宇宙生命

太陽は爆発,この宇宙空間は無くなるという現実があり一方では,日々の超リアルな現実の世界が進行しているとは?

 運命

2019年02月04日 | 日記

 運命とは なんだろうと時々考えてしまいますよね。例えば 昔ただ車を走らせていて信号待ちしていただけで亡くなった方が、ニュースになりました。一瞬の出来事でそのかたの霊は何が起こったのかわからないままさまよっているかもしれません。その方は車で信号待ちしていて上を通っている高速道路の一部が落下して、一瞬で亡くなられました。いろんな事故やテロや無作為殺人の犠牲者もそうですし、何故あの瞬間、あの列車・あの飛行機・あのバスに乗っていたのか、これが運命なのか?と考えてしまいますよね。個人的な経験では、オリンピックで世の中がわいているとき、砲丸投げのまねをして、大きな石を原っぱで投げていて人に当たってしまいました。幸い軽い傷で済みましたが打ちどころによっては、殺人になるとこでした。 少年の頃、草野球でキャッチャーをしていたら、マスク無しなのでバッターのバットをもろにくらい、鼻血がとマりませんでした。頭に当たっていたらと思うとゾッとします。 中学生の時、針で吹き矢を作って吹いていたら、針が人めがけて飛んでいって、その人が瞬時に手で目を覆って、そしたらその人の指の爪に矢がささりました。これも、目に当たっていたらと思うとぞっとします。むしろ目に当たらなかったほうが奇跡でした。 博物館にいた時、パートのおばちゃんが自転車で昼休み郵便局に向かっていて、ゲート横の車椅子用のスロープを出たところで、高校生の自転車をよけようとして鉄柱にぶつかり亡くなりました。垣根風の植え込みがありそれも高いコンクリートの台の上にあったので、視界が完全にさえぎられていました。市の博物館だったので、景観を維持するため、市の条例にのっとり、改善できませんでした。 またその博物館周辺の歩道は一段高くすごく幅が広いため、自転車と通行人がよくぶつかりそうにたってました。ある時、自転車が通行人を避けようとして車道に転がり車にひかれそうになりました。ドライバーがとっさにハンドルえお切ったのです。それもたまたま対向車がいませんでした。二車線です。その時のドライバーの真っ青な顔が今も脳裏に焼き付いています。