3回シリーズの最終回? 「“被爆後”編」。
安佐南区民文化センターと安佐南区役所をつなぐ“松原橋”という橋がありますが、その下で、たくさんのご遺体を焼いたそうです。知りませんでした。
何とかこの方面までこられた方も、最初の3日間でほとんどの方がなくなり、約150人位を。
最終的には1000人はこの橋の下で焼いたそうです。それこそ、今の口蹄疫で殺処分となる牛のように、地面に穴を掘って・・・。

(写真は現在の松原橋を一本北の三川橋から望む。左手が区民文化センター)
川内村から爆心地付近に疎開作業のため出向いていた義勇隊は全員が亡くなり、川内村は“後家村”と呼ばれるようになったと。
「だれじゃったかいの、あのべっぴんさんの、川内からの・・・あの人らが住んどったあたりよの」
「綾瀬はるかでしょ」
この時は、黙って聴いていた奥方がフォローされました。
久々に聴く、被爆体験者の生の声。
常時笑いながら、明るく話されるのですが・・・。
得も知れぬ重みがありました。
おっちゃんの話、まだまだ聴きたいと思いました。
一度に聴くには、こちらのキャパがいっぱいいっぱいでしたし、お仕事中でもありますからこの日はこれくらいにしましたが(その他ここでは書きにくいようなネタも結構ありました)。
いずれ私たちが語り継いでいかなければなりませんから。

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安佐南区民文化センターと安佐南区役所をつなぐ“松原橋”という橋がありますが、その下で、たくさんのご遺体を焼いたそうです。知りませんでした。
何とかこの方面までこられた方も、最初の3日間でほとんどの方がなくなり、約150人位を。
最終的には1000人はこの橋の下で焼いたそうです。それこそ、今の口蹄疫で殺処分となる牛のように、地面に穴を掘って・・・。

(写真は現在の松原橋を一本北の三川橋から望む。左手が区民文化センター)
川内村から爆心地付近に疎開作業のため出向いていた義勇隊は全員が亡くなり、川内村は“後家村”と呼ばれるようになったと。
「だれじゃったかいの、あのべっぴんさんの、川内からの・・・あの人らが住んどったあたりよの」
「綾瀬はるかでしょ」
この時は、黙って聴いていた奥方がフォローされました。
久々に聴く、被爆体験者の生の声。
常時笑いながら、明るく話されるのですが・・・。
得も知れぬ重みがありました。
おっちゃんの話、まだまだ聴きたいと思いました。
一度に聴くには、こちらのキャパがいっぱいいっぱいでしたし、お仕事中でもありますからこの日はこれくらいにしましたが(その他ここでは書きにくいようなネタも結構ありました)。
いずれ私たちが語り継いでいかなければなりませんから。

