武滿徹 / 他人の顔
日時:10月25日
内容:清掃(経田駅前トイレ)。
感想:
孫さんと前沢さんが着ていた
スタートトゥデイの服に
ピースマークと称される
悪魔崇拝のマーク(からすの足)が
刻印されていました。
日本の人も
善悪の象徴の体系について
いろいろ勉強してほしいです。
おわり
高橋記
「早く仕事せま、何遊んどらんよ」
という富山県民の不平不満の叫びが
聞こえてくるようです。
しかし
日本の知識人のレベルが
いつまでたっても向上せず
世界からだらにされている様を
看過できなくなった次第です。
國學院の外人の先生は
知識は確かですが
一般人には意味不明だと思いましたので
私説を含めて述べてみます。
いわゆる反革命思想は
フランス革命などの近代政治革命に
反対する思想です。
エドモンド・バーク
ジョセフ・ド・メーストル
ルイ・ド・ボナール
シャトーブリアンといった
思想家が挙げられます。
フランスの
アクション・フランセーズという団体は
その思想を体現しています。
ラディカルな革命
共和政や民主政を否み
王政復古を企図しています。
ボルテール、ルソー
モンテスキュー、ホッブス、ロックといった
近代啓蒙思想に異を唱えます。
つまり
一般意思や国民主権には異を唱え
君主か教皇に主権を回帰させることを
企みます(論者により王権派や教皇派があります)。
すなわち
一般意思とは
神の意思とそれを体現する長上(教皇、司教、司祭)の教導
を否み
民主政の独裁と
道徳と関係ない政策判断を招来するため
誤謬命題を真とし
道徳の破綻を招きます。
社会観は
家族国家論
三位一体論を雛型にし
父権社会による
調和と秩序を貴びます。
私の説としては
聖権、バチカンの組織
世俗社会、家族における
父権社会は大切だと思います。
一方で
聖母マリアに顕現される母性と
母性社会(縄文平和文明)
修験道的な母胎回帰な
メンタリティーや文化を憧憬します。
日本の国家経営に
そういった反革命、超保守の思想を汎用した場合
まず
天皇陛下の地位を
象徴から
国家元首に致します。
教皇座の
コンクラーベの如く
血統ではなく
天意と民意を反映した
王をセレクトする儀式を
創出します。
今現在の日本の政体は
法的、政治的に共和政であり
実質的な権力主体は
安倍総理にございます。
しかし
本来
総理大臣は
宰相として
国の大番頭
総務部長を担うべきです。
極めて個人的な見解では
次世代の天皇陛下は
愛子さまをはじめとする女性皇族が
相応しいと思います。
往古の推古、持統帝の如きカリスマが
現在の女性皇族の皆様にあるように
推察致します。
何れにしましても
国民こぞって
この国のあり様を
考える時が参りました。
おわり
高橋記(社禝の臣)
日本の王座は
大王(おおきみ)や
天皇なる道教的な名で称されてきた。
しかし
それは日本固有の王座、王権ではなく
他国の王座より超越的な聖性があるわけでもない。
万世一系という
血統の連続性の神話は
政治的フィクションであり
継体帝や孝明帝において
血統は途切れている。
ユダヤ世界におけるメシアは
ダビデの血統をひくものだとされたが
ナザレのヨシュア(イエス)が
メシア(キリスト)だとすれば
ヨゼフとイエスには
血統の連続性はないので
血統の連続性が
神性を担保するものではない。
言うまでもなく
ダビデ、ソロモンには血の繋がりはなく
堯、舜、禹にも血の繋がりはない。
つまり
優秀な血統や
高貴な血などが
王座を担保するものではなく
天与と修練による人徳、人望の深化
超自然的な聖霊(カリスマ)の降臨こそが
王座の始源であり
人を王をたらしめる
聖なる権威は
教皇座による戴冠であり
大嘗祭における真床おふすまの儀式なのである。
その本質は
聖霊の祝福
天皇霊の継承(折口信夫)であり
超自然的な
形而上学に照射されるべき
存在論である。
日本の王座
天皇家の存在は
共和政と民主政の混合政体であるところの
近代政治制度から脱し(ポストモダン)
往古の王政を復古する契機を含んでいる。
たとえ
それが
今は
共同幻想であり集団無意識の潜在的な観念
象徴、表徴、メタファーであるにしても
いずれは
偉大な現実となるやも知れぬ。
完
高橋記(王政復古の小号令)