今年、ゲシュタルト療法で、怖い体験をした。
その体験を振り返ったときに思うことを、少し書いてみたい。
その1回目。
ちょっと実験してみる。
【実験1】
「私は昨日、彼にとってもひどいことを」
この未完に、どの程度「未完」を感じるだろうか?
【実験2】
「私は昨日、彼に」
この未完に、どの程度「未完」を感じるだろうか?
【実験3】
「私は」
この未完に、どの程度「未完」を感じるだろうか?
【実験4】
「私」
この未完に、どの程度「未完」を感じるだろうか?
【実験5】
この未完に、どの程度「未完」を感じるだろうか?
この実験からわかること。
「未完」とは、「完成形」を求める自分が創り出す幻想だ。
そしてゲシュタルト療法は、下手をすれば未完のない完全完璧な人間を求めてしまうことになる。
人間は不完全だから味がある。
まず、ここをひとつ書いておきたい。
自分へのメモとして。
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って欲しい先はどこなのか
つねに、自分がどうしたいのかを
軸に気づきを求めて行く…
それがゲシュタルトでは