カメラを片手に

大安寺旧境内の広さは8万坪

霜折れの朝、最低気温は0.8℃と冷え込みは少なく、晴れ間の多い一日に。
だが夜には気圧の谷の接近で夜明けとともに雨が降り、寒い一日になりそう。
関西は雨だが、関東は雪になるかも知れない。
      11時半、7.4℃、53%

      『寒木瓜に予報たがへずいつか雨』 村田脩

NHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花はバラ科の「カンボケ・寒木瓜
晩秋から咲きだす木瓜でカンボケと名付けられるも、ボケには三種、平安時代
親しんだ日本原産の「クサボケ・草木瓜」、中国原産の「マボケ・毛叶木瓜」
と、中国原産で幾多の品種改良がなされた「ボケ・皱皮木瓜」がある。
日本でボケと言えば、江戸期元禄1800年頃に渡来した最後の改良品種を
指すようだ。
和名は赤い花をつける木瓜から「ヒボケ・緋木瓜」と呼ばれる。
花言葉は「熱情」
別名は「チョウシュンボケ」「モケ」「ヨドボケ」などがある。
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一昨日の7日(火)、珠光茶会の会場の一つ『大安寺』に連れ合いを送れば・・・
講座「平城京に残された古墳」で、訪れなかった大安寺旧境内の杉山古墳へ。
案内板によれば、平城京造成時に杉山古墳前方部から土砂や葺石が運び出され
その跡地に瓦窯も築くことで、大安寺の資材調達の場でもあったとされた。
      google map


大安寺の旧境内、北はこの杉山古墳後円部から、南は東塔跡・西塔跡まで
8万坪を有する広大な境内でした。


杉山古墳から南下して京終薬師寺線の狭い旧道へ至れば「元大安寺村役場跡」
の石碑とともに、保存された柱跡と「石清水八幡宮」の石碑、何故なのか。
なおその奥は大安寺小学校の校庭になっている。

柱跡を示すところに、白い表示「大安寺北面中房跡」で、案内板によれば、
749年頃の大安寺には887名の僧がおられ、起居された房が金堂と講堂を囲み
東、西と北の三つの房が二重に配置され、内を太房、外を中房と呼ばれたと。

その反対側がまた面白く、ゴミ置き場横に「南都大乗院門跡大安寺墓所」と
「大安寺村道路元標」とお地蔵さまが祀られている。
      

地蔵尊右奥に石仏が祀られ、「孝?大僧正」「経覚大僧」などの石碑もあり
「南都大乗院門跡大安寺墓所」か、興福寺でも大きな力を持つ塔頭なのに?
      

150m南に下れば、昭和43年に国の史跡として「大安寺旧境内」が指定、
石碑が建てられ、そしてここは「大安寺経楼跡」と。


その東側の「御霊神社」が寂しく佇んでいた。後から知ったのだが・・・
石清水神社を現在地に移された折、行教和尚が手を洗う水を求めて、松林の
中の磐座を法具で叩いたところ、美しい清水が湧き出し池を作ったと。
それが御霊神社の境内にある「龍池」になり、それが石清水の謂れ?。
      

西側は大安寺の現在の境内、収蔵庫が完成真近で、反対側に小さな神社
「推古天皇社」があり、祭神は日本で最初の女帝で、摂政として聖徳太子を
用い、輝かしい時代を治世された。
      

やっと「大安寺」南大門跡に建つ入り口まで戻りました。
      

通り越して鎮守の森「八幡神社(元石清水神社)」越えれば、一気に開ける。
東側には「東塔跡」
      

塔跡には礎石跡と石碑、遠くに若草山、山焼きの跡の一部だけ黒くなる。

そしてその南側に「富ノ宮跡」の碑が新しく建てられ、白梅がちらほら。
      
西側には「西塔跡」で遠くに生駒山を望む


西塔の心礎石(直径2.6m、厚さ70㎝、中央に矢穴)が残され、どれだけ大き
な塔であったかというと、高さ70mの七重塔と考えられている。

発掘時の写真が・・・四方の長さ21m、高さ1.8mにも
水煙や金銅の風鐸なども出土している。
      

訪れる人は少なく、ここまで来たのは初めてで大安寺のすばらしさを再認識
でき、この跡地、今後奈良市はどう生かされることになるのでしょうか。

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