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カメラを片手に

都祁で奈良時代の官僚「小治田安萬侶の墓」に

昨夜は11時過ぎから25度まで下がれば、エアコンなしで寝ることができた。
今朝の最低気温は23.1℃、真夏のような陽差しで最高気温は34.3℃迄上がる。
今日は昼過ぎから雲がかかり猛暑日を免れたようだ。
      13時、33.1℃、42%

さてNHKラジオ深夜便・今日の誕生日の花は「ノアザミ・野薊
日本に100種ほどあるキク科の多年草アザミ族の総称、日当たりのよい山野
に生え、初夏から夏に花を咲かせ、深く切れ込んだ葉の縁にはとげを持ち、
花の色は赤紫色や淡紅色のほか白色もある。 
      

古来から親しまれているはずが、10世紀初めの『新撰字鏡 (しんせんじきょう) 』
に「阿佐美 (あさみ)」 として出てくるのが初出とされる。
    *新撰字鏡は、平安時代900年前後の漢和辞典で最古、僧・昌住 が編纂。

                      国会図書館デジタルより
和名の由来はというと、
Ⅰ山中襄太の『続語源博物誌』では、葉のギザギザの切れ込み「ギザ」から
 「ガザ」がおこり、さらに「アサミ」に転じたとしている。
Ⅱ語源由来辞典「アザミ・薊」の名の由来は未詳、別名は刺草(しそう)と
①花がきれいなので摘もうとすると、とげが指に刺さって驚くことで、
 「驚き興ざめしてしまう」という意味の古語「あざむ」が語源に。
②アザミの花の色が紫と白と「あざみたる(交じり合っている)」こと
③沖縄の八重山地方の方言でとげのことを「あざ」と呼び、接尾語「ミ」や
 とげの多い木という意味の「あざぎ」という言葉が由来となっている。
④アラサシモチ(新刺持)

花言葉は、「私をもっと知ってください」

写真は都祁水分神社位置に鳥居への道筋に咲くノアザミです。

先日都祁公民館の講座「都祁散策いにしえの道」で、都祁水分神社に伺う前
水分神社の北側「国津神社」の傍に甲岡町の「観音寺」から同じ町内ですが
「史跡 小治田安萬侶墓」を訪れた。

ここから南を見れば、都祁富士と呼ばれる「都介野岳(つげのだけ)」631.1m
がそびえている。
この同じ風景を古代の方々も見られていたのですね。


奈良時代の官僚で文武、元明、元正、聖武天皇に仕えた「小治田安萬侶おは
りだやすまろ」の墓は、1979年に茶畑から発見された「太安万侶の墓(723年没)」
よりもかなり前1912年、茶畑の植え替え時に墓誌が偶然発見され、1951年の
発掘調査で当時では珍しい火葬墓、発見された墓誌には
「右京三条二坊従四位下小治田朝臣安萬侶大倭国山邊郡都家郷郡里崗安墓神亀
 六年(729)歳次己巳二月九日」という銘があり
他に奈良三彩の小壺片、鉄製品、須恵器、土師器、さらに和同開珎銀銭10枚も
出土していると。 
 *右京三条二坊とは、現在の奈良市西大寺の南から尼ヶ辻付近に住居。 

甲岡池の横を通り、ほとんど見られない藁屋根の家が見ながら進めば・・・


この北側に聖武天皇の頓宮だったとされる地に立つ甲岡町「観音寺」がある。
鐘房が下がり、集会所に間借りされているようにしか見えないが・・・


ご本尊は「十一面観音立像」で南之庄に残る明神縁起によれば975年に庄司
則清の弟「庄司則宗」が寺家を建て、観音寺と号したとある。
      

前にはお地蔵様もおられました。
      

境内には「タニウツギ・谷空木」がひっそりと咲き  
      

小さな池には「カキツバタ」が咲いていた。

綺麗に整備された国津神社、伊賀の国で論争に負け、都祁の国の神として古代
より祀られた国津大明神の御神体を奉じて、家郷をいで立ち則清の親族の多い
河内の国高安に赴かんとして、南殿庄字上田の柏木の下に一夜を明かした。
翌朝出立せんとしたところ、御神体の白石は樹下に沈んで上らない。
兄弟困りはてているとき神のお告げがあり、此の地に社殿を作り崇め奉った。
 
入り口で頭を下げて通り過ぎました。
      

次回は来迎寺の予定です。
   

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