今朝は冷気が網戸から入り込み、最低気温は24.0℃と熱帯夜を逃れた奈良市内
午前中からカンカン照りで、36.3℃迄上がる猛暑日の一日、午後3時前から
雲が湧きだし、午後4時前には雷鳴と共にドッと短時間降った。
小庭の水遣りは必要ないようで、蚊に刺されずに済むのは嬉しい限り。

さてNHKラジオ深夜便今日の誕生日の花は「ムクゲ・木槿」
原産地は中国とされたが実は不明、アオイ科の落葉低木だが3mほどに達し、
夏の盛りに色鮮やかな大きな花を次々に長期間にわたり咲かせる。
11世紀末から12世紀の『類聚名義抄』では「木波知須(きはちす)」と記載さ
れており、この木波知須から単に「波知須・ハチス」とも呼ばれていた。
和名ムクゲの由来は、漢名「木槿」の音読みである「もくきん」が転訛した。
和名ムクゲの由来は、漢名「木槿」の音読みである「もくきん」が転訛した。
韓国では国花、日本では夏の茶花として重宝されており、連れ合いが今朝に
活けた茶花、真ん中に入れていた。

花言葉は「デリケートな美」「柔和」

昨日のブログの蓮長寺の西隣にある「南都総墓所 草鞋山西方寺」を今回記す。

西方寺HPより
元は、聖武天皇神亀年間(724年~729年)に行基菩薩によって、奈良坂を見渡せる多聞山(現在の若草中学校付近)に創建されている。

室町時代1559年、戦国武将「松永弾正久秀」が多聞城を築くにあたり、正親町
天皇の御綸旨を仰ぎ、東大寺の僧祐全上人によって万物万霊の菩提を弔う寺
「南都総墓所」として現在の地に移築再興された。

西方寺の山号は「草鞋山そうあいざん」と号した理由は、室町時代の附近一帯が「草鞋野わらじの」と呼ばれていたことに由来する。

山門を抜けると、右側に樹齢450年を超す年代物の大イチョウがある。
室町時代の移転再興時、中興開山「祐全上人」が火災・水難等一切の災難から
この寺を護れかしとの悲願を込めてお手植えになられたという。
毎年11月の十夜法要時に、この銀杏をお供えの後、参拝者に厄除銀杏として
配られている。

山門を入れば、坂道の上に本堂が建つ。
1740年に一度焼失し、宝暦七年(1757年)に再建されたものです。

本堂前で、手を合わせお参りさせていただきました。

御本尊「阿弥陀如来坐像」は重文で、平安時代の高僧慈覚大師の作と伝える。
両脇の観音菩薩立像、勢至菩薩立像は鎌倉時代初期の作で、この三尊は室町
時代の西方寺再興時には確実に祀られている。
境内には「西方寺音頭」の碑と

萬葉歌碑、山上憶良の「子等を思へる歌」が刻まれ、「犬養孝」氏が揮毫され
1994年の除幕式には歌碑前で自ら独特の犬養節で詠われました。


墓地方向には十三重石塔が建つ

更に西の舟橋通りの入り口にある「曼荼羅坊」の3階屋上に、境内墓地に葬る
御先祖様を見守る「みてござる観音」が祀られている。

左手に蓮の華を持たれた「観世音菩薩立像」で、高架になったJR奈良線から
見えていたのは、この観音さんでした。
