/// Lin-Ling Express ///

快調な毎日を送っています!!

最も影響する力

2007-03-24 | 自己チェック?

風邪を引いていた今週前半。何をやっても思うようにペースが上がりません
必須の外回り数件をこなした後は、体力温存と移動で業務時間を消耗しないため自分の机に張り付きました。「サクサク片付けられるものに専念しよう」

リズム良くこなせることを続ける~上手く行かないときや混乱した時に気を落ち着かせる、或いは調子を取り戻す解決策の一つです。思うようにこなせないと、誰もいい気分はしません。こうなったら、悪いなら悪いなりに、やれることをするしかないなと。

そんなことを考えていた時に、本で読んだ言葉を思い出しました。

「 調 整 力 」

調整力・・・その場における自分の力を踏まえた上で、最善の選択が出来る力のこと。決して体力でも精神力でもない。。。

競技スポーツをされている方なら「調整」という言葉を耳にするので、分かりやすいでしょうか。しかし、それ以外の事をされている方々にとっても節々で(個々で意識しているかどうかは分かりませんが)存在するものだと思います。

気力や体力が必要な時はありますが、その時点において、その気力や体力までをも把握した上で行動できることが、調整力ということでしょうか?もしそうならば、自分のことが分かっていて初めて持てる力ということ。

今回ならば、調子が悪い事も体力もダウンしている事も自覚して、次の行動を考えたわけです。しか~し、そこまで冷静に分析した上でとった行動ではなかったです。はい

自分のことが分かるって、容易じゃないですね…この力、少しでも身につけたいものです

人の上に立つということ

2006-08-16 | 自己チェック?

ひさしぶりに、「自己チェック」のカテゴリに投稿です
とか書いておきながら、実は「懐かしののトップ会談?」の時から下書きしていました

さて、本題に。輪をかけてまとまりのない今回です・・・

どういうわけか最近の私は常に何かしらの「肩書」が廻ってきます。
本当は、あまり好きじゃないです

新庄の言葉を借りれば「だって、疲れるもん」

波の始まりは、大学に入ってからですふらふらっと(?)入ったとある課外活動サークル。1回生から執行部に抜擢され、その後に会長。しかも1年のはずの任期が1年半もおいおい、話が違うやんか・・しかも海外遠征幹事というオプショナルつき。その後、4回生では課外活動団体が集まる本部で役員(しかもナンバー3の書記長)。

会長とか役員とかいうと、響き自体は悪くありません。
しかし、立場上は時として演技で「自分でない自分」を演じなければならないことがあります言わなくていいことを言わざるを得ない。
そして、それが原因で嫌われ者になることも

本音は「好きにすればいいやんか」と思っても「ダメなんて言うこともありました。

組織のトップにいる以上は、自分のことよりも全体のことを優先させねばならないことが多々あります。この間は自分の考えていたことや、やってみたいなと思っていたことを少なからず犠牲にしてきました。2回生の後期から会長になって、4回生の12月22日に全ての肩書がとれました。ひっくり返せば、大学時代の半分以上を我慢していたことになります・・・

それなりにいい経験にはなりました。それなりに楽しむこともありました。しかし、嫌われ役になったり、気持ちとは違うことを言う生活の中で「心から楽しめる時間」は少なかったような気がします。

これが、こういう立場にある者の宿命なのか・・・

自分で書いておきながら、そうでもないと思います。どんな人気政治家も支持率が100%になることなんてありません。それに、少なかっただけで楽しめる時間がなかったわけではありません。実際、4回生の時はけっこう楽しめました。

では、何かといえば好不調のリズムであったり、バックグラウンドであったりします。社会的にも、同じ人が「複数の場所で同じ位の成果を挙げる」ケースは多くはないです。

一つのことが上手くいくと、勢いづいてその後のことが上手くいくようになることがあります。また例えば音楽をされている方なら音響室が設備的に改善されるとか、実業界なら景気だったりと本人に起因しない部分は少なからずあるでしょう。

そういった複合要因ではありますが、上手く行った人あるいは失敗しても上手く立て直した人には必ず「共通点」があります。それは・・・

全体にとって最善の道を考え続けたこと

なぜ自分のことを我慢するのか?したのか?・・・こういう気持ちが、心のどこかにあったからなのでしょう。でなければ、つとまりません。

「貧乏クジひいた」と思った時期は確かにありました。しかし、今ではいい経験をさせてもらったと思います。
私は、これを単なる思い出にはせず、これらの経験を自分の中でとってあります。思い出にしたら思い出で終わってしまいます。だから、これから先のどこかで形を変えても活かせるように・・・

頑張るということ ②

2006-06-25 | 自己チェック?
もし結果も出ず、ブレーキもかからなければ、目的もなく「頑張ること」に対して頑張ってしまうところだったかもしれません

目的があるから努力が出来るのです。「努力が足りない」の行き着く先を、どれだけ意識していたか、自分で発しておきながら少なからず考えてしまいました

例えば中国語の検定試験。現在の級をとる前に、複数回不合格になっています。基準点からは、わずか1点足りない2点足りない で。1回のみならず、連発されると心理的には少なからず響きます

こういうときは、「運」の面もあれば「あと一歩頑張りが足りない」面もあるでしょう。客観的に見て、フロックで2連発スレスレというのは難しいですしかし、足りない面は存在します1点差ならば、もう少し頑張れば2回目で受かった可能性もあります

中国語コンテストで、全国大会というではないので。。。さすがに全国トップレベルとかなると、素質とかセンスとかも関わってくる可能性がありますが。そういうわけではありませんから。なお、こういうコンテストが実際にあるかどうかは知りませんので悪しからず

そういう意味では、あと一歩頑張らねばいけません


さて、現在は、どうでしょうか???

日常の勤務を例に挙げてみましょう。普段、特に頑張ったからといって(賞を取っても)昇進が早くなるわけでも昇給賞与が上がるわけでもありません。表彰で金一封いただきましたが、適当に働いているほうが時給換算や労働効率からすると、割がいいです

あ、愚痴カテゴリになりかけてしまいましたで、本題に


今は商品管理がメインであるため、梱包を主とした作業が時として伴います。その際も、早く終わらせるために機動力で勝負をすることが少なからずあります。出荷や荷受が遅れると他所に迷惑かかるし・・・セールスドライバーを経験しているので機動力は群を抜いています。非常事態では、配達も自分でこなすため最終秘密兵器と異名をとることも・・・使えるものは、使います

しかし、体力で押していくやりかたも今だから出来る芸当です。
社会人になって6年目。しかしながら、過労をきっかけとする体調不良で複数回点滴をうけていますこれは行き過ぎや・・・このままのスタイルで過ごしていても、いつか必ずガタが来てしまいます

ということで頑張るにも、「知恵を絞る事」に頑張る必要がありますね。。といっても物理的なものを処理しているので、IT化で書類が減ったような感覚で、箱に入った商品が1000個→500個になることはありません(もし、それができたらマジシャンで生計を立てようと思います)。「同じ分量を早く捌くために」頑張る。作業工程とか、業務割とかの再考ですね。省けるところは省くとか二度手間を減らすとか。それで空いた時間は、自助努力したのだから、ゆっくりするも帰るもよし

といった風に、「頑張る行き先」を改めて意識しました

頑張るということ ①

2006-06-23 | 自己チェック?
「努力が足りな~い!」

何かにつけて、自分で納得の行かないことがあると自分にいいきかせてきました。

調子を崩してから仕事の分量を落としたこともあり、体力的負担も軽減。閑散期も手伝って、同じことをやるにしても、じっくり取り組むとができるようになりましたいつもと同じペースでやっていたら正真正銘のヒマになっていたでしょう。

と同時に、ちょっと考える時間もできました
この「努力が足りない!」の意味も、少し変わってきました。

・・・慌しい日々が落ち着いたある日、中華料理店で先輩と夕飯を食べました。そのときに言われた一言

「最近、目が優しくなったな」

春先までは、会うといつも目がギラギラしていたそうです付き合い長い(なんと学生の頃からです)人の言葉だから、間違いないでしょう。そういえば、これまであまり余裕がなかったなぁ

よくよく思えば学生の頃から、結果ばかりを求められたり求める日々でした いつも何かしらの肩書きが付いていて、自分の都合を優先出来ないことばかり。社会人になってからも、小規模であっても全権委任があったりチームリーダーであったりということが続きました・・・それなりに期待をいただいたのか、ただの消去法なのかは分かりませんが(笑)

そういう状況が自身にとって良いとか悪いとかいう視点で、どうこう言う考えは全くありません。そういうもので判断できるものとは思っていませんし、判断をしても、多分あとで変わるでしょう。むろん(私に限ったことではないですが)肩書き自体に、悪い気はしません。しかしながら、そんな日々が続くうちに何か忘れ物をしてきたのだとは思います。そして、昨年秋に初めて個人表彰という「タイトル」にも手が届き、それなり納得。そして最近、自らにブレーキをかけざるを得ない状況になってしまいました

結果的には、これらが区切りとして良かったのだと思います

ということで、自己分析がてら(?)時々、これまで自分が考えてきたこととかを書いていこうかなと思います。カテゴリも増やしました。最近、こういうカテゴリのブログも多いらしいですし。どこまで続くか分かりませんが、やってみます・・・自然消滅してしまうかもしれませんが・・・究極は「愚痴カテゴリ」になってたりして・・・愚痴カテゴリ化だけは避けたいなあ いや、避けます