当たり前の話だ。
そういう人たちには、戦争しか語れない。
たくさんの武器を毎日磨いていることの意味を考えればわかるだろう。
本当に必要なのは『戦争をしない』という固い意志だ。
私は、強く強くそう思う。
今回は、ワークで傷付いたことを話してみたけど、「自身の弱さと対決するストイックさ」が無条件で認められる一方で、「弱さ」自体は敬遠されるような感じがした。
うーん、これがゲシュタルト療法の限界かなと。
俺は、本当は強いんだが。。。
これらについて、整理してこれから書いていこうと思う。
いわゆるシンクロニシティというものは、人の無意識が心の奥の奥にある集合的無意識で繋がっているから起きる、というのは、私は妥当な考えには思えない。
過去に経験したことについての記憶が、そのとき一緒に経験した人たちと共通しているからだと思う。
愕然とした。。。
そうだった。
今聞こえてくるいろんな主張って、本当の主張ではない。
集団の顔色を伺いながら、「私を認めてください」の弱々しいアピールをしてる強がりが多いなと。
そして俺は、それなりに主張してる。
そこに、ホッとする気持ちがある。。。
ヒューマン・ポテンシャル系心理療法のワークショップを受けたときのこと。
参加者たちが「今、ここ」と言い合いながら幼少期を処理するワークに、思いきり違和感をもった。
聞いてみたら、「幼少期を今ここで体験し、今ここの自分で完結する」のだそうだ。
これが「今ここ」なんだろうか????????
今ここといえば、ロジャーズのような、今ここにいる自分、今ここにいるクライエント、今ここにいるセラピストを大切にする関わりのイメージがある自分。
この「幼少期を今ここで感じる」というのは、過去じゃないの? というものすごく単純な疑問が、今でも抜けない。
そして、この心理技法のワークショップに参加する人の多くは、かなりの「乗り鉄」的リピーター。
自分の尊敬する偉大なセラピストの追っかけしてたりする。
ここで思うのだが、、、
何回も何回も全国を駆け巡るようなものなら、心理療法として意味はあるのか?
スッキリしたのなら、もう通わなくてよくなっているのではないのか????
過去の自分でも今の自分でも、自分を見つめて、熱い気持ちがこみ上げてきて、終わってため息をついて、「ああ、よかったです」と満足感に浸る。。。。。。
これをひたすら繰り返す。。。。。。
マスターベーションではないか?
気をつけたいのは、ここだ。
セラピストたるもの、単にカタルシス的刺激を目的にしてはいかんということ。
そのために必要なことは、
セラピスト自身がカタルシス的刺激には麻薬のような味わいがあることをしっかり知っておくこと。
涙は、時に心理ゲームの利得でもあるから。
クライエントのマスターベーションに付き合ってしまっているセラピストもいるけど、じつはそれが自分のマスターベーションであるセラピストが、案外いるような気がする。
そこに気づけず、それを自己正当化するために「カタルシス」で合理化してるセラピストも、残念ながらいるように思う。
これが、心理治療やカウンセリングがうまくいかない原因の一つになっているのではないかと、思う。
いつも思う。
カウンセラーという人、自己理解、自己改善そして自己成長のための援助職なのだが、そうやって自己鍛錬するうちに、自己の歪みに気づき、カウンセラー自身が成長していく、、、はず。でも、どうも、人格的にかなり問題のある人がカウンセラーにも結構いるように思う。
その理由は、いくつか考えられるような気がするけど、一番思うのは、カウンセリングや心理の勉強を、自分の歪みから目をそらす道具にして知性化・合理化してる、、、ような気がしてならない。
(無意識的にその目的でカウンセラーを目指しているのか?と思うケースもある・・・)
しっかりクライエントと向き合うためには、自分がカウンセリングを勉強することの意味や、カウンセリングを勉強する中で陥りそうなワナについて自己理解をしっかりし、そこを客観的に見つめられるレベルまでカウンセリングマインドを自分のものにしなければならないような気がする。
ただ、そこまで極められないほど心的防衛が強い人の場合、カウンセリングを勉強すればするほど、その防衛の鎧が厚くなっていくような気がする。。。。。。
ここも、自戒したいところ。
まぁ、自戒したいと思いすぎるのも、心的防衛の鎧だったりするから、心理学は難しいのだが(笑)
私も、その視点を忘れず、可能か限り客観視できるよう、がんばります!!
という記事を見つけた。正しくは、堀江貴文氏のFB記事が廻って来た。
http://www.buzzfeed.com/satoruishido/fukujima-no-gaibu-hibaku-senryou-ha-taka-ku-na-i-koukousei-s
この高校生は素晴らしいと思う。
まず、この研究の結論は、「福島はどこも安全です」ではなく、「福島の高校生・高校教師は安全なところに住んでいる」という、ごく当たり前のこと(すなわち政府はウソをついて高校生を危険地帯に住ませたりしていないことがわかったということ)だが。。。
これを高校生にさせた事の意味はなんだろう?そう考えると、すぐに見えてきたるものがある。
そしてそれを今、高校生にやってもらったということではないか?
そして、どうして大人たちは、自らそれをやらなかったのか?
放射線より怖いのは、このあたりかもしれないなと、思った。
「Aくん、どうしてそんなことしたの?」
「だって、BくんだってCくんだってもってるんだもん。だってさ、ぼくももってなきゃ、いじめられるんだよ!だからしかたないんだ!」
「なにをもってるの?]
「すっごくこわいんだ。核兵器みたいなものだよ。すっごく怖いんだよ!」
「あれは早い者勝ちだったのよ。今もっている子はえらい子。そのままもっていることが許されてるの。あなたは競争に負けたの。それだけのことよ」
「わかった。素直にBくんやCくんにしたがうよ」
「うん。あなたはBくん、Cくんに負けたの。いいこだわ。いじめられなように、がんばってね」
と、なるだろうか??
考えるまでもなく、、、、、
だから、俺は傍観者になる。
BくんCくんの友だちになって、学校でそれとなくA君を蔑視していたら、俺は楽だ。
いじめられ役のAくんに、感謝だ。
心理学的に語れば、ごくごく単純な話だ。
人間は、自戒し、自制する生き物のはずだ。
いつ観てもおかしくて、示唆に富む、このセラピー動画。
トラウマも夢分析も一切門前払いする究極の解決志向セラピスト。
「優しい笑顔」と「傾聴態度」というカウンセリングでお決まりの武装を外して、本質のみを見せてくれるのが、すごくいい!
英語キャプションが付いているので、英語も勉強にもなります。
純粋ボランティアでやっている無料電話相談活動がいくつかあるが、その中のひとつ、の、北海道の相談員養成講座を、一昨年~昨年、受けていた。
スタッフも一生懸命だったし、受講者仲間もすごくいい人たちだった。
だけど、実技指導が、ひどかった。
内容は、詳しくはここでは言えないが。。。
質問攻めで相談者の悩みを無意味に掘り起こそうとしたり、無駄な応答の連続で相談者以上に喋ったら褒められたり。。。
まずは、「話を聴かせてくれ」という気持ちを教える事じゃないかな・・・
いろいろ、周囲に気を配っているうちに、精神的に限界を超えてしまい、1年で辞めてしまった。
ここまで経験を積んだ自分が相談員として何か役立てば、と、夢をもってた。
でも、ここの指導には、大きく失望した。
毎年、相談員の応募が殆どいないという新聞記事を見る。
もっともっと意味ある存在にならなきゃいけないんだよ!!
世の中の悩める人たちを支えるために、ここは根本的に変わって欲しい。
この声が、届けばいいんだけど。
「そうしたいのです」
「そこがあなたの思い違いなのです。<そうしたい>とあなたがいっても、潜在意識の方で、<いや、それは無理です>と答えるでしょう。<そうしよう>といわなくてはだめなのです。もしそれが、可能な範囲内にあるものなら、あなたはきっと成功するでしょう」
(C・H・ブルックス、エミール・クーエ著 『自己暗示』より)
これなのだと、思った。
「そうしたい」と思えば、心の中のどこかで、「いや、無理だとわかってるからわざわざそう思おうとしてるんだ」と言ってくる。
「やれる!」と思えば、心の中のどこかで、「いや、出来ないからそう言い聞かせてるんだ」と反応してくる。
自分の中でイメージするのは、意思ではないわけだ。
「プラシーボ効果は、患者の医者への信頼」というようなことを、熊倉伸宏が本に書いてた(『精神疾患の面接法』)。
これなんだよな、と。
頭の中に、イメージが漠然と浮かんでるんだ。
Star Warsの予告編。
出だしが砂漠というのが、なんか「砂漠は戦争の恐怖の象徴」みたいな空気を感じて、違和感。
それより、この映画でいったい何人の命が失われるのか?
・・・・・・美しい宇宙のバトルフィールドが彩られているが、実はこれ、殺し合いの戦争映画であることを、うっかり忘れてしまう。
だからだ。あんまり観たい気がしないのは。。。
The best weapon against an enemy is another enemy.
Friedrich Nietzsche
敵に対する最も強力な武器は、もう一つの敵である。
F.ニーチェ (哲学者)
みごとな言葉だ。
それを実践する人がいて、それを実践する組織があって、それを実践する国もある。
気がつけば、周りは敵だらけだ。
家庭も、友だちも、組織も、社会も、国も、世界も、、、、、
心理学は、平和のために使おうではないか。
テレビで銀行のCMが流れていた。
「ナンバーワンっていう響き、かっこよくないですか?」
「かっこいいと思います!」
これに、めっちゃ違和感がある。
バブルがはじけてどうにもならないデフレ日本に、「大きすぎて潰せないところはない!」の一言で続々と登場したのが、潰れそうな銀行の寄せ集めとしてのメガバンクだった。
そして、その頃の日本のスローガンは、「ナンバーワンよりオンリーワン」だった。。。
私は、あの頃から、あのSMAPの歌にはものすごい違和感を感じていた。
でも、まさか、今、「大きすぎて潰せない」メガバンクが今、「ナンバーワン、かっこいい!」を謳うようになるとは......
この歳になっても、世の中がわからない。。。
20世紀末のアメリカ映画『インディペンデンス・デイ』における、有名な、アメリカ大統領の独立記念日演説。
21世紀、こういった演説と一致団結が、正義の名の下で、地球上のいたる所で行われている。
人類共通の『正義』などなくなり、こういった演説の数だけ正義があるような。
フロイトはこれを『合理化』と呼んだし、中島みゆきは『言葉は危険な玩具』と言った。
・・・こんな単純なことに気づかないようにする心理メカニズムは、『否認』だ。
地球に平和を引きもどすには、心理学者の勇気が必要だ。