day by day

癒さぬ傷口が 栄光への入口

フリージア

2007-03-01 | エイガ。
例えば、太平洋戦争の終戦のあたりで分岐したもうひとつの歴史を辿る日本。

この作品の舞台はそんな日本である。
日本には軍隊があり、しかもどうやら戦時中だ。
しかし本土には攻撃を受けていないようでどこか遠くの戦地で日本軍は戦っているのだろう。人々の生活は一見平穏で、私たちの生きている現代日本とたいして変わらないように見える。
けれどデモ行進を武力で鎮圧する軍隊がいたり、戦意高揚のためのアジビラがそこここにべたべたと貼ってあったり、昼間の繁華街を銃を担いで行進する兵士たちに対してヤクザが道を空けたりと───

「現代でありながら決して現代では有り得ない」パラレルワールド。

映画の設定上「近未来」と言っているようだが、近未来というよりむしろ昭和の匂いがする。どちらかといえば冒頭に書いたように、過去のどこかの点で分岐した別の日本───そう言ってしまった方がすっきりする。


法で裁けない悪。
被害者にとっては法に照らしての罰が間尺に合わない悪。
それらを非合法に闇に葬るという物語は数多い。
なぜ「非合法に」かといえば、日本では個人的な復讐は認められていないからだ。

このパラレルワールドの日本では、それが合法化されている。

合法というからには、ただ単に恨みの相手を何でも殺していいというわけではない。まるで犯罪者を裁判で裁くように、相手に復讐してもしかるべきか否かが役所によって審査され、申請書が受理されれば一定のルールの下に武器を与えられ復讐する機会を与えられるという。
対象者にも戦う権利があり、執行者(代理人でも可)と同等の武器が与えられ、人数、弾丸の数など同じ条件の中で「殺し合い」、生き残ることが出来れば執行は免れる───
これらの処理(申請書類作成なども含む)を代行する職業もあり、一定の資格を有するものが申請者の替わりにこの「敵討ち」の執行を代行することが出来る。

これが「敵討ち法」であり、
主人公・叶ヒロシはその執行代理人である。


フリージア 8 (8)

小学館

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最近とみに多いがこれも漫画原作である。
しかし、映画上では最重要ともいえる根幹部分の設定が違う(というより付け加えられている)ということなので、「原作とも違うパラレルワールド」の「フリージア」だと思った方がいいのかもしれない。
ただ、原作を読んでいなかった私はこの映画を見て原作を読んでみたいと思ったけれど。

フリージア(映画公式)


【いつものことですが以下ネタバレでございやす】

一瞬にして人間の身体を凍結させてしまう爆弾。
その実験で子供たちがおおぜい死んだ。
後に、非人道的として軍内部でも批難の的となる、人体実験。施設にいた戦災孤児たちが、死ぬためにその場所に連れてこられた。

滑稽だ。
敵兵を、もしくは敵国の民間人を、瞬時に大量殺戮するための兵器。
その存在そのものが「非人道的」なのに、自国の孤児を実験台にしたことを取り上げて「非人道的」とされる。
所詮、「人道」なんてご都合主義で出来ているのだ。

たまたま爆心地から少し離れていた少女。
命令によって子供たちをそこへ引率したものの納得がいかずに思わず現場に向かってしまった少年兵。
ふたりは、命を失うことはなかったけれど、後遺症として「感覚」と「感情」を失ってしまった。

凍り付いてしまった。
身も心も凍りついたまま大人になってしまった彼らの物語。


顔色ひとつ変えず、どこかぼんやりしてさえ見える表情のまま何の容赦もなく敵討ち対象者を撃つヒロシ。対象者の反撃によって負傷しても痛みを感じないから気づきもしない。
「痛み」は警報と同じだというのに。
自らの生命をも奪いかねない傷の痛み。
他人の命を奪う心の痛み。
ヒロシはそのどちらも感じることがない。
ナポリタンを飽きもせず玉ねぎとピーマンを取り除きながら毎日食べる。
まだ「感覚」があった頃は好きだったナポリタン。玉ねぎとピーマンは嫌いだったのだろう。
味がわからなければ嫌いも好きもないだろうに、子供の頃に覚えた味の記憶かただの習慣か、丹念にそれらをよけて食べる。
まるで「味がわかること」の疑似体験をしているように。

ヒロシを執行代理人にスカウトした、敵討ち代行事務所の女・ヒグチ。彼女もまた終始無表情に淡々とただ淡々と業務をこなしてゆく。
敵討ちの申請者が恨みの相手の遺体を目にしてすでにこときれているというのにさらにその遺体に殴りかかるのを見ても、対象者となったヤクザの組長やその舎弟が自分を殴っても、表情を変えることなく。
ヒグチが冒頭に出てきた冷凍爆弾実験の生き残りの少女であることは、普通に映画を見ていればすぐにわかる。だから、なんの説明がなくとも、彼女がヒロシと同じように感覚や感情を失っているのだろうということが容易に察することができる。
けれど、ヒグチには恐怖と憎悪は残っていた。
凍りつく世界でひとり取り残された恐怖。
つい今まで傍にいた弟がかちこちに凍ってしまった恐怖。
そしてそこへ導いた軍の人間に対する憎悪。
ヒグチの感情はただそこへとばかり向かっている。

ヒグチが手配した対象者ヤクザの「警護人」は伝説とも噂される「幽霊」と呼ばれるプロ。
「幽霊」が警護につけば、執行人は全滅し、つまりは敵討ちが返り討ちに終わると言われている。

「幽霊」と対決したヒロシは恐怖を感じただろうか?

見た目はよぼよぼの爺さん。
しかしその動きは目にもとまらない。
生真面目な若手の執行代理人は一瞬で手首を切り裂かれた。
「30分だ、命を無駄にするな」
そしてその一言は彼のその後の人生を変えた。

ヒロシの眼鏡を───視界をまず奪う「幽霊」。
音だけを頼りにそれに対抗するヒロシ。
最初から知っていたのか戦いの途中で気付いたのかはわからないが、ヒロシの「感覚」が無いことを知っていた「幽霊」はついにヒロシを背後から刺し一言告げる。

「痛みを知れ」

パラレルではない、私の生きているこの現代。
「痛み」を知らない人間が増えているのではないかと思っていた。
身体の、心の、本当の痛みを知らないから。
他人をやすやすと傷つけることが出来るのではないのかと。
「幽霊」の「痛みを知れ」という言葉は、ヒロシを透かしてスクリーンのこちら側に向けられた言葉のようにもとれた。


「幽霊」を倒し生還したヒロシが次に当たった対象は、あの少年兵だったヒロシのかつての上官。命令を受けて孤児たちを実験場へ引率した少年兵・トシオ。
けれどこの仕事は、ヒグチによって偽造された申請書や許可証によって執行された偽の敵討ちである。
ヒグチは、「合法」である「敵討ち」に、「違法」を持ち込んで───
自らの、弟の、仲間たちの「敵討ち」を果たそうとしていたのだ。

「敵討ち」が合法になってなお、まだ晴らせぬ恨み許せぬ罪というものが存在する。

トシオもしかし、自分の上官───実は父親───の命令に従ったことで孤児たちを殺し部下を失ったことを心の疵として生きてきたのだろう。偽の通告書を持参したヒグチが、彼には待ちに待った「死刑」執行人だったのかもしれない。
けれどトシオは無関係な筈の友人が自分を守るために殺されたのを見て抵抗を始める。
トシオもヒロシやヒグチと同じように感情を失ってしまった者のように無表情である。しかし、

彼には、人間らしい感情がまだ残っていた。

敵討ちの執行の間はその限られた区域の住民は避難させられ、「境界」からヤジ馬よろしくそれを見物したりしていた。
しかし、ヒロシを疎ましく思っていた先輩代理人が突然「キレ」た時、その境界は境界でなくなる。
区切られた中で格闘技のように行われる「殺し合い」。その一部が破綻した時、境界のこちら側の人間を巻き込んでの虐殺となる。
代理人は単なる「執行代理人」であり、正義の味方ではない。

その曖昧さ。
曖昧であることの恐ろしさ。


逃げ延び逃走するトシオ。
敵討ち書類の偽造と拳銃の無許可持ち出しが露見し射殺命令つきの追われる身となったヒグチ。
そのヒグチを守るように共に逃走しトシオを追うヒロシ。

徐々に、少しずつ、ゆっくりと。

ヒロシに、そしてヒグチに感情と感覚が生まれてくる。
それについて二人は何も語らないけれど。
いつものようにナポリタンの玉ねぎとピーマンをよけて食べているヒロシがふと思いついたようにピーマンをひと片口に運ぶ。
ゆっくり噛み締める。
一瞬顔をほんの小さく歪め、水を口に流し込む。
それを見て、ヒグチが小さく口角を上げる。
ピーマンの味は、やはり嫌いな味だったのだろう。
その子供のような好き嫌いが可笑しかったのだろう。

余計な言葉もなく無駄に大きな演技もない。
このさりげないひとつのシーンが、ヒロシとヒグチに起こった小さな変化を教えてくれる。

黙ってヒグチを残しトシオを追ったヒロシが、ヒグチにこう告げる。
「これが済んだら、あの場所へ行きませんか」
あの場所。
すべてが凍りついた、一本の木が目印のように伸びた丘へ。

トシオに自分と同じ数の弾丸を渡し対峙する。もう「合法」ではない、ルールに守られた殺し合いではない、ただの殺し合いなのに。
まるで、味を感じないのに嫌いな玉ねぎとピーマンをよけて食べる滑稽さのように、あたかも「ルール」がまだ存在しているかのごとく振舞うヒロシ。

倒れるトシオ。
首から血が噴き出すヒロシ。
自分の首に疵を受けたことに気付く。
きょとんとしたように呟く。

「………いたい」

ひとりで「あの場所」へたどりついたヒグチ。
あの時凍りついたあの木は、枯れてはいるけれど大きな葉を沢山ぶら下げていた。

彼女は追っ手に見つかれば射殺されるのだろう。
微笑みや涙を取り戻した代償として。
どこで狂ってしまったのだろう?

ただ、この丘に連れてこられただけだったのに。
ただ、他の敵討ち希望者のように、弟や仲間の敵を討ちたかっただけなのに。




原作者も映画を撮った監督も、なにか大きなメッセージを伝えようとして作った作品ではないのかもしれない。
娯楽作品として、存分に「かっこいいガンアクション」を描ける設定を模索した結果なのかもしれない。
話は特に複雑でもないし、難解でもない。
特殊な設定の割にはわざとらしい解説が無くても概ねその世界の常識が諒解できる。
もしかしたら娯楽作品としてのみ楽しむのが望ましいのかもしれない。

けれど、作品は受け取る瞬間から何を読み取るかは受け側の自由だと思っている。
見終わったあとで───

感覚がないこと、
感情がないこと、

痛みがわからぬこと、
笑えないこと、
味がわからないこと、

「痛み」という警報が、心のどこかで鳴ってはいないだろうか?
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