曇り空朝、最低気温は0.3℃で時折陽が射し込む。昼過ぎにやっと雲が取れて
晴れだし最高気温は9.6℃、久しぶりにサンルームから暖気が流れ込んだ。
ところで明日以降、週末になるほど気温は上昇し、来月2日には20℃越えで
一気に春になるようです。
この気温の変化は体に堪えますが、待ち遠しかった春、ありがたい。
TVではサクラ(ソメイヨシノ)の開花情報です。
この寒さで遅れると思いきや、南九州と東京では3月21日、昨年よりも全国的
に早まる予報とのこと。なお大阪は3月27日

さてNHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「カンヒザクラ・寒緋桜」です。
中国南部や台湾に自生するバラ科の落葉亜高木、一重咲・紫紅色の小輪花、
沖縄の石垣島や久米島でも見られるが外部から持ち込まれた可能性がある。
江戸時代に本州に伝わり、関東地方では3月上旬~中旬までに開花する。
和名の由来は寒い時期から濃紫紅色の花を咲かせることからで、この桜と日本
産の桜と交雑させ、早咲きのカンザクラ系統や花色の濃い諸品種が生まれた。
旧暦正月に咲くため「ガンジツザクラ・元日桜」や「ヒカンザクラ・緋寒桜」
という別名もある。
花言葉は花弁の濃紅色から「あでやか」

昨日の続き「冬のならまち路地めぐり」今回は本子守町の「率川神社」です。
全開の日蓮宗「常徳寺」の東側の路地を入れば、境内になる。
当社はサクラではなく、ササユリ祭で有名な三輪明神大神神社の摂社です。

まずは「本子守町」、コトバンクによれば、
上三条町の南で、町の南を率川(子守川)が西流し、率川神社(子守社)が鎮座。
*町々の由来、名所旧跡の由緒など記載の「奈良曝(ざらし)」1687年刊では
「町役廿九軒。上三条の横町林の小路と云町の通りを三条南へ入町。
西の側に子守明神有。子守の宮の前とも云」とある。
*「大乗院雑事記」文明元年(1469年)八月一日条に、遊女屋が多いと。
「近日傾世倍増之間、子守并南室・西天害以下在々所々女屋発向了」
率川神社に関係した地名と思われ、HPを見れば
率川神社は推古天皇元年593年、大三輪君白堤(しらつつみ)が、勅命でお祀り
され、延喜式神名帳に率川坐大神御子神社(三座)と記され、
安産・育児・息災延命の神として、広く信仰されています。
祭神は中殿は「媛蹈韛五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)」 姫神
向かって左殿に「狭井大神(さいのおおかみ)」 御父神
向かって右殿に「玉櫛姫命(たまくしひめのみこと)」 御母神
中殿の姫神を挟んで、左右の御殿には御父神と御母神が、まるで姫神を擁護す
るように鎮座するので子守明神(こもりみょうじん)と呼ばれ、地名の本子守町
(ほんこもりちょう)もこのことより起こると。
*本殿は一間社春日造(間口一間、切妻造妻入の建物の正面に庇をつける)
檜皮葺の建物が三棟並び、各殿の間を塀でつなぐ。
建築年代は、蟇股や木鼻の彫刻から江戸時代初めと考えられている。

写真はHPより
さてお参りですが・・・手水舎で浄めます

その横に本社大神神社、遙拝所も(後で参りました)

蛙石もあり「カエル」から繁殖力、命の再生、豊富、裕福のシンボル「・・・
かえる」として健康回復・旅行安全・金運アップ等を願い撫で「撫で蛙」と。

まず拝殿の前の幣で書かれている通りに従い、自分で👇お祓いを行いお参り。

今年の干支が描かれている。

やすらぎの道側に摂社「率川阿波神社 」と末社の「春日社」と「住吉社」

「率川阿波神社」は、奈良市最古の事代主神さま(恵比須さま)をお祀りされ、
初戎の毎年正月4日と5日は商売繁盛を願う多くの参拝があります。
『延喜式』にも見える古社で、社伝によれば光仁天皇の宝亀年間770年代に
藤原是公が西城戸町で創祀したとされたが、明治期には小祠を残すのみとなる
1919年に率川神社の境内に社殿を建立、1959年に境内整備に伴い現在地に。

「住吉社」 「春日社」


やすらぎの道沿いに、平成9年の建立された万葉歌碑:巻7-1112番 詠人不詳
『はねかづら今する妹をうら若みいざ率川の音のさやけさ』
原) 波祢蘰 今為妹乎 浦若三 去来率去河之 音之清左
意) はねかづらをつけた彼女は初々しいのでいざ誘ってみようか、
という、その率川の川音の清々しいこと。

その川も今は暗渠となり、この先で分水されているというが・・・
これで、この冬のならまち路地巡りは終わりに。