信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

信州の南北問題と朝鮮半島

2005-06-19 01:58:31 | Weblog
南信州サイバーニュースより
 なぜ、北信と南信は、歴史的にことあるごとに対立し、いがみあうのか。しかし、その同じ
 信州人がいったん県外に出ると、肩を組んで高らかに「信濃国」をうたい、「こんな県歌を
 持った県民は全国にもない」と対立を忘れたように、わが信州のお国自慢を始めるのか▼け
 わしい山で隔てられ、それぞれが小天地に住むための山国根性が原因と考えられてきた。い
 や、その背景には、遠大な東アジア史が横たわっているかも知れないと本日、一つの仮説を
 提出したい。「集まりの席で小笠原氏の話をしてほしい」と、読者から依頼されたことが発
 端だった▼小笠原氏は飯田(伊賀良庄)と松本を本拠として信濃一国を支配し、さらに全国
 に分派した中世武家の名門である。家伝の弓馬術、礼法はあまりにも有名だ。飯田市伊豆木
 には旧小笠原書院(重要文化財)もある。今から605年前、信濃国の守護(今なら県知事
 か)に任命された小笠原長秀は一党を率い、南信から北信に乗り込んだ▼しかし、豪族・村
 上氏を中核とした北信の在地勢力は「古くからの敵は今も敵である」と反発し、小笠原氏を
 守護と認めず、両勢力は善光寺平の川中島で激突した。南信勢は壊滅し、小笠原長秀は敗死
 寸前で逃走した。激突した村上氏の先祖は、朝鮮半島の高句麗(こうくり=今の北朝鮮)か
 ら来た渡来人であると見られている▼一方の南信は、古墳出土遺物などから同じ朝鮮半島の
 南部・新羅(しらぎ)加耶(かや)との関わりが注目されてきた。今も朝鮮半島の北と南で
 、ことあるごとに対立し、朝鮮民族の威信や誇りとなると、とたんに大同団結する人びとが
 いる。私たちの北信・南信問題となんとも似ている。

信濃国と朝鮮半島との関係は以前から古代史研究の場でも論じられてきている。村上氏の系図上の先祖は小笠原氏と同じく清和源氏になっているが、清和源氏は地方豪族へ婿入りすることで勢力を各地に広げたという経過があり、棟梁の系譜だけは清和源氏であっても地盤勢力は高句麗系だったとする説はかなり有力であると聞いている。
しかしそれと、朝鮮半島のこととは全く別の話である。もちろんこの記者もそこまでの学術的考察ではなく、感覚的な発想上での言及であろうが、村上氏と小笠原氏との争いはもっと単純に、先住者と侵略者との戦いであるということではないだろうか。
朝鮮半島にも地域間対立があり、それもいわゆる朝鮮三国時代(高句麗・百済・新羅)のうち旧百済地域の出身者は高麗王朝樹立時のくだらない遺言がもとで、激しい差別のため約1000年間朝鮮半島で出世できず、それを打破した最初の人物は金大中まで下るというからすさまじい。
さらに言えば、平安期までの日本で主要な地位を占めているのは百済系の人達がもっとも多く、有名どころでは桓武天皇の母親である高野新笠が百済系貴族であり、数年前に物議をかもしたことがあることを覚えている人もいるだろう。清和源氏は桓武天皇の末裔でもあるから、棟梁は共に百済系の血を引き、地盤は高句麗系と新羅系ということになる。南信州記事の発想は面白いが、こじつけの感が否めない。
村上氏も小笠原氏もともに戦国期に武田氏に攻められ、最終的には地盤をすべて失うことになるのだが、それはまた別の話。

20050618 パソコン問題は上告棄却、職員は懲戒免職

2005-06-19 01:28:10 | Weblog

 職員を懲戒免職 収賄で上告棄却(読売新聞18日記事)
 県は17日、県伊那建設事務所を舞台にした贈収賄事件の裁判で上告を棄却された土木部の太
 田多久治職員(48)(休職中)を懲戒免職とした。また、女性のスカートの中を盗撮したと
 して書類送検された社会部の男性職員(26)を、停職2か月とした。

最初は、この職員が田中康夫知事の松本深志高校時代の同級生だという話だったが、調査が進むにつれ、一職員の問題ではなく県庁全体の問題であることが明らかになってきた。
一職員に全ての汚れをなすりつけて済まそうとする県庁体質、田中康夫知事になっても全く変わらないどころか、むしろ悪化している。
事件を知った松本深志の同窓生らがこの職員をサポートしていることも知られている。そこには何故か、同級生であるはずの田中康夫知事の存在は微塵もない。
蜻蛉の輪 http://www7.plala.or.jp/akitsu/index.html