
さて、今回はエミリーがヒギンスンに2通目の手紙を出し、その返事のきたエミリーのヒギンスン宛て、3通目の手紙について、です

>>親愛なる友へ
あなたの手紙で酔いはしませんでした。以前にラム酒を飲んだことがありますから――ドミンゴは一度だけのものです――とはいえ、あなたの御意見ほど深い喜びを覚えたことはあまりありませんので、もしお礼を申し上げようとすると、涙が出て舌がもつれてしまうのです――
私の亡くなった先生(※1ベンジャミン・ニュートンのこと)は私が詩人になるまで生きていたいとおっしゃっていましたが、死がどどっと押し寄せて――その時――私にはどうすることもできませんでした――それからずっと後になっても――果樹園に突然光が射したり、風の吹き方が変わると私の注意が奪われてしまって――私は麻痺状態になり、この時――詩がまさに助けとなってくれるのです――
あなたからの二通目のお手紙に私は驚き、しばらく、動揺していました――こんなこと予期していなかったのですが。あなたからの最初のお手紙を読んで――恥ずかしいとは思ったりしませんでした。真実は――恥じらったりしないものですから――あなたが公正に評して下さったことを感謝しております――でも鐘(※2)をやめるわけには参りません、鐘がなりひびくと私の重い歩みを静めてくれますから――多分香油の方が良かったことでしょう、あなたはまず私を傷つけられたのですから。
私の「出版」を遅らせるようにとおっしゃいましたので笑ってしまいます――そんなことは魚にとっての大空くらい、私には縁のないことです――
もし名声が私のものなら、のがれられないでしょうし――もしそうでないなら、何日かけて追いかけ廻しても無駄でしょう――そして、私の犬の賛同も得られないことでしょう――それなら――今の裸足の階級の方がましです――あなたは私の歩みが「発作的」(※3)だと判断なさっていらっしゃいます――私は危険な状態にいるのです――先生――
あなたは私が「抑制がきかない」とお考えですが――私には(私を治めてくれる)法廷がありません。
私に必要だとお考えの「友達」になって下さる時間がおありでしょうか。私の姿は小さなものですから――あなたの机を一杯にしたりしませんし――あなたの棚をかむネズミのように大騒ぎなど致しません。
もし私の作品をお届けするとしても――お邪魔になるほどしばしばではありませんし――はっきり私の思いを述べているかお尋ねするとしても――そうすることで私には抑制になるのです――
水夫は北を見ることはできませんが――羅針盤が見ることができるのを知っています――
「あなたが暗闇で私に差しのべられた手」、私は自分の手をその中に入れて去ります――今サクソン(言葉)(※4)が浮かんできません――
私が普通の施しを求めたのに
戸惑っている私の手に
見知らぬ人が王国を押しつけたかのよう
それで私は困って、つっ立っている――
私が東の国を求めたのに
私のために朝を持って来たかのよう
するとそれは紫色の堤を創り上げ
夜明けで私を砕いた!
では、私の教師となってくださいますか、ヒギンスン様。
あなたの友
E・ディキンスン――
(※2)=ホイットマン風に自由詩を書いてみてはというヒギンスンの勧めに対し、韻なしではやっていけないと答えた。
(※3)=ディキンスンの韻律が調子はずれであるとヒギンスンが指摘した。
(※4)=「サクソン」はディキンスンにとって「英語」を指す。従ってここでは「もう言葉が出て来ません」の意。
(『エミリ・ディキンスンの手紙』山川瑞明・武田雅子さん編訳/弓プレス)
一読しただけで、ヒギンスンの「出版を遅らせるように」という返答にエミリーがいかに失望したかが伝わってくるような手紙の内容だと思います

これはあくまでわたしが思うに、ということなのですが、最初に同封した四篇の詩も、次に同封した三篇の詩も、エミリーにとっては自身とても気に入っている自信作だったはずです。最初の四篇の詩でヒギンスンがどの程度自分の詩について理解してくれるかを試し、次の手紙で(おそらくは)もう少し他の詩も送るようにと促され、さらに三篇、「これならばどうだろう」といったように選んだものをエミリーは選んだ……といった印象を自分としては受けます(^^;)
二度目の手紙には、「夏の盛りにその日がやって来た」(322番)、「そとに発信されたメロディーのうちで」(321番)と「南風が彼を押して」(86番)の三篇が選ばれていました

エミリーが『アトランティック・マンスリー』という文芸誌を読み、ヒギンスンが若い人や女性に特に創作を勧めるといったような文を掲載していたことから、エミリーが「彼ならばわかってくれるかもしれない」と期待を抱いた気持ちはこうして裏切られてしまったわけですけれども、ヒギンスンに手紙を出した時、エミリーは31歳でした。
何分、エミリーの生きた時代というのは、19世紀のことですから、31歳で結婚していないとなると、一般に「嫁き遅れ」といったように認識される時代であり(でもこれは今もあまり変わってないような気も^^;)、エミリー自身も自分の詩が「世」に出ることでプロの詩人として世間から正統な評価を受けたい――そのように望む気持ちもあったでしょうし、手紙の中にもあるとおり、エミリーの詩は文法を破ったりしており、その部分を出版する際にどうするかという問題があったものと思われます。
新聞に掲載された際に変更されたことに対し、エミリーはとても嘆いていたようですから、彼女にはその点に対して「妥協」することなどは本物の芸術家として出来ないことだったでしょうし、それでもヒギンスンにもう少しエミリーの詩に対し理解があったなら……出版ということに関しては何かがもっと違っていたのではないでしょうか。
また、エミリーの死後の彼女の詩の出版については、エミリーの妹のラヴィ二アが姉の部屋からこの世にも類い稀なる「宝物」を見つけ、メイベル・ルーミス・トッド夫人という女性とヒギンスンとが協力する形で編集し、出版へこぎつけるということになります(ちなみに、このメイベル・ルーミス・トッド夫人、とても綺麗な方で教養があり、エミリーとラヴィ二アの兄オースティンとその後、不倫関係になるという女性であり、ラヴィ二アとは姉の詩集の権利のことで裁判沙汰にもなったという女性でした。ちなみに、裁判の結果はラヴィ二アの勝利に終わったようです^^;)。
>>1862年の4月のある日に、エミリ・ディキンスンが応答した、例の「若い投稿者への手紙」の第三節は、つぎのような書き出しであった。
「新人や無名の投稿者にたいして、編集者が偏見を持っているのではないかと思われていますが、それはなんの根拠もないことです。逆に、どの編集者も、つねに新鮮なものを渇望しているのです。新しい天才を世の中に送り出すための道しるべになることこそ、ちょうどヘンリ・ハーフォードに、アジアのコレラを発見してそれを発表した最初のひとである事を自慢したあの医師のように、大変すばらしい特権だと思っているのです。」
二人が文通をした四半世紀のあいだに、ヒギンスンは百篇もの詩を受け取った。そして彼女が亡くなってまもなく、メイベル・ルーミス・トッドとともに、『詩集』を編集することを引き受けた。
『詩集』は1890年と1891年に、一巻ずつ出版されたが、彼はすすんでその仕事を引き受けたのではなかった。エミリ・ディキンスンは1862年の夏のあいだに、ヒギンスンがどの程度までならすすんで新しい天才を世の中に送り出すつもりなのかを理解した。
今や、彼女の詩の編者として、彼の名は彼女の名とともに永遠に残ることとなった。しかし彼は、その後、死ぬまでの二十年間にも、彼女の詩を出版しようと決心したことが、批評家としての自分の名誉になるとは、どうしても信じ切ることができなかったのである。
(『ディキンスン評伝』トーマス・H・ジョンスン著、新倉俊一・鵜野ひろ子さん訳/国文社)
わたしも初めてヒギンスンとディキンスンのこの手紙のやりとりを知った時には――「ヒギンスンの馬鹿ぁぁぁーーーッ!!


こうしてエミリーは「出版」ということに対し潔く諦めるという道を選択したのですが

それではまた~!!

第4章 夢の国とキャンプ場
その後、イーサンはユトレイシア郊外にある大学の合宿所へ戻り、引き続き三週間ほど激しいトレーニングを積んでから、ヴィクトリア通りに面した自宅のほうへ戻ってきた。
弟たちや妹たちに毎年約束してある、サウスルイスという場所にあるディズニーランドへ彼らを連れていくためだった。もう何日も前からそのことで子供たちが興奮し、長兄のイーサンが戻ってくるのを今か今かと待ち構えている姿というのをマリーは見ていた。
「ほら、うちは親がいないからな。他の同じクラスのガキめらがどこそこにキャンプしにいっただの、なんとかって場所まで旅行しにいっただの、夏休み明けには当然そういう話になるだろ?だが毎年わざわざあんな離れた場所にあるディズニーランドまで行く子ってのはほとんどいない。するとな、『ディズニーランド』へ行ってきたってだけで、子供にとっては自慢できることなんだよ。そしたらあいつらも、親の揃ってるガキどもの旅行話を聞かされても、『うちなんてディズニーランドへ行ったんだから!』ってな具合で、惨めな思いをしなくて済む。これはようするにそういうことなんだ」
何故ディズニーランドなんですか?というマリーの素朴な疑問に、イーサンはそう答えていた。そして、マグダが夏休みの休暇を取っていても、マリーが相も変わらず家のことをきちんと収めているのを見て――イーサンとしては安心した。(もちろん、これでもし最後の最後に遺産目当てだったことがわかった日には……この女、アカデミー賞ものだよな)という疑いを捨てたわけではなかったにせよ、イーサンはすでに七十パーセントくらいはマリー・ルイスという父の後妻を信じはじめていたかもしれない。
実際、ユトレイシアから南部にあるサウスルイスまでは車で十時間以上もかかるため、毎年適当な場所で宿泊してから向かうことになるのだが、イーサンひとりで子供四人の世話は骨が折れた。また、去年まではマグダがげっそりしている姿を見ながらの旅行だったのだが、マリーが旅行中ずっと子供の面倒を見てくれるというのは、イーサンにとってもほっと出来ることだったのである。
サウスルイスへ辿り着くまでに一度マティウス町という競走馬の産地で有名な場所で一泊することになった。そこのモルズウッドホースパークというところで乗馬したり馬と触れ合ったりしたあと、翌日の夕方にはサウスルイス郊外にあるホテルまで辿り着いた。
子供たちは次の日にはディズニーランドで遊べるため、ホテルにいる時からずっとはしゃぎ通しだった。開園と同時に入場すると、子供たちはもう二度も三度も来ているので、どこへ行くのか慣れたものだった。バケーション・パッケージで申し込みがしてあるらしく、どこのアトラクションもショーも、大体はそれほど並ばずして楽しむことが出来る。
また、このためにランディとロンとココとは、「ああいってこう行って、次はこっちへ向かって……」などと、何度も何度も繰り返しシミュレーションしており、イーサンとマリーはミミを連れてそれについて行くだけで良かったといえる。
ビッグサンダーマウンテン、スプラッシュマウンテン、スペースマウンテンといった三大マウンテンを制覇したのはもちろんのことながら、ファンタジーランドでは「ピーターパン空の旅」や「白雪姫と七人の小人」、「ミッキーのフィルハーマジック」、「ホーンテッドマンション」、「プーさんのハニーハント」などを楽しみ、トゥモローランドでは子供たちそれぞれが特にお気に入りのアトラクションを楽しんだ。
ロンは「モンスターズインク・ライドアンドゴーシーク」、ココは「スティッチ・エンカウンター」、ランディは「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」で、子供たちが心からの満面の笑みを浮かべているのを見て、イーサンもマリーも彼らの幸せこそが自らの幸福であるように感じたものだった。それに、ひとつひとつのアトラクションへ進むごとに、ミミがどれほど狂喜したことか!
ミミは今年ディズニーランドへやって来るのが初めてというわけでもないのに、驚きのあまり口をあんぐり開けたままでいたり、喜びに両の瞳を文字通りきらきらと輝かせていたものだった。そして彼女にとっては何より、自分の右の手をイーサンが握り、左手をマリーに繋いでもらってこの夢の国を歩いていく瞬間こそが――何より心から嬉しいことなのだった。
だが、夢のような時はあっという間に過ぎ去り――ディズニーランドを出て、再びホテルへ戻る時がやって来た。ココは乗り物はなんでもイーサンと一緒に乗りたがったため、その間マリーはずっとミミの相手をしていた。またマリー自身も子供たちにつきあって色々な乗り物に乗ったり、ショーを見たりして楽しんだ。あとになってみると、自分たちが本当に<家族>になったのはこの時の旅行のお陰ではなかったかと、イーサンもマリーも随分あとになってから思い返していたものである。
これで一番の目的は果たしたという形で、翌日は一路ユトレイシアへ戻る予定だったのだが、ランディがライザンヒルズ森林公園というところを通りかかった時――そこのキャンプ場を見て「キャンプしてから帰りたい」と言い出したのだった。
「ほら、同じクラスのモーガンがさあ、毎年すっごい自慢するんだよ。キャンプもしたことのない奴は男とは呼べないとかなんとか……」
イーサンはこれと似た話を去年も聞いた覚えがあったが、後部席でマグダがげっそりと弱り果てているのを見て、「駄目だ。もう真っ直ぐ家に帰るぞ」と言った記憶がある。だが、今年はマリーもいるし、一泊するくらいならどうにかなるかという気がした。
そこで家族内で多数決を取ると、ロンとランディが真っ先に手を挙げたのだが、ココも「べつにどっちでもいいけど」という意見だったため、キャンプ場で一夜を過ごすということになったわけである。
とはいえ、キャンプのためのなんの用意もしてこなかったため、テントもバーべーキューグリルも何もかも、すべてレンタルしなくてはならなかったため大変だった。また、マリーはオーガニックの虫除けスプレーを子供たちのために念入りに吹きかけていたものである。
テントのほうは五人用と三人用のものを立て、イーサンとランディとロンは五人用、マリーとココとミミは三人用のテントで寝ることになっていた。備品をすべてレンタルしただけでなく、肉も野菜も森林公園のキャンプ場で売っているものを買ったため高くついたが、イーサン自身はこれはこれで良かったと思ったし、それは他のみんなにしてもそうだった。
夜、ミミに「ねえ、おねいさん起きて」と体を揺すぶられ、マリーが眠たい目をこすっていると、「トイレしたい」と言うので、マリーは彼女をキャンプ場のトイレまで連れていった。月の明かりが明るく輝いていたし、小径沿いに電燈がついてもいるので、さほど不気味というほどではないにせよ、あたりから聞こえてくるのは虫の音とカエルの鳴き声だけとあっては、子供が心細いのも当然だった。
ミミはトイレのドアを閉めると、「おねいさん、そこにいてね。そこにいてね」と何度も言い、マリーはマリーで「ずっとここにいるから大丈夫よ」と言ったあと、彼女が心細くないように歌を歌ってあげた。ミミもそのことを喜んで、帰り道では元気にスキップして帰ってきたほどだったが、テントに辿り着くなりまたすぐ寝てしまった。
(果たしてこの子は今日のこと、覚えているかしらねえ)
そう思いながら、マリーはミミの体をタオルケットで覆ってあげ、ココが微かに寝息を立てながらぐっすり寝ている姿を眺めやる。子供が楽しければそれでいいと思ってついてきた旅行だったが、期せずしてマリーにとってもそれは幸福な体験になった。もう一度こんな幸せな瞬間が、果たして自分の人生にやって来るかしらと思えるほどに……。
この時、外で人の気配がして、マリーは少しだけ体を起こす。テントに映った影でそれがイーサンだとわかっていたが、彼は人指し指を立てながらテントの扉を軽く持ちあげ、ミミとココの無事な姿を確認すると、そのまま外のパイプチェアに腰掛けたようだった。
「……眠れないんですか?」
「ああ。ランディのいびきがうるさいもんでな」
うんざりだ、というようにイーサンは眉間のあたりを揉んでいた。確かに、五人用のダークグリーンのテントからは微かにいびきと思しき物音がしているようである。
「その、今回は本当に、ありがとうございました」
イーサンの隣のもう一組のパイプチェアに腰掛けて、マリーはそう言った。
「わたし、人生でこんなに幸せだったの、初めてでした。だからあなたにあとからでもお礼を言っておこうと思って……」
「ディズニーランドに行ったのが、この世での一番の幸福体験って、あんた一体どんな人生送ってきたんだ?」
イーサンは笑った。この頃にはもうふたりとも互いに名前で呼びあうようになっており、またホテルやディズニーランドなど、色々な場所で「パパ」、「ママ」と呼ばれることにもすっかり慣れてしまった。だからといってマリーのほうで何か勘違いするということはまるでなく、イーサンもそのことはよくわかっているし、それはマリーにしても同じなのだった。
「あなたが聞いてもたぶん、まるで面白くないような人生だと思います」
それきりマリーが黙りこむのを見て、イーサンもそれ以上聞こうとは思わなかった。彼にとって重要なのはマリーの過去のことなどでなく、今目の前にいる彼女が自分にとって利用価値が十分にあるというそれだけだったから。
「まあ、なんだな。そう考えるとうちの豚児どもはまったくもって生まれた時から幸福だったといえるか。母親が若くして亡くなり、父親が父親と呼びたくもないようなジジイであったにしても……とりあえず毎日たらふく食べれるものがあって、あんたやマグダがその準備までしてくれるんだからな。実際、俺にはよくわからんよ。こいつらは四人とも、成人に達した時、びっくりするような額の金を受け取れるわけだし、本人たちも自分たちが金持ちらしいとわかってる。俺は時々思うんだが、俺は片親のそんなに金のない家で育ったし、まわりにもそんな連中ばっかりがひしめいてたもんで、大してそのことを不幸とも思わなかった。貧乏なら貧乏で、それなりの楽しみ方や幸福ってものがあるからな。で、その後母親がこいつらのおっかさんと同じように癌になり、先が長くないとわかった時……死んだと聞かされていた父親が実は生きていて、莫大な資産家だったことがわかった。母親のほうではべつに、自分の子にその資産の五分の一でも与えてやってくれと頼んだわけじゃないんだ。ただ、自分はいずれ間違いなく死ぬ。だが息子はまだ十一だ、父親として必要最低限のことはしてやってくれとそう言った。まあ、なんというか……詳しいことはDNA検査のあとだとかなんとか、親父のほうではなんとも逃げ腰でね。俺はこんな奴が父親なのかと思うと情けなかったし、いっそ死んだままでいて欲しかったとさえ思ったが、今じゃなんというか……『親父よ、金をたんまり残してくれてありがとう』という、何かそんな感じだな」
「ケネスさんは、あの人なりにあなたのことも、他の子供たちのことも気にかけていたと思います」
これは、マリーにしてもいつか言える機会があったら子供たち全員に伝えようと思っていたことだったので、今言える機会が巡ってきて少しほっとしたかもしれない。
「もちろん、御自身でも、自分がいい父親でないということは自覚してらっしゃって、果たして金が愛情の代わりになるだろうかとは、気にしてらっしゃいました」
「なるわけねえだろう」
イーサンは吐き捨てるように言った。
「俺はな、自分のことはべつにどうでもいいんだ。金よりも愛情が欲しかったとも思っちゃいない。だが、あいつらにはそれが必要だと思えばこそ、俺が『パパ』でおまえが『ママ』みたいな、そんなおかしなことになってるんだろーが!!」
イーサンは足許の小枝を拾いあげると、それをバッキリ折った。
「それで、何か?あのしょうもない親父は、あんたにユトレイシアのあの屋敷をやって、自分は金しかやれないが、おまえさんが代わりにあの子たちに愛情を注いでやってくれと、そんなことを言い残したってわけなのか!?」
マリーはしっ!と人差し指を立てた。子供たちが起きると思ったのだ。
「実際には、少し違うと思います。単に、結果的にそうなっているというだけで……ただ、屋敷を相続した場合、あなたが邪魔するかもしれないから、こうするのが一番いいとはおっしゃってました。わたしにはわからないだろうけど、最終的に自分の判断は間違ってないはずだって……」
「まあ、いいさ。なんにしても『結果として』それで今それなりにうまくいってるんだからな。これからのことはまだわからないにしても」
あらためて頭がくらくらしてきて、イーサンは再びテントに戻って寝ることにした。明日、五時間ばかりも飛ばせば車はユトレイシアに着くだろう。そして二週間後には子供たちも学校の新学期がはじまる。自分も大学の講義とアメフトのシーズンが開幕する……イーサンにはそれで十分だった。ディズニーランドへやって来る前に子供たちの宿題についてはチェックしたし、夏休みをこうして一緒に過ごしたことで家族の仲も深まった。マリー・ルイスのことも信用できる。あとはその時々に応じて問題が起きるごと最大限努力して解決するという以外に、考えることなど何もない。
マリーを相手に怒りを爆発させてもなんの面白いところもないと学習していたため、イーサンはその夜、それ以上のことは何も考えなかった。いびきをかいているランディのことを横向きにし、寝袋でみの虫状態になっているロンのことを見て微かに笑ったというそれだけだった。
一方マリーのほうでは、イーサンがあらためてなんだか気の毒だった。四人の子供の親代わりを務めざるをえない彼のことが、ではなく、キャンプ場の水飲み場などで、彼くらいの若者が男女カップルで騒いでいるのを見た時……イーサンも同じくらいの年頃なのに、彼の場合は友達やガールフレンドではなく子供を連れていなければならないというのが、少し可哀想だった。
もっとも、イーサンもその時マリーに対して大体似たような感慨を持ったというのを彼女は知らない。そしてマリーはこの時、紺碧の空の中に瞬く星々を眺め、ミミの「あーい、あいっ!!」という寝言を合図として、もう一度テントのほうへ戻っていったのだった。
>>続く。