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幸せの植物楽

自然の力をプレゼント。
身近な植物に託した想いや、日常雑記を心のままのびやかに表現したい。

家庭菜園学とは

2012-12-24 08:46:32 | 家庭菜園
家庭菜園学



農業や家庭菜園は、自然を相手にしているからといって、環境にやさしいことをしているとは限りません。
自然林を切り払い畑に変え、機械で耕し、化学肥料、農薬を使えば石油エネルギーを必要とする。
人の力だけで耕し、自然の肥料、自然の農薬を使えば自然への付加は少ない。
五無といって「無肥料、無耕起、無農薬、無除草、無播種」が理想です。
長年家庭菜園をやっているので、いい点を挙げてみましょう。

運動になる              金がかからない
うまい物が食べられる         自分が食べる物を自分で作る・安心
気まぐれ自然・天候にあわせる     忍耐心ができる
ゆつくりした自然のリズムに合わせる  動物である人間の心にもいい
自然・季節の変化がよく分かる     心の柔軟性や忍耐力を養う
野菜の植え付け、収穫、引き抜きに判断力、決断力がいる
自由な気分となる           天に使われていることが分かる
人間関発生しない           肉体的な健康維持
頭脳の活性化             自然との共生
子供を育てる、生き物をそだてるやすらぎスリルのある遊びなど

こういうように書くと、どうしてこんなに理屈ぽいのだろうかと人に嫌われる要因となる。ともかく楽しく美味しいものが手に入ればいいのです。
日本の心 唐木順三 筑摩書房 失われた人間性の復活という項に次のようにお書きになっている。自分勝手に無断で口語に直しました、お許しください。

なぜ農耕が教育の場でありうるか。なぜ百姓がいちばん上等な人間のあり方であるのか。一言にしていえば、それが、自然・人間一体の作業だからである。
春にまき、夏に育て、秋にとりいれるという基本は、自然との協同を素直に示している。四季の運行とともに人間が事をはこんでいる。人間の能力の限界を越えた自然の力にたよりながらも、また自然の猛威をおそれ、天に祈り地に伏してなげくということのなかで、ひとは自然の鼓動、天地万象のいぶきを感じるだろう。
人間性の自覚ではなく、天地間に介在する一存在としての人間のあり方の自覚であろう

ひとは自然との連帯、自然との生命協同体を回復することによってだけ、17世紀以来かもしだされてきた人間の悲劇、孤独地獄を脱しうるだろう。科学技術社会の人間が、野に立ち、はだしで土をふみ、風をきき、雨にうたれながらに、自然とともに協同作業をするとき、自らの失っていたものに気づき、気づくことによって本来の人間のあり方に思いをいたすだろう。日の光、風の音とともにあることによって、失われていた詩情、宇宙情緒をいくらかは感じ取るだろう。科学ばかりが能ではないこと、科学的自然観は自然に対する人間の解釈のひとつにすぎないことに気づくだろう。

フムフム。


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