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にゃんこのヨガ的生き方

毎日をゆったり、元気に機嫌よく暮らす

父のこと

2025-05-03 20:34:01 | 老い
昨年秋、父が介護病院に入所しました。月に1回、父に会うために帰省しています。
入所直後はそれなりに元気でしたが、会う度に少しずつ衰えていっているのを感じます。

もうずっと帰れていないけど家はどうかな。いつ帰れるのか聞いてみようと思う。携帯を持ってくればよかったな。友達にメールをしたい。
今年の1月、父はそう言いました。
元気になって帰れるといいね。私はそう言うことしかできませんでした。

最初の頃、父は自分で車椅子に乗ってトイレに行こうとしていたらしいのですが、施設側としては何かあっては困る。
センサーマットが敷かれ、自由にベッドから降りることができなくなりました。
トイレはポータブルトイレになりました。

今はもうたぶん、ベッドから自力で降りる体力はありません。
車椅子に乗せられ食堂に行く。フードプロセッサで柔らかくした食事をとる。ベッドでTVを見る。することと言えばそのくらいのようです。

病院にいれば安心だとは思います。
同居していた妹家族の負担もなくなりました。

色々悔やんでもしょうがない。
先日会った時、父はそう言いました。それがどういう意味なのか、私は尋ねることができませんでした。

いつぞや父に面会した後、バスを降りてデパ地下に入りました。
明るいフロアで、お菓子、お惣菜、お酒、様々な商品が売られていました。
たくさんの人が楽しそうに行きかい、購入するための列に並んだりしていました。

行きたいところに行く。したいことをする。
行ってもいいし、行かなくてもいい。したければすればいいし、しなくてもいい。
選択肢があるということ。
当たり前だと思っていたことが、実は貴重なことなのだとその時痛切に思いました。

今の父には選択肢がありません。
誰もが人生の最後にはそうなる可能性があります。

いつかはわからないけれど、そう遠くない将来、父とお別れする時がくるでしょう。
そして次は私の番です。順番です。
老いていく姿。どのように人生に別れを告げるのか。
それを子どもに見せるのが親の最後の仕事なのかもしれません。
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ブログを見返してみて

2024-01-28 20:28:36 | 老い
ブログを始めて12年。
以前の自分の投稿を見返してみました。

映画のことや日々の暮らしのこと。
ああ、こんなことがあったんだね。当時私はこんな風に思ったんだね。

記憶だけだと指の間からさらさらとこぼれ落ちていってしまうことが、こうやって書き留めておくことでかたちとして残っている。
しまってあった箱を開けてみたら中に古い手紙を見つけた時のような感じ。

以前の私はもっとしなやかだった。
色んなことに興味があった。
心も身体も若くて瑞々しかった。

以前に比べ私は、あきらかに心が干からびてきています。
それでもこうやって当時の記憶を辿ると、懐かしさとちょっとした痛みを覚え、(これでいいのかな)と思えてきます。

やっぱり人は記憶を燃料にして生きていくものなのだと思います。




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有休に思うこと

2023-11-22 10:30:39 | 老い
事情により今週有休を取りました。土日と土日で挟んで九連休です。

沖縄離島か奄美へ行きたいと思ったのですが、決心がつきませんでした。
こっちは寒くて気分が上がらないし、お日さまは夏と違うだろうし、ウェットスーツ着なくちゃならないだろうし、だいいち何だか面倒でかったるい。
Webで何度も航空券の価格を見、行きたいところリストまで作ったのですが、結局stay home。

(島に行かなくても近場の海や温泉に行けばいいや)とか、(ずっと行きたかった新大久保や、XXにXXを食べにいけばいいや)とか思っていましたが。私はほんとにそれをしたいの?暇だからそう思っただけじゃないの?と今では思います。

ここ2-3年でしょうか、自分の中の機動力が低くなっているのを感じます。
何かに興味を持つということが少なくなりました。以前は買い物や外出が好きでした。映画を観に行ったり、語学を習ったり。今はせいぜい三線を弾くぐらい。
自分が何を好きなのか、何をしたいのかがわからない。
もう仕事なんか辞めたいなぁと思いつつ、仕事を辞めて何をしたいのかというと、大してしたいこともない。
身体を動かすことは気持ちいいけれど、それは調整であって、したいこととは違う。

(家でゆっくりするのもいいじゃん、暇で上等)と思う一方、何もすることがなく九連休が終わるように、いつの間にか自分の人生がこのまま終わるんじゃないかと危惧する気持ちがあります。私も還暦。自分の人生、これでいいのか、見つめ直しているんですかね。

今回、思ったことがあります。
身体に悪いことがなく、痛いところがないのは得難いこと。
文句を言いつつも働ける場があるのは有難いこと。

あとは自分の残りの人生をどう過ごすか。私の課題です。



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自然体で

2018-07-16 21:11:51 | 老い
着飾りたいという欲望がなくなり始めたのが6年前。それから状況は変わりません。

年明けからヘナを使うことをやめました。生え際あたりにブツブツができて痒くなってしまうのです。ヘナを使わなくなって半年、白髪が目立ちます。一時期使っていたルーセントパウダーやチーク、マスカラも使用をやめました。やはり肌にブツブツが出たり、痒みが出たりするのです。

自然体で生きていきたい。身体に負担をかけたくない。実際より良く見せるために無理したりしたくない。「精霊の守り人」で、ジグロ役の吉川晃司が白髪でいい味を出していたのも、パリのマダムたちの白髪のスナップショットを集めた本を見たりしたのも契機となりました。

私は私でいい。誰かの気を引くとか、誰かに気に入られるとか、そんなことで自分に負担をかけたくない。

私の髪は今、白髪交じりです。全部が銀髪になるのも悪くないかも、と思います。







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ホルモン補充療法をやめました

2018-04-28 23:15:07 | 老い
ホルモン補充療法をやめました。

きっかけは人間ドックで乳がんの疑いがあると言われたこと。結果としてはシロでしたが、ホルモン剤が何らかの影響を与えているかもしれないと言われたことで、立ち止まって考えることにしました。

1か月に一度薬をもらいに行くのがめんどくさい
もうないはずなのに、薬で起こしている生理が鬱陶しい
自然体で行きたい

正月休みを機に薬をやめてみましたが、別段変わりはありません。(また鬱状態になったらどうしよう)とか、(髪が薄くなったらどうしよう)などの心配も杞憂でした。

むしろ今の方が塩梅いい。もう大丈夫。身体はとうに混乱状態から抜けて、老いにシフトしていたんですな。

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老い、そして映画など

2016-02-20 23:23:15 | 老い
以前の自分のブログを見て思ったのですが、ここ最近映画も芝居も見なくなり、本も読まなくなりました。三線を弾くのが楽しくて、時間があれば弾いているというのは確かにあります。でもそれだけではありません。何かにつけ興味が薄れてきています。色んなことが面倒くさくなってきています。(年を取った)と自分で思います。人はこんなふうに年老いていくのでしょうか。

えどにしきさん、あなたがブログに「私を構成する9本 映画編」で「ピアノレッスン」を挙げているのを見て、久しぶりに映画を観たくなり、DVDを取り出してきました。

LEONは私も好きです。たまらなく切ないですよね。

今度よかったらDVDをお貸しします。タイトルは「オールアバウトマイマザー」です。

今週末はStar Wars3ではなく、シリアス系を観ることにしましょう。

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天命はまだ知らないけれど

2013-12-10 20:57:52 | 老い
50才になりました。区切りがいいです(笑)。

子どもの頃、40才だの50才だのというのは、ひとかどの大人だと思っていました。

自分がこの年代になってみて、精神的には若い頃と大して変わっていないような気がします。勿論、仕事でも私生活でも経験値は上がります。思ったことを言えずに口ごもり、後からぐずぐず考えるということはなくなりました。人の言説を受け、自分のものであるフリをするようなこともなくなりました。

それでもアタマの中は、若い頃と大して変わっていない。なのに身体は老いていく。この戸惑い。これも自分の番になって初めて判ることなのかもしれません。年を取って、私は少し寛容になりました。自分が弱くなったからです。物忘れをする。間違いをしでかす。自分がするので、他の人を責められません。

はい。年を取って初めて判ることはたくさんあります。人生の愛おしさ、儚さ、哀しみ。これからきっと、もっと色んなことが判るようになるのでしょう。

うん、悪くない、悪くないよ。







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最期の時

2012-10-04 21:34:52 | 老い
現在朝日新聞夕刊に、コラム「認知症のわたし」が掲載されています。

10/4本日は、福岡市の「宅老所よりあい」について。
築100年近い民家に、認知症の高齢者が通ったり、暮らしたりしています。よりあいの代表は下村恵美子さん。

50年間営んだ文具店を畳み、ひとり暮らしの末入居した女性 幸子さんが、ここで最期の時を迎えようとしています。
下村さんが、幸子さんの口にスイカを運びます。

『午後5時50分、下村が和子(幸子さんの義妹)に声をかけた。「名前を呼んであげてください」。「幸子ねえさん」。長い間をあけて呼吸を4回した後、幸子は83歳の生涯を終えた。』

よりあいは現在、第3よりあいまでできたそうです。
100人余りから1億2千万円の寄付が集まったと。

誰にでもいつかは死が訪れます。死を迎えるのがいくつの時であっても、死は厳かなものです。
できることなら静かに安らかに最期の時を迎えたい。

お金ではない結びつき、このような試み、このような試みに関わる人々。
私には何ができるだろう、と考えさせられました。

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期間限定、残された時間

2012-07-03 20:59:25 | 老い
娘との時間が期間限定であると、知っていたはずでした。
彼女が大学生の時に一度、アパート暮らしをする/しないという話がありましたし、
だいたい、結婚すれば物理的な面から同居は無理。

今回、8月にこの家を出て行くと具体的に言われて初めて、
彼女との時間がいかに貴重であるかを実感しています。

いってらっしゃいを言う時、手を握る。
おでこをくっつける。
帰宅すれば抱き締める。

(こんなことができるのもあと一ヶ月)と思うと、そうするしぐさに、
いつも以上に彼女を愛おしく思う気持ちがこもります。

彼女とのたわいない会話、笑い。
彼女が見せる、物事に対する考察、的確な判断力、記憶力。
彼女がいなくなったら、はりあいのない、寂しい思いをするのでしょう。

期間限定、残された時間。
やがて来るとわかっていたはずなのに、
なんだかんだ理由をつけて考えることもせず、いざその時が来て慌てふためく。

自分の死も同じなのかもしれません。
いつか最期が来るとわかっていながら、心の中では他人事。
毎日のあわただしい日常に取り紛れ、先送りをする。
そしてある日突然、事実を眼前につきつけられ、初めて残された時間の貴重さを意識する。

私は想像力が足りないのか、いつもその時にならないとわかりません。
いつか来るその時のために、少しづつ向き合っていかなくては。

でも。何事も限りあるからこそ愛おしいのもまた事実。
命が永遠に続くのであれば、誰も命を重んじたりしない。


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順番

2012-05-03 11:49:52 | 老い
年を取らないとわからないことがあります。
年を取って初めてわかる感情があります。

例えば。
子どもは自分の人生に夢中で、希望とともに独り立ちしていきます。
それは子どもにしてみればごく当たり前のことです。
でも親にとってみれば、寂しいもの。

若い頃は、年を取ることの寂しさはわかりません。
自分が老い始めて、初めて親の悲しみや寂しさを知り、
親のことを気にかけるようになります。

あの時こう思っていたんじゃないか、こう感じていたんじゃないかと、
何かの拍子に思い出すことがあります。
その心情を思うと、今でも胸がつまります。

皆、順番なんだ。
皆、そうやって繰り返してきたんだと、今になってわかります。
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