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アンドリュー・ワイエスという画家の存在をはじめて知ったのはいつだったろうか。
埃っぽい美術教室の画集の中にみつけたのかもしれない。デッサン用の木炭、パンのかけら、イーゼル・・・。窓から入る午後の日差しに小さな埃の粒子が舞い、とろんとした眠たさが漂っていた。こういうのは、そうだな、脳の記憶というよりも、感覚の記憶に近い気がする。
「Wind from the Sea」・・・「海からの風」と題されたその絵には、海はほとんど描かれていない。窓辺を揺らすレースのカーテンと、広がる景色、轍のような細い2本の道、その先に少しだけ顔をのぞかせている水面の鈍い輝き・・・。これが海かな、そうかもしれないし、これは川か湖で、本当は海なんてはるか遠くにあるのかもしれない・・・などと、ぼーっと思いめぐらしながら長い時間その絵を見つめていた。
ふたたびこの不思議な感覚を味わうのは、大学入学とともに初めての一人暮らしを経験して、すぐ。隣に住む先輩の部屋に招かれたとき、壁に大きく飾られていたのが、同じワイエスの「クリスティーナの世界」だった。丘の中腹、腰をねじるように背を向けて丘上を仰ぎ見る一人の女性。その先には2軒の家。彼女の表情は見えず、説明もない。じっと見つめていると、音がないのに音が聞こえるような気がした。それは時によって、風が揺らす草のざわめきだったり、女性の放つ小さな叫びであったりした。
4回生だった先輩は、部屋を出るときにその絵をわたしにくれた。それがいまでも我が家の壁にある。
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高橋大輔、四大陸エキシビションの 『 The Crisis 』 。
不思議なことに、わたしはあの時の浮遊感のような感覚を思い出した。今季、生観戦も含め何度も見ているcrisis。いままでに比べてより切ない表情で迫ってくるわけでもなく、キレキレというわけでもない。
それなのに、なんなんだろう・・・この感覚は。
背中を見せる彼の表情が見えるような気がする。次の瞬間、大写しになる表情。けれど、どアップなのに何故か見るべき焦点が定まらない。画面いっぱいにひろがる彼の眼差しの向こう側、その先を見ているような気さえする・・・。今見ているもの以上の空間を見つめているような気がしてくるのだ。
過去、ほとんど青一色だった照明に、今回は赤が混じり、重なり合い、紫になったり、ピンクになったりする。いつもなら気になるはずなのに、気にならない。赤が一瞬かすめても、紫にとりまかれても、彼の紡ぎ出す世界に触れることはできない。
この演技をどう感じているのか・・・自分でもよくわからない(好き嫌いではなく、どう好きなのかという点だが・・・)。でも、何年先でも、何十年先でも、この日の不思議な浮遊感とともにわたしはきっと思い出す。
四大陸のcrisisは、わたしの記憶の螺旋の中に、感覚として巻き込まれて、落ちていった・・・。
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