
受け入れも突っぱねもしなかった
※なんかTwitterがイーロン・マスクの気まぐれ?思い付き?わがまま?か何か知らないけど突然『X』とかいう世の中に溢れてすぎて個別認識が難しいような名前にわざわざ変えられたらしいんですが、紛らわしいんでここでは便宜上引き続き『Twitter』と表記します。
Twitterに「スペース」という機能があります。
これはまあいわば音声チャットみたいなもんで、ホストが一人で喋ったり、スピーカーと呼ばれる人(参加リクエストを出してホストに承認されたら参加できるらしい)と会話したりしているのを誰でもTwitter上で聴くことが出来る機能です。
芸能人や著名人がホストならゆるいラジオみたいな感じでしょうか。ホストが一般人なら多回線繋げた電話で雑談するみたいな。
先日、何がテーマだったか忘れたんですが(映画か何かだったかな?)誰かのスペースに渋谷すばるがしれっと参加してたらしく、それが面白かったんでしょうね。
急に「誰かおもしろいスペースやってへん?ききたい」みたいなことを言い出しました。
そしたら(本当に本人が来るかどうかは別として)、古参のニンゲンの方が『渋谷すばるに聴かせるための渋谷すばるを語るスペース』というのを始められました。で、そこにちゃんと本人が聴きにきて、ついにはスピーカーとして登場しました。
考えてみたらすごいですね(笑)。
渋谷すばるが自分でホストするスペースじゃなくて、ファンのスペースに来て喋ってるんですよ。
リアルタイムではTLがざわついていることには気づいていたものの深夜で忙しく(私は在宅中は23時ごろからが一番忙しいと言っても過言ではない)聴いてはいなかったんですが、ホストの方の仕切りがとてもうまくてすばるが今まで話していなかったようなことも話したというので翌日ですが仕事しながらこっそりその録音を聴かせてもらいました。
渋谷すばるが関ジャニ∞を脱退して5年が経った。
あの会見の時に、脱退して今後どうする、という話の中で海外で学校でも行って音楽の勉強を、みたいなことを言っていて。
正直、私自身は『(ジャニーズにいては難しい)海外で活動する』ために辞めたとは思っていなかったのでそこはそれほど重要だとは思っていなかった。すばるが関ジャニ∞を辞めるのが
『不惑を目前にして、音楽のこと”だけ”を考えて自分の音楽と一から向き合いたい』
ということが理由なら、拠点がアメリカだろうとヨーロッパだろうとアジアだろうと日本だろうとそれは二次的な話でしかないと思ったから。
でも多くのすばる担や、エイトの他担にとっては
『辞めた後のすばるがどこで何をするのか、それは関ジャニ∞を脱退してメンバーや”私たちファン”を傷つけてまでする価値のあることなのか』
と監視でもするかのように注目すべきことだったのかもしれない。
関ジャニ∞の渋谷すばるとして最後のテレビ出演だった『関ジャム完全燃Show!』の生放送(関西では生ではなかった)のあと、その年の12月31日まではジャニーズに籍を置いていたもののすばるは完全に姿を消していた。
ジャニーズ退所日を過ぎた2019年の2月28日。今もある公式ホームページ『渋谷すばるです。』が開設され、その後アジアを旅している姿の動画などが少しずつ公開されていき、4月の下旬にファンクラブ開設、そして秋にアルバムがリリースされて独立後初のツアー。そのアジア公演とファイナル大阪がコロナ禍で中止。
すばるが姿を消していた時期、私はここまで休みなく走ってきたのだから一旦ゆっくり休んでくれていいと思っていたし、アジアをバックパッカーのように旅して色んなインプットをしてきたならそれもいいと思っていた。
なんとなくだけど、『音楽学校へ通って』というのがすばるのイメージに合わなくてしっくりこないな、アジアで旅して吸収してきましたって方が”らしい”な、くらいまで思っていたし、ロスの学校?に通っている的なネット記事が出た時もあまり真に受けていなかったけど。
スペースですばるが、話の流れで自然に話したのはこの時期のことだった。
渋谷すばるは、本当にロサンゼルスに居た。
本当に一人で、誰にも頼らず、英語もおぼつかない中、銀行口座を作ったり部屋を借りたりスタジオを借りたりして生活を始めていたのだという。
あの時期にロスで見かけたというネットニュース、本当に銀行口座を作ろうとしていた時に日本人に声を掛けられたという本当の話だったらしい。
”学校に入る”という話ではなかったようだが、そうやって拠点を構えて、本当にゼロからUSAのシーンに挑もうとしていたのだ。1stアルバム『二歳』に収録されていた曲(の多く?)はそこで作った。
そうか。
すばるの”アナグラ”は、ロスにあったのか。
『二歳』のレコーディングやプロモーション、そしてツアー。
世界を見据えた活動を始めようとはしていたけど、まずは日本での活動を始動したのが本人の意思だったのか周囲からのアドバイスに従ったのかはわからない。今回はそこまでは話してくれなかった。
そのツアーがコロナ禍でファイナルまで完走することが出来ず、ロスに構えた拠点に帰ることも出来なかった。
すばるのアナグラは、まだ借りたままになっているらしい。すばるがずっと昔から大事にしていたというカメのクッションが留守番をしているという。
すばるが東南アジアを旅してきて、アルバムをリリースして…という活動の流れを見て、すばるの活動を『監視するように注目』していた人たちはどうやら大変な荒れようだったらしい。
らしい、というのは私がそれほどその大荒れの事態を自分の眼では見ていないからだ。
私は基本的にはTwitterであまり「自分が好きなもの」を他人と共有しようと思わないというか、積極的な「同じものを好きな人」との交流を避け気味なところがある。
いや、このブログを始めた当初の頃はパ・リーグのブロガーの人たちと交流していたし現在も付き合いがある人も何人かはいる。吉川晃司ファンの人も、たまたまライブ会場で知り合った人に飲み会に誘ってもらってそこで知り合った人たちとの交流は一部続いている。しかし、考えてみたらエイト関係で交流している相手っていないなと思う。私が見て好ましいと思うツイをする人を一方的にフォローしているのが殆ど。
ネット上の交流を拡げてしまうと、リアルと同じで人間関係が面倒になったり、フォロワーを介して自分にとっては好ましいとは思えない人の不快な発信を目にしてしまったりすることが少なくないことに気付いてしまった。そんなものに煩わされたくないので、積極的に拡げようと思わない。
だから、自分の体感としてその”大荒れ”を経験せずに済んだのだとは思う。
しかしそんな風に自衛している私ですら、すばるの在り方に怒っている人は目に入ってきた。避けている私の目に触れるところにまで流れてきたのだから、交流が広かったりすばるについてパブサしていた人たちは本当に忸怩たる思いをさせられていたのだろう。
ここでは直接関係はないが、錦戸亮についてもやはり大量のアンチが発生して酷い状態だったらしい。
”推し”はアイドルで芸能人だけど、生きて成長していく人間だ。時には判断を間違えることもあるかもしれないし、諸々経験していく中で考えや価値観が変わっていくのは当然のこと。
同じような毎日を過ごして諾々と年を重ねているだけの一般人の私だって、このブログの10年前のエントリを引っ張ってきて「あなたはこの時こんな事を言っていたのだから今になってそれと矛盾するような事を言うのはあの時嘘をついたということですか」みたいなことを言われたらうるせえバーカとしか返しようがない。
なのに、「あの時こう言ってたじゃないか、嘘つき」と彼らはずっと言われ続けなければならないのだろうか。それを要求する権利がただのファンにあるのだろうか。ファンの側はいつでも「気持ちが冷めた」「他の推しが出来たそっちの方が好き」と離れることが出来るのに、推しに対しては自分が一番好きだった時期のあの推しの姿で居続けることを要求する。なんて傲慢なんだろう。
まして、すべての人に言えることだけど表に出てきた情報だけがその人の全てではない。何もしていないように見えて先々のための準備期間かもしれない。知人友人ですら自分が見ていない時に何をしているのか逐一報告でもされなければ何も知らないのに、芸能人が表に出ていない時に何をしているか、何を考えてどんな思いでいるのかなど知りようがないただのファンが、何を偉そうに言えるんだろう…。
『自分が一番好きだった7人の関ジャニ∞のあの時の姿』を壊した渋谷すばるを、彼女らは許さない。
そんな容赦ない断罪の言葉が、すばる本人にも伝わっていただろうと思う。
『海外の学校で音楽を勉強するって言ってたくせに、何もやってないじゃないか。嘘ついてまでエイトを脱退したかったのか』
それに対して、本当はちゃんとあっちで一人でやろうと、やり始めようとしていたんだと言い訳することは出来た筈だ。
まして、それが中断したのはコロナ禍のせいでもある。誰もそれを責めたりはしない。
それでもすばるは海外で活動する準備をしていたことを一言も話さなかった。
誰もそれに気づいてもいなかった。
確かにやろうとして頑張っていた、でもまだ何の成果も出していない。あちらでレコーディングしてあちらでリリースしたアルバム1枚でもあれば、胸をはってロスに拠点を置いてやってますよと報告していただろうに、何の成果も出していないのに『やりかけてるんですよ、頑張ってたんですよ』と言うのは、すばるにとって『違う』ことだった。
どんなに心無い言葉を掛けられていたとしても、言い訳するのはすばるの矜持に反することだったのだ。
”下手くそなやりかたしか出来へん”とすばるはよく言うけど、カッコいいよ。本当に。
ただ、去年のツアーを経て、今年babu会で見た時。
「もう何も怖くないんですよ」
と言ったすばるの顔を思い出す。
こんな、いちファンのスペースに突然降臨して何気ない話の流れで、ずっと黙っていた海外での生活のことを話したということがきっとすばるに訪れてた大きな変化を物語っているのではないだろうかと思った。
ここのところのすばるは、見る度に何かを脱ぎ捨ててどんどん身軽になっている気がする。
どんどん身軽に、そして自由になっている。
心無い言葉を浴びせる人はきっと今もいるけれど、
すばるが身軽になっていくのは、そんなものよりいつもすばるの歌を、言葉を、待ち望んで受け止めるニンゲンたちの存在を本当に心から信じてくれたからだとしたら、ホストさんやその周囲の人たちみたいな追い方は出来ていない末端だけどニンゲンの一人としてこれほど嬉しいことはない。
きっとこれからだって、うまくいかない時はある。
目を向けまいとしていても汚い言葉に被弾してしまうこともあるだろう。
まずは”歌”に向き合うために一人になったけれど、写真を撮ることに嵌ったように他にも興味のあることが生まれてくるかもしれない。映画の主題歌を手掛けた時に、対談だか雑誌インタビューだかで、”演技の仕事”にも前向きであるようなことを言っていた。
生きているのだから、死ぬまで人は成長するのだから。やりたいことが増えていくのはむしろ当たり前のこと。
そんな時に、「エイトを脱退したのは歌だけをやりたかったからじゃなかったのか、嘘つき」みたいなことを言うファンには決してならないように、理想を押し付けるファンにはならないように、
これはすばるに対してだけじゃなく。私が好きな人たち全部に言えることだけど。
彼(ら)が自分で決めて選びとっていく道をただ見届けたいというその気持ちだけは失わずにいたい。
彼(ら)はいつでもこちらを見ていてくれて、こちらが喜んで笑顔になることを望んでいるのだけは確かだから。
件のスペースは、北海道のフェスに出た時にホストさんが偶然ザ・クロマニヨンズのパフォーマンスを涙を流しながら見ているすばるを目撃したという話とか、飛行機の時間があるので最後まで見れずに乗ったタクシーに出川哲朗のサインがあって、自分も書いたこと、ライブで上半身裸になることが多い話…などの穏やかなスペースでした。すばるもリラックスしたようによく喋っていたし、ちゃんとラストの締めにこれを聴いているリスナーが喜ぶだろう言葉(「愛してるよ、おやすみ」)を言うことをリクエストするなど、ホストさんはプロなのかと思うほどの名司会者ぶり。すばるにも絶賛されてました。
すばるご本人登場ーの前、すばるとの”出会い”についてなどを話していたホストさん。 「すばるの歌はライブで完成する」という私が常日頃ライブに行ってるアーティストたちに対して思っていることを言っていて、心でめちゃくちゃ頷いていました。
そうなの。ライブが主戦場な人達の歌は、そこでオーディエンスと熱を交換することで完成するんですよ。
そんなこんなで、録音だからすばる登場あたりから聞いてもよさそうなものなのに結局最初からしっかり全部聞いてしまいました。
よそのSNSの話なのでアカウント名などは書きませんが、すばるが参加したくなるようなスペースをやってくれて本当に感謝してます。名MC、ありがとうございました!
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