という記事を見つけた。正しくは、堀江貴文氏のFB記事が廻って来た。
http://www.buzzfeed.com/satoruishido/fukujima-no-gaibu-hibaku-senryou-ha-taka-ku-na-i-koukousei-s
この高校生は素晴らしいと思う。
まず、この研究の結論は、「福島はどこも安全です」ではなく、「福島の高校生・高校教師は安全なところに住んでいる」という、ごく当たり前のこと(すなわち政府はウソをついて高校生を危険地帯に住ませたりしていないことがわかったということ)だが。。。
これを高校生にさせた事の意味はなんだろう?そう考えると、すぐに見えてきたるものがある。
そしてそれを今、高校生にやってもらったということではないか?
そして、どうして大人たちは、自らそれをやらなかったのか?
放射線より怖いのは、このあたりかもしれないなと、思った。
Star Warsの予告編。
出だしが砂漠というのが、なんか「砂漠は戦争の恐怖の象徴」みたいな空気を感じて、違和感。
それより、この映画でいったい何人の命が失われるのか?
・・・・・・美しい宇宙のバトルフィールドが彩られているが、実はこれ、殺し合いの戦争映画であることを、うっかり忘れてしまう。
だからだ。あんまり観たい気がしないのは。。。
テレビで銀行のCMが流れていた。
「ナンバーワンっていう響き、かっこよくないですか?」
「かっこいいと思います!」
これに、めっちゃ違和感がある。
バブルがはじけてどうにもならないデフレ日本に、「大きすぎて潰せないところはない!」の一言で続々と登場したのが、潰れそうな銀行の寄せ集めとしてのメガバンクだった。
そして、その頃の日本のスローガンは、「ナンバーワンよりオンリーワン」だった。。。
私は、あの頃から、あのSMAPの歌にはものすごい違和感を感じていた。
でも、まさか、今、「大きすぎて潰せない」メガバンクが今、「ナンバーワン、かっこいい!」を謳うようになるとは......
この歳になっても、世の中がわからない。。。
SMAPの解散は確かに衝撃的かも知れない。
でも、マスコミでこれだけ取り上げ、しかも政治家にインタビューするまでエスカレート。遂には国会審議でも首相に質問されるなどの発展は、単なる人気主義、視聴率主義、そして行き過ぎた資本主義のほころびの表れも見える気がする。
なんでもない日常の中で、何かの目的でふと何かが”神格化”されてしまうような空気に、なにかわからないけれども、怖いものを感じた自分がいる。
なんだろう??
『「イスラム国」の100人殺害=シナイ半島で掃討作戦―エジプト軍』
Yahoo!ニュース(時事通信)より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150702-00000008-jij-m_est
記事によると『掃討作戦は、武装組織が半島北部シェイフズウェイドなどでエジプト治安部隊の検問所などを襲撃し、兵士や市民ら70人以上が死亡した事態を受けて行われた』とのこと。
さらに、『声明は「テロ根絶のため、作戦を継続する」と強調した』とのことだ。
まず、70人死亡したあと100人殺害すれば、合計何人になるか、小学生でもわかるだろう。
次に、100人殺すことがテロ根絶にどれくらい程度貢献するか、小学生も知ってるだろう。
小学生に大人たちは、こう言うんじゃないか?
「仕返しは、さらに悪感情を生み出すだけで、何の解決にもならないんだよ。ここは我慢して、話し合いなさい」
そして、こう言うと、仕返しした小学生は、こう言うんだ。
「だって、これは仕返しじゃなくてさ、あの子が悪いことしたから、、、」
するとあなたはこう言うだろう。
「”だって”じゃありません!!」
こう考えていくと、戦争なんて、子供の喧嘩の延長に過ぎないんだなとわかってくる。
ただ、ふたつだけ違うことがある。
ひとつは、「人を殺しても平気な子供の喧嘩だ」ということ。
もうひとつは、「国家レベルの最大級の戦略をもとに行われている子供の喧嘩だ」ということ。
こうなると、「だってじゃありません!!」とたしなめる大人は、、、、、
だからこそ、我々大人は、小さな声でもいいから、言い続けよう。
「いかなる理由があろうとも、人を殺してはいけない!!」
と。
Yahoo!ニュース(産経新聞)より
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150522-00000504-san-cn
記事によると、
『国連本部で開催中の核拡散防止条約(NPT)再検討会議の最終文書案をめぐり、被爆地の広島、長崎への訪問を世界の指導者に促す文言が盛り込まれないことが21日、分かった。「被爆地訪問」は原案に盛り込まれたが、中国の反対で削除されていた。日本は文言復活を目指して中国と折衝を続けたが、理解が得られず、議長裁量で最終文書案がまとまった。』とのこと。
さらに、
『最終文書案では、非核保有国が盛り込むよう求めていた「核兵器禁止条約」の文言も削除された。核保有5大国が反対していた。』とのことだ。
わかってほしい。
生きているのは人間。
死ぬのも人間。
殺すのも人間。
そして、大義名分を頭で作り出しで正義と決めるのも人間。
地球破壊兵器の照準を互いに向け合って殺し殺されの恐怖で身動きとれなくなっていくことを世界平和と決めるのも人間。
そして、
ヒロシマ、ナガサキで被爆したのも人間。
過去の痛ましい殺し合いの果てを語るのも、人間。
すべて、人間。
さて、どの人間でいようか?
この強烈な事件がワイドショーを賑わしている。
『女性殺害:19歳女子名大生逮捕「人を殺してみたかった」』
(毎日新聞より)
http://mainichi.jp/select/news/20150128k0000m040098000c.html
容疑者は名古屋大学の女子学生。「一度人を殺してみたかった」という、、、
とんでもない!
人を殺してみたいなんて!!
ひどすぎる!!!
・・・そう思うだろうか?
しかしそんなの、当たり前じゃないのか?
テレビを観てごらんなさい。
ニュース番組の中で、一日何人が殺されているか?
ワイドショーで、一日何人が殺されているか?
ドラマで、一日何人が殺されているか?
バラエティで、一日何人が殺されているか?
大人が酒を飲んでワイワイやってりゃ、子供は酒を飲んでみたくなる。
大人社会で弱い者いじめをしてワイワイやってりゃ、子供は弱い者いじめしてみたくなる。
大人たちが殺人を見てワイワイやってりゃ、子供は人を殺してみたくなる。
全然、あたりまえのことじゃん。
だから、このような「殺してみたかった」痛ましい殺人が起きないように、まず最初にやるべきことは、
大人がいのちの大切さを、自分自身に教えることだ。
Yahoo!ニュース(毎日新聞)より。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141226-00000121-mai-soci
記事によると、
『研究不正に詳しい山崎茂明・愛知淑徳大教授は「小保方氏の『成果』を利用しようとした共著者も責任は重い。調査委はより多くの共著者を調査し、その証言をありのまま公開する必要があった」と話した。
「特許や研究費獲得、著名雑誌への論文掲載に夢中になるあまり、研究の中身への注意がおろそかになったことはないか」。調査委報告書の指摘は科学界全体への問いかけと言える』だそうだ。
テレビ画面に登場する「演者」の姿をそのまま見ていれば安全・・・『傍観者』という安全圏が、人は好きだ。そこは究極の無責任世界。とういことは、、、現代人はどれだけ臆病者なのか??
そう考えるとこれは、国民スケールのBystander Effectと言えるだろう。
心理学は、それを見る目を養うために勉強するものだ。
自分の弱みを隠し、心理的・社会的責任を回避するための道具ではない。
「見える魚は釣れない」という言葉があるが、「本物」というのは、世間の”目”より一歩も二歩も踏み込まなければ見えない。
俺は、自分を信じる。
今回の総選挙、投票率が過去最低と言われているが、これと国民の政治への無関心とは、おそらく関係しているだろうと思うけど、それ以外の一面もあるのかなと、ちょっと思った。
全員と言うんじゃないけど。
声を上げることっていうのは、責任を伴うことだ。
「私は○○党を指示する」という意思表示は、その後の政治の動向について、○○党支持者としての責任を伴うわけだ。
だとすれば、投票後、その政党が自分の予想していたような動きを示さなかったときに、批判する権利はあるが、同時に、「がっかりする」ことになる。
それだけじゃなく、「××党に投票すればよかった」という気持ちも湧く。
自分の失敗を認める勇気が必要になる。
ならば、投票せず、中立的な立場で自由に政治批評を繰り広げるのがいいと、思いたくならないか?
有権者の”冷めた”心理の裏には、実は”逃げたい”心理があるように思う。
そうそう。「いじめの4層構造」っていうのがあった。
いじめる人
いじめられる人
観衆
傍観者
有権者が、自分が投票することの責任を感じた時、「なんだかめんどくさい」という気持ちでもって、投票から逃げる心理があるような。。。
そう。
安全圏に逃げて、外野から傍観しながら、気軽な立場で解説者を気取れるわけだ。
全員がそうだというわけじゃないけど、そういう心理も、多少は働いているんじゃないかと。
そういう観点から考えたりできるから、心理って、面白い。
www.iza.ne.jpより。
http://www.iza.ne.jp/kiji/sports/news/140628/spo14062820580093-n2.html
記事によると、『三振もするけど長打力があってチャンスにめっぽう強い、試合を休まない、優等生じゃないけど人気がある。どの世界でも「揚げ足を取られぬようマイナスを少なく」って考えが主流の現代、そんな日本人4番スター選手は、育ちにくいのでしょうか』だそうで。。。
思わず大笑いしてしまった。
日本人気質のネガティブな側面が流れ出ているような現代社会。
「三振するけど、優等生じゃないけど、」は、あまりにも遠すぎて同一化の対象にはならないんだろうな。
でも、問題は?と考えると、なんだか深刻な感じがしてくる。
「三振もエラーもしない2割8分のカウンセラー」の前に、「三振もエラーもしない2割8分のクライエント」がいる。
そんな姿、想像もしたくない。
それは「傾聴」ですらないのだ!
自戒も、込めて。
こういう報道があった。
『安楽死のためのスイス渡航者、5年で611人に』
(CNNより)
http://www.cnn.co.jp/world/35052666.html
記事によると、
『スイスでは医師の間の倫理規定はあっても、幇助(ほうじょ)自殺の具体的な条件を定めた法律は存在しない。ドイツでは自殺幇助は倫理的に認められておらず、意識を失っていく患者に対して医師が何もしなければ、罪に問われる可能性もある。英国、アイルランド、フランスでは自殺幇助が違法とされているいるが、裁判に持ち込まれたケースもある。欧州12カ国で実施した意識調査では、幇助自殺の合法化に賛成する回答が過半数を占めた』とのこと。
俺は強く思う。
命に「価値」を付け始めると、どうなるだろうか。。。
これを人は、「絶対やらない」と決めているからこそ、平和な社会が成立しているのではないか。
命や人の存在価値には、プラスもマイナスも、ゼロもない。
でも、、、
・生きる価値のある「命」
・生きる価値のない「命」
・生きてはいけない「命」
・・・あたかもこの3種類があるように人々は思いつつあるように感じる。
でも、人の存在は常に”OK”だ。
その原則を知性をもって崩したとき、生命に関する哲学も倫理も、そして正義や優しささえも、変わってしまうように思う。
絶対!
絶対に!
死んではいけない!!!!!!
何があっても、自殺はしない!!
理研の笹井氏がの自殺。
所長はノーベル賞受賞者。
山中教授を越える世界的大発見!!
だったはずだ!
日本の青少年に夢を与えていたはずだろ!!!
自殺は、大きく重たいネガティブ・メッセージを残す。
「バレたら死ね」
こんな生き方は、ないのだ!
『マレーシア機、宇親露派が軍用機と誤認して撃墜か』
Yahoo!ニュース(AFP通信)より。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140718-00000012-jij_afp-int
大変痛ましい事故?事件?が起きてしまった。
報道によると、
『ウクライナ東部で17日にマレーシア航空(Malaysia Airlines)機が墜落したと発表される前に、同国からの分離独立を求めている親露派がウクライナ軍の輸送機を撃墜したというコメントを交流サイト(SNS)に投稿したが、後になってそのほとんどを削除していたことが分かった』
とのこと。従って、ウクライナ軍の輸送機だと間違って撃墜してしまった可能性が高いようだ。
ただし、なぜ間違ったか?まで考えると、様々な情報戦略を想定しなければならない。というのも、
『その後、ウクライナ政府を強く支持している野党系ニュースサイト「ウクライナ・プラウダ(Ukrainska Pravda、ウクライナの真実)」は、撃墜後に親露派のメンバーとロシアの工作員が行った通信を傍受して録音したとされる音声を公開した』ということだ。従って、撃墜前は傍受していなかったという可能性も、なんか低いように思える。
・・・・・・・・・・・・これらは、専門家に任せることだ。
大切なことは、我々が軍事問題の専門家になって、何が面白いかということだ。
つまり、「あいつはひでぇやつだ!!」と、対岸の火事を見て頭の中で”報復の妄想”を繰り広げる我々の心の奥に、「悪魔」がいる。しかしこのことに、我々自身が”気付かないようにしている”ということだ。
人々は、反社会的行動のスリルを、なんとなく求めている。
私も、そうだ。
じゃなければ、みんな全てのルールを守るだろう。ニヤニヤしたり、わざわざしかめっ面しながら赤信号を渡ったりしないだろう。
戦争で殺し合いなど、”いかなる理由があっても”しないだろう。
報道は、そういう、人間共通にもつ、そして無意識に押し込めている「快楽原則」を上手にくすぐることで人々の支持を得るというエンターテイメント要素をもってしまわないように気を付けるべき存在。
しかし、だ。
全ての報道に、抜け落ちている視点があると思わないか?
それは、子ども時代には当たり前だったこと。
「人を殺してはいけません!」
だ。
無関心と興味半分のまま第三次世界大戦へ突き進む人間の抱える「無意識」をも伝えることが、今、最も大切なメディアの役割だと思う。
全ての報道の最後にこの一言を必ず添える、それくらいの気概をもたないと、人々の破壊願望は無意識の中の快楽原則としてどんどん膨らんでいき、それを合理化して、現実原則だと思いこんでいくような気がする。