カメラを片手に

平城京に残る杉山古墳は旧大安寺境内だった

最低気温が4.0℃と暖かな朝、霞んだ春日奥山の稜線から朝日が顔を出し、
晴れるのかと思えば午前10時頃に雨粒が、慌てて洗濯ものを取り入れた。
目まぐるしく変わる天候、冬と春の戦いの真っ最中なのでしょうか。
午後2時半頃からまた晴れ間も見られるように・・・
      14時半、10.1℃、62%

今日の誕生日の花はユキノシタ科・属「ユキノシタ・雪の下」英:Saxifrage
湿った半日陰が好きな常緑性多年草で、脈に沿っい縞模様の斑が入った円い
葉をつけ、初夏に下部にある2枚の花びらだけが大きな白い5弁花を咲かせる 
別名は「虎耳草 」「金糸荷」以外に耳垂草・井戸草・いどばす・いとはす・
岩蔓・岩蕗・きじん草・きんぎ草など・・・
また花の形がカモの足に似ていることから「鴨脚草」と「鴨足草」、
これは俳句で「ゆきのした」と詠ませる。
      『神水の飛び散りぬらす鴨足草』中島徳子

 花言葉は「切実な愛情」「恋心」
      2/8自宅

さて昨日訪れた『大安寺』、連れ合いを送っていっただけではありません。
大安寺その元は、聖徳太子が平群に建てられた『熊凝精舎』がその草創とされ
るが、飛鳥時代の藤原京で「百済大寺」、「大官大寺」となり、奈良時代に
平城京内の左京六条四坊から七条四坊という寺域に移り「大安寺」となる。
      

南都七大寺の一つで「南大寺」とも呼ばれ、大安寺式の大伽藍を誇っていた。
西の薬師寺に対峙する国家鎮護の寺であったが、平安時代前半までは東大寺、
興福寺と並ぶ大寺であり、南に残る塔跡に昔日の威容を偲ぶことができる。
      

寺に大安寺様式とされる奈良時代・重文指定-本尊「木造十一面観音立像」、
「木造四天王立像」、「木造不空羂索観音立像」、「木造楊柳観音立像」など
九体の天平仏が安置されています。
ただ現在収蔵庫建設中、昨年春から奈良国立博物館、1月3日~3月19日まで
東京国立博物館」にて、特別企画「大安寺の仏像」展が開催中です。
大安寺の天平仏7体(不空羂索観音、聖観音、楊柳観音、多聞天、持国天、
増長天、広目天)などが展示されている。
      
     
目的は旧境内に残された「杉山古墳」で、平城京内に残る貴重な古墳です。
垂仁天皇陵、開化陵とこの杉山古墳だけが残っている。
平城京造成時、地形を利用した古墳の殆どはくずされて造成に用いられ、
お墓自は周辺へ移設されていると考えられている。

残された貴重な古墳、残される理由は藤原家の所縁の古墳?との考えも・・
      

さて当古墳は春日公民館・大安寺分館前からで、地域ボランティアが管理され
月水金はお休みですので、御注意を!
      

5世紀後半(古墳時代中期)に造られた造り出し部を持つ前方後円墳で、墳丘長
約154m、後円部の直径約80mで、周囲に濠があり全長は200mを超える。


なお平成5年度の杉山古墳の発掘調査の際、前方部の南斜面で見つかった6基
の瓦窯『杉山瓦窯跡群 』、燃焼室、焼成室、煙道からなる構造で、一度使用
したとみられる瓦(あるいは塼)を利用して、構築されている。
出土した瓦などからみて、奈良時代末から平安時代にかけて、大安寺の修理に
使用された瓦を焼いたものと思われた。
この際の発掘で、大安寺の造営の際にも、前方部から土砂や葺石が運び出され、その跡地に瓦窯は築かれたようで、杉山古墳は大安寺の資材調達の場で
もあったと考えられている
      

古墳へも上ることができ、前方部の頂上付近から南の大安寺が少し見え、
さらに東の若草山、西の生駒山も見渡せ、奈良時代へタイムスリップ。
大安寺の伽藍が・・・


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