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新発寒教会ブログ

札幌市の新発寒教会ブログです。

夜明けを待ちながら 2ペトロの手紙1:16~19

2020年08月07日 | 礼拝メッセージ要旨
2020年7月26日 主日礼拝
                        清水 和恵

大学の先輩で、岡林信康というシンガーソングライターがおります。クリスチャンファミリーで育ち、父親は教団の牧師、岡林は牧師をめざして神学部に進みますが、中退し、山谷で労働者として過ごします。そして紆余曲折を経て現在もなお歌い続ける現役です。わたしも2年前に札幌でのコンサートに行き、元気をもらった気持ちになりました。

彼は牧師になりませんでしたが、歌を通して多くの若者にメッセージを送り、勇気と力を与えました。
歌のタイトルは聖書の引用が多く、たとえば「山辺に向かいて」「深き淵から」は、詩編から採られたものでしょう。ほかにも「怪盗バラバ」というのもありますね。

このあと、岡林信康が作った「友よ」をご一緒に歌いますが、岡林信康を知らなくてもこの歌を知っているという人は、少なくないようです。カラオケにもあるとか。
特に60年代~70年代にかけて多くの若者、働く青年、学生たちによって歌われました。この歌は学生運動、市民運動のテーマソングのように歌われたのです。
 ここで歌われている「友」は、闇の中で一緒にいて、共に苦しみ、共に泣き、共に喜び、共に希望を語り合う同志、仲間、心友です。そんな「友」の存在を歌い上げたことが
多くの若者の心をつかんだのでしょう。

 そして聖書も、わたしたちは決して、一人ではない。一緒にいてくれる存在がある。イエス・キリストこそ、その「友」であると語ります。(ヨハネ15:15)
なんだか、岡林の「友よ」は、イエスが歌うのが、最もぴったりくるような気がします。

 岡林信康はこの歌について「絶望的な暗さの中で、あえて夜明けは近い、と歌いたいんです。」と語り、後年のインタビューでは「友よ」をはじめ「山谷ブルース」「手紙」など、根幹にあるのは讃美歌であると語っています。

    「友よ」   岡林信康

 友よ、夜明け前の闇の中で  友よたたかいの炎を燃やせ
 夜明けは近い  夜明けは近い
 友よ この闇の向こうには  友よ輝く明日がある

 友よ 君の涙 君の汗が  友よむくわれるその日が来る
 夜明けは近い 夜明けは近い
 友よ この闇の向こうには 友よ輝く明日がある

 友よ 昇りくる朝日の中で  友よ喜びを分かち合おう
 夜明けは近い 夜明けは近い
 友よ この闇の向こうには 友よ輝く明日がある



 2ペトロの著者も、夜明けを待ちながら語るのです。「夜が明け、明けの明星があなたがたの心の中に昇る時まで、暗い所に輝く灯として、どうかこの預言の言葉に留意してください」(19節)
 著者はイエスの弟子ぺトロではなく、ペトロの弟子たちが、ペトロの名を借りて「偽教師」に対する批判文書として書かれたものです。時代は2世紀です。
著者はキリストの再臨がすぐに来ると待望するキリスト者への嘲笑がある中で、再臨を忍耐して待ち、希望を失わないように励ますメッセージを送ります。
その内容は、時代は暗く、キリスト者への迫害・弾圧があり、さまざまに希望を持てない人々に対して、やがてキリストが再びおいでになる時を夜明けの明星にたとえ、その時を待ち望み、聖書を生活の灯にしてほしい、と述べています。

 明けない夜はありません。
闇の中で佇むわたしたちに、必ず朝の光(出発、希望の光)が差し込むことを信じることにこそ、神を信じる恵みがあるのではないでしょうか。
わたしたちの生きるこの時代と社会はずっとこのまま希望のない闇でしょうか?
それとも夜明け前でしょうか?

岡林信康が言うように、夜明けは近いと信じ、そこに救いのチャンスを待望するなら、今のなすべき行動が違ってくるのではないでしょうか。
キリスト者の醍醐味は、希望を抱いて生きることにあります。その希望とはわたしたちの暮らすこの社会を闇のまま、絶望のままでは終わらない、
神はこの状態のままを良しとはしないことへの信頼です。
どんな闇の中にあっても、神様が光へと向かわしてくださるのです。

光へと導く神様を信頼して、今日から明日へ生きましょう。

その神様のみ心をどのように知るでしょうか。
それは聖書を読むことによって示されます。

暗く混沌とした世にあって
わたしたちが歩くときの道しるべは、聖書です。
聖書は難しかったり、とっつきにくいものかもしれません。
しかし、古今東西の人々が読み、今も世界のベストセラーであり、優れた古典であり、信仰の書です。
数知れぬ人たちが、この聖書から生きる勇気と知恵と力を得ることが
できました。
わたしたちも、聖書を読み味わうとき、きっと生きる糧、歩む指針が与えられるでしょう。
その恵みを分かち合いたいのです。

そして夜明けを待ちながら、今、わたしたちにできることを祈り求めていきたいと思うのです。

「みことばは道の光、歩みを照らす灯です。」(詩編119:105)
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