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!morning thunder=朝の神鳴り!

 思いつきを書きながら、思いもかけない場所に行き着つきたい それだけが望みです

続ありふれたとありきたりとあたりまえとありがちと

2005-12-31 13:17:35 | あたりまえ
 ありふれるはきっと溢れると関係がある インフレーションを起こし、満ち溢れ、うんざりした状態だろう インフレーションは、経済学的意味合いでは使っていない 物がインフレを起こし、貨幣に代表されるようなモノの価値が機能しなくなり紙くずつまりゴミになる状態のことだ 経済的にはむしろモノが溢れるデフレ状態で、お金が貴重な状態である エントロピーがでかくなる状況だろう
 つまり満ちると満ちないと関係した現象だろう
 ありきたりは来ると関係がある 来ないのではなく、気まくるのだ ある種の電話やメールやダイレクトメールのように つまり頻度に関係している ハンタイは来ない 行きまくる 
 あたりまえは、前と関係している 空間的か時間的かは知らないが何事かの手前ということだろう 後ではなく、何ものかに届くずっと前のことだろう
 ゼンゼン違うじゃん!! 
 炬燵に蜜柑は、ありふれた光景だろう あたりまえではない ありきたりかもしれない ありがちというのもあったな!! きっと確率分布と関係がある シグマとかいうのと 
 

ありふれたとありきたりとあたりまえと

2005-12-31 09:25:44 | あたりまえ
 概ね同じ意味だろうと思う ありふれたものは、ありきたりだろうし、ありきたりのものは、あたりまえだろうし、あたりまえののものはありふれている 細かい論証は省くが、証明の流れとしては、こうなるだろう
 概ね同じ意味の微妙な違いを追及するのには、ソレナリの才能がいる
 ないのでこれでやめる
 疲れるし、どうでもいいし、わかったところで感動はないだろう 感動しただけ損なら最初からやらない方がいい
 しかし、ここまで書くとちょっと書きたくなるから、根っからの天邪鬼なのだろう
 要するに、ありきたりではあっても、ありふれていないものを見出す必要がある
 ありきたりではあっても、ありふれていないものでもいい
 あたりまえであっても、ありふれていないものというのはあるだろうな あたりまえすぎて誰もことさらに言わないことを探せばいい
 正月は暇なので考えてみようっと
 

蟻は・・・と無力系ブログ宣言

2005-12-30 09:30:23 | あたりまえ
 蟻は、小さい。 
 これしかないよな アンガールズという漫才コンビの芸を脱力系とか癒し系というのだと思う
 このブログのあたりまえカテゴリーで追求しているのもアンガールズの芸と似ているような気がする 
 しかし、それは私がもった最初の印象にしか過ぎない
 アンガールズは疲れる 私には重過ぎる 難しすぎる アンガールズが、蟻は小さい じゃんかじゃんかというとは到底思えない
 彼らはプロの芸人として、必死の努力を積み重ねていると納得できる 才能を欠くという才能には恵まれている 才能は人を疲れさせるし、追い込む
 なんとか系ブログというのがある 私は自分のブログを「無力系」というものに分類することにした
 この門をくぐるものは、全ての希望を捨てなくてはならない
  
 

 

失望の効率的生産方法

2005-12-28 13:35:06 | あたりまえ
 今日の「あたりまえ」は海と決まっていた しかし、海は「広い」にしようか「青い」にしようか迷ってしまった さらに、「塩辛い」というのもよい気がしたし、「深い」でもいいのでは迷いに迷った 結局結論は出なかった 海には魚が棲んでいるもいいなと今思いついた
 このように効率よく失望が生産できるので、今日は失望生産機械の調子がいいのだろう さらに改良して、失望の生産性をさらに上げれば、その極限として絶望に至るという「希望」が見えてきたゾ!!
 絶望から希望へか?
 

一卵性双生児は・・

2005-12-26 12:43:11 | あたりまえ
「そ」がつく日本語が次に続く予定だ この「そ」がつく日本語をすぐには書かないことで、少し失望の生産を先延ばしにする あっさり書けば終わるものを延命させるわけだ なぜか? 一つには、これを今朝「砂糖は甘い」の後思いついて、こみ上げる笑いに戸惑ったせいである さらに、こうしたことを仮に自分以外の人間が書いていたら、間違いなく殺意に近い嫉妬を感じたろうと思う 自分に殺意を感じたり、嫉妬は感じない代わりに、大笑いをした そういうことって世の中にアルのだといたく感じ入った
 さて本題に入る 一卵性双生児はそっくりだ

 

失望の生産

2005-12-25 09:39:34 | あたりまえ
 さて難しいことを書くぞ!!
 今日は失望の生産についてだ
 既によく知られている事実をもう一度聞くとき人は、失望する うんざりする 時間の無駄だと思う ばかばかしくなる 期待して損した気になる 腹が立つ ダマサレタと思う 情報価値がまったくないのだ 確認にさえならない くどさ 懲りなさ バカさ である 冗長性ともいう ナンセンスでさえない 薄っぺらな沈黙の実践 失望の生産である これを私は、「あたりまえ」カテゴリーで追求している(スゴイネー)
 こうした失望の経験を回避するために、人はあらゆる努力をしている しかしどんなに用心しても、この手の失望を回避することは至難の業だ なぜか?失望を回避する努力は、つねに失望へと回帰するからだ 
 そこで、わたしは失望を回避しないで生産することにした 
 かなり愉しい!!
 最近自分は天才だと思うことにした そうでも思わないと生きていけない!!