さて、ゲシュタルト療法では、「過去の未完の出来事は、ゲシュタルトとして完成されていないモヤモヤとして残っていて(「抑圧」という精神分析用語は用いられない)それを意識化させ、完結することで症状は無くなる、という。
フロイトは、「抑圧した過去を知る」ことで症状がよくなると言った。
パールズは、過去ではなく今、ここで完結することの大切さを説いている。
というのも、「過去の経験」ではなく、「今、ここの自分が感じている過去の経験」であり、そして「今、ここの自分が過去の出来事に投影しているもの」であるからだ。
すなわち、ゲシュタルト療法には「過去」はなく、すべて「今、ここの自分が感じているもの」であると、考える。もし「過去」や「未来」であるなら、それは「思考の産物」であるとされる。
さて、「過去の出来事を未完のまま抱えているから症状が出る」と、「それは、あくまでも今、ここの自分が過去に投影しているものだ」のふたつをもって、「過去を今、ここで完結する」ことって、どういうことだろうか?
私は、こう考える。
「過去は、変わらない」・・・これは、当たり前の話だ。とすれば、ゲシュタルトのワークで未完を完結する作業、それは実は、「過去に対する認知を変える作業」だと思う。
つまり、思考によって過去を捉え直す作業。
かのロフタス女史は、「偽りの記憶は作り出せる」と言った。
フロイトは、「過去に現実に何があったかではなく、本人がそう思っている、その心的現実が大切だ」と言った。
ゲシュタルト療法は、思考を用いてその「心的現実」のストーリーを書き上げる作業とも言える。
それは豊かなイマジネーションを働かせる、極めて認知的プロセスだと思う。
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