自然にみちた水辺づくりプロジェクト

自然にみちた水辺保全の活動を記録するブログ

《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》

2014-05-18 15:51:19 | 水辺歩き、イベント
 「《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》そのⅡ」part1からの続き part2、刀工 来一族を祀る永春寺から、明治2年一時摂津県の県庁が置かれていた崇禅寺、最後は中島郷48カ村の親宮で有り明治期に近隣多くの神社を合祀した祭礼中の中島惣社を回ります。


永春寺。


鎌倉期の刀工、来 國長、國次を祀る神社のあるお寺。
 

沢山石仏が祀られてます。

凌雲山・崇禅寺。曹洞宗のお寺。

本堂。
 

東淀川区戦没者の慰霊碑。

 嘉吉の乱により放置された足利義教の首を祀っていて、この因縁により、足利義教の菩提寺の一つで、細川氏菩提寺の一つ。

 また、細川ガラシャの遺骨らしきものを収めた事から、細川ガラシャの菩提寺でも有ります。

足利義教の首塚。


明治2年には、一時 豊崎県と摂津県の県庁が置かれていたお寺でも有ります。

崇禅寺山門。崎谷さん解説中。

中島惣社。祭礼中。

 中島郷48カ村の親宮(惣社)、1908年から1909年にかけて近隣の多くの神社を合祀したので惣社とも言います。

中島惣社。


沢山の神社を合祀したので祭神の多い事。須賀神社も合祀されています。

何とステンレスパイプの鳥居。

中島惣社参道。

拝殿。

御神馬。崇禅寺から中島惣社の一帯は、崇禅寺馬場と呼ばれたそうです。

中島惣社を後に。

解散地点。遠く淀川越しに新梅田スカイビル。左の小路はおおさか新線の工事現場。

東淀川区役所に戻る途中「柴島神社」。

《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》そのⅡ part1

2014-05-18 13:20:19 | 水辺歩き、イベント
 3月に歩いた「《かつての淀川澪筋と旧跡を探る》淀川右岸(東淀川区中・東部)歴史散歩」の続編、東淀川区西部を巡る国交省・淀川管内河川レンジャー 崎谷さんのまち歩きです。

 中島大水道 新太郎松樋碑~須賀神社跡・旧参道と御旅所から崇禅寺、中島総社などを巡りますが、私は2011年に西淡路を中心に旧高射砲陣地などを廻るまち歩きを行って居まして、大変懐かしい道程でも有りました。

 「淀川下流域右岸、東淀川区の地勢は新淀川と神崎川に挟まれた長方形の底質地であって、かつてから川の豊かな恵みを得るのと引き換えに、度重なる水難を被ることが避けられない地域でした。 近年は治水工事の努力で漸く災害から免れたかの状況に至りましたが、自然はあなどれません。普段からの気配りが減災の一助となることを願って、この度の催しを企画しました。」

 と崎谷さんのコメント、「一望千里、五穀豊穣の地」と、かつて言われた----- 淀川右岸(東淀川区 中・西部)歴史散歩、これで完結です。


3月と同じく東淀川区役所前集合。


 前回に告知されていたので、参加者の大半がリピーターです。

菅原天満宮。


この辺りのお屋敷に多い石垣で嵩上したお屋敷。

菅原町(旧國次村)。大阪府保存樹の大楠の木。

 城東貨物線を改良し、大阪市淀川区の新大阪駅から八尾市久宝寺駅間で旅客営業する計画のJR西日本の鉄道路線の「おおさか東線」、工事が進んでます。

ここは駅舎が出来る様です。


工事中のおおさか東線ガード潜ります。

何とも意味不明のオブジェ。

阪急淡路駅沿いの半地下駐輪場。

 この道は、元井路川水路跡で道路指定を受けていない為、駐車問題など度々地元で問題になる道です。

 以前来た時は道路標識は有りませんでしたが、交差点ごとに歩行者専用道の標識が建てられてました。


今回の目的地の一つ「中島大水道顕彰碑」。

「新太郎松樋」 「樋」とは水門の事です。

崎谷レンジャーの解説も力が入ってます。

 以前来た時は政党のポスターだらけで見苦しかったですが、すべて外されていました。

「須賀神社」参道横の古民家。  


先程の古民家。裏道が拡幅された為か、こちらに門を建築中。

須賀神社跡、須賀森公園。以前来た時には建て上げ中の掲示板。表示も色あせてます。

須賀神社跡、須賀森公園。崎谷レンジャー解説中。

須賀神社跡碑。

 幹周5m、樹高30m、樹齢/約600年。写真では大きさがわかりにくい。

とてつもなく大きな楠の木。


須賀神社参道の灯篭を撮影中の中村さんと松川さん。

教会に鳥井が・・・。じゃあなくて隣りです。part2へ続く