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心音(しおん)の行川(ゆくかわ)のながれは絶えずして

感じたこと、考えることを綴ってみます。

自分の命の輝きに気づいていますか

2020-01-06 22:47:49 | 魂について
この世の中には、貧富の差があり、能力の差があり、身分制度が作られ、差別が作られ、支配する側とされる側に分けられ・・・・

そのような世界です。

人を虐げる立場の人は、他人の労働力を搾取しながら優雅な生活を送っていることでしょう。

搾取される側の人は、働いても働いても暮らしが楽にならず悲観して暗い顔をして生気も無く生きているのではないでしょうか。

今、自分がいる環境は誰かによって決められたのか、自分で決めたのか、思い通りに生きられない辛さを感じてはいないでしょうか。

人は満足して暮らすということは滅多にないのかもしれません。

何に重きを置けば良いのか見失うこともあるでしょう。

人の命の重さについてご存知でしょうか。

人の命に貴賤無く、優劣無く、貧富の差もありません。

環境に打ちのめされず、自分の命を輝かすことが出来るでしょうか。

自分の命、魂もまた同じことです。

心という媒体を使って命や魂を輝かせることが出来ます。

輝くべきものが曇っていては、思い通りに生きることは出来ません。

いつでも何時でも上機嫌でいることが出来るでしょうか?

自分の命を輝かせるのも自分、曇らせるのも自分。

ではどうやって輝かせるのか。

命、魂に対して敬いの心を持っているでしょうか。

他人の命、魂に対しても同じことです。

敬う(大切にする)ことで、輝きは増すのです。

そんな当たり前のこと知っているって?

ではそれを実践しましょう。

実践あるのみ、実践を続けていけば、命の中に神性を見出すことが出来るようになります。




自分の命の使い方

2019-12-08 22:22:34 | 魂について
自分の命を使うというより、実際のところ、命が自分を使っていると思うのですが。

真面目な人、一生懸命な人が一生懸命に生きても暮らしが楽にならず、過労からうつになり過労死にまで追い込まれる現在の日本で

でも、大らかに生きて、(というより、図々しく生きてのほうが正しいのかもしれません)いる人を見ると

その違いは何だろうと思うのです。

自分をコントロールする、という言葉は何となく自分の感覚にそぐわず。

自分の疲労の限界を超えてまで何かを行うことは正しいことではありません。

それでは、生きる為に仕事をするのではなく、仕事をするために生きていることになります。

まずは生きて生きて生き抜いて。

その為には、逃げることも必要です。

人は今の環境を変えること、変わることに大変抵抗を示すものです。

でも、人は慣れます。

自分の命を誰かに握らせてはいけません。

自分の命をどう使うかは自分と天、神といった存在で決めることです。

他人が決めることではありません。

ですから、自分の命をどう使おうかと考えることは、

少なくとも、自分でありたいと願うこと。

自由であるということは、その生存においての戦いで手にいれるもの。

自由、平等、平和

これらは何もしなくてもたらされるものではありません。

手にいれる為の戦いが必要です。

明日、何をしようか、どこに行こうか、誰と会おうか

このような計画は、


自分の命をどう使うかの計画であり、自分の命(時間的)を計測しているようなもの

まずは自分の命を守ることを最優先とし、そのうえで仕事、学校、家庭の人間関係の環境があるのです。

何をおいても考えるのは自分の命をどう使うか。

守りたいものがあるとき、ここぞという時、

自分の命を賭すことが出来るのは、普段から自分の命と向き合い、自分の命の重みを感じているからこそ。

事に臨んで動揺しない強さとは、自分の命と向き合えるか。

有限の自分の命を無限にひろがる世界に注ぐことで自分の命が生かされる。

自分の命(有限)と世界(無限)が融合すること。

これを神道においては、神人合一(しんじんごういつ)と言いますね。