火怨・北の英雄 アテルイ伝 (2)族長の決意
突っ込み所が多くてどこから突っ込んでいいのかよく分からない。
とりあえず前回のレビューの際に道嶋嶋足を大嶋と書いていたので訂正しました。
道嶋です。すいません。
前回のレビューをアップした際は直後からのプレビュー数が凄くて驚きました。
天皇が桓武天皇、京都に都が移る直前の話で、日本史では必ず引っ掛ってくる時代。
桓武天皇の時代は「軍事と造作」と表現されますが、この前者がドラマで描かれている対蝦夷への軍事行動になります。
後者の造作は遷都、都造りの話。
遷都のあたりの話はよくされるけれど、宮城県、岩手県、秋田県で起きた蝦夷との戦争は一般的にはあまり馴染みがないような気がします。
ドラマの衣装はほぼ創作だと思いますが、あれだけ見ても「え?何これ日本?」だし、竪穴式住居だし…。
どういう時代なのかと思ってグーグル先生に聞いた方も多かったのかな、と。
780 伊治呰麻呂の乱
784 長岡京遷都。翌年藤原種継暗殺される
788 第1回蝦夷征討。征東大使紀古佐美(翌年アテルイらに惨敗) ←今この辺り
791 第2回蝦夷征討(~94) 征東大使大伴弟麻呂
794 平安京遷都
797 第3回蝦夷征討 征夷大将軍坂上田村麻呂
802 胆沢城設置(鎮守府移転)
年表を見るとこんな感じになります。
ちなみに歌人として有名な大伴家持が呰麻呂の乱の後、784年に征東大使に任命されて現地赴任していますが、翌年亡くなっている。
長生きしてたらアテルイらの征討の任に当たったのは家持だったかもしれませんねえ。
大伴氏は古代では物部氏(飛鳥時代に没落)と並ぶ有力な軍事氏族でした。
近代史的には「海ゆかば」で知られています。
これは大伴家持の歌にそのまま曲を付けただけのもの。
海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍
大君の辺にこそ死なめ 顧みはせじ
万葉集に載っている歌ですが、大君の辺(へ)にこそ、とあるように国家の軍を握るというよりは親衛隊、近衛的なものだったみたいですが。
強烈だよね、この歌詞。
●刀
蕨手刀が出ていました。
しかしあれでは蕨手刀なのかどうか分からない…
刀の柄頭が蕨のように丸く巻いているから蕨手刀と言います→グーグル画像先生
出土品の殆どが東北を中心とする東日本からで、これが舞草刀(もくさとう)になり、やがて日本刀に繋がっていく。
気付いた方も多いと思いますが朝廷側の人間の使っていた刀は直刀、反りの入っていない真直ぐな刀です。
蕨手刀も初期は刀身は真直ぐであったのですが、段々反りが入ってくる。
何故かというに直刀は切りつけるのではなく、突き刺すというのが基本的な使用方法。
馬上から切りつけるためには反りが必要になってきます。戦争を経て進化したんだろうね。
ドラマでは反りのあるものとないものが混在してました。
ちなみに直刀は後に儀式用として使われるようになります。
●鉄、馬
古代東北の3本柱と言えば、金、鉄、馬。
金はこのドラマでは出てきてませんが、産地としては知られています。
東大寺の大仏の鍍金に使われたのが東北の金。
で、鉄を作るという事でたたらが出てきていました。
島根県雲南市吉田町、日本に唯一現存するたたら、菅谷たたら(もののけ姫のたたらのモデル)。
アテルイが「鉄ができたー!」と叫んでたけど、あれは(けら)じゃないのか…
岩手県だと海岸沿いで良質の砂金や鉄鉱石が取れたようです。
その上山陰とは違う製錬、鍛冶技術が発達していたことが知られており、どこからの技術流入?という感じだそうで。
不思議だ…
そして昔から陸奥国の馬はブランド品です。
駿馬の産地で平安時代だと争って購入されて価格高騰、国家が軍馬の確保ができなくなるとして禁制にしたほどです。
●移民
移民の話は前回でも書きました。
柵が設けられて入ってくる移民は数百といった単位ではなく数千です。
で、反抗心の強い蝦夷は逆に移民に出されてしまう。
●
当時蝦夷の社会は集団単位(村)の族長社会。
その長が大墓公(たものきみ)アテルイであり、磐具公(いわとものきみ)モレになる。
そーゆー人が下女と結婚するっつーのはなんてーか…歴史的なセンスがないのか…
手を付けるとかならな、うん…
●夷(い)を以て夷を制す
前回のレビューで、対蝦夷の政策は基本的には懐柔策を取ると書きました。
日本的だなーと思うのですが、多数の軍隊を繰り出して武力で制圧するというのは下策だとされていた。
ドラマを見ているとずっとあんな感じで東北計略が進んできた、軍隊を送り込んで武力で抑えつけてきた、という印象を受けますが、そうでもなかったようです。
懐柔策、具体的には蝦夷に籾種を与える事だったみたい。
田んぼ、即ち米を作れるようにし→王民扱いにして→彼らを辺境軍として扱う
朝廷に恭順した蝦夷が、対蝦夷の辺境軍になっているんですな。
それが更に時代が進むと、よその土地からやって来ていた兵士を国に帰した上、蝦夷だけを柵の守りに置くようになっている。
対蝦夷の、言ってみれば前線基地を恭順した蝦夷に守らせている状態。
朝廷としては蝦夷を懐柔しながら血を流さずに城柵を設けていくわけですが、やがてその方法も破綻します。
城柵が作られるというだけでも、まあ普通は抵抗が生まれる訳で…
余所からやってくる移民にしてもこの時代には犯罪人だったりと段々質が下がってきて、ちょっと問題があったようですし。
で、伊治公呰麻呂ですが。
呰麻呂は朝廷に恭順し、対蝦夷の戦争で功績を立てて外従五位下といった位階まで持った蝦夷です。
多賀国府に仕えて伊治の大領、つまり国家のお役人になっている。
これ、呰麻呂に限った話ではなく道嶋氏もそうですが、地元の有力者に朝廷が正式に国家権力を預けているんですね。
呰麻呂らは蝦夷が何か事を起こした時に懐柔・鎮撫・制圧する側に立っているのですが、これが「夷を以て夷を制す」ということ。
ただこれ、問題がありまして上記した通り辺境軍も蝦夷なんですわ。
朝廷からすると、外側は勿論蝦夷なんだけど、内側(国家の出先機関)を固めているのも蝦夷なんだよね。
しかも朝廷が恭順した蝦夷を信用しているかと言うとそうではなく、野心があって信用できないとか恩を顧みないとか、野蛮だとか、そういう事を言い続けている。
これじゃあ恭順してもねえ…
それに蝦夷の社会もこの頃には政治的に成長、あちらこちらの集団が意思を結合するようになってきており、朝廷に抵抗する力を付けてくるようになっています。
これが暴発したらどうなるか。
移民の問題、人種的な差別、文化の押し付け、住居地の問題、自由の束縛、役人の悪政。
蝦夷側にはかなり多くの不満があったでしょう。
伊治公呰麻呂の乱は呰麻呂個人が堪えかねたというより、こうしたものが積もり積もっての蝦夷を代表しての蜂起だったという側面があったのじゃないかな~と個人的には思います。
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実は呰麻呂の乱の5・6年前からあちらこちらで蝦夷が蜂起してます。
こうなってくると朝廷としても「平和的に恭順させる」なんてことが言えなくなってきて、武力で鎮圧するという方法に出る事になる。
この時朝廷は最終的に24000人の兵士を出しているのだけれど、結果的には全面敗北に終わっています。
で、これを受けて蝦夷の勢力の南進を防ぐために按察使(あぜち)が伊治城にやって来る訳ですが、それを呰麻呂が殺害。
これが伊治公呰麻呂の乱。(話がループしとる…
その後朝廷は陸奥での軍事体制を整え、軍を組織して胆沢の辺りに送り込みます。
懐柔策から完全にシフトチェンジしてますな。
3度大きな衝突があったのですが、第2話で始まった戦争がその第1回目。
●征東大使(征東大将軍)
まだ征夷大将軍ではありません。
788年1回目の蝦夷征討の際、征東大使に任命されたのは紀古佐美(きのこさみ)。
桓武天皇から任命の際に節刀を賜っていました。
将軍に任命しましたよ、という証拠の刀で、これを賜った将軍は「持節将軍」と言われます。
この方、呰麻呂の乱の際に征東副使として陸奥に赴任した人物です。それなりに事情に通じているという辺りを買われたのかな?
ちなみに坂上田麻呂は第2回征討からの参加になります。
次回巣伏の戦いですな~紀古佐美気の毒やな~^^;
一言で平安といっても、色々あって、面白いです。
海ゆかばの歌詞は、軍艦行進曲にもありましたよね?
流用したんですかね。
私たちが思うような歴史ドラマよりは、相当古い時代です。
平安時代と一口に言っても400年、江戸時代が265年ですから初期中期後期だけでも本当に相当な違いがあります。
そういや軍艦マーチにも使われてますね。
一番最後の行だけ歌詞が違うだけなので、そのままもって来たんでしょう。