信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

知事選雑感と村井新知事への期待

2006-08-12 17:34:20 | Weblog
8月6日に行われた長野県知事選では、新人で前衆院議員の村井仁氏が現職の田中康夫氏を破って初当選を果たした。この選挙結果については注目を浴びたこともあり、県の内外で様々な分析がなされている。組織票と浮動票、災害復旧、市町村や県議会との対立、公選法の在り方、脱ダム等の「その後」など、もっと単純に好き嫌いまで含め、多くの理由付けがなされているが、それはあくまで後付の理屈であり、現実として田中康夫県政は終わり、村井仁県政が始まる。村井氏は様々な約束をしたが、まずはガラス張り知事室とコンシェルジュの廃止を公表し、そして県職員の意識改革、つまり田中康夫知事時代の極端なまでに知事の意向を伺う体制を改めることを宣言した。
現在の県組織は、知事の意向に背いた職員は飛ばされる。はるさめ問題以降は全ての情報、どんな些細な情報であっても知事および経営戦略局長以下の幹部に伝わるシステムが取られており、それをおかしいと思う者はいても口に出したとたんに飛ばされるだけなので誰もそれを批判できない状況に置かれていた。組織として非効率であると同時に、責任の所在が曖昧になるという2重欠陥のうえ、田中康夫知事が判断を下さないといつまでたっても解決しない。村井氏が見直しを表明した肥大化した経営戦略局こそは、そうした判断権限集中による産物である。経営戦略局は局長がああした人物ゆえとやかく言われているが、人の入れ替わりが激しく、局長や一部の任期付き職員を除き、野崎氏など残っている者は単に知事のお気に入りだからというのでなく、それなりに優秀な人材である。しかしあくまで人材であり、それを有効活用できるかどうかは上の者の才覚に左右される。
ガラス張り知事室廃止(見せかけでなく政治プロセスの透明化)、経営戦略局見直し(権力拡散と責任の明確化)、コンシェルジュ廃止(無駄の廃止)、チーム・ユニット制度の見直し(わかりやすさ)、県職員の意識改革、これらは県庁組織内の体制立て直しでいずれ避けられないものである。こうした点にきちんと触れられるというのはやはり経験がなすものであろうが、問題はそれがどこまで実践されるかということにあり、まずは村井氏の真価が問われる。それと同時に行われるべきことは、市町村や議会との関係改善、そして差し迫った事案としての浅川治水計画と高校再編計画の判断があり、更には県財政改革や県職員人材育成がある。前者は村井氏が当選した時点で半分ほど果たされてしまったようなものだが、こちらも問題はこれからである。県職員人材育成という点では、現在の職員もさることながら、県職労が指摘をしているように、田中県政による急激な人件費削減施策の一環で行われた職員減らしによって今の職員年齢層で20代が非常に薄くなっており、その世代が中間管理職になる20年後以降の県政運営が危ぶまれる状態になっている。

選挙結果を受けて、沢田副知事と青山出納長が相次いで辞職を申し出た。新知事のもとでは一新したほうがよいとの理由を述べていたが、この2人に加えて松林経営戦略局長の3人は、県庁の無責任体質、口から出任せのデタラメ体質の責任者でもあった。沢田副知事と青山出納長はまだ恥の自覚があったようだが、経営戦略局長や田中康夫知事に阿り続けてきた監査委員の数名、前副出納長や前衛公研所長などには恥の自覚が無いらしい。
村井新県政は田中県政による混乱と荒廃と停滞の後始末に追われるであろうし、村井氏もそれを覚悟の上で火中の栗を拾ったところがある。知事選候補者擁立以降の経緯はともかくとして、晴れて知事に就任していただく以上は、行政マンや議員としての経験、人格、コネなど、結果論でいえば最善の選択だったかもしれない、と後に思えるような舵取りを期待したいし、村井氏はその期待に応えられる可能性は持っていると思う。また県議会においては田中県政で果たせなかった不毛でない議論の活性化をしてもらうのと同時に、百条委員会を引き続き開催してもらい、未着手の五輪招致疑惑ほか様々な疑惑の解明に力を尽くして貰いたいと思う。村井氏を支援した多くの県議が述べているように、彼ら議員の真価が問われるのはむしろこれからである。
今の時点で村井氏にアドバイスするとすれば、片腕として動ける副知事とスポークスマンを用意して、広報PR、経営戦略、治水災害対策、人材育成、高校再編問題、田中県政時代の様々な疑惑の解決などを専管事項にして分担させればどうだろうか。