カメラを片手に

契沖忌とは

奈良の今朝は一番冷え込んだと感じたが・・・氷点下1.8℃だった。
      11時半、6.3℃、69%

120年前の今日、1902年北海道旭川市で日本で一番の最低気温になった日、
公式記録として-41.0℃を記録している。

大寒の中、小庭で咲く花は少なく、連れ合いは活ける花に苦労しており、
蝋梅と椿に頼るしかないようだ。

玉椿それもつひには朽ちぬべし千代も八千代も夢にやはあらぬ契沖
                          (漫吟集類題)
無常を詠われており、今日は江戸前期の真言僧にして古典学者・歌人の
『契沖』の1701年の忌日で『契沖忌』になる。 
尼崎生れ、古典の仮名遣いを研究し「和字正濫抄」を著され、現在の中学・
高校で習う「歴史的仮名遣い」へと洗練されていく契機になっている。
また徳川光圀により『万葉代匠記』の執筆を依頼されるほど。
その後国学の四大人の一人「本居宣長」は契沖没後100年目、死ぬ間際70歳の
春(1801)、わざわざ大阪の圓珠庵(現在は非公開)へ墓参りをされている。
契沖に対する尊敬心の現れですね。  

知れば知るほど興味の尽きない「契沖」、勉強不足で一旦ここまでに。

また「玉椿」は「白玉椿」の異称で、小庭に植えたが何故か大きくならず、
蕾が一つだけだ。
その代わり、近くの「枝垂れ白梅」、咲きそうで咲かず、蕾は固そう。
      

ウメで思い出されるのは、飛梅伝説の『菅原道真』公、邸宅の庭の梅を見て
東風吹かば匂ひ送来せよ梅の花 主無しとて春を忘るな』と詠み、
901年の今日、左大臣・藤原時平の讒言で醍醐天皇が太宰権師に左遷され、
都を旅立たれた。
無情にも二年後の903年2月25日に大宰府にて亡くなる。

花が少なく、寒さで出不精が復活し、ブログのネタに困っている。
サンシュユ・山茱萸』の蕾が割れて黄色が見えてきたことぐらい・・・
      

      


今年は開花が早いように思われますが・・・

連れ合いの友達が、ウグイスの初鳴きを聞いたとも伺っている。
ただ気象庁の「生物季節観測」が昨年1月から大幅に縮小されており、
この『初鳴き』も対象外になっている。
記憶では奈良での初鳴き、2月初めが一番早かったようだが、
まだ一月なのに、今年の春は早い様かもしれませんね。

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