信州ななめよみ

長野県政をはじめ長野県に関することを思いつくままにつづるもの

平成18年7月災害に見る県の責任のゆくえ

2006-07-23 19:37:04 | Weblog
平成18年7月17日からの降雨により、長野県のとりわけ諏訪から上伊那北部・木曽にかけて大きな被害が生じた。土石流に呑まれた犠牲者もあり、改めて自然災害の恐ろしさを見せ付けることになった。現在、全国単位で土砂災害防止法に基づく危険箇所指定作業が進んでおり、土砂災害があった諏訪地域、上伊那地域は県内でも指定作業が早く進んでいた地域でもあった。
この災害が、知事選告示から知事選本番へと移行する時期とちょうど重なったことで、奇妙なことが幾つか起こり、そして発覚している。

22日と23日の土日、県は急遽、職員のべ4000人以上を諏訪地域と上伊那地域へ派遣させた。実際には20日頃から土木部などで職員派遣が行われていたようだが、今回の派遣は目的を特に定めずの派遣、いやいつもの、ボランティアという名の動員である。同じようなことを中越震災の時にやっているが、その時に反省すべき点を反省していなかったのだろう、今回もまた同じ過ちを犯している。

現地入りした人からこんな話を聞いた。
交通パニックの中で自家用車でやってこいという合理性のなさ、そして集合場所へ行ったもののやることが無いという虚脱感。
岡谷市の土石流災害で田中康夫知事が上流のゴルフ場が原因と吹聴しているが、土石流被害場所の上流にゴルフ場は無いという嘘のような話。
辰野の道路陥没現場には道路バイパス計画があったのが、地主一人だけがごねて建設事務所の頭越しに田中康夫知事に訴え、知事のチェックのもと計画が何度か変わり、結局バイパス計画が消えてしまったということ。

辰野町の国道153号線、徳本水という現場は横に横川川が流れ、道路が大きくカーブし、西から南にかけて山の陰になってしまい冬場の凍結等事故が多かったため、以前から改良要望が強く5年以上前から道路バイパス計画が立てられて測量や設計が行われ、地元への計画説明も一人を除いて同意が得られていたという。数年前にようやく国庫補助事業枠に認められたものの、上述のようなことがあり事業は中断してしまったとのこと。予算のつきが良かったらしいので、順調に事業化していれば今頃は完成していたかもしれない、そして完成していれば今度の災害で国道が遮断されることは無かっただろうとされている。
今回、高速道、善知鳥峠、横の県道なども軒並み被害を受けたため、塩尻市北小野から辰野町小野・横川・川島の一帯は孤立した。

上伊那においては天竜川や桑沢川などが氾濫を起こしたが、これらの河川では県の改修事業が中断ないしは事業費縮小されていたという。宮田村で土砂が押し出して高速道や広域農道を止めてしまったところには、前から砂防事業の要望が出されていたが、知事サイドで事業化を蹴られたという話もあるらしい。

その徳本水の現場、現在は仮復旧工事の真っ最中である。復旧見込みは今月の28日だったが、工事が順調であったこともあり、田中康夫知事は26日に開通できると明言し、それを受けて経営戦略局は例のキャラクター入りの開通ビラを道路チームに作らせ、地元の店舗等に配布するとともに25日中には現場を完成させるよう指示した。しかし今日23日から明日にかけて当の上伊那では100ミリ以上の雨が降るとされている。奇怪なことに、恐らく地元店舗で掲示されているであろうビラは経営戦略局で作成していながら、土木部名義になっている。つまりその開通が予定通りにいかなかったときは土木部の責任になるというわけだ。
現場の横には濁流の横川川が流れている。現場にはトンパックと呼ばれる仮設の袋が設置されているが、コンクリート護岸を壊した濁流を仮設中のトンパックで守れるとは言い切れない。ただでさえ混乱する現場に知事の立場で負担を強いて経営戦略局を私物化しつつ知事候補者としての点を稼ごうとしているのではないか、という思惑がそこには容易に見えるが、この雨で工事が遅れることになるとかえって逆効果で、徳本水の道路計画が駄目になった話が蒸し返されるかもしれない。

これらは一体、誰が責任を取るのだろうか。天災は避けられない部分があるが、今度の被災に限っては天災だからと割り切れない点が少なくない。
打つべき手は打たず、予め先人が打っていた手は止め、責任は他者へなすりつける、それを改革と呼ぶのであれば、そのような改革などいらない。