちが唯一好きだという魚のすり身のスープを作りながら、マグダは溜息を着いた。ミミは昼寝中だったので、マリーはマグダを手伝って、他の下ごしらえをしていた時のことである。

「人の口に戸は立てられない、教会のおしゃべり婦人たちの口にも戸を立てることは出来ない……わたしも伊達に長くこの年まで生きてませんのでね、これから起きるであろうことをいくつか、予言して差し上げたいと思いますよ。まあ、もしこのまま仮に――マリーさんが教会へ通いなさらなかったとしますわね。そしたら、彼女たちにはそれでいいんです。『やっぱりあそこの家は異教徒の家なのよ』で、彼女たちの話は終わるでしょう。でもね、このままずっと日曜には教会へ行きなさるってことになると、マリーさんはあの方たちの仲間ということになるじゃありませんか。そしたらね、はじまりますよ。二番目の子と四番目の子はいつも来てるけど、他の子はどうしたんだだの、ランディくんがうちに来た時、びっくりするほどの食欲だったけど、ちゃんと家で食べさせてるのかしらだの、なんだの。そして極めつけがですね、やはりなんといってもマリーさん、あなたが何者なのかということを彼女たちはそのよくきく鼻で探りあてずにはいられないだろうってことなんです」

「……なんだか、とても難しいのね」

 野菜ジュース用の野菜を切るのを一旦やめて、マリーは溜息を着いた。まさか子育てにそんなことまでがくっついてくるとは、今の今まで思ってもみなかったというのが、彼女の正直な気持ちだった。

「そうですよ。子供の人間関係、その親の人間関係、近所の人間関係、教会の人間関係……なんでも人間関係ですよ。もちろん、わたしがこのお屋敷にいる間は、出来る限りのことをして守ってさしあげます。けれどね、わたしもいい加減年なもんだから……」

 マグダが一瞬顔をしかめて、お玉を片手に腰をさするのを見て、マリーは「あとのことはわたしがやるわ。あなたは座っていて」と言った。

(こんな優しい娘さんが、なんだってまた、ねえ)

 マグダはいつも通り彼女の言葉に甘えさせてもらいながら、ダイニングの椅子に座った。今さっき、マグダははっきりとは言及しなかったものの、近所の人々が噂にもし、特に知りたがっているのは、マリーとつい先頃亡くなったケネス・マクフィールドのことである。ズバリ言ってしまえば、あんなに年の離れた男と遺産目当てに寝たのかどうかということを知りたいのだ。また、そのことがなかったとしても、そもそもこのマクフィールド家は近所の評判が最初からよろしくない。

 まず、シャーロット・マクフィールドが近所づきあいというものをしていなかったこと、また屋敷には肌の浅黒い霊媒師の男がしょっちゅう出入りしており、彼女は結局のところ最後は癌ではなく気が狂って死んたのだと信じている人が今もたくさんいるほどだ。他に、子供たちの評判も良くなかった。次男のランディはよそさまの家でも色々なものを遠慮なく頬張っており、彼がそのように礼儀をわきまえないのは親の躾けがなっていなかったのだろう、三男のロンは内気で無口で友達のいない、可哀想な子だ。長女のココは反対に我が儘で、クラス内で彼女に逆らうとたちまちいじめの対象にされるというのはみんな知っている。次女のミミはおそらく自閉症なのを親が否定しているか気づいてないかのどっちかだろう……などなど。

 マグダにしても、噂の火消しには彼女なりに務めていたが、何分今では彼女もいずれはマクフィールド家に暇を告げるらしいと多くの人が知っている。ゆえに、彼女が何を言おうとも「退職金をたんまりもらってるから、悪くも言えないのだろうよ」としか受け止めてはもらえないようだった。

 何分、すでに十年以上も住み込みで勤めていた屋敷である。マグダにも当然名残り惜しいという気持ちや、このまま子供たちが成人に達するくらいまではその成長を見届けたいといった気持ちは今もある。けれど、長女夫妻はノースルイスにおり、次女はここユトレイシアで独り暮らし、三女夫妻とその子の住みかがマグダの元の実家なのであるが、夫婦共働きで小さい孫が二人いるとなると、マグダは他人の子の面倒よりも血の繋がった孫の面倒をこそ見なければならないと思うのだった。

(けど、このお嬢さんはねえ、人がいいっていうか、なんていうか……)

 時々、マグダはイーサン坊ちゃまとマリー・ルイスが一緒になってこのお屋敷に住めばすべてが解決するように今は思うことがある。けれど、イーサンにはチアリーダーをしているという美人のガールフレンドがおり、それ以前に大学で寮生活を送っていることからみても、本当はこの屋敷とはあまり深く関わりあいになりたくはないのだろうとマグダは見てとっていた。

 時々帰ってきて弟妹の世話を焼くという程度ならまだしも、いつもこの屋敷へ帰ってきて面倒を見るとなると、そこまでのことは荷が重いということなのに違いない。

(まあ、それが普通とも思いますけどね)

 よいしょ、とマグダは体を起こすと、パスタメーカーでこしのある麺を作っているマリーの隣までいった。このパスタメーカー、実はなんのための機械なのかマグダにはよくわからず、キッチンの片隅に追いやられていた品物だったが、マリーがパスタの作り方を教えてくれ、その作り方を見ていた子供たちが唯一、「自分たちもやりたい!!」と騒ぎだしたというものだった。

 そこで、マリーは子供たちにスパゲッティの作り方を教え、それで子供たちはせめてもスパゲッティくらいは自分で作れるようになったのだった。他に、マリーはクッキーの作り方も教えていたため、今も気の向いた時にはロンとランディとココのうち、誰かしらはたまに手伝ってもくれるようになっている。

 マグダにしてみれば、自分がこの屋敷を去っていってもおそらく彼女がどうにかしていってくれるだろうことが安心な反面……やはりまだ年若い娘ということもあり、(何も不吉なことが起きなければいいが)と、心配の種というのはどこまでいっても尽きないのだった。



 >>続く。





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