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癒さぬ傷口が 栄光への入口

『アンチヒーロー』《2024春/日21:00》(終了)

2024-07-12 | テレビ。

もうそろそろ夏ドラマが出そろいつつあるんで急いで2024年春ドラマ(4月期)面白かった◎ドラマの個別感想。 とりあえずここまでは書いておこうと思います。(おいハンサム!!は個別感想でもない気がして)


アンチヒーロー TBS 日曜21:00(日曜劇場)

=スタッフ・キャスト=

TBS公式
脚本:山本奈奈/李正美/宮本勇人/福田哲平
監督:田中健太/宮崎陽平/嶋田広野
出演:長谷川博己 北村匠 堀田真由 岩田剛典/緒方直人 藤木直人 木村佳乃 野村萬斎

【主題歌】milet「hanataba」

=イントロダクション=
「殺人犯へ、あなたを無罪にして差し上げます。」

日本の刑事裁判での有罪率は99.9%と言われている。長谷川演じる弁護士は、残り0.1%に隠された「無罪の証拠」を探し依頼人を救う救世主のような人間ではない。たとえ、犯罪者である証拠が100%揃っていても無罪を勝ち取る、「殺人犯をも無罪にしてしまう」“アンチ”な弁護士。ヒーローとは言い難い、限りなくダークで危険な人物だ。しかしこのドラマを見た視聴者は、こう自問自答することになるだろう。
「正義の反対は、本当に悪なのだろうか・・・?」

このドラマは「弁護士ドラマ」という枠組みを超え、長谷川演じるアンチヒーローを通して、視聴者に“正義とは果たして何なのか?” “世の中の悪とされていることは、本当に悪いことなのか?” を問いかける。
本作では、スピーディーな展開で次々に常識が覆されていく。日常のほんの少しのきっかけ、たとえば「電車に一本乗り遅れてしまった」「朝忘れ物をして取りに帰った」・・・たったそれだけのことで、正義と悪が入れ替わり、善人が悪人になってしまう。
まさにバタフライエフェクトのような、前代未聞の逆転パラドックスエンターテインメントをお届けする。


脚本に4人の脚本家の名前がクレジットされている。
複数の脚本家がクレジットされている場合通常はトップに書かれた人がメインライターであることが多い。
しかしこの作品の場合は本当に4名共同で脚本を練り上げ1年以上かけて書き上げたもの。
しかも、最終回の決定稿はすでに放送が始まっていた時期に主演の長谷川博己との擦り合わせを行った上で書かれたものだったという。
一時期、海外ドラマなどでよくある複数の脚本家によるリレー方式でドラマの疾走感を出すことを試みた作品がいくつかあったと思う。しかしこれはぱっと見の疾走感は出るかもしれないけれど、シリーズ全体の整合性が取りづらく、物語が進んでいく後半~終盤を担当する者がよほど急場の辻褄合わせが上手くなければ破綻する。一見うまくまとまったように見えても細かく辻褄を合わせていくとおかしなことが出てくるのは1人の書き手が担当していても起こりがちなことだが、複数で好きなように書き進めていった作品だとそのリスクは段違いに高い。
「アンチヒーロー」はいわゆる”メインライター”のいない複数の脚本家によるものであることは同じでも、4人それぞれあるだろう得意分野を生かしたうえで整合性のチェックなどが緻密に出来る体制で書かれたものだったのだろう。
多分、海外ドラマとは違って、日本のドラマ好き(マニア)にはそういった作品の方がウケる。ジャンル的に言っても尚更そういう緻密さは求められるだろうから。


縦糸である「糸井一家殺人事件」。
ここで中心になっているのは、この事件が冤罪事件であることを証明し、再審へ持ち込んで”死刑囚”を無罪にするという課題だ。
おそらく終盤から最終回を見終わったあと、多くの視聴者(私を含む)が感じただろうこと。
「それで、この事件の真犯人は誰?」
これは多分この制作陣の中で揉みに揉まれた議題だっただろうと思う。志水は冤罪だったことが明らかになったのだから、12年のうのうと逃げのびていた真犯人に罰を与えなければならないだろうと考えるのは自然なことだ。
けれども、この物語ではそこには手を出さなかった。
これは「糸井一家殺人事件の真相を解明する」という結末を目指した話ではなかったから。
目指す結末はあくまでも、無実の人間を死刑囚として収監し、いつ執行されるのか(いつ死ぬのか)という恐怖を10年以上毎日24時間与え続けていたこの『冤罪』を明らかにすること、それを晴らすこと。
もちろん、この物語の後日談として真犯人が判明してあらためて裁かれるということにはなってほしいしなってもらわなければ困ると私も思う。しかし”この物語の中”でそこまで言及するのはきっと蛇足でしかない。

横糸には、弁護士事務所として受ける各々の事件が登場する。
そこにクローズアップされた事件は、実はすべて縦糸である”糸井一家殺人事件”の関係者へと帰結していく。
明墨はそもそも志水の冤罪を晴らすために検事を辞めて弁護士事務所を開いたし、”あの事件”に関わりのある案件を明墨は意図的に選んでいた。もちろん通常業務として関係ない案件も引き受けていたりはしただろうが、”この物語の中”ではそういった案件を振るい落として”あの事件”関連の案件がクローズアップされるのは当然のこと。
これはよくある『一話完結の弁護士もの』ではないのだから。

裁判を迅速に優位に進め検察の力を誇示したいあまり”証拠”を捏造/改竄してしまう検事。
強すぎる出世欲(=支配欲)を『正義』でコーティングすることでおそらく自分自身をも騙せると奢っていた検事正。
現在の法曹界の女性のトップランナーである自覚、”後進の女性法曹のため”という『崇高な目的』のために目指す最高裁判事、しかしその目的のために手段を選ばなくなるという本末転倒に気付かない女性判事。
家族を守るためなら無実の人間を死刑囚にすることになる”証拠隠滅”も実行してしまう刑事。

本来、一人一人の国民を正しく守り、罪を正しく裁く立場である人たち。
彼らにはそれぞれ信じる正義はあったのだろう。何物にも優先されるべき”正義”が。
その正義を執行するために犠牲にしてもいい者は、誰が選ぶのか?自分自身だ。
彼らは正義を執行するという名目で他人の人生を勝手に選別しランクをつけ犠牲にして良いか否かを勝手に裁いている。そこにどんな自分勝手な欲望が混ざっていようと、自分にとっての”正義”のためだと言えばそれは赦される。それを赦すのもまた、自分自身だ。

正義の皮を被って他人を裁くことで快感を得る人たちがいる。その正義が紛い物だと誰よりわかっていながら執行する人。
一方、正義だと本当に信じて裁く人もいる。それがどれほど公平さや客観性や理論的道義的あらゆる面で欠けたものだったとしても、自分の正義が絶対だと信じている人の方が厄介だ。
人は人を裁きたがる。きっとそれは太古の昔から人のコミュニティがあって揉め事やディスコミュニケーションが起こればどこにでも発生してきたことだろうと思う。それが肥大すれば戦になるし、個人レベルなら井戸端会議の悪口になる。もしかしたら他人を批判することは、自分が生き残るための、人間の動物としての本能のひとつなのかもしれない。
簡単に全世界にむけて自分の言葉を拡散できるツールを手に入れた人類は、裁きたがりの人間の本能をより刺激する。
きっと一生絶対すれ違うことすら無かっただろう遠い他人の言葉に簡単に苛立ったり腹を立てたり悲しんだり自分が攻撃されたかのようにダメージを受けたり、逆にきっと一生半径500m以内にも近づくこともなかった筈の人を自分の想像が及ばないほどに傷つけてしまうことも、なのに自分は自覚さえしていないなんてこともある。
人は人を裁きたがる。
だからこそ、法がある。好き勝手に人が主観だけで人を裁かないように。
それでも”正義”は時に、法を無視してでも人を裁こうとする。

「正義とは何なのか」

イントロダクションにもあったこの問いかけ。
私は「正義」ほど胡散臭いものはそうそうないと思う。
正義とは何かを問いかけるために作られたこのドラマ。
第一話の裁判のシーンで明墨が
「有罪判決が出ていない人は無実だと考えて扱います」
というような事を言ったシーンがあったと思う。
TBSはこんなセリフのドラマをよく臆面もなく流せるな?
と反射的に思ってしまった。
多分私は今後、リーガルもののドラマで検事や弁護士や裁判官が正義を語る場面を見るたび、
「どの面を下げて」
と思わずにはいられないのだろうなと思う。
まあ、脚本の完成に1年以上かかったと言うから脚本の担当者にはかの一連の報道や政治家や法曹関係者の態度について思う事があったとしても触りはしなかったのだろうけど。

そういえばそれだけの期間練りに練っていたとはいうけれど、
現在放送中の日本初の女性判事をヒロインにした朝ドラの決まり文句を挟み込んだりしていた。いや、むしろあれは現場のアイディアなのかな…?
明墨の策略によって弾劾裁判にかけられる判事が女性というのも、偶然にしてはこういう符合もあるものなんだなと思わずにはいられなかった。
(もっとも、朝ドラの方は”リーガルエンターテインメント”とはどんどんかけ離れていってる気がするネ!)


明墨が張り巡らす策略、伊達原との頭脳戦、紫ノ宮・赤峰の成長、緑川や白木のどんでん返し、桃瀬の遺志。
「これぞ日曜劇場」とでも言うべき最終回の法廷での対決。
志水親子の再会。
細かく触れていくと本当にきりがないのでもうやめておくけれど。
これが始まった時に、明墨の”アンチヒーロー”っぷりが最終回までちゃんと維持できたらいいなと思っていた。
日曜劇場、こういうちょっと悪役めいた導入の主人公の時は結局日和ってすごくいい奴になってしまうことがある印象だったので。
明墨は確かに”アンチヒーロー”ではあっても自分が生み出したと言うべき冤罪を晴らすために生きているいわば正義の側の人間ではあった。しかしその目的のためには違法なことも厭わない、最後まで不気味さを失わない。
”正義”と信じて冤罪に繋がる自供を無理やり引き出した明墨自身が、”正義”の胡散臭さ、危うさを身に染みてわかっている。
たとえ明墨が過去の過ちに気付いて志水の冤罪を晴らす事が出来たとしても、
やってもいない一家皆殺しなどという恐ろしい罪を責め立てられ幼い娘と別れて狭い刑務所で明日執行されるかもわからない死の不安に支配された志水の12年は、
5歳で父と引き離され母まで失い施設で孤独に生きてきた紗耶の、本来生きてきたはずの幸せな子どもだった時間は、
もう決して取り戻すことが出来ない。そのことも明墨はわかっている。
一人一人の自分勝手な”正義”が彼らにその犠牲を強いて、12年もの時間を奪った───

”正義”を信じない。
だからこそ明墨は、”アンチヒーロー”なのだ。


そういえば、回が進むにつれてSNSなどに流れる考察に、
明墨側の人間は姓に色の名前がついている。
明墨、赤峰、紫ノ宮、白木、青山、桃瀬。
だから「緑川」はこちら側なのでは?というものがあった。
実際それは正解だったのだけど、
これだけ明墨と伊達原の頭脳戦で互いを出し抜いたりひっかけたりしていく展開の中、
一つくらい、「ほーらー!!そうだと思ったんだよねー!!」とみている全員が思える”どんでん返し”を仕込んでおいたのは、視聴者に対するちょっとしたサービスだったのだろうか(笑)。

最終回までダレることなくずっと面白かったです。
正義の胡散臭さ、肝に銘じて生きていきたいと思います。

ごちそうさまでした。


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