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広島口腔インプラント研究会 第一回オープン形式勉強会 申し込み締め切りまであと23日
昨日の患者さん、往診先の90代女性患者さんの話の続き。
要介護、独り暮らし。
こども、孫、曾孫さんらは県外におられて、一時期そちらに行かれていた時期もあるんですが、やっぱり独りが気楽でいいと広島に戻って来られているのです。
未亡人になられた頃、毎日代わる代わる電話などで元気づけてくれた学生時代の友達はみんな既に先立たれ。
「一番体が弱かった私が最後に残るなんてね。いったいいつまで生きるんでしょう?」・・・とおっしゃられても言葉に困るんですが
でも、そんな言葉とはうらはらに、人生投げやりって感じでないどころか、もちろん元気モリモリって感じじゃないわけですが、何というか時の流れに気持ちよく身を任せておられる感じなんですよね。
ヘルパーさんが毎日来られてるとはいえ、家の中はホントにきれい。
玄関前には花がきれいに手入れされてるんですが、それはヘルパーさんとは別に、花の好きな方に頼んでるそう。
そして、往診があるからだけとは思えないくらい、いつ見てもちゃんと化粧されてて、“お美しい”んです。
で、考え込んでしまうわけです。
まぁみんないつか死ぬとは言え、この方の場合、それがかなり近くに来ていることは自他共に認めるところ。
そんな方が、毎夜寝るとき、そして毎朝新しい日を迎えたとき、どんな心境なんだろうと。
自分の生きていく“よすが”として、明確に位置する心の中の“標語”に、
「健全な肉体に健全な精神が宿る」
「人生最後の楽しみは食べることである」ってのがあるんです。
体調が優れないとどうしても気力が衰えるし、食べる楽しみがなくなったら生きていたくないなと思ってるわけです。
ところがこの方の場合、体はガタガタ、義歯は調整を尽くしてもなかなかしっくりこず、食べることも不自由。なのにお顔は艶々として、おしゃべりも堪能で・・・。
私の中に根付いている価値感が、この女性への往診でことごとくうち砕かれてましてね。
何かしら宗教的なことで達観しておられるという風でもなく、俗っぽいこともたくさんおっしゃるんですがね。
“生きる”“生きようとする”“生きる活力”っていったい何なんだろうと考えさせられてるワケです、最近。

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