うっすらと屋根に雪が残る朝、最低気温は-0.3℃、早々に屋根の雪は融ける。
その後午後2時までは雪がちらつき気温も1℃台が、雪が止み晴れれば最高気温は5.6℃迄上がっている。
11時頃、東に微かに見える👇若草山は麓まで雪に覆われている。

この厳しい寒さもこれが最後、行きつ戻りつして春へとむかうようだ。

さて今日は江戸期の俳人・内藤丈草の忌日で「丈草忌」だが、 たった句歴4年
27歳の若さで夭逝した俳人「芝不器男」の1930年の忌日、「不器男忌」です。
今日で没後95年、絶筆は
「一片のパセリ掃かるゝ暖炉かな」
俳人「横山白虹」、彼を評し「彗星(コメット)の如く俳壇の空を通過した」と
愛媛県生まれで、小学5・6年生の頃に子規をはじめ多くの句集を好んで読む。
吉岡禅寺洞の「天の川」1926年1月号で一躍巻頭を飾り、彗星の如く現れた。
古語を生かした情趣の深い作風で、故郷の自然や家族を多く俳句に詠んだため
『望郷の俳人』と呼ばれている。
俳号「不器男」は本名、父が『論語』の「子曰、君子不器」から名付けたと。
(子曰く、君子は器ならず)
『椿落ちて 色うしなひぬ たちどころ』不器男
『卒業の 兄と来てゐる 堤かな』 不器男

生家を改装して『芝不器男記念館』が開館、毎年命日に「不器男忌俳句大会」
が開催され、今年も松野町役場庁舎2階大会議室で71回目が開催された。
2002年は生誕100年を記念し、芝不器男俳句新人賞が設けられており、
2030年の没後100年、楽しみですね。 合掌
ならまちの寺社探しは、奈良市北向町の「常徳寺」に。

来迎寺を北に進めば、見覚えのある道「率川の暗渠部」に突き当たる。
若草山南麓から奈良公園荒池をへて猿沢池へ、その後暗渠となる率川です。
沿って傳香寺へと思ったが、橋石がある道、古い町屋もある通りを北上した。
突き当たれば奈良県で珍しい日蓮宗寺院で「法性山 常徳寺」の山門でした。

伝承によれば、立正大師「日蓮上人」が南都遊学中に起居していた大仏殿北方
にあった東大寺塔中「法性房」を南北朝時代1340年に中山法華経寺3世浄行院
日祐が改宗され「常徳寺」と命名され、1599年に現在地に移転したと。
扁額に康安元年(1361年)の刻銘があり、江戸時代には末寺四ヶ寺を擁すが、
現在は大宇陀・妙福寺と壺阪山・常照寺が残る。

本堂は、棟札の「貞享三丙寅暦」の記から1688年に建てられたことが判明、
小規模で簡素ですが、特徴は寄棟造の二重屋根の外観、正面の吹き放しの広縁
を外陣、その中央三間を内陣、両脇を脇陣とする日蓮宗本堂の基本に従う。
軒廻り・小屋組まで当初の形態をよくとどめ、県下における数少ない日蓮宗
本堂として貴重な遺構であるとされ、奈良県指定文化財となっている。
ご本尊は「十界曼荼羅」です。

本堂前にある

ふとその手前にあるお堂に気が付きました。

扁額に、中央「朝日妙見大菩薩」右「鬼子母大善神」、左「七面大天女」名が

享保年間(1716年-1737年)に柳生藩家老小山田主鈴が奉納した朝日妙見大菩薩
が祀られているようですね。

手を合わせて後にしましたが、一度本堂に上がり、お参りをさせて頂きたいと
強く願っております。