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にゃんこのヨガ的生き方

毎日をゆったり、元気に機嫌よく暮らす

見えるもの、見えないもの

2012-03-25 21:21:04 | こころ
大学の時、先輩に仏教に入れ込んでいる人がいました。
数々の仏典にあたり、瞑想を行うという不思議な人でした。

その人が言いました。
瞑想していると時々、自分が身体から抜け出るんだよね。
いつのまにか天井のあたりに自分がいて、
下に瞑想している自分の身体が見えるんだ。

私たちはそれを聞いて爆笑したものでした。

家族の知人は以前、仏門に入り修行に励んでいたそうです。
厳しい修行に励んでいる間、隣に立った人の心が読めるようになった。
まるで鏡に映るかのように、その人の心が見える。
還俗したら読めなくなった、と。

滝にうたれる、ヨガを行う、食事を最低限にして読経を続ける。
体を極限に近い状態に持っていくことで、
見えなかったものが見えてくることがあるのかもしれません。

私も何度か瞑想してみましたが、未だに離脱には成功していません。
雑念多いしね。
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過去、自分を立て直す

2012-03-04 21:05:00 | こころ
私の両親は聴覚障害者です。
彼らとは、手話・口話で会話してきました。
私は小さい頃から、両親と外界の間に立って通訳をしてきました。
物怖じしている暇はありませんでした。

両親はいつも私を頼りにしていました。妹は数歳年下でした。
「自分がやらなければ」という義務感が、常に私の中にありました。
ほんの小さな頃から18才で家を離れるまで、そんな生活が続きました。

10年ほど前、とあることで心療内科にかかりました。診断結果は『パニック障害』でした。

あなたはアダルトチルドレンです。
両親が耳が不自由だったため、子どもの頃から
大人の役割をしてこなければならなかったことが原因です、と。

その時の状態を、自分の境遇のせいにされるのに納得がいきませんでした。
自分と両親のそれまでを、否定されたような気がしました。
口惜しいような気持ちで、私は医師に言いました。
何でそんなこと言うんですか。両親が耳が聞こえないなんて関係ないでしょう。
そうくってかかりながら、私はぼろぼろと涙をこぼしていました。

じゃあ、なぜあなたは泣いているんですか。
耳が聞こえないなんて関係ないと言いながら、涙が止まらない。
それはあなたが泣いているんじゃないんですよ。
あなたの中の、小さかった頃のあなたが泣いているんです。

・・・
医師の診断を受けた後、忘れていた多くのことを一気に思い出しました。

私には両親に抱っこされた記憶がありません。
両親に抱っこされている2才位の頃の写真はあるのですが。

私は両親、特に母親に甘えることができませんでした。
私自身、年齢の割にしっかりしていたのと、
「甘やかさず、しっかりした子に育てなければ」という両親の思惑があったのかもしれません。
祖母も同居しており、私のことを可愛がってくれましたが、
明治生まれの祖母は厳格で、子どもの頃の私にとっては怖い存在でした。

私の記憶にあるのは、母親の膝に乗っている小さな妹です。
妹はいつも母親に甘えていました。母親は妹を可愛がっていました。
私は妹が羨ましく、妬ましかった。

母親に言われたこと、してもらえなかったこと、母親の眼差しなど、
とうに忘れていたことが、後から後から思い出されました。
私は泣きながら多くのことを夫に話しました。
何日か経ち、さすがに夫が聞くのに耐えかねた頃、
自分の中の泣いていた子どもが、静かに空へ消えていくのを感じました。

・・・
それで全部終わったと思っていました。
それがつい最近、両親と3人で旅行をし、
耳が聞こえないということは大変なことだと改めて認識しました。
両親と長いこと離れて暮らすうち、耳が聞こえる人と暮らす快適さに、
私はすっかり慣れてしまっていたようです。

旅行から戻った時、私は疲れていました。
そしてバイトさんが『父親と欧州を旅行中』と聞き、うちのめされたような気がしました。
彼女の父親はきっと、経済的にも精神的にも頼りになるのだろうな。
パパについて行けば安心なんだろうな。
私なんか、国内温泉旅行でも、親の面倒を見なければならないのに。

・・・
誰が悪い訳でもありません。両親は耳が聞こえない。
私はたまたまその両親の元に生まれついた。それだけです。

両親が耳が聞こえないために、通常ならばしなくても済んだことを
私はしてこなくてはなりませんでした。
そして通常ならばしてくるはずのことを、してきませんでした。

普通ならしてくるはずのこと。それは、肉親に甘え、
在りのままの自分を受け入れてもらい、ひいては他人と信頼関係を築くこと。

小さな頃から、私の中にはいつも怒りがありました。
甘えることもせず、大人の役割を果たしてきた子どもだった私。
私はただ、『そのままでいいよ』と優しく抱っこしてもらいたかっただけ。

自分を受け入れてもらったのは、ずっと後になってからです。
夫をはじめ、他の人に受け入れてもらうことで、
子どもの頃にできなかったことをやり直すことができました。

私は虐待を受けたわけではありません。知り合いには、父親に殴られて育った人、
病気のため実の両親に捨てられ、祖母に育てられた人がいます。

両親は両親で、『耳が聞こえたらよかったのに』と思っているでしょう。
聞こえないことからくる不自由さ、辛さは本人でなければ判りません。
彼らは彼らなりの感情を抱えていると思います。

境遇がどうであれ、誰もが自分で引き受け、「ここ」から始めるしかありません。

もし自分の中で、子どもだった自分が泣いているのなら。
その子を抱きしめてあげてください。
大変だったね、辛かったねと、その子のために泣いてあげてください。
その子の悲しみや、やり場のない怒り、寂しさをわかってあげてください。
そうすることで、泣いている子は消えていきます。
それは自分を甘やかすことではありません。自分を立て直す作業です。

・・・
両親は今も健在です。
先日このブログに過去の記憶について記載しましたが、今は削除しておきます。
私は別に両親を悲しませたい訳ではないので。
いつか、書いても差し支えがない時が来たら、
その時、再度書いてみたいと思います。

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