介護をする、という言葉を使うと、「やらなきゃ」とか「看なきゃ」とか、ねばならぬと思ってしまう自分に気づきました。
毎日、母の体を拭いて、頭を撫でてあげると嬉しそうに、気恥ずかしそうに笑う母を見て思いました。
嗚呼、私は、思い出作りをしているのだと。
だから、ご飯も、おむつも、手を取ることも、全て全て思い出作りで、まるでその思い出が自分の養分になっていくように感じます。
思い出作りと思うと、看る側、看られる側ではなく、対等の関係です。
その対等の関係に、とてもほっとしたのです。
言葉が持つ力を感じました。
毎日、母の体を拭いて、頭を撫でてあげると嬉しそうに、気恥ずかしそうに笑う母を見て思いました。
嗚呼、私は、思い出作りをしているのだと。
だから、ご飯も、おむつも、手を取ることも、全て全て思い出作りで、まるでその思い出が自分の養分になっていくように感じます。
思い出作りと思うと、看る側、看られる側ではなく、対等の関係です。
その対等の関係に、とてもほっとしたのです。
言葉が持つ力を感じました。
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