カメラを片手に

笠置寺の弥勒摩崖仏と紅葉

暖かな朝と思えば、最低気温は12.2℃と10月下旬頃の気候です。
朝から厚い雲に覆われていたが、午後2時過ぎから陽が射し始め、17.5℃まで上がった。
      13時20分、16.4℃、72%

今朝は年一回の定期健康診断があり、朝飯を抜いて受診した。
20代より体重が12キロ以上増え、間食を止め、食事も節制したためか体重が
昨年より2kgも減ったが、腹囲がまだ85㎝を越えている。ややがっかり!
なお採血をしたので、追加で今年も前立腺マーカーPSAの検査をお願いした。

帰り道、雨上がりの遊歩道での紅葉です。
      

谷筋で鮮やかな紅葉ではないが、カエデにハエと水滴が・・・

さて見事な紅葉は、この16日(水)と19日(金)の二回、笠置寺での紅葉狩り。
16日は柳生公民館主催行事で「秋の柳生から笠置寺」で片道5kmを歩いた。
18日は、我がきれいな紅葉だったと自慢げに話せば、スケジュールに空きが
あるのはこの金曜日、朝からパン造りで終わる昼から連れて行けとのたもう。

鹿鷺山(しかさぎさん) 「笠置寺」は東大寺に奈良時代から受け継ぐ「お水取り」
の発祥地、平安時代以降、末法を救う弥勒の聖地・巨大な摩崖仏の弥勒仏を
本尊し、南都仏教界の高僧、解脱上人を迎え、最盛期を迎えている。
      

さらに鎌倉幕府を倒した第96代天皇で、足利尊氏に破れ1331年南朝初代天皇
となった「後醍醐天皇」の 南朝の仮の皇居でした。
      

山門で、筋土塀は五本筋、御所や門跡寺院に用いられる最上の格式を示す。
実は昭和天皇ご即位後の大典の際に、皇室より五本筋の使用が下賜される。
      山門

正月堂に向かえば・・・
正月堂は弥勒摩崖仏の礼拝堂で、752年東大寺実忠和尚が千手堂で修行の折
十一面観音をまつり、第一回目がこの正月堂で行われた。
創建の建物は元弘の戦で焼失したが、室町時代東大寺貞盛和尚が復興した建物
という。          👇正月堂
      11/18

      

正月堂脇に日本最大の15mの摩崖仏で、花崗岩に弥勒菩薩が彫られていたが、
戦乱等で正月堂が3度も燃け落ち、下部から消え風化によってもさらに全体像
が不明になり、光背が往事をしのばせている。
左横の十三重石塔は鎌倉時代、奈良仏教界のエースとして活躍し、笠置寺を
拠点とした「解脱上人・貞慶」の母を供養する石塔だと伝わる。 
      

近年レーザー照射にて高低差を測れば、中央が高く線刻よりも浮彫りと類推。
  

摩崖仏にはこんな話が・・・
天智天王の皇子が鹿狩りに訪れたが、この崖の上で馬が動かなくなる災難に。
      笠置寺縁起絵巻
祈願の末山の神に助けてもらい窮地を脱し、皇子は祈願した場所の目印
に笠を置いて帰る。弥勒仏をそこに彫ろうと再び入山し、笠を探していると、
白鷺があらわれ皇子を案内したという。
彫ろうとすると大きすぎて困りはてたが、天人が舞い降り一晩で弥勒菩薩像が刻まれたと伝えられる。
皇子が笠を置いた石を笠置石、山を鹿鷺山と称し今日の「かさぎ」の由来と。
             👇巨岩の間の丸い石が笠置石        
      



実は672年の壬申の乱で皇子は殺されたが、災害が続き皇子の霊を慰めるため彫られたという。奈良時代中期には彫られていたとの記録があり、伝説の天人
とは中国から来た渡来人を差すようだ。
      笠置寺縁起絵巻


      

お話しいただいた住職様がお帰りに。
      

 笠置山の巡礼に向かいます。

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