前回の、「UFOと超科学」その3で、著者は「謎とされている宇宙科学の秘密の扉が、次第に開かれてゆくかのような感じが湧き上りました」、とこのように言っています。
そして、「波動帯」「直射する波動」「円輪波」という意味も何となく分かってきたようにも思えます。
しかし、今までのことを理解するには、まだまだ多くの時間が必要なのでしょう。おそらく、このブログを書き進んでいく間に、宇宙人からの情報が、「必要な時に必要な智恵」が与えられることを願って、書き進めることにします。
私はちょっと眼を閉じて統一してみたいと思ったので、統一して見ますと、瞬間眼前が白光に輝き、次第に大円光になり、その円光の中に母船の雄姿が浮かぶように展開されてゆきます。そして今までに教えられた母船内部の機器や設備の数々がまるで映画を見ているように、次から次へと移り変ってゆきます。その時このような複雑な機器や組織について、果して正しく把えて誤りなく地球の人たちに伝えることが出来るであろうか。
第一、根本的に異なった基盤の上に立って、進歩している基地の科学を、どのような方法でどうして伝えたらよいやら、ちょっと考えただけで、なんだか途方に暮れてしまうのでないか、というような想念がチラリと走りました。
その次にいったいこれを、否この世界の姿をどう解釈することが正しいのであろうかという疑念が湧いて来て、知らず知らずのうちにこのような想念の中に落ち込むのでありました。 それは一瞬の出来事で、またもとの透明な姿の自分にかえった時、誰ともなく後のほうから声が聞えて来ました。
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あなたの取越苦労は地球上での習慣です。自分の智恵で計ろうとしても、それは出来るものではありません。
神様にすべてをお委せしたときから、泉の水が湧き出るように、汲めども汲めども尽きることなく、その時その場に応じて、必要な智恵が言葉がわき、また必要な行為となって、そして数学や理論が真理のままでなく、その世界の波動にまで下げられて、理解されやすい状態で教えられます。
そのひびきをそのままに、知らず知らずの内に地球の人たちに伝えることが出来るのです。
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ああそうです。自分の知識でこれらのことを計ろうとしたことが、大きな誤りでありました。
さて、今度は円盤の大格納庫を見学をさせて戴きました。
天井が高くて、大理石のような乳白色に塗られております。そして、どの室に行けども光源が見当らないのが不思議でなりません。それでいて、陰影が出来ないのが全く不思議であります。
数分も歩いたかと思いました時、ある扉の前に出ました。ちょっと見上げますと、光で記号が示されております。丸い輪郭に十字があります。その中に葉巻煙草のような形をした薄茶色の母船があります。母船の両脇にモールスのような記号があります。
この扉の上の記号を見て、母船格納庫への入口のようです。青年がボタンを押すと大きな扉が左右に開かれました。
なんと形容してよいやらわからない広大な構築物です。白色に塗られた大空洞で、その中に母船が雄大な姿を静かに横たえております。真昼よりも明るい大空洞は、いったいどうしてこのように明るいのでありましょうか。
こうした私の想念の動きを知ってか知らずか、青年は話し出しました。
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この格納庫の照明はいったいどうしてなされているかと思われましょう。地球上の考えから申しますと、光源がなく明るいというわけがないからです。でもこれは光源がないのでなく光源がわからない、つまり見えないのです。宇宙科学ではこうした光波を測定するいろいろな器機があります。こうした器機にかけますと光源は明らかになりますが、理論は至って簡単です。
大空洞の天井に平行して放射している多くの特殊な波動が働きます。この波動と特殊波動が激突する時、言い換えますと変調親和を起す時に、特殊波動の量に応じて光輝を発します。その時の光源は測定器にこそ捕えられますが、私たちの眼には捕えられません。
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この話を聞くと、なぜか「地球よりも月の基地の時間空間は速い」といった思いが湧き出してきました。
「私たち地球では、太陽から地球まで達する光の速さを7分20秒としております。それでこの太陽の光の速さを光速の基準(秒速30万キロ)としていますが、今私がいる「月の基地での光速」とは速さが同じなのでしょうか。同じでないような感じが致しますが、その理由はわかりません。それと、この大空洞を照明する光波の周波数はどのように違いますか」と聞いてみました。
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少し前に時空が異なる星々のことを申上げました。それは各惑星の天体上の位置に従って、その惑星の個有の波動とその星に住む人類の波動が和して、その惑星独特の波動を創り出している姿です。その波動が大宇宙の中心より発せられる親神様の波動と、どれだけ違うかによって。その惑星の天体上の位置が定まることを申上げました。
進歩し開発されてゆけばゆく程、時間と空間が短縮されてゆきます。ですから一つとして、同じ時間、同じ空間、つまり、速さを持つ星々はないのです。
あなたが感じられる通り、地球よりも月の基地の時間も空間も速いのです。その根本的な理由を宇宙科学の立場からもうし上げて見ましょう。
大宇宙に散在する星々には、天体上の法則に従って各星々の天位があります。その天位は一個の星の中心核を中心に、幾層かの厚い波動の幕があります。大きく四層に分けております。この各層の中の働きはある程度決っております。
それとは別に、その惑星に住む人類の想念の波動が重複して、その惑星を包んでおります。こうした粗い重い働きをおこなう「波動帯」の中を通過することで、どの波動も、大きな影響を受けないわけはないのです。幾層もの厚い幕を通して働く波動が、あるいは光波が、その本質的な働きをゆがめられることは、お解りになると思います。
地球でも、光線が他の物体を通過する時屈折するのを知っておられるでしょう。光波がゆがめられることと光線の屈折することは、宇宙物理の法則では根本的に、異なる角度から出発しておりますが、結果において共通点があるように、地球人類は地球の上に立って、いろいろな厚い幕を通して見ておられるのです。
色眼鏡を掛けて見た世界は、その眼鏡の色と同じ色の世界がさも実在するかのように見られますが、眼鏡を外して見た時に真実の世界が見られるように、地球の世界では、長い幾億年をかけて、地球の眼鏡をくもらして来たのでありました。
この累積されたくもりを通して見る光速は、地球上での光速であって、月の基地での光速とは全く違います。それと併行して時間も違います。
なぜ違うのかという基本的な点をごく簡単に申し上げましょう。地球では秒、分、時、日のような表現で一単位を定めておりますが、その単位毎に内容を伴っています。1分の60分の1が1秒です。しかし、この1秒は地球世界の遅い周波数を持った波動の顕れの世界では、人々が普通の状態で数をかぞえたと致しまして、1秒の内におよそ一つまたは一つ半ぐらいしか数え切れません。
それを1秒の持つ地球上の常識的な内容と仮に致しましょう。こうした周波数の波動の上に立つ地球上の1秒の内に進歩した星の周波数は非常に速くて、30も60も数えることが出来るとするならば、地球での1ヶ月は月や金星の1日や2日に等しいのです。
地球上での1ヵ月の内容が金星の1日と等しいと今、仮に致しましたなら、時間とは1秒1秒と時をきざむ、点から点の空間を指すのでなくて、点から点への内容、内容を表現する周波数の量の等しさを一単位と見られるのです。
金星の1秒と地球の1秒は、機械的に見て同じであると思われるかも知れませんが、それは誤りです。
時間とは内容を表現する質と量のことです、質量の相等しきところから基準単位が生まれます。
時間と空間はもともと一なる所から発しています。一なる所、それはその星の波動、無数の波動の周波数の持つ最大公約数が一なるところとなります。
縦横十字に交差した所が空(くう)、空なる「ところ」がその星の科学の出発点となります。
空なる十字交差の一点を基準として、内に現われたのがその星の時間です。外に現われたのがその星の空間です。
大宇宙の中心は時空一つに溶け合って輝きます。それまでの段階として、星々の時空は皆一つとして同じものはありません。
進歩の後れた星の時空を以て、進歩した星の科学を律することは出来ません。進んだ星の科学が後れた星に移行する時は、その星の天体位が先で、その後に起る後れたる星の周波数が等しくなった時か、部分的にせよ等しくなった場から、徐々に移行されてゆくものです。
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この場で、はっきりと各惑星での「時間」が星々によって異なることが告げられました。そして、さらに大事なことが、進歩した惑星の進化、すなはち覚醒(アセンション)を起こす星とは、進歩する前の星の周波数が進歩した後の周波数に天体位が徐々に移行していくというのです(「天体位」の意味が、「惑星の位置変換」なのか、「電磁場の周波数の変化」なのかは定かではありません)。
ともかく、未来の地球に起こるであろう、驚嘆するようなことが語られています。
私はこの大きな格納庫の中を歩きながら、太陽の明るさと全く同じように感ずる人工光線は、太陽光線と全く同じだろうか、また違うとするならば、どの点が人工光線との相違なのかとの想念がチラリとかすめました。
それを知ってか青年が光波について話し出しました。
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円盤や基地をご覧になって最初に感じられるのは、光源の見当らない照明のことと思われます。それについては、さきにお話しましたことでおわかりのことと思いますが、こうした人工光線と太陽光線とどう違うだろう、という疑問が生まれるだろうと思います。
私が今光線と申し上げましたけれど、光線も波動の現れの一部であります。それで私たちの目に見える五感に感ずるものと、また波動が早くて感ずることが出来ないものとがあり、その種類はちょっと表現出来得ない程たくさんございます。
それでそれぞれに異なった性と特徴を持っております。それを説明申し上げます前に、私たち自身について申し上げ、光線、波動についての基本的な考え方の説明を致します。このように、多勢の人々が一なる中心に全く統御されて光り輝いている姿を光線で表現するならば、太陽光線と同じような内容を持つものでありましょう。無限数に近い複合体といえます。
このように素晴しい太陽光線と明るさが同じだから、太陽光線と同じに、その内容が百分の一や千分の一のものでも、肉眼では等しく見えることもあります。星の社会の組織の中にある単なる一単位の姿でも、よく似た明るさと見えることもあるものです。
太陽光線は私たちが考えているような単なる明るさ、それに伴う温さというような単純なものでなく、実に素晴しい多くの複合体であるのです。
それでこそ万物が育成され、進化向上へと、大神様の御心のままに大きな生命の流れ、大自然の運行の中で向上への一途をたどってゆけるのです。
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今回のブログ記事は、今までこのシリーズで述べてきたことの「キーポイント」となる
内容が説明されています。
ここでもう一度、重要と思われる場所を二点ほど紹介します。
まず最初に「時間と質量」についてです。
同じ太陽系の惑星である金星と地球は、現代の物理学において光速一定と見られています。しかし、ここではそれぞれの惑星にとっての1秒は、はっきりと異なっているということが伝えられています。
なぜなら、時間の概念について、「時間」とは内容を表現する「質」と「量」のことです。そして「質量の相等しきところから基準単位である時間が生まれる」、このように言っております。このことは、地球の物理的解釈では「質量」が「質」と「量」を単位として捉えていると言うことを示しているものと思われます。当然、「物質」と密接に関係していて、この物質には「時間」が大きく関わってきます。まだ、この時点で「空間」が別の要因として扱われているようです。
次に今度は「時間と空間」についてです。
時間と空間はもともと「一なる所(同じ要因?)」から発しています。そして、この「一なる所」、それがその星(惑星)の波動、無数の波動の周波数の持つ最大公約数が「一」なる「ところ」となります。
上の意味する「ところ」とは、すなはち数直線上で縦軸(時間)と横軸(空間)が交差する「ところ」のことですから、数学的(物理学も共通)には原点であり、「ゼロ=0」と解釈されていると言うことです。
ところで、量子力学の世界では無限小(プランク数)の特異点としてゼロの代役のされています。しかし、同時に矛盾を抱えているわけです。なぜなら、特異点は決して0という数ではなく、「一なる所」なのです。
以上二つの意味することを統合するかのように、次のように説明しています。
空なる十字交差の一点を基準として、「内」に現われたのがその星の「時間」です。「外」に現われたのがその星の「空間」です。大宇宙の中心は「時空一つ」に溶け合って輝きます。それまでの段階として、星々の時空は皆一つとして同じものはありません。
縦横十字に交差した「ところ」が「空(くう)」、「空」なる「ところ」がその星の科学の出発点となります。
最後に、縦軸が「実数」、横軸が「虚数」である、複素平面を考える時、この両軸が交差した「特異点」はゼロなのでしょうか?