気が付いたので、追記しておきます。
(1)花かげ:大村主計・益夫
先日来「花かげ」について検索して、いくつか分かったことがありますので書いておくことにしました。
一つは、顕彰会の運動や大村主計の紹介が出ていることです。
会では、桜の木を植えたり、草刈りをしたりして、花吹雪の再現を目指して楽しんでいるようです。興味のある方は検索してみてください。
お姉さんの名は「はるえ」、写真も出ています。
もう一つは、大村主計に関する紹介記事の中にご子息3人の写真が出ていました。そのうちの3男益夫さんについて「早稲田大学名誉教授」とあったので、驚いて調べたところ、岩波文庫の『朝鮮短編小説選』(上・下)の訳者(大村益夫・長璋吉・三枝壽静)の一人でした。
実は、1980年以降に、大韓航空機事件・監督亡命事件ほかがあって、いくらか韓国・朝鮮や朝鮮人作家のものを読みました。その中に上記の『小説選』がありました。
私の手元のものは1984年初版で、ちょうど40年前のものです。すでにまわりが変色してしまっていて、開くと背がパリッと音を立てて自然崩壊しそうです。
上記の『小説選』には(上)に10篇、(下)に12篇入っていますが、40年も前に読んだものなので、もう記憶が薄れていますから内容紹介をできません。
大村益夫氏は(上・下)とも各3点ずつ翻訳されていて、そのうちわりあいよく覚えているのは(上)の李箕永「民村」です。
この文庫はまだ販売されているようです。もちろん図書館にはあるでしょう。
このほかの文庫では、『朝鮮民謡選』(岩波)、『春香伝』(岩波)、『朝鮮冬物語』(青木文庫)、『笑いの三千里』(白水Uぶっくす)がすぐ浮かびます。
とくに、『春香伝』は、作品だけでなく、歌〔サランガ:愛の歌〕もパンソリも面白いですし、映画は韓国版も北朝鮮版も見ました。どちらも興味深く、ぜひまた見る機会があればと思っています。これについてはまたの機会に。
(2)朝鮮・韓国
朝鮮・韓国にはいろいろな関心があります。
もうムリと思いますが、プサンから朝鮮半島を縦断して、中国経由か、シベリア経由で、モスクワ―ベルリン―ライプツィヒと列車旅行するのが、しばらく前までの夢でした。
オット、それよりも、北は無理ですが、韓国へはかじったばかりのハングルとあとは英語で、3回旅行に行きました。2回は友人と同行。1回は単独。
その単独の1回は、1ドル=70円台という時代だったこともあり、板門店ツアーに乗って現地参加したほか、浦項〔ポハン〕から鬱陵島〔ウルルンド〕へ行き、帰りは江陵〔カンヌン〕に寄り、ソウルの忘憂里(マングリ)へ行き浅川巧〔たくみ〕の墓参をしてきました。
なお、上記の『春香伝』を「死ぬまでにハングルで読みたい」と思い、この時ソウルの書店で買ってきました。〔多分、このブログを止めれば時間ができて、辞書首っ引きで読めると思います・・・。どうしましょうか???〕
なお、江陵の烏竹軒(ウジョッカン)は韓国文化がよく保存されていて感動しました。また行きたいと思っています。
ああいう文化を持つ国を植民地下においていい気になっていた日本のお粗末さに唖然とさせられます。
皆さん、ぜひ検索だけでもしてみてください。
それから、浅川巧は山梨県北杜市高根町の人です。
〔現地に「浅川伯教・巧兄弟資料館」があります〕。
巧は林業技術者です。丸裸になった朝鮮の山に木を植えた恩人として、また朝鮮の美〔いわゆる民芸〕を敬愛した人として親しまれ、没後はソウル近郊の忘憂里〔マングリ:土地の人の発音はそう聞こえました〕に葬られ、「韓国の土になった人」です。
高崎宗司『朝鮮の土になった日本人―浅川巧の生涯』(草風館)があります。
私が行った時も墓所〔朝鮮風の土饅頭型〕はきれいに整備され、花が飾ってありました。公園化された山の中の墓所へ行くにも、多くの人が訪れるとみえて、管理人に場所を聞くと、「アサカワタクミ」と言いながらすぐに所在地を教えてくれました。
ちなみに、兄伯教も、朝鮮の全土にわたって竈を調査するなど、日本の民芸運動との関係で注目される人です。
また、伯教の娘美恵子は経済学者の上杉重二郎夫人です。
まだサワリですが、ここまでにします。
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