カメラを片手に

奈良町地蔵巡り⑤飛鳥神社、京終地蔵院から京終駅へ

霜月になり、最低気温は10.7℃とやや冷え込むも平年並みの奈良、
季節外れの黄砂の影響か、遠くの春日奥山はぼんやり。


奈良で今季一番寒かったのは10月16日の10.3℃、寒ーーいと感じ、
早くも床暖をつけてしまったが、半月経った今朝は、人間の順応力の
素晴らしさです。休日明け冷え込むらしいが、その後は寒暖の差が
激しくなると。でも色んな意味で徐々に寒くなってほしいもの。

さて奈良町のお地蔵様巡りも最終回、実は奈良市の飛鳥公民館が
「Change the ASUKA-誇れるまちを未来につなぐ-」という
プロジェクト事業として今年一月に『飛鳥地蔵マップ』を発行され、
配布されている。飛鳥地区のお地蔵様は56か所にも及びます。


なお今回訪れたのは、ほぼ奈良町地区だけですよ。
前回は旧上つ道沿いにある「交通安全地蔵」までで、そこから西へ
歩くと、奈良に飛鳥って不思議ですが、この地名の由来となる
「飛鳥神社」があります。


明日香村の真神ヶ原(まかみがはら)に鎮座されていた飛鳥神社を平城遷都に
あたり平城京左京四条に奉還し、国家鎮護の霊社とされたことに始まります。
室町1369年に現在地に遷座、祭神は事代主神、加夜奈留美命(かやなるみ)、
宇須多岐比女命、不足留比女命(ふるたひめ)、菅原道真です。春日大社の
末社で、同じ末社・水谷神社の旧殿を1826年に移築されている。
しかし地元では元興寺の守り神ともされるそうだ。


ここから南方向へ歩くと民家と墓の入口に『京終(きょうばて)地蔵院』が。


京終とは奈良時代は北京終一番地から京終で、南都八箇村、奈良七郷の一つ
本堂には大日如来坐像を中心に地蔵菩薩立像や、十一面観音立像が安置され、
元は南西にあった辻堂の本尊で、霊験あらたかで「京終阿弥陀」とも呼ぶ。

今回の目的は、堂の外陣にある『阿弥陀三尊石仏』で「阿弥陀如来」を中心に
向って右が「観世音菩薩」、左が合掌された「勢至菩薩」で、花崗岩製の
高さ1.71m、幅広舟形、下方連座、南北朝様式を示す。




京終駅方面へ南へと歩くと、道端にも名もなきお地蔵様が


旧上つ道まで戻ると一本の木が生える「椚(くぬぎ)神社」があります。
地名は「肘塚(かいのずか)町」で、玄昉の肘が埋められていた肘塚があり、
町名もこれに由来する。一方椚神社は、弘法大師がここで休憩された折、
置かれた杖がクヌギの木になった伝説で、奈良の南の玄関口の大樹で、
辻堂もあったとのこと。このクヌギの木は何代目・・・。


上つ道という古代の街道は時代を経て伊勢街道になり、常夜燈として
伊勢燈籠が二基並んでおり、文政13年(1830年)の銘が刻まれ、伊勢参宮の
「おかげまいり」が興った年でもある。路傍で夜道を行く人々を照らし、
道中の安全を守っていたのでしょう。しかし二基並んでは意味がなく、
道の両側にあったのが、道幅拡張に伴い移動されたと考えらます。


このあたりからでは8月15日の奈良大文字送り火の高円山が


ここから100mほどで、最終ゴール地のJRまほろば線「京終駅」です。
きれいに改装され、カフェや駅ピアノもあるのです。


やっとおんぼろの通勤型直流電車105系が引退して、更新された227系が
颯爽とやって来ました。


無事帰りつくと・・・お蔵様に感謝ですね。

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