
私は海があまり好きではない。
正確に言うと波の音だ。それと潮の香り。これらは私の中にある不安を煽り、掻き立てる。何に対する不安なのかは深く追及したことはない。それを追及することそのものが不安だった。
子供の頃は海へ行くことは家族旅行と同じ意味だったからあの音を聞くとうきうき、わくわくしていた。なのに、何時から海が嫌いになったんだろう。
ざざ、ざざという気持ちの悪い音を聞きながら漆黒に思えるほどの深く暗いブルーの海面を見つめていた私はそんな他愛も無いことを考えていた。
私の左側、1mほど離れたコンクリートのブロックに腰掛けていた人影が小さく動いた。 腕時計を見ている動作だ。
「ああ、もう朝か」
独り言のような低い声。
海面に視線を戻すとなるほど、どこまでも漆黒に近いように見えていた海の色が微かに淡い明るさを取り戻しつつある。雲のたれこめた空はまだ明るさを取り戻してはいないようだがそれでも隣に座る男の表情が判別できる程度には回復したようだ。
行き来を繰り返す波。
男は立ち上がった。そして、傍らに置いていた小さなブーケを波打ち際に投げた。白く可憐なマーガレットのブーケが、疲れた顔の男の容貌には似合わない。
あの花は好きだ、とぼんやりと思った。
プランターに植えて栽培していた。そういえばあのプランターはどうしたんだっけ。
私はもう一度、男の横顔をじっと見つめた。
この世で一番愛していた、そしてこの世で一番憎んでもいた。
そっと、彼に向かって手を伸ばしてみた。彼は海面から目を逸らそうとしない。指は彼に届かなかった。
ねえ、何を見ているの。
そう尋ねようとして、私は自分の声が出ないことに気づいた。
一歩だけ近づいてみよう。そう思ったけれど足が一歩も動かないと気づいた。
彼は私に気づくことなく、夜が明けきるまでじっと海を見つめていた。やがて、彼はくるりと海に背をむけた。
待って。
待って。私をおいていかないで。
私をおいていかないで。
私はここよ。私はここにいるのよ。
彼はちらりと振り返った。私と目が合った。
それなのに、彼は私に気づかなかった。ここにいるのに。私、ここにいるのに。
あなたが悪いのよ。
あなたが私をひとりぼっちにしたから。私、家でマーガレットに水をやりながら毎日毎日考えてた。あなたはきっともう私のことなんて愛してない。きっと他に誰か出来たんでしょう。隠したって無駄。私にはわかるんだから。もうわかってるんだから白状しなさいよ。そうでなきゃ別れてなんかやらない。私、そんなものわかりのいい女じゃない。もう嘘なんかつかないで。
でもあなたが別れたいというならしょうがない。別れてあげるから最後に旅行に連れてって。海がいい。あなたと初めて出かけたあの海をもう一度見たい。最後にそのくらいの我侭、聞いてくれるわよね?海へ行きましょう。海へ───
だから、告白して。全部。あなたの口から聞かせて。
氷のように冷たい波が私の身体を暗い海へと引きずりこむのを感じた。
冬の荒れた海は、ひどく強引だった。
遠ざかる浜辺が垣間見える。あなたは二、三歩海に近寄ったけれど、私を追ってはこなかった。不思議とあなたの顔がまるで望遠鏡で見るようにはっきりと見えた。あなたは困った、それでいて少しほっとしたような顔をしてた。
ああ、そうか。
私はあの時、死んだのか。
打ち寄せる波に乗って再び浜辺に辿りつくと、私はまたそこから動けなくなった。
ざざ、ざざと嫌な音が聞こえる。
あれは、私があなたを呼ぶ声。
本当はね。
あの時私があなたを殺してしまおうと思ってた。本当はね。
でも今も毎年あなたはこうしてマーガレットのブーケを持ってきてくれるから──
いつかあなたが私を忘れてしまうまでは許してあげる。
それまではここで、こうしてあなたが来るのを待ってる。
浜辺はすっかり、朝になっていた。
禁無断複製・転載 (c)Senka.Yamashina
これは「恋愛お題ったー」で出題されたキーワードを元に即興で創作したお話です。
テーマ:ヤマシナセンカさんは、「朝の海辺」で登場人物が「告白する」、「時計」という単語を使ったお話を考えて下さい。
正確に言うと波の音だ。それと潮の香り。これらは私の中にある不安を煽り、掻き立てる。何に対する不安なのかは深く追及したことはない。それを追及することそのものが不安だった。
子供の頃は海へ行くことは家族旅行と同じ意味だったからあの音を聞くとうきうき、わくわくしていた。なのに、何時から海が嫌いになったんだろう。
ざざ、ざざという気持ちの悪い音を聞きながら漆黒に思えるほどの深く暗いブルーの海面を見つめていた私はそんな他愛も無いことを考えていた。
私の左側、1mほど離れたコンクリートのブロックに腰掛けていた人影が小さく動いた。 腕時計を見ている動作だ。
「ああ、もう朝か」
独り言のような低い声。
海面に視線を戻すとなるほど、どこまでも漆黒に近いように見えていた海の色が微かに淡い明るさを取り戻しつつある。雲のたれこめた空はまだ明るさを取り戻してはいないようだがそれでも隣に座る男の表情が判別できる程度には回復したようだ。
行き来を繰り返す波。
男は立ち上がった。そして、傍らに置いていた小さなブーケを波打ち際に投げた。白く可憐なマーガレットのブーケが、疲れた顔の男の容貌には似合わない。
あの花は好きだ、とぼんやりと思った。
プランターに植えて栽培していた。そういえばあのプランターはどうしたんだっけ。
私はもう一度、男の横顔をじっと見つめた。
この世で一番愛していた、そしてこの世で一番憎んでもいた。
そっと、彼に向かって手を伸ばしてみた。彼は海面から目を逸らそうとしない。指は彼に届かなかった。
ねえ、何を見ているの。
そう尋ねようとして、私は自分の声が出ないことに気づいた。
一歩だけ近づいてみよう。そう思ったけれど足が一歩も動かないと気づいた。
彼は私に気づくことなく、夜が明けきるまでじっと海を見つめていた。やがて、彼はくるりと海に背をむけた。
待って。
待って。私をおいていかないで。
私をおいていかないで。
私はここよ。私はここにいるのよ。
彼はちらりと振り返った。私と目が合った。
それなのに、彼は私に気づかなかった。ここにいるのに。私、ここにいるのに。
あなたが悪いのよ。
あなたが私をひとりぼっちにしたから。私、家でマーガレットに水をやりながら毎日毎日考えてた。あなたはきっともう私のことなんて愛してない。きっと他に誰か出来たんでしょう。隠したって無駄。私にはわかるんだから。もうわかってるんだから白状しなさいよ。そうでなきゃ別れてなんかやらない。私、そんなものわかりのいい女じゃない。もう嘘なんかつかないで。
でもあなたが別れたいというならしょうがない。別れてあげるから最後に旅行に連れてって。海がいい。あなたと初めて出かけたあの海をもう一度見たい。最後にそのくらいの我侭、聞いてくれるわよね?海へ行きましょう。海へ───
だから、告白して。全部。あなたの口から聞かせて。
氷のように冷たい波が私の身体を暗い海へと引きずりこむのを感じた。
冬の荒れた海は、ひどく強引だった。
遠ざかる浜辺が垣間見える。あなたは二、三歩海に近寄ったけれど、私を追ってはこなかった。不思議とあなたの顔がまるで望遠鏡で見るようにはっきりと見えた。あなたは困った、それでいて少しほっとしたような顔をしてた。
ああ、そうか。
私はあの時、死んだのか。
打ち寄せる波に乗って再び浜辺に辿りつくと、私はまたそこから動けなくなった。
ざざ、ざざと嫌な音が聞こえる。
あれは、私があなたを呼ぶ声。
本当はね。
あの時私があなたを殺してしまおうと思ってた。本当はね。
でも今も毎年あなたはこうしてマーガレットのブーケを持ってきてくれるから──
いつかあなたが私を忘れてしまうまでは許してあげる。
それまではここで、こうしてあなたが来るのを待ってる。
浜辺はすっかり、朝になっていた。
禁無断複製・転載 (c)Senka.Yamashina
これは「恋愛お題ったー」で出題されたキーワードを元に即興で創作したお話です。
テーマ:ヤマシナセンカさんは、「朝の海辺」で登場人物が「告白する」、「時計」という単語を使ったお話を考えて下さい。
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