神足勝記を追って

「御料地の地籍を確定した神足勝記」を起点として「戦前の天皇・皇室・宮内省の財政について」のあれこれをとりあげる

No.160 棚の地図

2024-05-05 04:18:08 | 勝記の巡回


(1)今日(4日)は雲一つない良い天気でした。暑くなりましたから、西に庇を付けました。
 上の写真は一昨日の空です。昭島市の付近は都内と三多摩の気象のはざまのようで、いろいろな雲が見られます。
 それから、先日も書きましたが、切られた梢の後に新芽がすくっと伸び始めています。こういうのを見ると、学生の時に、中世文学の杉本圭三郎先生と同席したときのことを思い出します。
 酒席なのに、この時とばかりに私が「鎌倉文学はどうして暗いのか」とたずねると、先生は一瞬考え込み、「どのような時でも必ず次の芽があるから、それを見ないといけない」と力を込めて答えてくれました。直にお話ししたのはこの時だけでしたが、忘れがたい一コマです。

(2)庇を付ける準備をしていると、ミツバチがやってきました。忙しく飛び回っていて、留まってポーズをとってくれませんでしたから、少しボケ気味です。
   
    花は・・・すいかずら、かな?

(3)今日は、『神足勝記日記』を読んだときに行程を把握するために作成した地図のことを少し書いておきます。(地図は、載せる方法がうまくいかず、あきらめました。)
 神足は、御料局に入る前の地質調査所の時代に、北海道を除くほぼ全国を踏破しました。日記のその部分は、『御料局測量課長 神足勝記日記 ー林野地籍の礎を築くー』日本林業調査会(J-FIC)では割愛しましたが、巡回した諸県については46~8ページに挙げておきましたから、ご覧ください。

 最初に日記を読んだとき、その箇所をいちいち確認しました。しかし、私自身が行ったこともない所ばかりですし、それを今の地図で見ても、地名も道も当時とは変わっていたりしますから、わからないこともしばしばでした。
 また、場所はわかっても、道ではなく、山を直登もしてますから、いまの地図では新しい道路などが優先されていて判別が難しいということがありました。
 そこで、あれこれと探すと、平凡社の『日本歴史地名大系』(全50巻)の付図が当時のものに近いことがわかりました。地図は、等高線の前のケバ描きのもので、当時の宿駅名が書いてあって都合よいので、それを集めてつなぎ合わせ、地名と通過経路をマーカーで着色しました。
 しかし、ひとたび巡回に出ると、2ヶ月や3ヶ月は多少の雨でも移動するというような作業方法ですから、どんどん地図は大きく広がり、畳1畳どころではなくなります。
 それだけではありません。作業が進むと、それが何ヶ所もになりますし、場所によっては何回もとなります。それをいちいち地図をコピーして張り合わせる作業をしていたわけですが、それは、全行程を鳥瞰するには都合がよいとはいえ、作業量として大変なうえ、結局、あとになってそのままでは使えないと思われてきました。そこで、鳥瞰には不都合でも、経路をたどる方を優先すべきと『Mapple』を使うことにしました。
 これだと、当時の地名・地形を負うためには不便なところがありますが、作業がだいぶ簡略化できて、今後はこれをもとに必要に応じて加工すればよい状態にたどり着くことができました。これが、いま手元に、畳1畳前後はある大地図12枚と、『Mapple』5冊があります。どこかで公開する機会があればと考えていますが、今日は宣伝だけです。申し訳ありません。
 地図が大きすぎて紹介できません。具体性のない話となりましたが、後日を期したいと思います。

(4)庭でキンギョソウが元気です。あちこちに種が飛んで、元気です。
    
    きれい きれい

(5)それから小菊。ちいさい赤や白の花で、元気です。直径1㎝くらいです。

    
    かわいい かわいい

 でも、今年は虫が少ないように思います。
 この辺で。
    


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