音の歴史
生活、文化の変化とともに何気ない音も変化していきます。幼い頃、東京都世田谷区九(く)品(ほん)仏(ぶつ)に住んでいて納豆売りの声に誘われるようにしてお使いに行き青海苔や芥子(からし)を貰うのが楽しみでした。
田舎の福岡県でコッコッコというニワトリ、ゴーンという寺の鐘、つるべ井戸のカラカラ、オキュートオキュートのおきゅうと売りの声をいつも思い出します。
東京の小学校の頃の思い出の音がいっぱい出てきます。
夏の金魚売り、風鈴売り、豆腐屋の真鍮(しんちゅう)製のラッパ、石焼芋、チャルメラ、火の用心や紙芝居の拍子木、煙管(きせる)のヤニを清掃する羅宇屋(らおや)の蒸気のピーというかん高い音、尺八を吹く虚無僧(こむそう)、新宿では傷痍軍人のアコーディオン、石炭ストーブの燃える音、朝鮮戦争に向う飛行機、甲州街道には米軍兵員輸送車、ラジオの「尋ね人」、子どもの遊ぶ声(メンコ、ビー玉、ベーゴマ、缶蹴り、けん玉、おはじき、チャンバラ)、下駄、番傘に当たる雨、汽笛、機関車、柱時計のチクタクと時を告げるボーン、ラジオのチューニング音、正午のサイレン、チンドン屋のチンドン太鼓、黒電話のチリリーン、硝子戸、風呂桶と湯桶と手桶、包丁とまな板、バスの車掌さん、電車の改札の切符切り、映画館の歓声、レコード針、蚊帳を広げるカサカサ音、テレビのガチャガチャ回し、そろばん塾のネガイマシテワー。カキ氷のシャカシャカシャカ。母さんが七草(ななくさ)粥(がゆ)の七草をまな板で刻む時にしゃもじをまな板に当ててトントンと音を出していた、無病息災を祈っていたのでしょう。
でも何と言っても一番印象的なのは下駄の音です。明治・大正時代に来日した外国人もまず下駄の音について記録しています。
販売方法の変化、物の変化によって音も変化しています。音は物と物とがぶつかり、こすれて音が出る、物がなくなれば音もなくなります。今日には今日の音です。
これをお読みになった方は、思い出の昭和、音の昭和について、目をつぶって思い出すとあなたにはあなたの音があることでしょう。
寺田寅彦随筆集 岩波書店に「物売りの声」昭和一〇年(一九三五)が書いてあります。豆腐屋、納豆屋、苗売り、辻占い、按摩(あんま)、鯉、蜆(しじみ)、竿竹、千金丹、枇杷(びわ)葉(ば)湯、生菓子など呼び声、服装が書いてあります。滅んでいく物売りの声を録音し記録保存するのは天然記念物や史跡の保存と同様に有意義なことだと述べています。
音だけではなく、身振り、しぐさ、服の色なども同時に記録するといいかもしれません。
{子どもの頃の昭和}
ご用聞き、職人、子どもを背負う、ねんねこ半纏(ばんてん)、足袋(たび)、ふろしき、縞(しま)の前掛け、桶、桶屋、牛乳屋、学生服、襟(えり)カラー、セルロイド(おもちゃ、筆箱、下敷き)、大八車、リヤカー、オート三輪車、手ぬぐい被(かぶ)り、割烹(かっぽう)着(ぎ)、鳥打(とりうち)帽、ソフト帽、とんび(和装用コート、インバネスコート)、ドテラ、半襟(はんえり)、ゲートル、行李(こおり)、火鉢、火箸(ひばし)、五徳(ごとく)、玄翁(げんのう)、鶴嘴(つるはし)、湯たんぽ、炭火アンカ、炭火こたつ、もぐさカイロ、七輪(しちりん)、うちわ、蚊帳(かや)、蚊帳の吊り手、井戸端、風呂桶、おひつ、火吹き竹、洗面器、たん壺、衣桁(いこう)、衣紋(えもん)掛け、藁半紙(わらばんし)、瓶入りラムネ、ニッキ水、銭湯、縁日、カーバイト灯火、手水器(ちょうずき)(手洗器、吊り手洗器)、洗濯板、羽(は)釜(がま)、蓆(むしろ)、菰(こも)、叺(かます)、縄、炭俵、米俵、飯びつ、襷(たすき)、鉄カブト、よいとまけ、蓄音機、レコード、竹針、ハエ取り器、ハエ取り紙、バリカン、五右衛門風呂、駄菓子屋、赤チン、坊主頭、木の林檎箱、開襟シャツ,アッパーパー、行水(ぎょうずい)、物干場、盥(たらい)、和服洗い張りの張り板と伸子(しんし)、ドブ板、溝やドブ、ヤカンのお湯、牛乳瓶の紙蓋、ガラスのジュース瓶、ガラスの目薬瓶、木炭自動車、火の見櫓(やぐら)、正月映画,踏切番、カストリ、パンパン、チック、チッキ,リーゼント、ロッパ、徳川夢声、柳家金五郎、鐘の鳴る丘、肝油ドロップ、電車のトイレ(線路が見える)、馬糞、狭い路地の鉢植。ここまで根気よくお読みになった方は懐かしさで胸がいっぱいになったことでしょう。
昭和三〇年(一九五五)学校でアイヌ民族の踊りがあり女性の口の周りの刺青が印象的だった。銭湯での職人の倶梨伽羅(くりから)紋紋(もんもん)。
道具だけではなく方法や素材、考え方、生活習慣がまったく違います。例えば、歯磨きに塩、洗剤の代わりに灰や灰汁、洗髪に卵の白身や粘土、トイレに新聞紙、布団の綿の代わりにワラ、防水に油紙、照明にランプなどです。
路地の家の前には縁台があって夏の夕涼み、将棋、休憩などに誰でも使えました。戸締りで鍵をかけません。冬になり寒いと言うとおばあさんが背中に真綿を延ばして貼ってくれた、すぐにポカポカと暖かくなる不思議、祭りや遊びで汗ビッショリとなった爽やかさ、子どもは遊びの大声と汗で育つ、一つ一つ思い出すと胸がキューンとします。
若い友だち、若い母さんがいつまでも笑っています。友だちの顔も笑っている。母さんが手間を惜しまず、日常のご飯、洗濯、足袋(たび)、服や布団まで作ってくれ、貧しく不便だったけど、そのぶん心がしっとりと濡れ、光り輝いています。
ああ、いい時代を生きてきたものです。待てよ、これは「昔はよかったなぁ」と言うのと同じで老化現象です。三千年前の古代ギリシャでも「昔はよかったなぁ」という言葉が残っているそうです。
生活、文化の変化とともに何気ない音も変化していきます。幼い頃、東京都世田谷区九(く)品(ほん)仏(ぶつ)に住んでいて納豆売りの声に誘われるようにしてお使いに行き青海苔や芥子(からし)を貰うのが楽しみでした。
田舎の福岡県でコッコッコというニワトリ、ゴーンという寺の鐘、つるべ井戸のカラカラ、オキュートオキュートのおきゅうと売りの声をいつも思い出します。
東京の小学校の頃の思い出の音がいっぱい出てきます。
夏の金魚売り、風鈴売り、豆腐屋の真鍮(しんちゅう)製のラッパ、石焼芋、チャルメラ、火の用心や紙芝居の拍子木、煙管(きせる)のヤニを清掃する羅宇屋(らおや)の蒸気のピーというかん高い音、尺八を吹く虚無僧(こむそう)、新宿では傷痍軍人のアコーディオン、石炭ストーブの燃える音、朝鮮戦争に向う飛行機、甲州街道には米軍兵員輸送車、ラジオの「尋ね人」、子どもの遊ぶ声(メンコ、ビー玉、ベーゴマ、缶蹴り、けん玉、おはじき、チャンバラ)、下駄、番傘に当たる雨、汽笛、機関車、柱時計のチクタクと時を告げるボーン、ラジオのチューニング音、正午のサイレン、チンドン屋のチンドン太鼓、黒電話のチリリーン、硝子戸、風呂桶と湯桶と手桶、包丁とまな板、バスの車掌さん、電車の改札の切符切り、映画館の歓声、レコード針、蚊帳を広げるカサカサ音、テレビのガチャガチャ回し、そろばん塾のネガイマシテワー。カキ氷のシャカシャカシャカ。母さんが七草(ななくさ)粥(がゆ)の七草をまな板で刻む時にしゃもじをまな板に当ててトントンと音を出していた、無病息災を祈っていたのでしょう。
でも何と言っても一番印象的なのは下駄の音です。明治・大正時代に来日した外国人もまず下駄の音について記録しています。
販売方法の変化、物の変化によって音も変化しています。音は物と物とがぶつかり、こすれて音が出る、物がなくなれば音もなくなります。今日には今日の音です。
これをお読みになった方は、思い出の昭和、音の昭和について、目をつぶって思い出すとあなたにはあなたの音があることでしょう。
寺田寅彦随筆集 岩波書店に「物売りの声」昭和一〇年(一九三五)が書いてあります。豆腐屋、納豆屋、苗売り、辻占い、按摩(あんま)、鯉、蜆(しじみ)、竿竹、千金丹、枇杷(びわ)葉(ば)湯、生菓子など呼び声、服装が書いてあります。滅んでいく物売りの声を録音し記録保存するのは天然記念物や史跡の保存と同様に有意義なことだと述べています。
音だけではなく、身振り、しぐさ、服の色なども同時に記録するといいかもしれません。
{子どもの頃の昭和}
ご用聞き、職人、子どもを背負う、ねんねこ半纏(ばんてん)、足袋(たび)、ふろしき、縞(しま)の前掛け、桶、桶屋、牛乳屋、学生服、襟(えり)カラー、セルロイド(おもちゃ、筆箱、下敷き)、大八車、リヤカー、オート三輪車、手ぬぐい被(かぶ)り、割烹(かっぽう)着(ぎ)、鳥打(とりうち)帽、ソフト帽、とんび(和装用コート、インバネスコート)、ドテラ、半襟(はんえり)、ゲートル、行李(こおり)、火鉢、火箸(ひばし)、五徳(ごとく)、玄翁(げんのう)、鶴嘴(つるはし)、湯たんぽ、炭火アンカ、炭火こたつ、もぐさカイロ、七輪(しちりん)、うちわ、蚊帳(かや)、蚊帳の吊り手、井戸端、風呂桶、おひつ、火吹き竹、洗面器、たん壺、衣桁(いこう)、衣紋(えもん)掛け、藁半紙(わらばんし)、瓶入りラムネ、ニッキ水、銭湯、縁日、カーバイト灯火、手水器(ちょうずき)(手洗器、吊り手洗器)、洗濯板、羽(は)釜(がま)、蓆(むしろ)、菰(こも)、叺(かます)、縄、炭俵、米俵、飯びつ、襷(たすき)、鉄カブト、よいとまけ、蓄音機、レコード、竹針、ハエ取り器、ハエ取り紙、バリカン、五右衛門風呂、駄菓子屋、赤チン、坊主頭、木の林檎箱、開襟シャツ,アッパーパー、行水(ぎょうずい)、物干場、盥(たらい)、和服洗い張りの張り板と伸子(しんし)、ドブ板、溝やドブ、ヤカンのお湯、牛乳瓶の紙蓋、ガラスのジュース瓶、ガラスの目薬瓶、木炭自動車、火の見櫓(やぐら)、正月映画,踏切番、カストリ、パンパン、チック、チッキ,リーゼント、ロッパ、徳川夢声、柳家金五郎、鐘の鳴る丘、肝油ドロップ、電車のトイレ(線路が見える)、馬糞、狭い路地の鉢植。ここまで根気よくお読みになった方は懐かしさで胸がいっぱいになったことでしょう。
昭和三〇年(一九五五)学校でアイヌ民族の踊りがあり女性の口の周りの刺青が印象的だった。銭湯での職人の倶梨伽羅(くりから)紋紋(もんもん)。
道具だけではなく方法や素材、考え方、生活習慣がまったく違います。例えば、歯磨きに塩、洗剤の代わりに灰や灰汁、洗髪に卵の白身や粘土、トイレに新聞紙、布団の綿の代わりにワラ、防水に油紙、照明にランプなどです。
路地の家の前には縁台があって夏の夕涼み、将棋、休憩などに誰でも使えました。戸締りで鍵をかけません。冬になり寒いと言うとおばあさんが背中に真綿を延ばして貼ってくれた、すぐにポカポカと暖かくなる不思議、祭りや遊びで汗ビッショリとなった爽やかさ、子どもは遊びの大声と汗で育つ、一つ一つ思い出すと胸がキューンとします。
若い友だち、若い母さんがいつまでも笑っています。友だちの顔も笑っている。母さんが手間を惜しまず、日常のご飯、洗濯、足袋(たび)、服や布団まで作ってくれ、貧しく不便だったけど、そのぶん心がしっとりと濡れ、光り輝いています。
ああ、いい時代を生きてきたものです。待てよ、これは「昔はよかったなぁ」と言うのと同じで老化現象です。三千年前の古代ギリシャでも「昔はよかったなぁ」という言葉が残っているそうです。