長くなったのでその2です
続きをどうぞ
偕楽園散歩はまだ続きます。
こちらに見える建物は~
好文亭と言います。
こちらは水戸藩第9代藩主徳川斉昭の別處だった場所です。
が、己一人で楽しむ場所では無く民と共に楽しむ場所だったそうです。
奥御殿には十室からなってます。
昭和44年落雷により焼失しましたが、昭和47年に復興されました。
部屋の一室一室には素晴らしい襖絵があったそうです。
「桜の間」桜の襖絵になります。
「紅葉の間」色付いた紅葉の美しさ。
他にもまだ8室ございます。
奥御殿につながる連絡路
こちらを「太鼓廊下」と言います。
好文亭の通路は非常に狭く作られてます。
武器を持った敵が侵入した際に動きを制御する為と言われてます。
太鼓廊下にある格子窓です。
格子を閉めてしまうと外からはそこに窓がある様には見えないそうです。
さて、階段を上がって2階に行ってみましょう。
階段は急なので上り下りにはじゅうぶん注意しましょうね。
まぁ敵の侵入をしにくくする為には仕方が無い事ですから
外を見てみると偕楽園を見下ろし、向こうには千波湖が。
絶景かな絶景かな
あ・・・そうそう、コレなんだと思いますか??
コレは1階から2階へ食事等を上げる為の物です。
今で言う食膳エレベーターです。
昔からこんな物を考えついてるなんて凄い
色々見学していよいよ帰る時間です。
駐車場へ向かう途中では・・・
こんな黄色い絨毯が
キバナコスモスと言うそうです。
私にしてはうまく撮れた1枚です
この後夕飯は家で食べるつもりでしたのでぇ
家路に着きました~
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こちらに見える建物は~
好文亭と言います。
こちらは水戸藩第9代藩主徳川斉昭の別處だった場所です。
が、己一人で楽しむ場所では無く民と共に楽しむ場所だったそうです。
奥御殿には十室からなってます。
昭和44年落雷により焼失しましたが、昭和47年に復興されました。
部屋の一室一室には素晴らしい襖絵があったそうです。
「桜の間」桜の襖絵になります。
「紅葉の間」色付いた紅葉の美しさ。
他にもまだ8室ございます。
奥御殿につながる連絡路
こちらを「太鼓廊下」と言います。
好文亭の通路は非常に狭く作られてます。
武器を持った敵が侵入した際に動きを制御する為と言われてます。
太鼓廊下にある格子窓です。
格子を閉めてしまうと外からはそこに窓がある様には見えないそうです。
さて、階段を上がって2階に行ってみましょう。
階段は急なので上り下りにはじゅうぶん注意しましょうね。
まぁ敵の侵入をしにくくする為には仕方が無い事ですから
外を見てみると偕楽園を見下ろし、向こうには千波湖が。
絶景かな絶景かな
あ・・・そうそう、コレなんだと思いますか??
コレは1階から2階へ食事等を上げる為の物です。
今で言う食膳エレベーターです。
昔からこんな物を考えついてるなんて凄い
色々見学していよいよ帰る時間です。
駐車場へ向かう途中では・・・
こんな黄色い絨毯が
キバナコスモスと言うそうです。
私にしてはうまく撮れた1枚です
この後夕飯は家で食べるつもりでしたのでぇ
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