佐賀ばそーつく

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五拾七番止

2010-04-02 18:40:24 | 境石・追分石・道標
長崎街道塩田道、成瀬宿の手前にある藩境石。

長崎街道は、当初この塩田道が本道であった。

しかし街道に沿って流れる六角川がたびたび氾濫を起こすため、武雄・嬉野回りに付け替えられた。



この藩境石は、佐賀本藩と多久領の境を示す石と案内板には書かれている。

この石、高さ1m、幅2m以上ある巨石。

黄色の丸印あたりに「五拾七番止」と彫ってあるらしい。

らしいというのは、風化と苔でほとんど文字が判読できない。



案内板は以下のとおり。


ここは、長崎街道、五十七番止。
 道路から10mほど入ったところに「五十七番止」
と彫られている巨石がある。医王寺の古地図より、
巨石は、江戸時代享保4年(1719年)に多久領と佐賀
本藩の御狩倉山(おかくらやま)境界に設置された
境界石ということがわかっている。
 「五十七番止」の意味は、57番目の境界石であ
ることを示し、「止」は、境界の最後の測点であ
ることを意味している。また、この周辺は参勤交
代や長崎へ行く大名等の籠立て場(休憩所)として
利用されていた。
 さらに山の奥のほうには、猪鹿防石塁(いのしし
しかぼうせきるい)や鹿垣(ししがき)の跡が残って
いる。猪鹿防石塁や鹿垣は、医王寺、芦原、長池
地区山中の畑作物を猪や鹿から守るための他、狩
をする際に獲物を逃がさないためなどの目的に応
じて作られていた。


【DATA】
五拾七番止
佐賀県武雄市北方町芦原
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