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Google【高大連携情報誌 逗子開成 鎌倉女学院 七里ヶ浜の哀歌】

2010-05-29 15:35:07 | ▲教育
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高大連携情報誌 調べもの新聞
【ブログ=穴埋め・論述問題】

Google【七里ヶ浜の哀歌】=2010-5-29

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検索結果


真白き富士の根 - Wikipedia
「真白き富士の嶺」、「七里ヶ浜の哀歌」 とも呼ばれる。1935年、1954年にはこの事件を題材にした同名の映画にもなっ .... 三角錫子はこの唱歌の替え歌として 「七里ヶ浜の哀歌」 を作詞したのである。「夢の外」 の2番、「七里ヶ浜の哀歌」 の4番の歌詞 ...

基本データ - 歴史 - 歌詞 - 曲について
ja.wikipedia.org/wiki/真白き富士の根 - キャッシュ - 類似ページ


七里ヶ浜 - Wikipedia
七里ヶ浜(しちりがはま)は、神奈川県鎌倉市南西部にある相模湾に面した2.9kmほどの浜で、稲村ヶ崎と小動岬の間にある。日本の渚百選の一つ。 ..... 文部省唱歌『鎌倉』; 三角錫子:詩/ジェレマイア・インガルス:曲『真白き富士の嶺(七里ヶ浜の哀歌)』 ...
ja.wikipedia.org/wiki/七里ヶ浜 - キャッシュ - 類似ページ


七里ケ浜の哀歌
「七里ケ浜の哀歌」. 三角錫子作詞/ジェレミー・インガルス作曲. 戻 る. 真白き富士の根 緑の江の島仰ぎ見るも 今は涙帰らぬ十二の 雄々しきみたまに捧(ささ)げまつる 胸と心 ボートは沈みぬ 千尋(ちひろ)の海原(うなばら) ...
www.mahoroba.ne.jp/.../hog/.../shichirigahama.html - キャッシュ - 類似ページ


七里ヶ浜の哀歌 の動画検索結果
七里ヶ浜の哀歌 ペギー葉山
5分 - 2009年4月11日
www.youtube.com

菊池章子 真白き富士の嶺(七里ヶ浜の哀歌) 1996
1分46秒 - 2009年4月22日
www.youtube.com


七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の嶺)
1分24秒 - 2009年4月30日
www.youtube.com


第25回 『七里ヶ浜の哀歌』
童謡・唱歌の中で哀しい歌の代表といえば、まず『赤い靴』や『十五夜お月さん』などが思い出されますが、『七里ヶ浜の哀歌』はそれらをはるかに上回る悲劇的な歌です。明治43年1月23日の昼下がり、神奈川県の七里ヶ浜の沖合で逗子開成中学校の生徒 ...
www.maboroshi-ch.com/edu/ext_34.htm - キャッシュ - 類似ページ


七里ガ浜哀歌
逗子開成中学の生徒12人が学校に内緒で、ボートの遠出をしようとして、途中の七里ヶ浜沖で転覆、全員が死亡しました。開成中学の合同葬儀で、近くの鎌倉女学校の生徒たちが歌ったのが「七里ヶ浜の哀歌」でした。作詞は当時鎌倉女学校の教師だった三角錫 ...
www.yamanashinouta.com/sitirigahamaaika.html - キャッシュ - 類似ページ


真白き富士の嶺の日 - 今日のことあれこれと・・・
2006年1月24日 ... 題名も元はただの「哀歌」であったものが、その後「哀悼の歌」「七里ヶ浜の仇浪」「真白き富士の嶺」などさまざま ... そして、その台座にはこの「七里ヶ浜の哀歌」の詩が刻まれている。逗子開成のOBには、徳間康快氏(徳間書店、大映 ...
blog.goo.ne.jp/.../c6bacd6c7bdee1bc68cf554fd94aa961 - キャッシュ - 類似ページ



由紀さおり・安田祥子「七里ヶ浜の哀歌」 | 試聴/ダウンロード ...
由紀さおり・安田祥子「七里ヶ浜の哀歌」を試聴&ダウンロード。無料で試聴できる国内最大級の音楽ダウンロードサイト【OnGen】。最新J-POPから洋楽ヒットソング、クラシック、インディーズ、歌詞付きカラオケ楽曲まで、110万曲からお好きな1曲をお探し ...
www.ongen.net/search_detail...id/tr0000005057/ - キャッシュ - 類似ページ


明治43年 七里ケ浜の哀歌(真白き富士の嶺)
明治四三年一月神奈川県の七里ケ浜で逗子開成中学のボートが沈み、乗っていた生徒一二名全員が死亡しました。この曲は当時鎌倉女学校の教師三角錫子が同年二月に発表した哀悼歌です。原曲は明治二三年「明治唱歌」に載せられたガードン作曲の「夢の外」 ...
www.fukuchan.ac/music/j-mt/shichirigahama.html - キャッシュ - 類似ページ


七里ヶ浜の哀歌に関連する検索キーワード
七里ヶ浜の哀歌 歌詞











Google【高大連携情報誌 逗子開成 鎌倉女学院 七里ヶ浜の哀歌】=2010-5-29

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逗子開成】 神奈川県の私立高等学校 | 神奈川県の私立中学校 | 私立 ...
2010年4月12日 ... 高大連携情報誌 調べもの新聞【ブログ=穴埋め・論述問題】 高大連携情報誌(高校⇔大学) 鎌倉女学院 逗子開成 ... 湘南学院高等学校 - goo ..... 2月 追悼法会で鎌倉女学校生徒により「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の嶺)」が歌われる ...
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2010-04-12 - waseda717の日記
2010年4月12日 ... 高大連携情報誌(高校⇔大学) 鎌倉女学院 逗子開成 · nakamurayoshio6113のブログ : google ... blog.livedoor.jp/. ..... 2月 追悼法会で鎌倉女学校生徒により「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の嶺)」が歌われる. 1916年(大正5) ...
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逗子開成高校 - So-net ウェブ検索
高大連携情報誌(高校大学) 鎌倉女学院 逗子開成 ... (高校生新聞) 中村惇夫 【逗子開成 鎌倉女学院 :?〜?】 逗子開成 . ... 「七里ヶ浜の哀歌」とも呼ばれ、逗子開成. ... http://4travel.jp/search/%BF%E0%BB%D2%B3%AB%C0%AE/all/別ウインドウ表示 ...
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2008年11月のブログ|検定の達人のブログ
2008年11月29日 ... 【逗子開成中学校・高等学校】 概略 ● 過去5年間大学合格実績はこちら. テーマ:ブログ. 高大連携情報誌 調べもの新聞 ... [3]この事故の補償のため、当時経営母体が同一であった鎌倉女学院が所有地を売却するなどした。 ... 2月 追悼法会で鎌倉女学校生徒により「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の嶺)」が歌われる ...
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2008年12月28日のブログ|検定の達人のブログ
2008年12月28日 ... 【検索の達人 逗子】①~⑩ 約 23 万7000 件 - 高大連携情報誌逗子市立図書館 - goo カテゴリー検索【逗子開成 検索の . ..... ①【逗子開成 鎌倉女学院 :①~⑩】 100周年式典の際には姉妹校として ...①新聞②出版③テレビ④広告⇒①新聞:NIE(新聞博物館)・ ..... 1・ 題名は 七里ヶ浜の哀歌 1・ 一番の歌詞 真白き富士の嶺 1・ 作曲 ガーデン 1・ 逗子開成中学校 第二開成中学校 (いやこれは、明治42 ...
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【ランキング①~⑩」&[論述・ 穴埋め問題]
2010年5月26日 ... 高大連携情報誌 【●●漁港:検定】=〈ヒント〉〈ユーチューブ〉①〈ユーミンと小坪小学校】②七里ガ浜哀歌http://blog.livedoor.jp/nakamurayoshio6113/archives/51062374.html. twitter.com/gakuseigaisanpo/status/12740187104 - ...... 高大連携情報誌 調べもの新聞【ブログ=穴埋め・論述問題】 高大連携情報誌(高校⇔大学) 鎌倉女学院 逗子開成 . ... k.hatena.ne.jp/keywordblog/逗子開成 ...
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15 高校・中学一覧(全国) - 【情報の達人】は 【ランキング ...
高大連携情報誌「大学受験ニュース」 早稲田大学文学部史学科国史専修調べもの新聞通信員 (横浜)中村 (前橋)宮 (大阪)神島・西村ハーバード .... 逗子開成も学校文化に対して意識はかなりあるが、 教師力や学習というカテゴリー項目が鎌倉学園に比べ高くでている . .... 作詞家としての作品も数多く、合唱曲にも三善晃氏と「ゆったて哀歌集」を制作するなど力を入れている。 ...... 神奈川学園高等学校 神奈川大学附属中学校・高等学校 鎌倉学園中学校・高等学校 鎌倉女学院高等学校 鎌倉女子大学高等部 ...
210.165.9.64/shirabemono2008/c/.../4 - キャッシュ


【逗子開成中学校・高等学校】⑲「教育」や、名作映画による情操育成を ...
2008年9月3日 ... 2月 追悼法会で鎌倉女学校生徒により「七里ヶ浜の哀歌(真白き富士の嶺)」が歌われる 1916年(大正5) .... ポータルサイト 【検索の達人】 【情報の達人】 ブログで情報を入手! 高大連携情報誌「大学受験ニュース」 ...
210.165.9.64/shirabemono2008/e/576ce2c8b1f8ec849a6a149233352693210.165.9.64 のその他の検索結果を表示する













  【2010年4月17日現在】     

大学 合格 現役 既卒
国公立大学 84 57 27
早稲田・慶應・上智 138 83 55
MARCH ※ 246 156 90
総 計 881 569 312

  ※MARCHとは、明治・青山学院・立教・中央・法政の略です。
  ※国公立大学の合格者数には、海外の大学は含みません。

【卒業生263名】

国公立大学
大学名 合計 現役 既卒 大学名 合計 現役 既卒
東京大 4 3 1 電気通信大 4 1 3
東京工業大 11 7 4 富山大 2 1 1
一橋大 2 2 新潟大 1 1
北海道大 1 1 鹿児島大 1 1
東北大 4 3 1 岐阜大 1 1
横浜国立大 12 10 2 信州大 3 2 1
横浜市立大 10 8 2 静岡大 2 2
首都大学東京 5 3 2 岐阜薬科大 1 1
東京学芸大 1 1 浜松医科大 1 1
東京農工大 2 1 1 九州工業大 1 1
東京海洋大 4 3 1 静岡文化芸術大 1 1
東京外国語大 1 1 防衛大 1 1
筑波大 2 1 1 岩手大 1 1
茨城大 2 2 名古屋市立大 1 1
埼玉大 1 1 静岡県立大 1 1
私立大学(抜粋)
大学名 合計 現役 既卒 大学名 合計 現役 既卒
早稲田大 62 38 24 立命館大 11 7 4
慶応義塾大 50 30 20 同志社大 2 1 1
上智大 26 15 11 芝浦工業大 43 40 3
国際基督教大 3 3 東京都市大学 26 19 7
東京理科大 61 40 21 成城大 6 1 5
明治大 79 51 28 成蹊大 4 2 2
青山学院大 54 37 17 日本大 46 27 19
立教大 45 25 20 明治学院大 27 11 16
中央大 36 25 11 神奈川大 28 22 6
法政大 32 18 14 北里大 18 15 3
学習院大 19 10 9
 医歯薬系学部
学部 合計 現役 既卒
医学部 17 6 11
歯学部 4 3 1
薬学部 22 17 5
獣医学部 6 6
※大学の詳細につきましては、進学指導部へお問合せ下さい。

● 過去5年間大学合格実績はこちら













2009年度 大学入試解答速報  ~第一志望は、ゆずれない

2009-03-09 13:09:13 | ▲教育

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高校生新聞 『大学受験ニュース』(ブログ版)

駿台予備学校 ~第一志望は、ゆずれない。~

2009年度 大学入試解答速報駿台ではいち早く、主要大学解答速報をインターネットでお届けいたします。
駿台では、毎年好評をいただいておりますインターネットによる「主要大学入試解答速報」を本年も実施いたします。
掲載される解答・分析シート(設問毎に問題を徹底分析)をご覧になることで、2009年度入試の状況を知ることができます。 
※入試問題につきましては毎日jpのホームページをご覧ください。
(問題より先に解答例が掲載となる場合があります。)

■東大・京大映像解説■
東大(前期・配信中)・京大(前期) 
「講師からのワンポイントアドバイス」 映像配信

■実施科目 東大(前期)・・・英語・数学・国語  
京大(前期)・・・英語・数学
●東大(前期) 配信中 ブロードバンド(ADSL・常時接続)
●京大(前期) 配信中 ブロードバンド(ADSL・常時接続)

※映像配信は3/31(火)までとなります。予めご了承願います。




国公立大学 学部 試験日 掲載科目予定(解答例・分析) 掲載予定
東京大学 前期 2/25(水)、26(木) 国語(文系)、国語(理系)、数学(文系)、数学(理系)、日本史、世界史、地理、物理、化学、生物、地学、英語 掲載中
後期 3/13(金) 総合科目I、総合科目II、総合科目III
京都大学 前期 2/25(水)、26(木) 英語、数学(文系)、数学(理系-甲)、数学(理系-乙)、国語(文系)、国語(理系)、物理、化学、生物、地学、日本史、世界史、地理
数学(理系-甲)・・・教育(理系)、医-人間健康(看護、作業療法)
数学(理系-乙)・・・総合人間(理系)、経済(理系)、理、医-医、医-人間健康(検査技術、理学療法)、薬、工、農 掲載中
北海道大学 前期 2/25(水) 国語、物理、化学、生物、地学、世界史、日本史、地理、数学(文系)、数学(理系)、英語 掲載中
東北大学 前期 2/25(水)、26(木) 英語、国語、物理、化学、生物、地学、数学(文系)、数学(理系) 掲載中
一橋大学 前期 2/25(水)、26(木) 国語、数学、英語、世界史、日本史、地理、倫理政経 掲載中
千葉大学 前期 2/25(水) 国語、数学、物理、化学、生物、英語 掲載中
東京工業大学 前期 2/25(水)、26(木) 数学、英語、物理、化学 掲載中
東京医科歯科大学
(医・歯学科) 前期 2/25(水) 英語、数学、物理、化学、生物 掲載中
名古屋大学 前期 2/25(水) 英語、数学(文系)、数学(理系)、国語、物理、化学、生物、地学、日本史、世界史、地理 掲載中
大阪大学 前期 2/25(水) 英語(外国語)、英語(外国語以外)、数学(文系)、数学(理系)、国語(文)、国語(人・法・経)、物理、化学、生物、日本史、世界史、地理(文)、地理(外) 掲載中
後期 3/12(木) 英語(外国語)、英語(外国語以外)、数学、物理、化学(理)、化学(工)、生物
大阪市立大学 前期 2/25(水) 英語、数学(文系)、数学(理系)、国語、物理、化学、生物、地学 掲載中
神戸大学 前期 2/25(水) 英語、数学(文系)、数学(理系)、国語、物理、化学、生物、地学 掲載中
九州大学 前期 2/25(水)、26(木) 英語、数学(文系)、数学(理系)、国語(文)、国語(教・法・経)、物理、化学、生物、地学 掲載中

私立大学 学部 試験日 掲載科目予定(解答例・分析) 掲載予定
同志社大学 全学部日程理系 2/4(水) 英語、数学、物理、化学、生物 掲載中
全学部日程文系 2/5(木) 英語、国語、数学、日本史、世界史 掲載中
慶應義塾大学 薬 2/12(木) 化学、数学、英語 掲載中
理工 2/14(土) 物理、化学、数学、英語 掲載中
文 2/15(日) 英語、日本史、世界史、小論文 掲載中
法 2/16(月) 英語、日本史、世界史、論述力 掲載中
経済 2/17(火) 英語、数学、日本史、世界史、地理、小論文 掲載中
商 2/18(水) 英語、 日本史、 世界史 地理、 数学、 論文テスト 掲載中
医 2/21(土) 物理、化学、生物、数学、英語 掲載中
早稲田大学 文化構想 2/12(木) 英語、国語、日本史、世界史 掲載中
法 2/15(日) 英語、国語、日本史、世界史、政経 掲載中
基幹理工
創造理工
先進理工 2/16(月) 数学、英語、物理、化学、生物 掲載中
文 2/17(火) 英語、国語、 日本史、 世界史 掲載中
政経 2/20(金) 英語、国語、日本史、世界史、政経、数学 掲載中
商 2/21(土) 英語、国語、日本史、世界史、政経、数学 掲載中

【出典】
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【創刊!オンデマンド 高校生新聞 大学受験情報誌 年3回  P32】
【高校生新聞 基礎データ】 

  6月号(2009-5-15発行)
   特集 夏休みオープンキャンパス情報
  10月号(2009-9-15発行)
   特集 大学祭・学園祭 
  2月号(2010-1-15発行) 
   特集 大学受験の基礎知識

[大学] 学校数計765・国立86・公立90・私立589 生徒数 計283万5242・
国立62万3789・公立13万1977・私立207万9476
[短大] 学校数計417・国立2・公立29・私立398 生徒数 計17万2726
[高専] 学校数計64 国立55・公立6・私立3 生徒数 計5万9446
[高校] 学校数計 5313 国立15・公立3976・私立1322 教員数24万3951 生徒数合計 340万6343
【学校数・学生数 2008年5月1日現在】 ※[高校] は2007年5月1日現在

【東京大学】 【出典 大学入試全記録【高校の実力】2008-6-14 東京大学 P342】

開成188 灘114 
麻布76 筑波大駒場75 学芸大付74 
桜蔭59 
海城44 聖光44 栄光43 東大寺学園43 岡崎40 
ラサール39 駒場東邦38 渋谷教育学園幕張35 東海34 浦和・県立33 桐朋32 広島学院32 洛南31 
宇都宮29 浅野29 西28 甲陽学院28 土浦第一26 女子学院26 西大和学園26 久留米大付26 筑波大付25 旭丘25 時習館25 巣鴨22 愛光22 青雲21
⑳江戸川取手 富山中部 
⑲千葉・県立 一宮 白陵 広島大福山 修猷館
⑱武蔵 智弁学園和歌山 高松 
⑰岡山朝日 ⑯高岡  ⑮藤島 四日市 高田 大阪星光学院
⑭札幌南 渋谷教育学園渋谷 早稲田 桐蔭学園 桐蔭学園中教 浜松北 熊本
⑬高崎 前橋 日比谷 曉星 双葉 岐阜 大分上野丘 盛岡第一 
⑫城北 豊島岡女子 金沢大付属 金沢泉丘 滝 宮崎西 
⑪仙台第二 公文国際 新潟
⑩北嶺 水戸第一 芝 
⑨札幌北 山形東 開智 攻玉社 横浜翠嵐 岡山白陵 弘学館 昭和薬科大付属 
⑧旭川東 秋田 太田 湘南 大垣北 静岡 土佐
⑦八王子東 國學院大久我山 逗子開成 長岡 武生 韮山 南山 徳島文理 小倉 
⑥青森 大宮 春日部 川越 市川 白百合 創価 本郷 国際情報 松本深志 佐久長聖 磐田南 沼津東 刈谷 津 洛星 姫路西 徳島市立 済美平成 東築 宮崎大宮 
⑤函館ラサール 八戸 春日部共栄 お茶の水女子大付属 国立 サレジオ学院 桐光学園 小松 清水東 富士 堀川 加古川東 神戸 長田 六甲 倉敷青陵 ノートルダム清心 山口 丸亀 佐賀西 済々黌 
④札幌西 仙台第一 酒田東 会津 福島・県立 茗渓学園 栄東 千葉東 東葛飾 船橋・県立 暁星国際 東邦大付属東邦 戸山 武蔵・都立 晃華学園 横浜共立学園 高志 駿台甲府 山梨学院大付属 上田 明和 大阪教育大学付属池田 天王寺 清風南海 岡山操山 広島 修道 下関西 宇和島東 
筑紫丘 長崎西 甲南
③弘前 第一女子 茨城 芝浦工大柏 昭和学院秀英 国分寺 穎明館 成蹊 世田谷学園 帝京大学 厚木 外語短大付属 柏陽 砺波 富山 星陵 吉田 伊勢 彦根東 大阪教育大学付属天王寺 大手前 四天王寺 明星 淳心学院 奈良 奈良学園 桐蔭 鳥取西 岡山城東 基町 広島なぎさ 今治西 
松山東 明善 大分東明


【早稲田大学】【出典 大学入試全記録【高校の実力】2008-6-14  P354】

開成246 海城203 渋谷教育学園幕張182 学芸大付属182 西180 麻布174 千葉156 浅野155 桐蔭学園147 豊島岡女子145 女子学院136 
聖光学院 36 駒場東邦134 川越129 市川128 桐朋124 浦和123 湘南122 城北121 船橋118 桐光学園113 横浜翠嵐112 東葛飾111 
渋谷学園渋谷111 栄光学園111 戸山109 国立103 日比谷102 桜陰102 栄東101 大宮100 江戸川学園取手98 水戸第一97 浦和第一女子97 芝96 攻玉社95 春日部92 東邦大付属東邦92 旭丘92 柏陽89 國學院大久我山88 東海88 土浦第一87 筑波大付属87 巣鴨82 高崎81 横浜雙葉80 頌栄女子学院79 雙葉78 高田78 八王子東77 厚木77 開智76 宇都宮74 川越女子73 小田原73 浜松北72 筑波大学付属駒場71 横浜共立学園71 
西武学園文理70 太田67 修猷館64 立川63 高松62 駒場61 ラサール61 武蔵・都立59 鴎友学園女子59 山手学院58 暁星57 サレジオ学院57 
岐阜57 浦和明の星女子56 逗子開成56 岡崎56 国際55 白百合学園55 滝55 南山55 川越東54 昭和学院秀英54 共立女子54 高岡54 長野54 
愛光54 熊本54 熊谷53 青山53 多摩53 横須賀53 前橋52 本郷52 小石川51 新宿51 時習館51 大泉50 希望ヶ丘50 公文国際学園50 洛南50 
佐倉49 小山台49 松本深志49 鶴丸49 千葉東48 富士48 国際基督教大学48 川和48 平塚江南48新潟48 昭和薬科大付属48 国分寺47 広島学院47 江戸川女子46 吉祥女子46 四日市46 神奈川大付属45 桐蔭学園中教45 高崎女子44 芝浦工大柏44 錦城43 明和43 広島大学付属福山43 
西南学院43 世田谷学園41 竹園40 薬園台40 岡山朝日40 宇都宮女子39 両国39 久留米大付設39 茗渓谷学園38 長生38 大妻38 成城38 
洗足学園38 富山中部38 白陵38


【慶應義塾大学】【出典 大学入試全記録【高校の実力】2008-6-14  P349-350】

開成233 海城165 浅野148 学芸大付属136 麻布135 聖光学院130 千葉117 渋谷教育学園幕張108 豊島岡女子学園104 栄光学園100 日比谷96 
東海96 駒場東邦94 城北93 桐蔭学園93 桐朋88 西87 女子学院83 桜蔭78 浦和77 栄東71 高崎70 巣鴨69 旭丘69 湘南68 芝66 
筑波大付属駒場65 攻玉社65 宇都宮61 フェリス女学院61 江戸川学園取手60 横浜翠嵐59 市川58 桐蔭学園中教58 筑波大付属56 武蔵55 
船橋・県立54 東邦大付属東邦53 戸山53 頌栄女子学院53 土浦第一52 逗子開成52 水戸第一50 サレジオ学院50 桐光学園50 高田50 岡崎48 
渋谷教育学園渋谷47 東葛飾46 暁星46 雙葉44 灘44 ラサール44 国立43 横浜雙葉41 久留米大付設41 太田40 開智40 世田谷学園40 柏陽40 
西大和学園40 愛光40 洗足学園39 公文国際学園38 浜松北38 岐阜37 高松37 熊本37 國學院大久我山36 本郷36 早稲田36 横浜緑ヶ丘36 
広島学院36 前橋35 横浜共立学園35 高岡35 長野35 甲陽学院34 広島大付属福山34 滝33 南山33 修猷館33 大宮32 富山中部32 白百合学園31 白陵31 青山30 静岡30 時習館30 成城29 国際基督教大学28 山手学院28 一宮28 吉祥女子27 洛南27 小石川26 八王子東26 鶴丸26 栃木25 
仙台第二24 田園調布学園24 金沢泉丘24 磐田南24 岡山朝日24 修道24 浦和第一女子23 西武学園文理23 厚木23 横須賀23 松本深志23 
神奈川大付属23 松本深志23 韮山23 穎明館22 成蹊22 上田22 弘学館22 青雲22 昭和学院秀英21 青山学院高等部21 共立女子21 富士21 
明和21 川越女子20 鴎友学園女子20 桐朋女子20 小田原20 藤島20 洛星20 大阪教育大付属池田20 大阪星光学院20 茗渓学園19 
浦和明の星女子19 光陵19 新潟19









 [参考資料] オープンキャンパス(2006/2007)参加者  
    2007年(4-12月)  2006年(4-12月)
  早稲田大学 5万600   5万6840
  立教大学  3万8000   2万6500
  日本大学  3万7230   3万8919
  明治大学  3万7000   2万8918
  東北大学  3万6376   2万7331
  法政大学  3万175    2万6616
  関西大学  2万7257   2万5036
  中央大学  2万3155   1万7857
  青山学院大学2万1016  2万1841
  上智大学  2万  
  立命館大学 2万     1万8397
  慶應義塾大学1万9632  1万8990
  近畿大学  1万7078   1万5558
  関西学院大学1万6065  1万4105
  武蔵野大学 1万4000  
  九州大学  1万3601   1万4581
  大阪大学  1万3587   1万883
  東海大学  1万3380   1万3048
  神奈川大学 1万2899  1万2216
  玉川大学  1万2000   1万1000
  龍谷大学  1万1679   1万166
  千葉大学  1万1486    9274
  大阪市立大学1万1009   8487
  成蹊大学  1万1000   1万1600
  広島大学  1万940    1万2000
  明治学院大学1万478   7736
  同志社大学 1万215   1万4082
  神戸大学  1万61     9259
  創価大学  1万   1万7000
  東京農業大学 9755   9985
  共立女子大学 9753 
  横浜国立大学 9650   9169
  東京家政大学 9631   8486
  京都産業大学 9411   8476
  筑波大学  9369   8918
  学習院大学   9343   7710
  北里大学  9115   6787
  福岡大学   8997   8667
  岩手大学  8788   7640
  専修大学  8727   6044
  目白大学  8700   6877
  埼玉大学   8696   8301
  聖徳大学   8498  1万200
  京都大学  8487   7210
  関西外国語大学8415   7679
  北海道大学   8399   6174
  国学院大学   8359   
  岡山大学   8320    9312
  大東文化大学 8156   5904
  名城大学  8145    7554
  関東学院大学 8000  7303
  京都女子大学7844  6724
  熊本大学  7700   7653
  獨協大学  7700  7180
  同志社女子大学7668 
  日本女子大学7661   5822
  文教大学  7615   7604
  東京大学  7600   6200
  首都大学東京 7578 
  千葉工業大学 7471  7355
  新潟大学  7408  6576
  帝京平成大学 7380  6453
  愛知学院大学 7368 
  中京大学  7223  7735
  金沢大学  7000  7548
  甲南大学  6997  6031
  神戸学院大学 6942  6371
  亜細亜大学  6741  7606
  名古屋大学  6696  6647
  大阪府立大学 6113
  静岡大学  6087  7500
  東北学院大学 5934  4873
  明星大学  5853  5135
  東京電機大学 5599  4658
  女子栄養大学 5502  5255
  武庫川女子大学5500
  武蔵大学  5490  3901
  南山大学  5447 5574
  金城学院大学 5329
  多摩美術大学 5286 4495
  桃山学院大学 5200
  京都精華大学 5100
  昭和女子大学 5039
  愛知大学  5000  4350
  武蔵野美術大学4981  5526 5076(2008)
  国際基督教大学4951
  大阪経済大学 4919  4124
  東京工科大学 4900  6470
  明海大学  4872  5126
  東北福祉大学 4832
  佛教大学  4692  4604
  東京農工大学 4546
  広島修道大学 4515
  文化女子大学 4456  4200
  広島国際大学 4415
  北九州市立大学4413
  東京外国語大学4400 4800
  東京学芸大学 4400  4000
  大阪教育大学 4382  4092
  弘前大学  4358
  宇都宮大学  4295
  信州大学  4281
  群馬大学  4239  4005
中部大学  4200   3860

【出典:2009年度版 大学ランキング 朝日新聞出版 p363】
参考 2006年(4~12月)。学生数2000人以上  

 ※【オープンキャンパス 参加者 2008年(4-12月) を現在集計中です。】
オープンキャンパス情報をお寄せください。
nakamurayoshio@gmail.com



【大学別就職者数】
[出典:サンデー毎日臨時増刊2008-10-11 毎日新聞社・大学通信 P79]
【放送・NHK】150 ①早稲田大学 38②慶応義塾大学18③東京大学16④京都大学9⑤一橋大学5⑤上智大学 5⑦国際基督教大学 4⑦中央大学 4⑦立教大学 4⑩東京外国語大学 3⑩横浜国立大学 3⑩学習院大学 3⑩法政大学 3⑩同志社大学3⑩立命館大学 3⑯茨城大学 2⑯東京藝術大学 2⑯広島大学 2⑯九州大学 2⑯芝浦工業大学 2⑯多摩美術大学 2⑯東京理科大学 2⑯日本大学 2⑯関西学院大学 2⑯福岡大学 2
【新聞・毎日新聞社】45 ①早稲田大学 11②同志社大学 3③大阪大学 2③慶応義塾大学 2③上智大学 2③立命館大学 2③関西大学 2
【新聞・朝日新聞社】約90 ①早稲田大学 16②慶應義塾大学 6③東京大学 5④法政大学 4⑤筑波大学 3⑤神戸大学 3⑦北海道大学 2
⑦一橋大学 2⑦九州大学 2⑦中央大学 2⑦明治大学 2⑦同志社大学 2⑦関西学院大学 2
【新聞・讀賣新聞社】109 ①早稲田大学 18②東京大学 8②京都大学 8④慶応義塾大学 7⑤九州大学 5⑥上智大学 5 ⑦同志社大学 3
⑦立命館大学 3⑨大阪大学 2⑨成蹊大学 2⑨中央大学 2⑨関西大学 2
【出版・ベネッセコーポレーション】87 ①早稲田大学 20②同志社大学 5③慶応義塾大学 4③上智大学 4 ③明治大学 4③立教大学 4
③立命館大学 4⑧東京大学 3⑧青山学院大学 3⑩小樽商科大学 2⑩大阪大学 2 ⑩学習院大学 2⑩東京女子大学 2⑩二松学舎大学 2
⑩関西学院大学
【放送 テレビ東京】21 [大学院] 早稲田大学 1上智大学  1
[大学]慶應義塾大学 5早稲田大学 4中央大学 2ICU   2産能大学1上智大 1神戸大 1法政大 1日大 1名古屋大1
[出典:就職四季報 P1037 ]

【検索の達人 学部一覧】

2009-01-30 22:34:00 | ▲教育
【検索の達人 ■■■■】 ■■■■に文字を入力!

高大連携情報誌 調べもの新聞

高校生新聞『大学受験ニュース』(ブログ版)







【検索の達人 学部一覧】 の検索結果 約 4万2700 件中 1 - 10 件目      2009-1-30 ①検索結果[Technorati] Tag results for 学部【筑波大学関係の人物一覧 その2(スポーツ関係)】 2008-09-06 13:37:51 | 10 人名事典 【大学・学部】の人物一覧 【筑波大学関係の人物一覧 その2(スポーツ関係)】 高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版) 情報の達人 検索の達人 高大 ... www.technorati.jp/tag/学部 - 42k - キャッシュ - 関連ページ ②[Technorati] Tag results for 情報提供【法政大学・オープンキャンパス】※スポーツ健康学部(仮称)は2009年4月開設予定・設置認可申請中 2008-09-20 06:03:50 | 7 オープンキャンパス(情報提供) 高大連携情報誌 調べもの新聞『大学受験ニュース』(ブログ版) 【検索の達人 ... www.technorati.jp/tag/情報提供 - 39k - キャッシュ - 関連ページ www.technorati.jp からの検索結果 » ③文化構想学部 - にほんブログ村 ブログ記事検索結果問題】【検索の達人 東大の世界史】【検索の達人 高校生クイズ】【検索の達人 QRコード】【検索の達人 京都大学メールマガジン】【検索の達人 箱根駅伝】【検索の達人 日本文学史】【検索の達人 早稲田大学文化構想学部】【検索の達人 仏教系の大学 ... search.blogmura.com/?sch=1&ok=1&keyword=%CA%B8%B2%BD%B9%BD%C1%DB%B3%D8... - 29k - キャッシュ - 関連ページ ④行政社会学部 - にほんブログ村 ブログ記事検索結果高校生クイズ google【学部の一覧】. 検索の達人. ■大学)基礎工学部 (■■大学/■■■■■■大学)技能工芸学部 ... 大学への道 【学部の一覧】. 検索の達人. ザイン学部 (法政大学) 九州工学部 (近畿大学(学生募集停止):産業理工学部に改組) ... search.blogmura.com/?sch=1&ok=1&keyword=%B9%D4%C0%AF%BC%D2%B2%F1%B3%D8... - 20k - キャッシュ - 関連ページ search.blogmura.com からの検索結果 » ⑤【ランキングの達人 検索の達人】①~⑩ 約 118万 件 - 「情報の達人 ...検索の達人検索(けんさく)の達人(たつじん)になると、こんなふうにたくさんの検索(けんさく)メニューと、カテゴリをつかいこなさなくっちゃ . ... 調べもの新聞 最新式「▲▲▲県の大学一覧」「▲▲▲学部の大学一覧」(ブログ版&紙媒体) ... blogs.yahoo.co.jp/shirabemono1943/18228570.html - 39k - キャッシュ - 関連ページ ⑥[会津八一博物館 検索の達人] ①~⑩ 約 1万6200 件 - 「情報の達人 ...ブログ - 検定問題の達人【検索の達人 ■■■■】 ■■■■に文字を入力! 日本の大学一覧 (国立・公立・私立) 【国立大学一覧】 . ... [編集] 国公立※「法学部」という名称を有する学部を持つ大学。北九州市立大学を除く16大学には法曹養成のための法科 ... blogs.yahoo.co.jp/shirabemono1943/18176687.html - 39k - キャッシュ - 関連ページ ⑦searchquiz検索の達人に挑戦:サーチエンジン・クイズ. はたしてインターネットは有効であるのかという(自分自身の)疑問にも答えるために,さまざまな ..... 以下の指標の意味を調べて,それぞれの指標について日本の企業のランキング一覧もみつけてください. ... www2.kumagaku.ac.jp/teacher/~sasayama/internets/searchquiz.html - 38k - キャッシュ - 関連ページ ⑧(同志社大学の人物一覧 大学に関する人名一覧) - ブログ検索ならTAGGY同志社大学の人物一覧 大学に関する人名一覧. 高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版)検索の達人情報の ... 学者、京都産業大学経済学部教授)足利惇氏(元京都大学教授、東海大学学長、文学部卒)安保公人(国際法学、拓殖大学政経学部教授、 ... blog.taggy.jp/detail/1164689996 - 19k - キャッシュ - 関連ページ ⑨拓殖大学 国際学部 - goo カテゴリー検索【明治学院大學国際学部】への道 (高大連携情報誌). 高大連携情報誌 『大学受験ニュース』(ブログ版) 明治学院大学 ブログ記事一覧 - にほんブログ村キーワード検索の達人さんのプロフィール 08/10/06 14:25.大学 国士舘大学 拓殖大学 東京経済大学 ... 210.173.171.102/education/02794/61168/07650/53929/71225/site/http:$$www.fis.takushoku-u.ac.jp$ - 32k - キャッシュ - 関連ページ ⑩ERIKO 『ラグビー フリーマガジン 【Rugby Fun Magazine 】』つながり ...高大連携情報誌 調べもの新聞 高校生新聞 『大学受験ニュース』(ブログ版) google【検索の達人 ■■■■】 ■■■■に文字を入力! 【水産学部】 の検索結果 約 61万 件中 1 - 10 件目 ?北海道大学大学院水産科学研究院・大学院水産科学院・水産学部大学 ... eriko.cyberz.co.jp/index.php/type.html.idenc.bs2GXP - 56k - キャッシュ - 関連ページ

白雪姫  グリム 菊池寛訳

2008-07-26 16:43:02 | ▲教育
白雪姫
グリム
菊池寛訳



 むかしむかし、冬のさなかのことでした。雪が、鳥の羽のように、ヒラヒラと天からふっていましたときに、ひとりの女王(じょおう)さまが、こくたんのわくのはまった窓(まど)のところにすわって、ぬいものをしておいでになりました。女王さまは、ぬいものをしながら、雪をながめておいでになりましたが、チクリとゆびを針(はり)でおさしになりました。すると、雪のつもった中に、ポタポタポタと三滴(てき)の血(ち)がおちました。まっ白い雪の中で、そのまっ赤な血(ち)の色が、たいへんきれいに見えたものですから、女王さまはひとりで、こんなことをお考えになりました。
「どうかして、わたしは、雪のようにからだが白く、血のように赤いうつくしいほっぺたをもち、このこくたんのわくのように黒い髪(かみ)をした子がほしいものだ。」と。
 それから、すこしたちまして、女王さまは、ひとりのお姫(ひめ)さまをおうみになりましたが、そのお姫さまは色が雪のように白く、ほおは血のように赤く、髪の毛はこくたんのように黒くつやがありました。それで、名も白雪姫(しらゆきひめ)とおつけになりました。けれども、女王さまは、このお姫さまがおうまれになりますと、すぐおなくなりになりました。
 一年以上たちますと、王さまはあとがわりの女王さまをおもらいになりました。その女王さまはうつくしいかたでしたが、たいへんうぬぼれが強く、わがままなかたで、じぶんよりもほかの人がすこしでもうつくしいと、じっとしてはいられないかたでありました。ところが、この女王さまは、まえから一つのふしぎな鏡(かがみ)を持っておいでになりました。その鏡をごらんになるときは、いつでも、こうおっしゃるのでした。

「鏡(かがみ)や、鏡、壁(かべ)にかかっている鏡よ。
 国じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」

 すると、鏡はいつもこう答えていました。

「女王さま、あなたこそ、お国でいちばんうつくしい。」

 それをきいて、女王さまはご安心なさるのでした。というのは、この鏡は、うそをいわないということを、女王さまは、よく知っていられたからです。
 そのうちに、白雪姫(しらゆきひめ)は、大きくなるにつれて、だんだんうつくしくなってきました。お姫さまが、ちょうど七つになられたときには、青々と晴れた日のように、うつくしくなって、女王さまよりも、ずっとうつくしくなりました。ある日、女王さまは、鏡の前にいって、おたずねになりました。

「鏡や、鏡、壁にかかっている鏡よ。
 国じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」

 すると、鏡は答えていいました。

「女王(じょおう)さま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。
 けれども、白雪姫(しらゆきひめ)は、千ばいもうつくしい。」

 女王さまは、このことをおききになると、びっくりして、ねたましくなって、顔色を黄いろくしたり、青くしたりなさいました。
 さて、それからというものは、女王さまは、白雪姫をごらんになるたびごとに、ひどくいじめるようになりました。そして、ねたみと、こうまんとが、野原の草がいっぱいはびこるように、女王さまの、心の中にだんだんとはびこってきましたので、いまでは夜もひるも、もうじっとしてはいられなくなりました。
 そこで、女王さまは、ひとりのかりうどをじぶんのところにおよびになって、こういいつけられました。
「あの子を、森の中につれていっておくれ。わたしは、もうあの子を、二どと見たくないんだから。だが、おまえはあの子をころして、そのしょうこに、あの子の血(ち)を、このハンケチにつけてこなければなりません。」
 かりうどは、そのおおせにしたがって、白雪姫(しらゆきひめ)を森の中へつれていきました。かりうどが、狩(か)りにつかう刀(かたな)をぬいて、なにも知らない白雪姫の胸(むね)をつきさそうとしますと、お姫さまは泣いて、おっしゃいました。
「ああ、かりうどさん、わたしを助けてちょうだい。そのかわり、わたしは森のおくの方にはいっていって、もう家にはけっしてかえらないから。」
 これをきくと、かりうども、お姫さまがあまりにうつくしかったので、かわいそうになってしまって、
「じゃあ、はやくおにげなさい。かわいそうなお子さまだ。」といいました。
「きっと、けものが、すぐでてきて、くいころしてしまうだろう。」と、心のうちで思いましたが、お姫さまをころさないですんだので、胸の上からおもい石でもとれたように、らくな気もちになりました。ちょうどそのとき、イノシシの子が、むこうからとびだしてきましたので、かりうどはそれをころして、その血(ち)をハンケチにつけて、お姫さまをころしたしょうこに、女王さまのところに持っていきました。女王さまは、それをごらんになって、すっかり安心して、白雪姫は死んだものと思っていました。
 さて、かわいそうなお姫さまは、大きな森の中で、たったひとりぼっちになってしまって、こわくってたまらず、いろいろな木の葉っぱを見ても、どうしてよいのか、わからないくらいでした。お姫さまは、とにかくかけだして、とがった石の上をとびこえたり、イバラの中をつきぬけたりして、森のおくの方へとすすんでいきました。ところが、けだものはそばをかけすぎますけれども、すこしもお姫さまをきずつけようとはしませんでした。白雪姫は、足のつづくかぎり走りつづけて、とうとうゆうがたになるころに、一軒(けん)の小さな家(うち)を見つけましたので、つかれを休めようと思って、その中にはいりました。その家の中にあるものは、なんでもみんな小さいものばかりでしたが、なんともいいようがないくらいりっぱで、きよらかでした。
 そのへやのまん中には、ひとつの白い布(きれ)をかけたテーブルがあって、その上には、七つの小さなお皿(さら)があって、またその一つ一つには、さじに、ナイフに、フォークがつけてあって、なおそのほかに、七つの小さなおさかずきがおいてありました。そして、また壁(かべ)ぎわのところには、七つの小さな寝(ね)どこが、すこしあいだをおいて、じゅんじゅんにならんで、その上には、みんな雪のように白い麻(あさ)の敷布(しきふ)がしいてありました。
 白雪姫は、たいへんおなかがすいて、おまけにのどもかわいていましたから、一つ一つのお皿(さら)から、すこしずつやさいのスープとパンをたべ、それから、一つ一つのおさかずきから、一滴(てき)ずつブドウ酒(しゅ)をのみました。それは、一つところのを、みんなたべてしまうのは、わるいと思ったからでした。それが、すんでしまうと、こんどは、たいへんつかれていましたから、ねようと思って、一つの寝どこにはいってみました。けれども、どれもこれもちょうどうまくからだにあいませんでした。長すぎたり、短すぎたりしましたが、いちばんおしまいに、七ばんめの寝どこが、やっとからだにあいました。それで、その寝どこにはいって、神さまにおいのりをして、そのままグッスリねむってしまいました。
 日がくれて、あたりがまっくらになったときに、この小さな家の主人たちがかえってきました。その主人たちというのは、七人の小人(こびと)でありました。この小人たちは、毎日、山の中にはいりこんで、金や銀(ぎん)のはいった石をさがして、よりわけたり、ほりだしたりするのが、しごとでありました。小人(こびと)はじぶんたちの七つのランプに火をつけました。すると、家の中がパッとあかるくなりますと、だれかが、その中にいるということがわかりました。それは、小人たちが家をでかけたときのように、いろいろのものが、ちゃんとおいてなかったからでした。第一の小人が、まず口をひらいて、いいました。
「だれか、わしのいすに腰(こし)をかけた者があるぞ。」
 すると、第二の小人がいいました。
「だれか、わしのお皿(さら)のものをすこしたべた者があるぞ。」
 第三の小人がいいました。
「だれか、わしのパンをちぎった者があるぞ。」
 第四の小人がいいました。
「だれか、わしのやさいをたべた者があるぞ。」
 第五の小人がいいました。
「だれかわしのフォークを使った者があるぞ。」
 第六の小人(こびと)がいいました。
「だれか、わしのナイフで切った者があるぞ。」
 第七の小人がいいました。
「だれか、わしのさかずきでのんだ者があるぞ。」
 それから、第一の小人が、ほうぼうを見まわしますと、じぶんの寝(ね)どこが、くぼんでいるのを見つけて、声をたてました。
「だれが、わしの寝どこにはいりこんだのだ。」
 すると、ほかの小人(こびと)たちが寝(ね)どこへかけつけてきて、さわぎだしました。
「わしの寝どこにも、だれかがねたぞ。」
 けれども、第七ばんめの小人は、じぶんの寝どこへいってみると、その中に、はいってねむっている白雪姫を見つけました。こんどは、第七ばんめの小人が、みんなをよびますと、みんなは、なにがおこったのかと思ってかけよってきて、びっくりして声をたてながら七つのランプを持ってきて白雪姫をてらしました。
「おやおやおやおや、なんて、この子は、きれいなんだろう。」と、小人(こびと)はさけびました。それから小人たちは、大よろこびで、白雪姫(しらゆきひめ)をおこさないで、寝(ね)どこの中に、そのままソッとねさせておきました。そして、七ばんめの小人は、一時間ずつほかの小人の寝どこにねるようにして、その夜をあかしました。
 朝になって、白雪姫は目をさまして、七人の小人を見て、おどろきました。けれども、小人たちは、たいへんしんせつにしてくれて、「おまえさんの名まえはなんというのかな。」とたずねました。すると、
「わたしの名まえは、白雪姫というのです。」と、お姫さまは答えました。
「おまえさんは、どうして、わたしたちの家(うち)にはいってきたのかね。」と、小人たちはききました。そこで、お姫さまは、まま母が、じぶんをころそうとしたのを、かりうどが、そっと助けてくれたので、一日じゅう、かけずりまわって、やっと、この家を見つけたことを、小人たちに話しました。その話をきいて、小人たちは、
「もしも、おまえさんが、わしたちの家の中のしごとをちゃんと引きうけて、にたきもすれば、おとこものべるし、せんたくも、ぬいものも、あみものも、きちんときれいにする気があれば、わしたちは、おまえさんを家(うち)においてあげて、なんにもふそくのないようにしてあげるんだが。」といいました。
「どうぞ、おねがいします。」と、お姫さまはたのみました。それからは、白雪姫(しらゆきひめ)は、小人(こびと)の家にいることになりました。
 白雪姫は、小人の家のしごとを、きちんとやります。小人の方では毎朝、山にはいりこんで、金や銀(ぎん)のはいった石をさがし、夜になると、家にかえってくるのでした。そのときまでに、ごはんのしたくをしておかねばなりませんでした。ですから、ひるまは白雪姫は、たったひとりでるすをしなければなりませんので、しんせつな小人たちは、こんなことをいいました。
「おまえさんのまま母さんに用心なさいよ。おまえさんが、ここにいることを、すぐ知るにちがいない。だから、だれも、この家の中にいれてはいけないよ。」
 こんなことはすこしも知らない女王さまは、かりうどが白雪姫をころしてしまったものだと思って、じぶんが、また第一のうつくしい女になったと安心していましたので、あるとき鏡(かがみ)の前にいって、いいました。

「鏡や、鏡、壁(かべ)にかかっている鏡よ。
 国じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」

 すると、鏡が答えました。

「女王(じょおう)さま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。
 けれども、いくつも山こした、
 七人の小人の家にいる白雪姫(しらゆきひめ)は、
 まだ千ばいもうつくしい。」

 これをきいたときの、女王さまのおどろきようといったらありませんでした。この鏡は、けっしてまちがったことをいわない、ということを知っていましたので、かりうどが、じぶんをだましたということも、白雪姫が、まだ生きているということも、みんなわかってしまいました。そこで、どうにかして、白雪姫をころしてしまいたいものだと思いまして、またあたらしく、いろいろと考えはじめました。女王さまは、国じゅうでじぶんがいちばんうつくしい女にならないうちは、ねたましくて、どうしても、安心していられないからでありました。
 そこで、女王さまは、おしまいになにか一つの計略(けいりゃく)を考えだしました。そしてじぶんの顔を黒くぬって、年よりの小間物屋(こまものや)のような着物(きもの)をきて、だれにも女王さまとは思えないようになってしまいました。こんなふうをして、七つの山をこえて、七人の小人(こびと)の家にいって、戸をトントンとたたいて、いいました。
「よい品物(しなもの)がありますが、お買いになりませんか。」
 白雪姫はなにかと思って、窓(まど)から首をだしてよびました。
「こんにちは、おかみさん、なにがあるの。」
「上等(じょうとう)な品で、きれいな品を持ってきました。いろいろかわったしめひもがあります。」といって、いろいろな色の絹糸(きぬいと)であんだひもを、一つ取りだしました。白雪姫は、
「この正直(しょうじき)そうなおかみさんなら、家の中にいれてもかまわないだろう。」と思いまして、戸をあけて、きれいなしめひもを買いとりました。
「おじょうさんには、よくにあうことでしょう。さあ、わたしがひとつよくむすんであげましょう。」と、年よりの小間物屋(こまものや)はいいました。
 白雪姫は、すこしもうたがう気がありませんから、そのおかみさんの前に立って、あたらしい買いたてのひもでむすばせました。すると、そのばあさんは、すばやく、そのしめひもを白雪姫の首をまきつけて、強くしめましたので、息ができなくなって、死んだようにたおれてしまいました。
「さあ、これで、わたしが、いちばんうつくしい女になったのだ。」といって、まま母はいそいで、でていってしまいました。
 それからまもなく、日がくれて、七人の小人(こびと)たちが、家にかえってきましたが、かわいがっていた白雪姫が、地べたの上にたおれているのを見たときには、小人たちのおどろきようといったらありませんでした。白雪姫は、まるで死人のように、息もしなければ、動きもしませんでした。みんなで白雪姫を地べたから高いところにつれていきました。そして、のどのところが、かたくしめつけられているのを見て、小人たちは、しめひもを二つに切ってしまいました。すると、すこし息をしはじめて、だんだん元気づいてきました。小人たちは、どんなことがあったのかをききますと、姫はきょうあった、いっさいのことを話しました。
「その小間物売(こまものう)りの女こそ、鬼(おに)のような女王にちがいない。よく気をつけなさいよ。わたしたちがそばにいないときには、どんな人だって、家にいれないようにするんですよ。」と。
 わるい女王の方では、家にかえってくると、すぐ鏡(かがみ)の前にいって、たずねました。

「鏡や、鏡、壁(かべ)にかかっている鏡よ。
 国じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」

 すると、鏡は、正直(しょうじき)にまえとおなじに答えました。

「女王さま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。
 けれども、いくつも山こした、
 七人の小人(こびと)の家にいる白雪姫は、
 まだ千ばいもうつくしい。」

と、このことを女王さまがきいたときには、からだじゅうの血(ち)がいっぺんに、胸(むね)によってきたかと思うくらいおどろいてしまいました。白雪姫が、また生きかえったということを知ったからです。
「だが、こんどこそは、おまえを、ほんとうにころしてしまうようなことを工夫(くふう)してやるぞ。」そういって、じぶんの知っている魔法(まほう)をつかって、一つの毒(どく)をぬった櫛(くし)をこしらえました。それから、女王さまは、みなりをかえ、まえとはべつなおばあさんのすがたになって、七つの山をこえ、七人の小人のところにいって、トントンと戸をたたいて、いいました。
「よい品物(しなもの)がありますが、お買いになりませんか。」
 白雪姫は、中からちょっと顔をだして、
「さあ、あっちにいってちょうだい。だれも、ここにいれないことになっているんですから。」
「でも、見るだけなら、かまわないでしょう。」
 おばあさんはそういって、毒(どく)のついている櫛(くし)を、箱(はこ)から取りだし、手のひらにのせて高くさしあげてみせました。ところが、その櫛がばかに、白雪姫のお気にいりましたので、その方に気をとられて、思わず戸をあけてしまいました。そして、櫛を買うことがきまったときに、おばあさんは、
「では、わたしが、ひとつ、いいぐあいに髪(かみ)をといてあげましょう。」といいました。
 かわいそうな白雪姫は、なんの気なしに、おばあさんのいうとおりにさせました。ところが、櫛(くし)の歯(は)が髪の毛のあいだにはいるかはいらないうちに、おそろしい毒が、姫の頭(あたま)にしみこんだものですから、姫はそのばで気をうしなってたおれてしまいました。
「いくら、おまえがきれいでも、こんどこそおしまいだろう。」と、心のまがった女は、きみのわるい笑いを浮かべながら、そこをでていってしまいました。
 けれども、ちょうどいいぐあいに、すぐゆうがたになって、七人の小人(こびと)がかえってきました。そして、白雪姫が、また死んだようになって、地べたにたおれているのを見て、すぐまま母のしわざと気づきました。それで、ほうぼう姫のからだをしらべてみますと、毒(どく)の櫛(くし)が見つかりましたので、それをひきぬきますと、すぐに姫は息をふきかえしました。そして、きょうのことを、すっかり小人たちに話しました。小人たちは、白雪姫にむかってもういちど、よく用心して、けっしてだれがきても、戸をあけてはいけないと、ちゅういしました。
 心のねじけた女王さまは、家にかえって、鏡(かがみ)の前に立っていいました。

「鏡や、鏡、壁(かべ)にかかっている鏡よ。
 国じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」

 すると、鏡は、まえとおなじようにに答えました。

「女王さま、ここでは、あなたがいちばんうつくしい。
 けれども、いくつも山こした、
 七人の小人の家にいる白雪姫は、
 まだ千ばいもうつくしい。」

 女王さまは、鏡(かがみ)が、こういったのをきいたとき、あまりの腹(はら)だちに、からだじゅうをブルブルとふるわしてくやしがりました。
「白雪姫のやつ、どうしたって、ころさないではおくものか。たとえ、わたしの命がなくなっても、そうしてやるのだ。」と、大きな声でいいました。それからすぐ、女王さまは、まだだれもはいったことのない、はなれたひみつのへやにいって、そこで、毒(どく)の上に毒をぬった一つのリンゴをこさえました。そのリンゴは、見かけはいかにもうつくしくて、白いところに赤みをもっていて、一目見ると、だれでもかじりつきたくなるようにしてありました。けれども、その一きれでもたべようものなら、それこそ、たちどころに死んでしまうという、おそろしいリンゴでした。
 さて、リンゴが、すっかりできあがりますと、顔を黒くぬって、百姓(しょう)のおかみさんのふうをして、七つの山をこして、七人の小人(こびと)の家へいきました。そして、戸をトントンとたたきますと、白雪姫が、窓(まど)から頭(あたま)をだして、
「七人の小人が、いけないといいましたから、わたしは、だれも中にいれるわけにはいきません。」といいました。
「いいえ、はいらなくてもいいんですよ。わたしはね、いまリンゴをすててしまおうかと思っているところなので、おまえさんにも、ひとつあげようかと思ってね。」と、百姓(しょう)の女はいいました。
「いいえ、わたしはどんなものでも、人からもらってはいけないのよ。」と、白雪姫はことわりました。
「おまえさんは、毒(どく)でもはいっていると思いなさるのかね。まあ、ごらんなさい。このとおり、二つに切って、半分はわたしがたべましょう。よくうれた赤い方を、おまえさんおあがりなさい。」といいました。
 そのリンゴは、たいへんじょうずに、こしらえてありまして、赤い方のがわだけに、毒(どく)がはいっていました。白雪姫は、百姓のおかみさんが、さもうまそうにたべているのを見ますと、そのきれいなリンゴがほしくてたまらなくなりました。それで、ついなんの気なしに手をだして、毒(どく)のはいっている方の半分を受けとってしまいました。けれども、一かじり口にいれるかいれないうちに、バッタリとたおれ、そのまま息がたえてしまいました。すると、女王さまは、そのようすをおそろしい目つきでながめて、さもうれしそうに、大きな声で笑いながら、
「雪のように白く、血(ち)のように赤く、こくたんのように黒いやつ、こんどこそは、小人(こびと)たちだって、助けることはできまい。」といいました。そして、大いそぎで家にかえりますと、まず鏡(かがみ)のところにかけつけてたずねました。

「鏡や、鏡、壁(かべ)にかかっている鏡よ。
 国じゅうで、だれがいちばんうつくしいか、いっておくれ。」

 

後略


--------------------------------------------------------------------------------

底本:「グリム 世界名作 白雪姫」光文社
   1949(昭和24)年3月5日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:大久保ゆう
校正:鈴木厚司
2005年2月22日作成
青空文庫作成ファイル:


賢者の贈り物  The Gift of the Magi オー・ヘンリー作 結城浩訳

2008-07-26 16:25:59 | ▲教育
賢者の贈り物
The Gift of the Magi
結城浩訳

1ドル87セント。それで全部。しかもそのうち60セントは小銭でした。小銭は一回の買い物につき一枚か二枚づつ浮かせたものです。乾物屋や八百屋や肉屋に無理矢理まけさせたので、しまいに、こんなに値切るなんてという無言の非難で頬が赤くなるほどでした。デラは三回数えてみました。でもやっぱり1ドル87セント。明日はクリスマスだというのに。

これでは、まったくのところ、粗末な小椅子に突っ伏して泣くしかありません。ですからデラはそうしました。そうしているうちに、人生というものは、わあわあ泣くのと、しくしく泣くのと、微笑みとでできており、しかも、わあわあ泣くのが大部分を占めていると思うようになりました。

この家の主婦が第一段階から第二段階へと少しづつ移行している間に、家の様子を見ておきましょう。ここは週8ドルの家具付きアパートです。全く筆舌に尽くしがたいというわけではないけれど、浮浪者一掃部隊に気をつけるためにアパートという名前をつけたに違いありません。

階下には郵便受けがありましたが手紙が入る様子はなく、呼び鈴はありましたが人間の指では鳴らせそうもありません。その上には「ミスター・ジェームズ・ディリンガム・ヤング」という名前が書かれた名刺が貼ってありました。

その「ディリンガム」の文字は、その名の持ち主に週30ドルの収入があった繁栄の時代にはそよ風にはためいてきました。でもいまや収入は20ドルに減ってしまい、文字たちはもっと慎ましく謙遜な「D」一文字に押し縮めようかと真剣に考えているようでした。しかし、ジェームズ・ディリンガム・ヤング氏が家に帰って二階のアパートに着くと、すでにデラとしてご紹介済みのジェームズ・ディリンガム・ヤング夫人が、「ジム」と呼びながら、いつでもぎゅうっと夫を抱きしめるのでした。これはたいへん結構なことですね。

デラは泣くのをやめ、頬に白粉をはたくのに意識を集中させました。デラは窓辺に立ち、灰色の裏庭にある灰色の塀の上を灰色の猫が歩いているのを物憂げに見ました。明日はクリスマスだというのに、ジムに贈り物を買うお金が1ドル87セントしかありません。何月も何月もコツコツとためてきたのに、これがその結果なのです。週20ドルでは、大したことはできません。支出はデラが計算した以上にありました。支出というものはいつだってそういうものでした。ジムへの贈り物を買うのに1ドル87セントしかないなんて。大切なジムなのに。デラは、ジムのために何かすばらしいものをあげようと、長い間計画していたのです。何か、すてきで、めったにないもの ―― ジムの所有物となる栄誉を受けるに少しでも値する何かを。

その部屋の窓と窓の間には姿見の鏡が掛けられていました。たぶんあなたも8ドルの安アパートで見たことのあるような姿見でした。たいそう細身で機敏な人だけが、縦に細長い列に映る自分をすばやく見てとって、全身像を非常に正確に把握することができるのでしょう。デラはすらっとしていたので、その技術を会得しておりました。

急にデラは窓からくるりと身をひるがえし、その鏡の前に立ちました。デラの目はきらきらと輝いていましたが、顔は20秒の間、色を失っていたのでした。デラは手早く髪を下ろし、その長さいっぱいまで垂らしました。

さて、ジェームズ・ディリンガム・ヤング家には、誇るべき二つのものがありました。一つはジムの金時計です。かつてはジムの父、そしてその前にはジムの祖父が持っていたという金時計。もう一つはデラの髪でした。シバの女王が通風縦孔の向こう側のアパートに住んでいたとしましょう。ある日、デラが窓の外にぬれた髪を垂らして乾かそうとしたら、それだけで、女王様の宝石や宝物は色あせてしまったことでしょう。また、ソロモン王がビルの管理人をやっていて、宝物は地下室に山積みしていたとしましょう。ジムが通りがかりに時計を出すたび、王様はうらやましさのあまり、ひげをかきむしったことでしょう。

さて、そのデラの美しい髪は褐色の小さな滝のようにさざなみをうち、輝きながら彼女のまわりを流れ落ちていきました。髪はデラの膝のあたりまで届き、まるで長い衣のようでした。やがてデラは神経質そうにまた手早く髪をまとめあげました。ためらいながら1分間じっと立っていました。が、そのうちに涙が一粒、二粒、すりきれた赤いカーペットに落ちました。

デラは褐色の古いジャケットを羽織り、褐色の古い帽子をかぶりました。スカートをはためかせ、目にはまだ涙を光らせて、ドアの外に出ると、表通りへ続く階段を降りていきました。

デラが立ち止まったところの看板には、「マダム・ソフロニー。ヘア用品なら何でも。」と書いてありました。デラは階段を一つかけのぼり、胸をどきどきさせながらも気持ちを落ち着けました。女主人は大柄で、色は白すぎ、冷ややかで、とうてい「ソフロニー」という名前のようには見えませんでした。

「髪を買ってくださいますか」とデラは尋ねました。

「買うさ」と女主人は言いました。「帽子を取って見せなさいよ」

褐色の滝がさざなみのようにこぼれ落ちました。

「20ドル」手馴れた手つきで髪を持ち上げて女主人は言いました。

「すぐにください」とデラは言いました。

ああ、それから、薔薇のような翼に乗って2時間が過ぎていきました。 …なんて、使い古された比喩は忘れてください。デラはジムへの贈り物を探してお店を巡っておりました。

そしてとうとうデラは見つけたのです。それは確かにジムのため、ジムのためだけに作られたものでした。それほどすばらしいものはどの店にもありませんでした。デラは全部の店をひっくり返さんばかりに見たのですから。それはプラチナの時計鎖で、デザインはシンプルで上品でした。ごてごてした飾りではなく、素材のみがその価値を主張していたのです ―― すべてのよきものがそうあるべきなのですが。その鎖は彼の時計につけるのにふさわしいとまで言えるものでした。その鎖を見たとたん、これはジムのものだ、とデラにはわかりました。この鎖はジムに似ていました。寡黙だが、価値がある ―― この表現は鎖とジムの両者に当てはまりました。その鎖には21ドルかかり、デラは87セントをもって家に急いで帰りました。この鎖を時計につければ、どんな人の前でもちゃんと時間を気にすることができるようになるでしょう。時計はすばらしかったのですが、鎖の代わりに古い皮紐をつけていたため、ジムはこそこそと見るときもあったのです。

デラが家に着いたとき、興奮はやや醒め、分別と理性が頭をもたげてきました。ヘアアイロンを取り出し、ガスを着けると、愛に気前の良さを加えて生じた被害の跡を修繕する作業にかかりました。そういうのはいつも大変な仕事なのですよ、ねえあなた ―― とてつもなく大きな仕事なのですよ。

40分のうちに、デラの髪は小さく集まったカールで覆われました。髪型のせいで、まるで、ずる休みした学童みたいに見えました。デラは、鏡にうつる自分の姿を、長い間、注意深く、ためつすがめつ見つめました。

「わたしのことを殺しはしないだろうけれど」とデラは独り言をいいました。「ジムはわたしのことを見るなり、コニーアイランドのコーラスガールみたいだって言うわ。でもわたしに何ができるの ―― ああ、ほんとうに1ドル87セントで何ができるっていうの?」

7時にはコーヒーの用意ができ、フライパンはストーブの上にのり、チョップを焼く準備ができました。

ジムは決して遅れることはありませんでした。デラは時計の鎖を手の中で二重に巻き、彼がいつも入ってくるドアの近くのテーブルの隅に座りました。やがて、ジムがはじめの階段を上ってくる足音が聞こえると、デラは一瞬顔が青ざめました。デラは毎日のちょっとしたことでも小さな祈りを静かに唱える習慣がありましたが、このときは「神さま。どうかジムがわたしのことを今でもかわいいと思ってくれますように」とささやきました。

ドアが開き、ジムが入り、ドアを閉めました。ジムはやせていて、生真面目な顔つきをしていました。かわいそうに、まだ22歳なのに ―― 彼は家庭を背負っているのです。新しいオーバーも必要だし、手袋もしていませんでした。

ジムは、ドアの内で立ち止まりました。うずらの匂いにじっとしている猟犬と同じように、そのまま動きませんでした。ジムの目はデラに釘付けでした。そしてその目には読み取ることのできない感情が込められていて、デラは恐くなってしまいました。それは憤怒ではなく、驚嘆でもなく、拒否でもなく、恐怖でもなく、デラが心していたどんな感情でもありませんでした。ジムは顔にその奇妙な表情を浮かべながら、ただ、じっとデラを見つめていたのです。

デラはテーブルを回ってジムの方へ歩み寄りました。

「ジム、ねえ、あなた」デラは声をあげました。「そんな顔して見ないで。髪の毛は切って、売っちゃったの。だって、あなたにプレゼント一つあげずにクリスマスを過ごすなんて絶対できないんだもの。髪はまた伸びるわ ―― 気にしない、でしょ? こうしなきゃ駄目だったの。ほら、わたしの髪ってすごく早く伸びるし。『メリー・クリスマス』って言ってよ、ジム。そして楽しく過ごしましょ。どんなに素敵な ―― 綺麗で素敵なプレゼントをあなたに用意したか、当てられないわよ」

「髪を切ったって?」とジムは苦労しつつ尋ねました。まるで、懸命に頭を働かせても明白な事実にたどり着けないようなありさまでした。

「切って、売っちゃったの」とデラは言いました。「それでも、わたしのこと、変わらずに好きでいてくれるわよね。髪がなくても、わたしはわたし、よね?」

ジムは部屋をさがしものでもするかのように見まわしました。

「髪がなくなっちゃったって?」ジムは何だか馬鹿になったように言いました。

「探さなくてもいいのよ」とデラは言いました。「売っちゃったの。だから、―― 売っちゃったからなくなったのよ。ねえ、クリスマスイブでしょ。優しくして。髪がなくなったのは、あなたのためなのよ。たぶん、わたしの髪の毛の一本一本まで神様には数えられているでしょうね」デラは急に真面目になり、優しく続けました。「でも、わたしがあなたをどれだけ愛しているかは、誰にもはかることはできないわ。チョップをかけてもいい、ジム?」

ジムはぼうっとした状態からはっと戻り、デラを抱きしめました。さて、それではここで10秒間、趣を変えたささやかな事柄について控え目に吟味をしてみましょう。週8ドルと年100万ドル ―― その違いは何でしょうか。数学者や知恵者に尋ねたら、誤った答えが返って来るでしょう。東方の賢者は高価な贈り物を持ってきましたが、その中に答えはありませんでした。何だか暗いことを申しましたが、ここで述べた言明は、後にはっきりと光り輝くことになるのです。

ジムはオーバーのポケットから包みを取り出すと、テーブルに投げ出しました。

「ねえデラ、僕のことを勘違いしないで。髪型とか肌剃とかシャンプーとか、そんなもので僕のかわいい女の子を嫌いになったりするもんか。でも、その包みを開けたら、はじめのうちしばらく、どうして僕があんな風だったかわかると思うよ」

白い指がすばやく紐をちぎり紙を破りました。そして歓喜の叫びが上がり、それから、ああ、ヒステリックな涙と嘆きへと女性らしくすぐさま変わっていったのです。いそいで、そのアパートの主人が必死になって慰めなければなりませんでした。

包みの中には櫛(くし)が入っていたのです ―― セットになった櫛で、横と後ろに刺すようになっているものでした。その櫛のセットは、デラがブロードウェイのお店の窓で、長い間あがめんばかりに思っていたものでした。美しい櫛、ピュアな亀甲でできていて、宝石で縁取りがしてあって ―― 売ってなくなった美しい髪にぴったりでした。その櫛が高価だということをデラは知っていました。ですから、心のうちでは、その櫛がただもう欲しくて欲しくてたまらなかったのですけれど、実際に手に入るなんていう望みはちっとも抱いていなかったのです。そして、いま、この櫛が自分のものになったのです。けれども、この髪飾りによって飾られるべき髪の方がすでになくなっていたのでした。

しかし、デラは櫛を胸に抱きました。そしてやっとの思いで涙で濡れた目をあげ、微笑んでこう言うことができました。「わたしの髪はね、とっても早く伸びるのよ、ジム!」

そしてデラは火で焼かれた小猫のようにジャンプして声をあげました。「きゃっ、そうだ!」

自分がもらう美しい贈り物をジムはまだ見ていないのです。デラは手のひらに贈り物を乗せ、ジムに思いを込めて差し出しました。貴金属の鈍い光は、デラの輝くばかりの熱心な気持ちを反射しているかのようでした。

「ねえ素敵じゃない? 町中を探して見つけたのよ。あなたの時計にこの鎖をつけたら、一日に百回でも時間を調べたくなるわよ。時計、貸してよ。この鎖をつけたらどんな風になるか見たいの」

デラのこの言葉には従わず、ジムは椅子にどさりと腰を下ろし、両手を首の後ろに組んでにっこりと微笑みました。

「ねえデラ。僕達のクリスマスプレゼントは、しばらくの間、どこかにしまっておくことにしようよ。いますぐ使うには上等すぎるよ。櫛を買うお金を作るために、僕は時計を売っちゃったのさ。さあ、チョップを火にかけてくれよ」

東方の賢者は、ご存知のように、賢い人たちでした ―― すばらしく賢い人たちだったんです ―― 飼葉桶の中にいる御子に贈り物を運んできたのです。東方の賢者がクリスマスプレゼントを贈る、という習慣を考え出したのですね。彼らは賢明な人たちでしたから、もちろん贈り物も賢明なものでした。たぶん贈り物がだぶったりしたときには、別の品と交換をすることができる特典もあったでしょうね。さて、わたくしはこれまで、つたないながらも、アパートに住む二人の愚かな子供たちに起こった、平凡な物語をお話してまいりました。二人は愚かなことに、家の最もすばらしい宝物を互いのために台無しにしてしまったのです。しかしながら、今日の賢者たちへの最後の言葉として、こう言わせていただきましょう。贈り物をするすべての人の中で、この二人が最も賢明だったのです。贈り物をやりとりするすべての人の中で、この二人のような人たちこそ、最も賢い人たちなのです。世界中のどこであっても、このような人たちが最高の賢者なのです。彼らこそ、本当の、東方の賢者なのです。


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<版権表示>

Copyright (C) 1999 Hiroshi Yuki (結城 浩)
本翻訳は、この版権表示を残す限り、訳者および著者にたいして許可をとったり使用料を支払ったりすること一切なしに、商業利用を含むあらゆる形で自由に利用・複製が認められます。

プロジェクト杉田玄白正式参加作品。

<版権表示終り>


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http://www.hyuki.com/
http://www.hyuki.com/trans/magi.html
リンクはご自由に。フィードバックはお気軽に。



[大学受験:世界史・日本史の論述のトレーニング]

2008-07-22 15:32:30 | ▲教育
www.shirabemono.com
[大学受験:世界史・日本史の論述のトレーニング]
参考文献: 問合せ:::nakamurayoshio@gmail.com
①Z会出版 段階式 世界史論述のトレーニング 
     ②歴史図書総目録 2007年度版 400円
     ③河合出版 世界史論述 例題69+練習問題+有料添削 
     ④岩波書店 「鹿野政直思想史論集 全7巻 四六判・平均440頁
     ⑤浜島書店 新詳日本史www.hamajima.co.jp 環境に易しい再生紙使用
     ⑥帝国書院 最新世界史図説タペストリー [※タペストリーとは?] 
     ⑦秋田書店 臨時増刊歴史と旅 昭和61年4月5日発行 
     ⑧学研 駿台予備校斉藤の直前講習 世界史B 文化史&人物
     ⑨帝国書院 図説 ユニバーサル世界史資料 編集:帝国書院編集部
⑩毎日新聞社 1億人の昭和史11 昭和への道程ー大正 1976.3
⑪MANGAゼミナール 大学受験頻出555シリーズ 資料日本史他
      試験場必携BOOK 試験に出る[重要事項トップ10]
      【競作】慶応大学漫画倶楽部・明治大学漫画研究会・早稲田大学漫画研究会
     ⑫NHK第2放送 心をよむ 聖書・コーラン1985.10~86.3



①Z会出版 段階式 世界史論述のトレーニング P21 の解答例

     「ユダヤ教は唯一神ヤハウェを信奉する宗教で、ヤハウェと契約を結んだユダヤ教のみが救済されるとする選民思想やメシア信仰、律法の遵守を特徴とする。 
 (ぴったり 70字)

 

   





[ユダヤ教(抜粋)


ダビデの星ユダヤ教は、古代の中近東で始まった唯一神 ヤハウェを神とし、選民思想やメシア信仰などを特色とする民族宗教である。⇒約60字




ダビデの星ユダヤ教(ゆだやきょう)は、古代の中近東で始まった唯一神 ヤハウェ(ヤハズース יְהֲדוּת yahדdhūth(yahדנטjAƒ„ƒnƒhƒD[ƒg yahadutj‚נ_‚ֶ‚µA‘I–¯Žv‘z‚גƒƒVƒAM‹ֲ‚ָ‚ַ‚נ“ֱF‚ֶ‚·‚י–¯‘°@‹³‚ֵ‚ ‚יBֻ–ס‚U‚OŽš





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【寺山修司】人物に関する⑳書★か★項★で★。★の★事★加★・★正★ど★て★さ★協★者★求★て★ま★(

2008-07-22 15:30:45 | ▲教育
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞編集室 中村惇夫

寺山修司

寺山 修司
生誕 1935年12月10日
日本、青森県弘前市紺屋町
没年 1983年5月4日(満47歳没)
日本、東京都杉並区
職業 小説家、映画監督
文学

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出版社・文芸雑誌
文学賞
作家
詩人・小説家
その他作家

①■■■■ (てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は、日本の詩人、歌人、俳人、エッセイスト、小説家、評論家、映画監督、俳優、作詞家、写真家、劇作家、演出家など。演劇実験室・天井桟敷主宰。本業を問われると「僕の職業は②■■■■です」とかえすのが常だった。

③■■の■■術師の異名をとり、膨大な量の文芸作品④(小説・■ッ■■・評論・戯曲・■■■オなど)を発表。その一方で、⑤■画・■劇なども幅広く手掛けた。競馬への造詣も深く、『ユリシーズ』(船橋競馬場所属)という競走馬の⑥■主になるほど。メディアの寵児的存在で、新聞や雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行なった。

目次 [非表示]
1 生涯
2 俳句・短歌・詩
3 エッセイ・評論
3.1 競馬
4 脚本
4.1 ラジオ
4.2 テレビ
4.3 映画
4.4 長編
5 演劇
6 映画
6.1 長編
6.2 短編
7 作詞
8 寺山修司研究書
9 外部リンク



[編集] 生涯
1935年(昭和10年)12月10日生まれ。
母ハツによれば、青森県弘前市紺屋町生まれ。
寺山によれば、「走っている列車の中で生まれ、ゆえに故郷はない」など、出身地に関して異なった記述が見られる。寺山のこうした記述には多分に創作が混じっているといわれる。
戸籍上は1936年(昭和11年)1月10日が出生日となっている。これもハツによれば、「父の仕事が忙しく、母ハツは産後保養していたため」という。本籍地は青森県上北郡六戸村(現:三沢市)。
父・八郎、母・ハツの長男として生を受ける。父・八郎は当時弘前警察署勤務。父の転勤のため、県内各所を転々とする。
1941年(昭和16年)八戸市へ転居。
父八郎出征(その後戦死)のため、母と三沢市へ疎開。母はその後九州で働くために青森市の親類に預けられる。青森市マリア幼稚園入園。
1942年(昭和17年)青森市立浦町尋常小学校(現:浦町小学校)入学。
1945年(昭和20年)⑦■■大■■。青森市街地をほぼ焼き尽くす米軍による集中攻撃だった。母ハツとともに逃げ惑い焼け出される。家も焼け一面焼け野原。9月父八郎が⑧セ■■ス島で戦病死したとの公報を受け取る。
終戦後はハツの兄を頼り六戸村古間木(現:三沢市)の古間木駅前(現:三沢駅)に転居。古間木小学校に転校。中学2年までを過ごす。ハツは⑨■■軍の米軍キャンプで働く。
米軍差し押さえの民家に移る。
1948年(昭和23年)古間木中学校入学。母ハツが福岡県の米軍ベースキャンプへ移り、転居したため、青森市内の叔父の映画館「歌舞伎座」に引き取られ、転校。
秋、青森市立野脇中学校(統合されて廃止、跡地は青森市文化会館)に転校。
1949年(昭和24年)中学2年生で京武久美と友人になる。京武久美は句作をしており、その影響から俳句へのめり込んでいく。⑩■■部に入り、俳句や詩や童話を学校新聞に書き続ける。
1951年(昭和26年)⑪■■県立■■高等学校進学。文学部に所属。⑫「山彦■■会」を結成し、高校1年生の終わり頃⑬「校内■■大会」を主催。⑭全国学生■■会議結成。京武久美と⑮■■雑誌『牧羊神』創刊、高校卒業まで編集・発行を続ける。同期生に沢田教一。
1954年(昭和29年)⑯■■■大学■■学部国文学科(現・国語国文学科)に入学。⑰■■太一とは同級。在学中から⑱■■■大学短歌会などにて歌人として活動。18歳で⑲第2回■■研究50首詠(後の短歌研究新人賞)受賞。混合性腎臓炎で立川の病院に入院。
1955年(昭和30年)ネフローゼと診断されて入院。
1956年(昭和31年)在学1年足らずで中途退学。
20歳で処女戯曲『失われた領分』が早稲田大学の大隈講堂「緑の詩祭」で上演され、それを観た⑳■■俊太郎の病院見舞いを受けて交際が始まる。
21歳で第一作品集『われに五月を』が出版される。
1958年(昭和33年)第一歌集『空には本』が出版される。退院。
1960年(昭和35年)2月第3作目のラジオ・ドラマ『大人狩り』が放送される。長編戯曲①『★は★ったまま★っている』が②★★慶太の③「★★四季」で上演される。④★★正浩監督作品のシナリオを担当し、⑤★★渚と出会う。
25歳で母ハツと四谷のアパートでおよそ12年ぶりに同居。
27歳で松竹の⑥女優★★映子と結婚。母ハツとの同居先を出る。
1967年(昭和42年)1月1日演劇実験室・⑦★★桟敷を結成。4月18日草月アートセンターで旗揚げ公演。演し物は⑧『★★★のせむし★』。6月新宿末広亭で第二回公演『大山でぶ子の犯罪』。アートシアター新宿文化で第三回公演『毛皮のマリー』。3月評論集⑨『書★捨★★、町★出★★』が刊行される。劇作家・詩人・歌人・演出家として活躍。
33歳で九條映子と別居。
1969年(昭和44年)西ドイツ(当時)フランクフルトの『国際実験演劇祭』に招かれて初の海外公演⑩『★★のマリー』『犬神』。
1970年(昭和45年)3月24日、人気漫画⑪『★★★のジョー』の登場人物・力石徹の“葬儀”で葬儀委員長を務める。
34歳で九條映子と離婚。
1971年(昭和46年)⑨『★を★てよ、★へ★よう』で劇映画に進出した。フランスのニースで作家ル・クレジオと二日間語り明かす。ロッテルダム国際詩人祭に出席し、詩を朗読。フランスのナンシー市の演劇祭で公演『人力飛行機ソロモン』『邪宗門』。ベルリンのフォーラム・シアターで公演『邪宗門』。ベオグラード国際演劇祭でグランプリ『邪宗門』。
1974年(昭和49年)映画『田園に死す』が公開され、芸術祭奨励新人賞受賞。
1979年(昭和54年)肝硬変で入院。
1981年(昭和56年)肝硬変で入院。
1982年(昭和57年)朝日新聞に詩『懐かしのわが家』を発表。パリで「天井桟敷」最後の海外公演『奴婢訓』。
1983年(昭和58年)東京都杉並区永福在住中に、河北総合病院にて、敗血症で死去。享年49(満47歳没)。死後、青森県三沢市に⑩★★★★記念館が建てられた
2008年(平成20年)2月、20代で辞めたとされていた短歌の遺稿集が発見され、田中未知編纂により188首の歌集「月蝕書簡」(岩波書店)の刊行が決まった。

[編集] 俳句・短歌・詩
われに五月を (1957年) - 第一作品集
はだしの恋唄 (1957年)
櫂詩劇作品集 (1957年)
空には本 (1958年) - 歌集
血と麦 (1962年) - 歌集
ひとりぼっちのあなたに (1965年)
田園に死す (1965年) - 歌集
長編叙事詩・地獄篇
寺山修司全歌集(1971年)
わが金枝篇(1973年) - 句集
花粉航海(1975年) - 句集
寺山修司俳句全集 (1986年)

[編集] エッセイ・評論
戦後詩 (1965年)
みんなを怒らせろ (1966年)
競馬場で合おう (1966年)
対談・競馬論 (1969年)
⑪★敗れて★★あり (1971年)

[編集] 競馬
寺山の競馬の出会いは1956年。ネフローゼで入院中でのことで、同室の韓国人から賭博とともにそれを学んだ。

1962年、山野浩一と親しくなったころから足繁く競馬場に通うようになり、1963年、牝馬ミオソチスに心酔して⑫★★エッセイを書き始め、競馬を人生やドラマになぞらえて語るなどの独特の語り口で人気を博した。

1964年にはTBSテレビのドキュメンタリー番組『サラブレッド・我が愛』の台本・構成を手掛けている。

1968年、船橋競馬のある騎手から「寺山さんのエッセイは中央競馬寄り」という批判を受けたことをきっかけに、「ユリシーズ」(南関東)の馬主となる。1970年からは⑬★★新聞★★面に競馬予想コラム『みどころ』『風の吹くまゝ』を連載し、これは1983年4月、死の直前まで続いた。

競馬界のスポークスマン的存在で、1973年には⑭★★★★★★会(JRA)のコマーシャルに出演。⑮『カモメは★びながら★を★える。★★は★びながら★★いていく』という自作のコピーを朗読。1974年にハイセイコーが引退すると、引退記念レコード⑯『さらば★★★★★★』の⑰★成、詩の朗読を行なった。

1978年の日経新春杯でテンポイントが骨折、2ヵ月後に死亡すると、⑱★悼★「さ★ば、★ン★イ★ト」を残した。この詩は関西テレビのテンポイント追悼特集番組『風花に散った流星』で紹介された。

1978年6月にはNHKが製作した『ルポルタージュにっぽん』「ダービーの日」という番組に進行役として出演。同年5月28日に開催された日本ダービーでの⑲「★★競馬場の★い★★」を騎手、調教師、観客らの姿にスポットを当てて描くというドキュメンタリーの形で綴った。

1981年のカブトシロー薬殺未遂騒動の際には、寺山を中心とした10人の競馬マニアの連名で中央競馬会に抗議文を提出している。

1982年に寺山が選んだ「私の忘れがたかった馬ベスト10」(競馬放浪記あとがき)はミオソチス、カブトシロー、モンタサン、ホワイトフォンテン、テンポイント、ハイセイコー、メジロボサツ、ユリシーズ、タカツバキ、テキサツシチ。騎手では中島啓之、のちに吉永正人を贔屓にした。まだ人気にも話題にもなっていない頃から彼らを熱心に取り上げ、「ダービーに勝つまで書き続ける」のが常だった。寺山の応援の効果か、両者共にダービー制覇を成し遂げているが、残念ながら吉永正人がミスターシービーで悲願達成したシーンを見届ける事は、肝心の寺山がダービー開催3週間前に急逝した為に叶わなかった。

ちなみに、前述の報知新聞競馬面予想コラム『風の吹くまゝ』の最終回は1983年皐月賞の当日で、寺山は『勝つのはミスターシービー』とコラムに記し、吉永正人とミスターシービーの勝利を確信していた。


[編集] 脚本

[編集] ラジオ
中村一郎
コメット・イケヤ

[編集] テレビ
一匹
ミュージカル わが心のかもめ(1966年(昭和41年)3月22日放送/NHK)

[編集] 映画
(監督作品を除く)

みな殺しの歌より 拳銃よさらば(1960年)
乾いた湖(1960年)
わが恋の旅路(1961年)
夕陽に赤い俺の顔(1961年)
涙を、獅子のたて髪に(1962年)
初恋・地獄篇(1968年)
無頼漢(1970年)
サード(1978年)
怪盗ジゴマ 音楽篇(1988年)

[編集] 長編

[編集] 演劇
演劇活動については天井桟敷参照。


[編集] 映画

[編集] 長編
書を捨てよ町へ出よう(1971年)
田園に死す(1974年)
ボクサー(1977年)
草迷宮(1978年)
上海異人娼館/チャイナ・ドール(1980年)
さらば箱舟(1982年、公開1984年)
寺山修司&谷川俊太郎ビデオ・レター(1983年)

[編集] 短編
猫学 (Catology) (1960年)
檻囚 (1962年)
トマトケチャップ皇帝 (1970年)
ジャンケン戦争 (1971年) - トマトケチャップ皇帝の抜粋・再構成版。
ローラ (1974年)
蝶服記(1974年)
青少年のための映画入門(1974年)
疱瘡譚(1975年)
迷宮譚(1975年)
審判(1975年)
二頭女(1977年)
マルドロールの歌(1977年)
消しゴム(1977年)
一寸法師を記述する試み(1977年)
書見機(1977年)

[編集] 作詞
「時には母のない子のように」や「あしたのジョー」の作詞家として意外性をもって語られることが多いが、決して「作家のサイドワーク」ではなく、作詞家寺山修司としての活動である。ミュージシャンへの歌詞提供だけでも100曲以上、演劇・映画関連のものを含めると、ゆうに600曲を超える。

戦争は知らない(1967年、ザ・フォーク・クルセダーズ)
涙のオルフェ(1968年、フォーリーブス)
新 初恋(1968年、江夏圭介)
かもめ(1968年、浅川マキ)
時には母のない子のように(1969年、カルメン・マキ)
涙のびんづめ(1969年、伊東きよ子)
さよならだけが人生ならば(1969年、六文銭)
首つりの木(1970年、J.A.シーザー)
酔いどれ船(1970年、緑魔子)
あしたのジョー(1970年、尾藤イサオ)
孤独よ おまえは(1971年、ザ・シャデラックス)
勇士のふるさと(1972年、ヤング101)
人の一生かくれんぼ(1972年、日吉ミミ)
君にお月さまをあげたい(1973年、郷ひろみ)
海猫(1973年、北原ミレイ)
新宿港(1974年、桜井京)
浜昼顔(1974年、五木ひろし)
がんばれ長嶋ジャイアンツ(1975年、湯原昌幸/1993年に再リリース)
元気ですか(1976年、JOHNNYS'ジュニア・スペシャル)
ぼくの消息(1976年、豊川誕)
与謝野晶子(1978年、朝丘雪路)
もう頬づえはつかない(1979年、荒井沙知)

[編集] 寺山修司研究書
寺山修司東京研究会『寺山修司の情熱の燃やし方』文化創作出版、2000年、217頁。ISBN 9784893871893

[編集] 外部リンク
三沢市 寺山修司記念館
寺山修司のお墓
http://imaginationtakeover.blogspot.com/2008/05/selected-films-by-shuji-terayama-on.html
この「寺山修司」は、人物に関する⑳書★か★項★で★。★の★事★加★・★正★ど★て★さ★協★者★求★て★ま★(ウィキプロジェクト 人物伝)。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%B1%B1%E4%BF%AE%E5%8F%B8" より作成
カテゴリ: 日本の詩人 | 日本の小説家 | 日本の劇作家 | 日本の作家 | 日本の映画監督 | 日本の作詞家 | NHK紅白歌合戦歌唱楽曲・作詞者・作曲者 | 日本の俳優 | 歌人 | 競馬評論家 | 馬主 | 1935年生 | 1983年没 | 青森県出身の人物 | 人物関連のスタブ項目


最終更新 2008年5月30日 (金) 11:28。 Wikipedia®




















寺山修司


寺山 修司 (てらやま しゅうじ、1935年12月10日 - 1983年5月4日)は、日本の詩人、歌人、俳人、エッセイスト、小説家、評論家、映画監督、俳優、作詞家、写真家、劇作家、演出家など。演劇実験室・天井桟敷主宰。本業を問われると「僕の職業は寺山修司です」とかえすのが常だった。

言葉の錬金術師の異名をとり、膨大な量の文芸作品(小説・エッセイ・評論・戯曲・シナリオなど)を発表。その一方で、映画・演劇なども幅広く手掛けた。競馬への造詣も深く、『ユリシーズ』(船橋競馬場所属)という競走馬の馬主になるほど。メディアの寵児的存在で、新聞や雑誌などの紙面を賑わすさまざまな活動を行なった。




[編集] 生涯
1935年(昭和10年)12月10日生まれ。
1945年(昭和20年)青森大空襲。青森市街地をほぼ焼き尽くす米軍による集中攻撃だった。母ハツとともに逃げ惑い焼け出される。家も焼け一面焼け野原。9月父八郎がセレベス島で戦病死したとの公報を受け取る。
終戦後はハツの兄を頼り六戸村古間木(現:三沢市)の古間木駅前(現:三沢駅)に転居。古間木小学校に転校。中学2年までを過ごす。ハツは進駐軍の米軍キャンプで働く。

秋、青森市立野脇中学校(統合されて廃止、跡地は青森市文化会館)に転校。
1949年(昭和24年)中学2年生で京武久美と友人になる。京武久美は句作をしており、その影響から俳句へのめり込んでいく。文芸部に入り、俳句や詩や童話を学校新聞に書き続ける。
1951年(昭和26年)青森県立青森高等学校進学。文学部に所属。「山彦俳句会」を結成し、高校1年生の終わり頃「校内俳句大会」を主催。全国学生俳句会議結成。京武久美と俳句雑誌『牧羊神』創刊、高校卒業まで編集・発行を続ける。同期生に沢田教一。
1954年(昭和29年)早稲田大学教育学部国文学科(現・国語国文学科)に入学。山田太一とは同級。在学中から早稲田大学短歌会などにて歌人として活動。18歳で第2回短歌研究50首詠(後の短歌研究新人賞)受賞。混合性腎臓炎で立川の病院に入院。
20歳で処女戯曲『失われた領分』が早稲田大学の大隈講堂「緑の詩祭」で上演され、それを観た谷川俊太郎の病院見舞いを受けて交際が始まる。
21歳で第一作品集『われに五月を』が出版される。
1958年(昭和33年)第一歌集『空には本』が出版される。退院。
1960年(昭和35年)2月第3作目のラジオ・ドラマ『大人狩り』が放送される。長編戯曲『血は立ったまま眠っている』が浅利慶太の「劇団四季」で上演される。篠田正浩監督作品のシナリオを担当し、大島渚と出会う。
25歳で母ハツと四谷のアパートでおよそ12年ぶりに同居。
27歳で松竹の女優九條映子と結婚。母ハツとの同居先を出る。
1967年(昭和42年)1月1日演劇実験室・天井桟敷を結成。4月18日草月アートセンターで旗揚げ公演。演し物は『青森県のせむし男』。6月新宿末広亭で第二回公演『大山でぶ子の犯罪』。アートシアター新宿文化で第三回公演『毛皮のマリー』。3月評論集『書を捨てよ、町へ出よう』が刊行される。劇作家・詩人・歌人・演出家として活躍。
33歳で九條映子と別居。
1969年(昭和44年)西ドイツ(当時)フランクフルトの『国際実験演劇祭』に招かれて初の海外公演『毛皮のマリー』『犬神』。
1970年(昭和45年)3月24日、人気漫画『あしたのジョー』の登場人物・力石徹の“葬儀”で葬儀委員長を務める。
34歳で九條映子と離婚。
1971年(昭和46年)『書を捨てよ、町へ出よう』で劇映画に進出した。フランスのニースで作家ル・クレジオと二日間語り明かす。ロッテルダム国際詩人祭に出席し、詩を朗読。フランスのナンシー市の演劇祭で公演『人力飛行機ソロモン』『邪宗門』。ベルリンのフォーラム・シアターで公演『邪宗門』。ベオグラード国際演劇祭でグランプリ『邪宗門』。
1974年(昭和49年)映画『田園に死す』が公開され、芸術祭奨励新人賞受賞。
1982年(昭和57年)朝日新聞に詩『懐かしのわが家』を発表。パリで「天井桟敷」最後の海外公演『奴婢訓』。
死後、青森県三沢市に寺山修司記念館が建てられた
2008年(平成20年)2月、20代で辞めたとされていた短歌の遺稿集が発見され、田中未知編纂により188首の歌集「月蝕書簡」(岩波書店)の刊行が決まった。

[1962年、山野浩一と親しくなったころから足繁く競馬場に通うようになり、1963年、牝馬ミオソチスに心酔して競馬エッセイを書き始め、競馬を人生やドラマになぞらえて語るなどの独特の語り口で人気を博した。

1964年にはTBSテレビのドキュメンタリー番組『サラブレッド・我が愛』の台本・構成を手掛けている。

1968年、船橋競馬のある騎手から「寺山さんのエッセイは中央競馬寄り」という批判を受けたことをきっかけに、「ユリシーズ」(南関東)の馬主となる。1970年からは報知新聞競馬面に競馬予想コラム『みどころ』『風の吹くまゝ』を連載し、これは1983年4月、死の直前まで続いた。

競馬界のスポークスマン的存在で、1973年には日本中央競馬会(JRA)のコマーシャルに出演。『カモメは飛びながら歌を覚える。人生は遊びながら年老いていく』という自作のコピーを朗読。1974年にハイセイコーが引退すると、引退記念レコード『さらばハイセイコー』の構成、詩の朗読を行なった。

1978年の日経新春杯でテンポイントが骨折、2ヵ月後に死亡すると、追悼詩「さらば、テンポイント」を残した。この詩は関西テレビのテンポイント追悼特集番組『風花に散った流星』で紹介された。

1978年6月にはNHKが製作した『ルポルタージュにっぽん』「ダービーの日」という番組に進行役として出演。同年5月28日に開催された日本ダービーでの「東京競馬場の長い一日」を騎手、調教師、観客らの姿にスポットを当てて描くというドキュメンタリーの形で綴った。

1981年のカブトシロー薬殺未遂騒動の際には、寺山を中心とした10人の競馬マニアの連名で中央競馬会に抗議文を提出している。

1982年に寺山が選んだ「私の忘れがたかった馬ベスト10」(競馬放浪記あとがき)はミオソチス、カブトシロー、モンタサン、ホワイトフォンテン、テンポイント、ハイセイコー、メジロボサツ、ユリシーズ、タカツバキ、テキサツシチ。騎手では中島啓之、のちに吉永正人を贔屓にした。まだ人気にも話題にもなっていない頃から彼らを熱心に取り上げ、「ダービーに勝つまで書き続ける」のが常だった。寺山の応援の効果か、両者共にダービー制覇を成し遂げているが、残念ながら吉永正人がミスターシービーで悲願達成したシーンを見届ける事は、肝心の寺山がダービー開催3週間前に急逝した為に叶わなかった。

ちなみに、前述の報知新聞競馬面予想コラム『風の吹くまゝ』の最終回は1983年皐月賞の当日で、寺山は『勝つのはミスターシービー』とコラムに記し、吉永正人とミスターシービーの勝利を確信していた。


この「寺山修司」は、人物に関する書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています(ウィキプロジェクト 人物伝)。


Wikipedia®

一枚の葉 The Last Leaf オー・ヘンリー作  オー・ヘンリー作

2008-07-18 14:14:36 | ▲教育
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞 (高校生新聞) 中村惇夫


一枚の葉
The Last Leaf

結城浩訳

ワシントン・スクエア西にある小地区は、道路が狂ったように入り組んでおり、「プレース」と呼ばれる区域に小さく分かれておりました。この「プレース」は不可思議な角度と曲線を描いており、一、二回自分自身と交差している通りがあるほどでした。かつて、ある画家は、この通りが貴重な可能性を持っていることを発見しました。例えば絵や紙やキャンバスの請求書を手にした取り立て屋を考えてみてください。取り立て屋は、この道を歩き回ったあげく、ぐるりと元のところまで戻ってくるに違いありません。一セントも取り立てることができずにね。

それで、芸術家たちはまもなく、奇妙で古いグリニッチ・ヴィレッジへとやってきました。そして、北向きの窓と十八世紀の切り妻とオランダ風の屋根裏部屋と安い賃貸料を探してうろついたのです。やがて、彼らは しろめ製のマグやこんろ付き卓上なべを一、二個、六番街から持ち込み、「コロニー」を形成することになりました。

ずんぐりした三階建ての煉瓦造りの最上階では、スーとジョンジーがアトリエを持っていました。「ジョンジー」はジョアンナの愛称です。スーはメイン州の、ジョンジーはカリフォルニア州の出身でした。二人は八番街の「デルモニコの店」の定食で出会い、芸術と、チコリーのサラダと、ビショップ・スリーブの趣味がぴったりだとわかって、共同のアトリエを持つことになったのでした。

それが五月のことでした。十一月に入ると、冷たく、目に見えないよそ者がそのコロニーを巡り歩きはじめました。そのよそ者は医者から肺炎氏と呼ばれ、氷のような指でそこかしこにいる人に触れていくのでした。この侵略者は東の端から大胆に歩きまわり、何十人もの犠牲者に襲いかかりました。しかし、狭くて苔むした「プレース」の迷宮を通るときにはさすがの彼の足取りも鈍りました。

肺炎氏は騎士道精神に満ちた老紳士とは呼べませんでした。息が荒く、血にまみれた手を持った年寄りのエセ者が、カリフォルニアのそよ風で血の気の薄くなっている小柄な婦人を相手に取るなどというのはフェアプレイとは言えますまい。しかし肺炎氏はジョンジーを襲いました。その結果ジョンジーは倒れ、自分の絵が描いてある鉄のベッドに横になったまま少しも動けなくなりました。そして小さなオランダ風の窓ガラスごしに、隣にある煉瓦造りの家の何もない壁を見つめつづけることになったのです。

ある朝、灰色の濃い眉をした多忙な医者がスーを廊下に呼びました。

「助かる見込みは ―― そう、十に一つですな」医者は、体温計の水銀を振り下げながら言いました。「で、その見込みはあの子が『生きたい』と思うかどうかにかかっている。こんな風に葬儀屋の側につこうとしてたら、どんな薬でもばかばかしいものになってしまう。あのお嬢さんは、自分はよくならない、と決めている。あの子が何か心にかけていることはあるかな?」

「あの子は ―― いつかナポリ湾を描きたいって言ってたんです」とスーは言いました。

「絵を描きたいって? ―― ふむ。もっと倍くらい実のあることは考えていないのかな ―― 例えば男のこととか」

「男?」スーは びあぼんの弦の音みたいな鼻声で言いました。「男なんて ―― いえ、ないです。先生。そういう話はありません」

「ふむ。じゃあそこがネックだな」医者は言いました。「わたしは、自分の力のおよぶ限りのこと、科学ができることはすべてやるつもりだ。でもな、患者が自分の葬式に来る車の数を数え始めたら、薬の効き目も半減なんだよ。もしもあなたがジョンジーに、冬にはどんな外套の袖が流行るのか、なんて質問をさせることができるなら、望みは十に一つから五に一つになるって請け合うんだがね」

医者が帰ると、スーは仕事部屋に入って日本製のナフキンがぐしゃぐしゃになるまで泣きました。やがてスーはスケッチブックを持ち、口笛でラグタイムを吹きつつ、胸を張ってジョンジーの部屋に入っていきました。

ジョンジーはシーツをかけて横になっていました。しわ一つもシーツに寄せることなく、顔は窓に向けたままでした。ジョンジーが眠っていると思い、スーは口笛をやめました。

スーはスケッチブックをセットすると、雑誌小説の挿絵をペンとインクで描きはじめました。若い作家は文学の道を切り開くために雑誌小説を書きます。若き画家は芸術の道を切り開くためにその挿絵を描かなければならないのです。

スーが、優美な馬のショー用のズボンと片眼鏡を主人公のアイダホ州カウボーイのために描いているとき、低い声が数回繰り返して聞こえました。スーは急いでベッドのそばに行きました。

ジョンジーは目を大きく開いていました。そして窓の外を見ながら数を数えて ―― 逆順に数を数えているのでした。

「じゅうに」とジョンジーは言い、少し後に「じゅういち」と言いました。それから「じゅう」「く」と言い、それから「はち」と「なな」をほとんど同時に言いました。

スーはいぶかしげに窓の外を見ました。何を数えているのだろう? そこには草もなく わびしい庭が見えるだけで、煉瓦の家の何もない壁は二十フィートも向こうなのです。根元が節だらけで腐りかかっている、とても、とても古いつたがその煉瓦の壁の中ほどまで這っていました。冷たい秋の風は つたの葉に吹き付けて、もう裸同然となった枝は崩れかかった煉瓦にしがみついているのでした。

「なあに?」スーは尋ねました。

「ろく」とジョンジーはささやくような声で言いました。「早く落ちてくるようになったわ。三日前は百枚くらいあったのよ。数えていると頭が痛くなるほどだったわ。でもいまは簡単。ほらまた一枚。もう残っているのは五枚だけね」

「何が五枚なの? スーちゃんに教えてちょうだい」

「葉っぱよ。つたの葉っぱ。最後の一枚が散るとき、わたしも一緒に行くのよ。三日前からわかっていたの。お医者さんは教えてくれなかったの?」

「まあ、そんな馬鹿な話は聞いたことがないわよ」スーはとんでもないと文句を言いました。「古いつたの葉っぱと、あなたが元気になるのと、どんな関係があるっていうの? あなたは、あのつたをとても大好きだったじゃない、おばかさん。そんなしょうもないこと言わないでちょうだい。あのね、お医者さんは今朝、あなたがすぐによくなる見込みは ―― えっと、お医者さんが言ったとおりの言葉で言えば ―― 「一に十だ」って言うのよ。それって、ニューヨークで電車に乗るとか、建設中のビルのそばを通るぐらいしか危なくないってことよ。ほらほら、スープを少し飲んで。そしてこのスーちゃんをスケッチに戻らせてね。そしたらスーちゃんは編集者にスケッチを売ってね、病気のベビーにはポートワインを買ってね、はらぺこの自分にはポークチョップを買えるでしょ」

「もう、ワインは買わなくていいわ」目は窓の外に向けたまま、ジョンジーは言いました。「ほらまた一枚。ええ、もう、スープもいらないの。残りの葉は たったの四枚。暗くなる前に最後の一枚が散るのを見たいな。そして私もさよならね」

「ジョンジー、ねえ」スーはジョンジーの上にかがみ込んで言いました。「お願いだから目を閉じて、私の仕事が終わるまで窓の外を見ないって約束してくれない? この絵は、明日までに出さなきゃいけないのよ。描くのに明かりがいるの。でなきゃ日よけを降ろしてしまうんだけど」

「他の部屋では描けないの?」とジョンジーは冷たく尋ねました。

「あなたのそばにいたいのよ」とスーは答えました。「それに、あんなつたの葉っぱなんか見てほしくないの」

「終わったらすぐに教えてね」とジョンジーは言い、目を閉じ、倒れた像のように白い顔をしてじっと横になりました。「最後の一枚が散るのを見たいの。もう待つのは疲れたし。考えるのにも疲れたし。自分がぎゅっと握り締めていたものすべてを放したいの。そしてひらひらひらっと行きたいのよ。あの哀れで、疲れた木の葉みたいに」

「もうおやすみなさい」とスーは言いました。「ベーアマンさんのところまで行って、年老いた穴倉の隠遁者のモデルをしてもらわなくっちゃいけないの。すぐに戻ってくるわ。戻ってくるまで動いちゃだめよ」

ベーアマン老人はスーたちの下の一階に住んでいる画家でした。六十は越していて、ミケランジェロのモーセのあごひげが、カールしつつ森の神サチュロスの頭から小鬼の体へ垂れ下がっているという風情です。ベーアマンは芸術的には失敗者でした。四十年間、絵筆をふるってきましたが、芸術の女神の衣のすそに触れることすらできませんでした。傑作をものするんだといつも言っていましたが、いまだかつて手をつけたことすらありません。ここ数年間は、ときおり商売や広告に使うへたな絵以外にはまったく何も描いていませんでした。ときどき、プロのモデルを雇うことのできないコロニーの若い画家のためにモデルになり、わずかばかりの稼ぎを得ていたのです。ジンをがぶがぶのみ、これから描く傑作について今でも語るのでした。ジンを飲んでいないときは、ベーアマンは気むずかしい小柄な老人で、誰であれ、軟弱な奴に対してはひどくあざ笑い、自分のことを、階上に住む若き二人の画家を守る特別なマスチフ種の番犬だと思っておりました。

ベーアマンはジンのジュニパーベリーの香りをぷんぷんさせて、階下の薄暗い部屋におりました。片隅には何も描かれていないキャンバスが画架に乗っており、二十五年もの間、傑作の最初の一筆が下ろされるのを待っていました。スーはジョンジーの幻想をベーアマンに話しました。この世に対するジョンジーの関心がさらに弱くなったら、彼女自身が一枚の木の葉のように弱くもろく、はらはらと散ってしまうのではないか…。スーはそんな恐れもベーアマンに話しました。

ベーアマン老人は、赤い目をうるませつつ、そんなばかばかしい想像に、軽蔑と嘲笑の大声を上げたのです。

「なんだら!」とベーアマンは叫びました。「いったいぜんたい、葉っぱが、けしからん つたから散るから死ぬなんたら、ばかなこと考えている人がいるのか。そんなのは聞いたこともないぞ。あほ隠居ののろまのモデールなんかやらんぞ。何でらそんなんたらつまらんことをあの子のあたまに考えさせるんだら。あのかわいそうなかわいいヨーンジーに」

「病気がひどくて、体も弱っているのよ」とスーは言いました。「高熱のせいで、気持ちが落ち込んでて、おかしな考えで頭がいっぱいなのよ。えーえ、いいわよベーアマンさん。もしも私のためにモデルになってくれないなら、しなくて結構よ。でも、あなたはいやな老いぼれの ―― 老いぼれのコンコンチキだわ」

「あんたも女ってわけだ」とベーアマンは叫びました。「モデールにならんと誰が言ったらんか。いいかね。あんたと一緒に行くったらさ。モーデルの準備はできてると、三十分もの間、言おうとしたったらさ。ゴット! ここは、ヨーンジーさんみたいな素敵なお嬢さんが病気で寝込むところじゃないったら。いつか、わしが傑作を描いたらって、わしらはみんなここを出ていくんだら。ゴット! そうなんだら」

上の階に着いたとき、ジョンジーは眠っていました。スーは日よけを窓のしきいまで引っ張りおろし、ベーアマンを別の部屋へ呼びました。そこで二人はびくびくしながら窓の外のつたを見つめました。そして一言も声を出さず、しばし二人して顔を見合わせました。ひっきりなしに冷たい雨が降り続き、みぞれまじりになっていました。ベーアマンは青い古シャツを着て、ひっくり返したなべを大岩に見たて、穴倉の隠遁者として座りました。

次の朝、一時間ねむったスーが目を覚ますと、ジョンジーはどろんとした目を大きく開いて、降ろされた緑の日よけを見つめていました。

「日よけをあげて。見たいの」ジョンジーはささやくように命じました。

スーはしぶしぶ従いました。

けれども、ああ、打ち付ける雨と激しい風が長い夜の間荒れ狂ったというのに、つたの葉が一枚、煉瓦の壁に残っておりました。それは、最後の一枚の葉でした。茎のつけねは深い緑で、ぎざぎざのへりは黄色がかっておりました。その葉は勇敢にも地上二十フィートほどの高さの枝に残っているのでした。

「これが最後の一枚ね」ジョンジーが言いました。「昨晩のうちに散ると思っていたんだけど。風の音が聞こえていたのにね。でも今日、あの葉は散る。一緒に、私も死ぬ」

「ねえ、お願いだから」スーは疲れた顔を枕の方に近づけて言いました。「自分のことを考えないっていうなら、せめて私のことを考えて。私はどうしたらいいの?」

でも、ジョンジーは答えませんでした。神秘に満ちた遠い旅立ちへの準備をしている魂こそ、この世で最も孤独なものなのです。死という幻想がジョンジーを強くとらえるにつれ、友人や地上とのきずなは弱くなっていくようでした。

昼が過ぎ、たそがれどきになっても、たった一枚残った つたの葉は、壁をはう枝にしがみついておりました。やがて、夜が来るとともに北風が再び解き放たれる一方、雨は窓を打ち続け、低いオランダ風のひさしからは雨粒がぼたぼたと落ちていきました。

朝が来て明るくなると、ジョンジーは無慈悲にも、日よけを上げるようにと命じました。

つたの葉は、まだそこにありました。

ジョンジーは横になったまま、長いことその葉を見ていました。やがて、スーを呼びました。スーはチキンスープをガスストーブにかけてかき混ぜているところでした。

「わたしは、とても悪い子だったわ、スーちゃん」とジョンジーは言いました。「何かが、あの最後の葉を散らないようにして、わたしが何て悪いことを思っていたか教えてくれたのね。死にたいと願うのは、罪なんだわ。ねえ、スープを少し持ってきて、それから中にワインを少し入れたミルクも、それから ―― ちがうわ、まず鏡を持ってきて。それから枕を何個か私の後ろに押し込んで。そしたら体を起こして、あなたが料理するのが見られるから」

それから一時間たって、ジョンジーはこう言いました。

「スーちゃん。わたし、いつか、ナポリ湾を描きたいのよ」

午後にあの医者がやってきました。帰り際、スーも廊下に出ました。

「五分五分だ」と医者はスーの細く震えている手をとって言いました。「よく看病すればあなたの勝ちになる。これからわたしは下の階にいる別の患者を診なければならん。ベーアマンと言ったな ―― 画家、なんだろうな。この患者も肺炎なんだ。もう高齢だし、体も弱っているし、急性だし。彼の方は、助からんだろう。だが今日、病院に行って、もう少し楽になるだろう」

次の日、医者はスーに言いました。「もう危険はない。あなたの勝ちだ。あと必要なのは栄養と看病 ―― それだけだよ」

その午後、スーはベッドのところに来ました。ジョンジーはそこで横になっており、とても青くて全く実用的じゃないウールのショルダースカーフを満足げに編んでおりました。スーは、枕も何もかも全部まとめて抱きかかえるように手を回しました。

「ちょっと話したいことがあるのよ、白ねずみちゃん」とスーは言いました。「今日、ベーアマンさんが病院で肺炎のためお亡くなりになったの。病気はたった二日だけだったわ。一日目の朝、下の自分の部屋で痛みのためどうしようもない状態になっているのを管理人さんが見つけたんですって。靴も服もぐっしょり濡れていて、氷みたいに冷たくなっていたそうよ。あんなひどい晩にいったいどこに行ってたのか、はじめは想像もできなかったみたいだけど、まだ明かりのついたランタンが見つかって、それから、元の場所から引きずり出されたはしごが見つかったのよ。それから、散らばっていた筆と、緑と黄色が混ぜられたパレットも。それから、 ―― ねえ、窓の外を見てごらんなさい。あの壁のところ、最後の一枚のつたの葉を見て。どうして、あの葉、風が吹いてもひらひら動かないのか、不思議に思わない? ああ、ジョンジー、あれがベーアマンさんの傑作なのよ ―― あの葉は、ベーアマンさんが描いたものなのよ。最後の一枚の葉が散った夜に」


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<版権表示>

Copyright (C) 1999 Hiroshi Yuki (結城 浩)


まざあ・ぐうす  北原白秋訳

2008-07-18 14:13:45 | ▲教育
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調べもの新聞 (高校生新聞) 中村惇夫

まざあ・ぐうす
北原白秋訳



目次

日本の子供たちに
はしがき

序詩
マザア・グウスの歌

まざあ・ぐうす
こまどりのお葬式
お月夜
天竺ねずみのちびすけ
木のぼりのおさる
くるみ
ボンベイのふとっちょ
六ペンスの歌
一時

朝焼け夕焼け
風がふきゃ
文なし
ファウスト国手
とことこ床屋さん
おくつの中に
一つの石に
コオル老王
雨、雨、いっちまえ
花壇にぶた
日の照り雨
いばらのかげに
セント・クレメンツの鐘
おうまのり
小径にむすめ
月の中の人
十人のくろんぼの子供
お月さまの中のおひとが
クリスマスがきますわい
べああ、べああ、ブラック・シイプ
ろうそく
ちっちゃなテイ・ウイ
三月、風よ
お面もち
ししと一角獣
くつやさん
きれいなくびまき
何人何びき何ぶくろ
のむもの
ちびねこ、さんねこ
雨もよう
ポウリイ、やかんを
南瓜ずき
ぼう、うぉう、うぉう
三百屋
お釘がへれば
二十四人の仕立屋
ででむし角だせ
お針みつけたら
風よ、ふけ、ふけ
気軽な粉屋
いなかっぺえ
おかごのばあさん
すっとんきょうな南京さん
鼻まがり
あの丘のふもとに
あたいのめうし
ゆりかごうた
こびっちょの子供は
ねんねこうた
はしっこいジャック
ででむし、でむし
一列こぞって
ででむし
おりこうさん
おしゃべり
ハアトのクイン
コケコッコおどり
でんでんむしむし
おばあさんとむすこ
てんとうむし
あったかいパン
ゴットハムの三りこう
気ちがい家族
ちっちゃなだんなさま
一つのたるに
ジャックとジル
トムトムぼうず
いぬはぼうおう
ちいさなおじょっちゃん
やぶ医者
きれいずきのおかみさん
御婚礼
タッフィ
ばばァ牛
とっぴょくりん
卵うりましょうと
かささぎが一羽よ
これ、これ、こいきな
市場へ、市場へ
数学

五月のみつばち
朝のかすみ
かっこ鳥
豆こぞう
ソロモン・グランディ
かえるの殿御
一切空
ロンドン橋
世界じゅうの海が
空はじめじめ
アアサア王
がぶがぶ、むしゃむしゃ
天竺ねずみは
ジャック・スプラットと
背骨まがり
おらがお父は
ねこと王さま
がァがァ、がちょう
火の中に
火ばしの一対
お月さま光る
おもちゃのうま
なけなけ
北風ふけば
めくら鬼
お山の大将
上へいった
みんなして森へ
このぶた、ちびすけ
おくつをはかしょ
ながい尾のぶたに
あァがった、あがった
ワン、ツウ、スリイ、フォア、ファイブ
顔あそび
このベル

一番目のお床
おしまい

巻末に
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日本の子供たちに

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 はしがき

 お母さんがちょうのマザア・グウスはきれいな青い空の上に住んでいて、大きな美しいがちょうの背中にのってその空を翔(か)けったり、月の世界の人たちのつい近くをひょうひょうと雪のようにあかるくとんでいるのだそうです。マザア・グウスのおばあさんがそのがちょうの白い羽根をむしると、その羽根がやはり雪のようにひらひらと、地の上に舞(も)うてきて、おちる、すぐにその一つ一つが白い紙になって、その紙には子供たちのなによりよろこぶ子供のお唄が書いてあるので、イギリスの子供たちのお母さんがたはこれを子供たちにいつも読んできかしてくだすったのだそうです。いまでもそうだろうと思います。それでそのお話をお母さんからうかがったり、そのお唄を夢のようにうたっていただいたりするイギリスの子供たちは、どんなにあの金(きん)の卵をうむがちょうや、マザア・グウスのおばあさんをしたわしく思うかわかりません。
 ですが、ほんとうをいえば、そのマザア・グウスはやはりわたくしたちと同じこの世界に住んでいた人でした。べつにお月さまのお隣の空にいた人ではありません。子供がすきな、そうして、ちょうどあのがちょうが金(きん)の卵でもうむように、ぼっとりぼっとりとこの御本の中にあるような美しい子供のお唄を子供たちの間におとしてゆかれたのでした。ありがたいお母さんがちょうではありませんか。
 そのグウスというおばあさんはいまから二百年ばかり前に、その当時英国の植民地であった北アメリカにうまれたかたでした。そのおばあさんに一人のちっちゃなまご息子(むすこ)がありました。おばあさんはそのまご息子がかわゆくてならなかったものですから、その子をよろこばせるためにその子のよろこぶような、そうしてその子の罪のない美しいお夢をまだまだかわいいきれいな深みのあるものにしてやりたいのでした。それでいろいろなおもしろいお唄をしぜんと自分でつくりだすようになりました。やっぱりその子がかわいかったのですね。
 それも初めはただなんということなしに節をつけておはなししたり、うたったりしたものでしょうが、そうしたものはどうしても忘れやすいものですから、また覚え書きに書きとめておくようになりました。そうなるとまた、そうして書きとめておいたのが一つふえ二つふえしていつかしら一冊の御本にまとまるようになったのでしょう。
 そのおばあさんの養子にトオマス・フリイトという人がありました。この人は印刷屋さんでした。で、そのお母さんが自分の息子のためにうたってくだすった、そうしたありがたいお唄を刷(す)って、自分の息子ばかりでなく、ほかのたくさんの子供たちをよろこばしてやりたいと思ったのでした。それでこのマザア・グウスの童謡の御本がはじめて刷られて、ひろく世間によまれるようになりました。それは西洋暦の千七百十九年という年で、時のイギリスの王さまはジョウジ一世ともうされるおかたでした。
 で、このマザア・グウスの童謡はずいぶんと古いものです。古いものですけれど、いつまでたっても新しい。ほんとにいいものはいつまでたっても昔のままに新しいものです。考えてみてもその御本がでてから、イギリスの子供たちはどんなにしあわせになったかわかりません。その子供たちがおとなになり、またつぎからつぎにかわいい子供たちがうまれてきて、またつぎからつぎにこのお母さんがちょうのねんねこ唄をうたって大きくなってゆくのです。それにこの御本がでてからしあわせにされたのはそのイギリスの子供ばかりではありません。イギリスのことばをつかっている国々の子供はむろんのことですが、世界じゅうのいろいろな国のことばに訳されていますので、そうした国々の子供たちもみんなしあわせにされているはずです。それにいろいろ作曲されて、ずいぶんひろくうたわれているようです。ですから、赤いくちばしと赤い水かきとをもったがちょうのおばあさんがおいすに腰かけて、おなじような赤いちっちゃなくちばしと赤いちっちゃな水かきとをもったちっちゃながちょうをおひざにのっけて、赤い御本をひらいている画(え)のついた表紙のや、三角帽(さんかくぼう)のリボンに鵞(が)ペンをさしたおばあさんがテエブルの前に腰をかけて、なにか書いていると、そのそばから大きながちょうがくちばしをあけて、針の頭のように眼(め)をちっちゃくしてのぞきこんでいる画のや、がちょうとおばあさんが空を翔(か)けているのや、緑色(みどりいろ)の牧草(まきぐさ)の中に金の卵をおとしている白いめんどりのがちょうのや、いろんな本がでています。
 日本ではこのわたしのが初めてです。日本の子供たちのために、わたしはこのお母さんがちょうを日本の空の上にきてもらいました。そうして空からひらひらとその唄のついたがちょうの羽根をちらしてもらったのでした。その羽根にかいてある字はイギリスの字ですから、わたしは桃色のお月さまの光でひとつひとつすかしてみて、それを日本のことばになおして、あなたがた、日本のかわいい子供たちにうたってあげるのです。そしてみんなうたえるようにうたいながら書きなおしたのですからみんなうたえます。うたってごらんなさい。ずいぶんおもしろいから。
 その童謡の中には、青い萌黄色(もえぎいろ)の月の夜(よ)のお月さまをとびこえるめうしのダンスや、紅(あか)い胸のこまどりが死んで白嘴(しらはし)がらすがお経をよむのや、王さまの前のパイのお皿からうたいだす二十四匹の黒つぐみや、「パンにおせんべい」とうなるロンドンのお寺の鐘や、おうちが大火事でプッジングのおなべの下にもぐりこむてんとうむしのむすめや、赤いにしんにのまれるくろんぼうの子供や、かごにのって青天井(あおてんじょう)のすすはきしにお月さまより高くのぼるおばあさん、おくつの中に子供をどっさりいれてしまつにこまるおばあさん、挽割麦(ひきわりむぎ)を三斤(さんぎん)ぬすんでお菓子をこさえる王さまや、拇指(おやゆび)よりもちいさな豆つぶのだんなさま、赤いおわんにのって海へでるおりこうさん、気ちがいうまにのってめちゃくちゃにかけてゆく気ちがいの親子、そうした、それはもうどんなに不思議で美しくて、おかしくて、ばかばかしくて、おもしろくて、なさけなくて、おこりたくて、わらいたくて、うたいたくなるか、ほんとにゆっくりとよんで、そうしてあなたがたも今までよりもずっとかわったお月夜の空や朝焼け夕焼けの色どりを心にとめて、いつも美しいあなたがたのお夢を深めてくださるよう。そうならわたしはどんなにうれしいかわかりません。
 この本の中の童謡はおもにそのマザア・グウスから訳したのですが、そのほかにもイギリスやアメリカの子供のうたっているので違ったのがたくさんつけたしてあります。いろんな指あそびや、顔あそび、めくら鬼、はしご段あそびなど、日本のとちがった遊戯唄をおしまいのほうにのせてみました。皆さんでひとつやってくださるとうれしいと思います。
 これからもまだいろんなものを皆さんのために書いてお贈りしたいと思っていますが、わたしもこれからほんとに念をいれて、がちょうが金の卵をうみ落とすように、ほんとにいい童謡をぽつりぽつりと落としてゆきたいと思います。
 では、どうぞ、この本の初めにあるその金の卵の歌からよんでいってください。するときっとがちょうがあなたがたを背中にのせて、高い高いお月さまのそばまで翔(か)けてゆくでしょう。


大正十年九月
木兎(みみずく)の家にて
白秋しるす
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序詩

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 マザア・グウスの歌

マザア・グウスのおばあさん、
いつもであるくそのときは、
きれいながちょうの背にのって、
空をひょうひょう翔(か)けてゆく。

マザア・グウスのすむ家(いえ)は、
一つ、ちんまり、森の中、
戸口にゃ一羽の梟(ごろすけ)が
みはりするのでたっている。

むすこがひとりで名はジャック、
その子まずまずお人よし、
ずんとよいことせぬ代わり、
ずるいわるさもようしえぬ。

市場(いちば)へジャックをやったれば、
めすのがちょうを買ってくる、
「まあまあ、お母さん、みておいで、
そのうちいいこともあるでしょよ」

それからがちょうのめすとおす
なかよしこよしであそんでる。
いつもいっしょに餌(え)をたべて、
ガアガア、お池におよいでる。

ある朝、ジャックがいってみりゃ、
(ほんに話によくきいた)
金の卵がありまする。
うんでくれたはめすがちょう。

金の卵だ、はよ告(つ)げよ、
ジャックはお母さんへとんでゆく。
お母さんもほくほくごきげんだ。
「それはよかった、おおできじゃ」

ジャックは卵をうりにでる。
それをかおうと猶太人(ジュウ)の悪者(わる)、
おもう半値もつけないで、
うまうまジャックをちょろまかす。

ジャックはお嫁とりにゆきまする。
むこうのおじょうさん華美(はで)好きで、
それはかわいい、うつくしい、
花の山査子(さんざし)、百合(ゆり)みたよう。

ところへ、あとからつけまわす
猶太人(ジュウ)とおしゃれのおべっか屋、
脇腹(わきばら)めがけて、ぶってやろと、
かわいそなジャックにつっかかる。

そのときすばやく、すっときたは、
マザア・グウスのおばあさん、
杖(つえ)でジャックをちょいと打ちゃ、
道化の*ハアレクインにはやがわり。

つづいて、おばあさんが杖あげて、
きれいなおじょうさんをちょいと打ちゃ、
すぐにその子もはやがわり、
それこそかわいい**コランバイン。

金の卵は海の中、
どさくさまぎれにほうられる。
だけど、ジャックがとびこんで、
またももとへととりかえす。

それで、めすがちょうとった猶太人(ジュウ)のやつ、
ころしちまえといきまいた、
割(さ)いて、こいつを売っとばしゃ、
ポケットにたんまり金もうけ。

ジャックのお母さんは、それみると、
すぐにがちょうをひったくり、
そして、その背にうちのって、
お月さまめがけてとんでいった。


 * ハアレクイン。道化芝居(しばい)の男役です。
** コランバイン。これは女役です。

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まざあ・ぐうす

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 こまどりのお葬式(ともらい)

「だァれがころした、こまどりのおすを」
「そォれはわたしよ」すずめがこういった。
「わたしの弓で、わたしの矢羽(やば)で、
わたしがころした、こまどりのおすを」

「だァれがみつけた、しんだのをみつけた」
「そォれはわたしよ」あおばえがそういった。
「わたしの眼々(めめ)で、ちいさな眼々で、
わたしがみつけた、その死骸(しがい)みつけた」

「だァれがとったぞ、その血をとったぞ」
「そォれはわたしよ」魚(さかな)がそういった。
「わたしの皿に、ちいさな皿に、
わたしがとったよ、その血をとったよ」

「だアれがつくる、経帷子(きょうかたびら)をつくる」
「そォれはわたしよ」かぶとむしがそういった。
「わたしの糸で、わたしの針で、
わたしがつくろ、経帷子をつくろ」

「だァれがしるす、戒名(かいみょう)をしるす」
「そォれはわたしよ」ひばりがそういった。
「あかるいならば、くれないならば、
わたしがしるそ、戒名をしるそ」

「だァれがたつか、お葬式(ともらい)にたつか」
「そォれはわたしよ」おはとがそういった。
「葬(ともら)ってやろよ、かわいそなものを、
わたしがたとうよ、お葬式にたとうよ」

「だァれがほるか、お墓の穴を」
「そォれはわたしよ」ふくろがそういった。
「わたしの鏝(こて)で、ちいさな鏝で、
わたしがほろよ、お墓の穴を」

「だァれがなるぞ、お坊(ぼう)さんになるぞ」
「そォれはわたしよ」白嘴(しらはし)がらすがそういった。
「経本(きょうほん)もって、小本(こほん)をもって、
わたしがなろぞ、お坊さんになろぞ」

「だァれがならす、お鐘をならす」
「そォれはわたしよ」おうしがこういった。
「わたしはひける、力がござる、
わたしがならそ、お鐘をならそ」

空(そォら)の上からみんなの小鳥が、
ためいきついたりすすりなきしたり、
みんなみんなきいた、なりだす鐘を、
かわいそなこまどりのお葬式(ともらい)の鐘を。
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 お月夜

へっこら、ひょっこら、へっこらしょ。
ねこが胡弓(こきゅう)ひいた、
めうしがお月さまとびこえた、
こいぬがそれみてわらいだす、
お皿がおさじをおっかけた。
へっこら、ひょっこら、へっこらしょ。
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 天竺(てんじく)ねずみのちびすけ

天竺(てんじく)ねずみのちびすけは、
ちびだからふとっちゃいなかった。
いつもあんよでおあるきで、
たべるときゃ断食(だんじき)ゃいたさない。

さてそこらからかけてでりゃ、
けっしてそこにはもういない。
きけば、かけてるそのときは、
どっちみちじっとしちゃいないそだ。

キイキイなくのは常々(ふんだん)だ、めちゃくちゃあばれもたまたまだ。
それがさわいでわめくときゃ、けっしてだまっちゃいなかった。
たとえねこからおそわらなくとも、
はつかねずみがただのねずみでないのは御承知だ。

ところでたしかなうわさだが、
ある日、ひょっくり気がふれて、奇態な死に方した話。
とても勘(かん)のいい、金棒引(かなぼうひ)きの人たちは、
きゃつめおっ死(ち)んだで、いきてるわけないぞといっている。
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 木のぼりのおさる

木のぼりのおさるさん、
おちたときゃ、そのときゃおちていた。

石(いィし)の上(うゥえ)のつんがらす、
飛(た)ったときゃ、そこらにゃ影もない。

りんごかじりの婆(ばば)おかみ、
二つたべたときゃ、一対たべていた。

水車場(すいしゃば)がよいの小荷駄(こにだ)うま、
てくるときゃ、じっとたっちゃいなかった。

拇指(おやゆび)ちょんぎったうしころし、
けがしたそのときゃ、血をだした。

かけっこしてゆくお供(ォとも)さん、
はやがけするときゃ、かけあしだ。

おくつそそくるくつなおし、
つくろっちゃったそのときゃ、しあげてた。

ろうそくつくるがろうそく屋、
型からひっぱいだときゃ、手にもってた。

スペインさしていった艦隊(かァんたい)、
かえったときゃ、またぞろやってきてた。
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 くるみ

ちいさな緑のお家(うち)がひとつ。
ちいさな緑のお家の中に、
ちいさな金茶のお家がひとつ。
ちいさな金茶のお家の中に、
ちいさな黄色いお家がひとつ。
ちいさな黄色いお家の中に、
ちいさな白(しィろ)いお家がひとつ。
ちいさな白(しィろ)いお家の中に、
ちいさな心(ハアト)がただひィとつ。
[#改ページ]

 ボンベイのふとっちょ

ひとりふとっちょがボンベイにござった。
ある日、日なたでたばこのんでござった。
そこへ、ついときたはしぎという小鳥よ、
パイプひっさらってまたふいととんじまう。
そこでじれました、ボンベイのふとっちょ。
[#改ページ]

 六ペンスの歌

うたえうたえ、六ペンスの歌を。
衣嚢(かくし)にゃごほうびの麦がある。
二十四匹(にじゅうしひき)の黒つぐみ、
焙(ほう)じこまれて、パイの中。

パイがはがれたそのときに、
すぐに小鳥がうたいだす。
もともと王さまにそなえます
きれいなお皿じゃ、そりゃないか。

  『王さまは会計院で、
   お金の御勘定(かんじょう)。

   おきさきゃお居間で、
   パンと蜜(みつ)をめしあがり。

   女中さんはお庭で、
   衣裳(いしょう)をせっせとほしている。

   そこへ小鳥が一羽とんでまいって、
   つんとはじきました、女中さんのお鼻』
[#改ページ]

 一時

いっちく、たっちく、おうやおや。
ねずみが時計をかけあがる。
柱時計がチーンとうつ。
ねずみがすたこらかけおりる。
いっちく、たっちく、おうやおや。
[#改ページ]

 卵

お乳のよに白い大理石の壁に、
絹(きぬ)の柔軟(しな)したうすい膜(かわ)つけて、
すいて凝(こご)った泉の中に
金のりんごがみえまする。
そのお城に戸一つないので、
どろぼうどもまでわりこんで金のりんごをぬすみだす。
[#改ページ]

 朝焼け夕焼け

朝焼け小焼け、
ひつじかいの気がかり。
夕焼け小焼け、
ひつじかいの後生楽(ごしょうらく)。
[#改ページ]

 風がふきゃ

風がふきゃ、
まわります、
粉ひき車よ。

風がやみゃ、
とまります、
粉ひき車さ。

【陰山英男 ブックフェア :①~⑩】

2008-07-08 10:37:25 | ▲教育
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日本最大の「本」の展示会である「第15回 東京国際ブックフェア」が今年も盛大に開催される。今年は、. 過去最多となる770社が世界30カ国から出展。 ... 立命館大学 大学教育開発・支援センター 教授(立命館小学校副校長兼務) 陰山 英男 氏 ...
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asahi.com(朝日新聞社):東京国際ブックフェア、30カ国から出展 ...東京国際ブックフェアが、7月10日から13日まで東京・有明の東京ビッグサイトで開催される。15回目の今年は30カ国770社が ... 日午前10時半からは立命館大学教授の陰山英男さんが「読書が子どもの成長の可能性を決める」と題して講演する。 ...
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今週の本棚・情報:国内最大のブックフェア - 毎日jp(毎日新聞)2008年7月6日 ... 国内最大の本の展示会「東京国際ブックフェア」が10日、東京ビッグサイト(江東区有明)で開幕する。 ... 五木寛之さんの講演「人間の関係」(12日午後1時、無料、要予約)▽百ます計算の陰山英男さんの講演「読書が子どもの成長の ...
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東京国際ブックフェア東京国際ブックフェアでは、本の大切さや楽しさを知っていただくことを目的に読書推進セミナーを開催いたします。 ... 陰山 英男 氏. 子どもの可能性は無限大。そのカギは読書にあり。新しい指導要領が公開され、学力向上はいよいよ実践が問われる段階に ...
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CMAP21's BEEM: 第15回 東京国際ブックフェア【講演会・サイン会情報】 五木寛之、茂木健一郎、佐藤優、森博嗣、陰山英男、玄侑宗久、武田双雲、 香川元太郎、南明奈 などをはじめ作家・著名人による サイン会やトークショー、無料公開セミナーを開催! 第15回 東京国際ブックフェア ...
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セミナー・イベント - デジタル パブリッシング フェア東京国際ブックフェアでは、本の大切さや楽しさを知っていただくことを目的に読書推進セミナーを開催いたします。無料にてご聴講いただけ ... (立命館小学校副校長兼務) 陰山 英男 氏. お申込はこちら. 子どもの可能性は無限大。そのカギは読書にあり。 ...
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セミナー・イベント - 学習書・教育ITソリューション フェア東京国際ブックフェアでは、本の大切さや楽しさを知っていただくことを目的に読書推進セミナーを開催いたします。 ... 陰山 英男 氏. 7月13日[日]10:30~12:00 会場:東京ビッグサイト会議棟 「読書が子どもの成長の可能性を決める」 ...
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23:25 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明公式サイト:第15回 東京国際ブックフェア(TIBF2008) - 本の仕入れ・注文・購入、著作権取引に絶好の場です。 ... 7月12日(土) 五木寛之(作家)「人間の関係」; 7月13日(日) 陰山英男(立命館大学教授)「読書が子どもの成長の可能性を決める」 ...
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おおかみと七ひきのこどもやぎ   グリム兄弟   楠山正雄訳

2008-07-02 11:05:52 | ▲教育
おおかみと七ひきのこどもやぎ
DER WOLF UND DIE SIEBEN JUNGEN GEISSLEIN
グリム兄弟 Bruder Grimm
楠山正雄訳



         一

 むかし、あるところに、おかあさんのやぎがいました。このおかあさんやぎには、かわいいこどもやぎが七ひきあって、それをかわいがることは、人間のおかあさんが、そのこどもをかわいがるのと、すこしもちがったところはありませんでした。
 ある日、おかあさんやぎは、こどもたちのたべものをとりに森まで出かけて行くので、七ひきのこどもやぎをよんで、こういいきかせました。
「おまえたちにいっておくがね、かあさんが森へ行ってくるあいだ、気をつけてよくおるすばんしてね、けっしておおかみをうちへ入れてはならないよ。あいつは、おまえたちのこらず、まるのまんま、それこそ皮も毛もあまさずたべてしまうのだよ。あのわるものは、わからせまいとして、ときどき、すがたをかえてやってくるけれど、なあに、声はしゃがれて、があがあごえだし、足はまっ黒だし、すぐと見わけはつくのだからね。」
 すると、こどもやぎは、声をそろえて、
「かあさん、だいじょうぶ、あたいたち、よく気をつけて、おるすばんしますから、心配しないで行っておいでなさい。」と、いいました。
 そこで、おかあさんやぎは、メエ、メエといって、安心して出かけて行きました。

         二

 やがて、まもなく、たれか、おもての戸をとんとんたたくものがありました。そうして、
「さあ、こどもたち、あけておくれ、おかあさんだよ。めいめいに、いいおみやげをもって来たのだよ。」と、よびました。
 でも、こどもやぎは、それがしゃがれた、があがあ声なので、すぐおおかみだということがわかりました。そこで、
「あけてやらない。おかあさんじゃないから。おかあさんは、きれいな、いい声してるけれど、おまえはしゃがれっ声(ごえ)のがあがあ声だもの。おまえはおおかみだい。」と、さけびました。
 そこで、おおかみは、荒物屋(あらものや)の店へ出かけて、大きな白(はく)ぼくを一本買って来て、それをたべて、声をよくしました。それからまたもどってきて、戸をたたいて、大きな声で、
「さあ、こどもたち、あけておくれ。おかあさんだよ、みんなにいいものをもって来たのだよ。」と、どなりました。
 でも、おおかみはまっ黒な前足を、窓のところにかけていたので、こやぎたちはそれをみつけて、
「あけてはやらない。うちのおかあさんは、おまえのようなまっ黒な足をしていない。おまえはおおかみだい。」と、さけびました。
 そこで、おおかみは、パン屋の店へ出かけて、
「けつまづいて足をいためたから、ねり粉をなすっておくれ。」と、いいました。
 で、パン屋が、おおかみの前足にねったこなをなすってやりますと、こんどは、粉屋(こなや)へかけつけて行って、
「おい、前足に白いこなをふりかけてくれ。」と、いいました。
「おおかみのやつ、まただれかだますつもりだな。」
 そう粉屋はおもって、ぐずぐずしていました。
 するとおおかみは、
「すぐしないと、くっちまうぞ。」と、どなりました。
 そこで、粉屋はこわくなって、おおかみの前足を白くしてやりました。まあ、こういうところが、人間のだめなところですね。
 さて、わるものは、三どめに、やぎのおうちの戸口に立って、とんとん、戸をたたいて、こういいました。
「さあこどもたちや、あけておくれ、おかあさんがかえって来たのだよ、おまえたちめいめいに、森でいいものをみつけて来たのだよ。」
 子やぎたちは、声をそろえて、
「さきに足をおみせ、うちのおかあさんだかどうだか、みてやるから。」
 そういわれて、おおかみは、前足を窓にのせました。こどもやぎがそれを見ますと、白かったので、おおかみのいうことを、すっかりほんとうにして、戸をあけました。
 ところで、はいって来たのはたれでしたろう、おおかみだったではありませんか。
 みんな、わあっとおどろいて、ふるえあがって、てんでんにかくれ場所をさがして、かくれようとしました。ひとりは、つくえの下にとびこみました。次は寝床(ねどこ)にはいこみました。三ばんめは、炉(ろ)の中にかくれました。四ばんめは、台所(だいどころ)へにげました。五ばんめは、棚(たな)にあがりました。六ばんめは、洗面(せんめん)だらいの下にもぐりました。七ばんめは、柱時計の箱のなかにかくれました。
 ところが、おおかみは、そばからみつけだして、ぞうさなく、ひとりひとり、かたはしからつかまえて、ただひと口に、あんぐりやってしまいました。ただ、大時計の箱のなかにかくれた、いちばん小さな子だけは、みつからずにすみました。さて、たらふくたべたいだけたべて、おなかがくちくなると、おおかみはおもてへにげ出して、木のかげになって、青あおとしているしばの上に、ながながとねそべって、ぐうぐういびきをかきだしました。

         三

 それから間もなく、おかあさんやぎは、森からかえって来ました。ところで、まあ、おかあさんやぎは、そのときなにを見たでしょう。おもての戸は、いっぱいにあけひろげてありました。テーブルも、いすも、腰かけも、ほうりだされていました。洗面(せんめん)だらいは、こなごなにこわれていました。夜着(よぎ)もまくらも、寝台(しんだい)からころげおちていました。
 おかあさんやぎは、こどもたちをさがしましたが、ひとりもみつかりません。ひとりひとり、名前をよんでも、たれも返事(へんじ)をするものがありません。おしまいに、いちばん下の子の名前まで来て、はじめて、ほそい声で、
「かあさん、あたい、時計のお箱にかくれているよ。」というのが、きこえました。
 おかあさんやぎは、この子をひっぱりだしてやりました。そこで、この子の口から、はじめておおかみが来て、ほかのこどもたちみんなたべてしまったことが、わかりました。そのとき、おかあさんやぎは、かわいそうな子やぎたちのことを、どんなに泣いてかなしんだか、みなさん、さっしてみてください。
 やっとのことで、おかあさんやぎは、泣くことをやめて、末(すえ)っ子やぎといっしょに、そとへ出ました。原っぱまでくると、おおかみは、やはり木のかげにながながとねそべって、それこそ木の枝も葉も、ぶるぶるふるい動くほどの高いびきを立てていました。
 ところで、おかあさんやぎが、おおかみのようすを遠くからよく見ますと、そのふくれかえったおなかの中で、なにかもそもそ動いているのがわかりました。
「まあ、ありがたい、おおかみのやつ、うちのこどもたちを、お夕飯(ゆうはん)にして、うのみにのみこんだままだから、みんなきっとまだ生きているのだよ。」
 こうおもって、おかあさんやぎは、さっそく、うちへかけこんで行って、はさみと針と糸をとって来ました。それから、おかあさんやぎは、このばけもののどてっ腹を、ちょきんとはさみで、ひとはさみはさみました。するともうそこに、一ぴきのこどもやぎが、ぴょこんとあたまを出しました。おかあさんはよろこんで、またじょきじょきはさんで行きますと、ひとり出(で)、ふたり出して、とうとう六ぴきのこどもやぎのこらずが、とびだしました。みんなぶじで、たれひとり、けがひとつしたものもありません。なにしろ、この大ばけものは、むやみとがつがつしていて、ただもう、ぐっく、ぐっく、そのまま、のどのおくへほうりこんでしまっていたからです。
 まあうれしいこと。こどもたちは、おかあさんやぎにしっかりだきつきました。それから、およめさんをもらう式の日の、仕立屋のように、ぴょんぴょんはねまわりました。
 でも、おかあさんやぎは、こどもたちをとめて、
「さあ、そこらで、みんな行って、ごろた石をひろっておいで、この罰(ばち)あたりなけだものが寝(ね)ているうちに、おなかにつめてやるのだから。」といいました。
 そこで、こどもたちは、われがちにかけだして行って、えんやら、えんやら、ごろた石をあつめて、ひきずって来ました。そうして、それを、おおかみのおなかに、つまるだけつめこみました。すると、おかあさんやぎが、あとから、ちょっちょっと、手ばしこく、もとのようにぬいつけてしまいました。それがいかにも早かったので、おおかみがまるで気がつかないし、ごそりともしないまにすんでしまいました。
 おおかみは、やっとのこと、寝(ね)たいだけ寝て、立ちあがりました。なにしろ、胃袋(いぶくろ)のなかは石がいっぱいで、のどがからからにかわいてたまらないので、ふき井戸のところへ行って、水をのもうとしました。ところが、からだを動かしかけますと、おなかの中で、ごろた石がぶつかりあって、がらがら、ごろごろ、いいました。


がらがら、ごろごろ、なにがなる
そりゃどこでなる、腹(はら)でなる。
六ぴきこやぎのなくこえか、
こりゃ、そうじゃない、ごろた石、


 おおかみは、こううたいました。
 さて、やっとこすっとこ、ふき井戸の所まで来て、水の上にかがもうとすると、おなかの石のおもみに引かれて、おおかみは、のめりました。そうして、いやおうなしに、泣き泣きおおかみは、水の中におちこみました。
 遠くで見ていた七ひきのこどもやぎは、みんなかけよって来て、
「おおかみ死んだよ。おおかみ死んだよ。」とさけびながら、おかあさんやぎと手をつなぎながら、おおよろこびで、井戸のまわりをおどりまわりました。





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底本:「世界おとぎ文庫(グリム篇)森の小人」小峰書店
   1949(昭和24)年2月20日初版発行
   1949(昭和24)年12月30日4版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:大久保ゆう
校正:浅原庸子
2004年4月29日作成
青空文庫作成ファイル:


赤いくつDE RODE SKO ハンス・クリスティアン・アンデルセン 楠山正雄訳

2008-07-02 11:05:32 | ▲教育
赤いくつ
DE RODE SKO
ハンス・クリスティアン・アンデルセン Hans Christian Andersen



 あるところに、ちいさい女の子がいました。その子はとてもきれいなかわいらしい子でしたけれども、貧乏だったので、夏のうちははだしであるかなければならず、冬はあつぼったい木のくつをはきました。ですから、その女の子のかわいらしい足の甲(こう)は、すっかり赤くなって、いかにもいじらしく見えました。
 村のなかほどに、年よりのくつ屋のおかみさんが住んでいました。そのおかみさんはせっせと赤いらしゃの古切れをぬって、ちいさなくつを、一足こしらえてくれていました。このくつはずいぶんかっこうのわるいものでしたが、心のこもった品で、その女の子にやることになっていました。その女の子の名はカレンといいました。
 カレンは、おっかさんのお葬式(そうしき)の日に、そのくつをもらって、はじめてそれをはいてみました。赤いくつは、たしかにおとむらいにはふさわしくないものでしたが、ほかに、くつといってなかったので、素足(すあし)の上にそれをはいて、粗末な棺(かん)おけのうしろからついていきました。
 そのとき、年とったかっぷくのいいお年よりの奥(おく)さまをのせた、古風な大馬車が、そこを通りかかりました。この奥さまは、むすめの様子をみると、かわいそうになって、
「よくめんどうをみてやりとうございます。どうか、この子を下さいませんか。」と、坊(ぼう)さんにこういってみました。
 こんなことになったのも、赤いくつのおかげだと、カレンはおもいました。ところが、その奥さまは、これはひどいくつだといって、焼きすてさせてしまいました。そのかわりカレンは、小ざっぱりと、見ぐるしくない着物を着せられて、本を読んだり、物を縫(ぬ)ったりすることを教えられました。人びとは、カレンのことを、かわいらしい女の子だといいました。カレンの鏡は、
「あなたはかわいらしいどころではありません。ほんとうにお美しくっていらっしゃいます。」と、いいました。
 あるとき女王さまが、王女さまをつれてこの国をご旅行になりました。人びとは、お城のほうへむれを作ってあつまりました。そのなかに、カレンもまじっていました。王女さまは美しい白い着物を着て、窓のところにあらわれて、みんなにご自分の姿が見えるようになさいました。王女さまはまだわかいので、裳裾(もすそ)もひかず、金の冠(かんむり)もかぶっていませんでしたが、目のさめるような赤いモロッコ革のくつをはいていました。そのくつはたしかにくつ屋のお上さんが、カレンにこしらえてくれたものより、はるかにきれいなきれいなものでした。世界じゅうさがしたって、この赤いくつにくらべられるものがありましょうか。
 さて、カレンは堅信礼(けんしんれい)をうける年頃になりました。新しい着物ができたので、ついでに新しいくつまでこしらえてもらって、はくことになりました。町のお金持のくつ屋が、じぶんの家のしごとべやで、カレンのかわいらしい足の寸法をとりました。そこには、美しいくつだの、ぴかぴか光る長ぐつだのがはいった、大きなガラス張(ば)りの箱(はこ)が並んでいました。そのへやはたいへんきれいでしたが、あのお年よりの奥さまは、よく目が見えなかったので、それをいっこういいともおもいませんでした。いろいろとくつが並んでいるなかに、あの王女さまがはいていたのとそっくりの赤いくつがありました。なんという美しいくつでしたろう。くつ屋さんは、これはある伯爵(はくしゃく)のお子さんのためにこしらえたのですが、足に合わなかったのですといいました。
「これはきっと、エナメル革(がわ)だね。まあ、よく光ってること。」と、お年よりはいいました。
「ええ。ほんとうに、よく光っておりますこと。」と、カレンはこたえました。そのくつはカレンの足に合ったので、買うことになりました。けれどもお年よりは、そのくつが赤かったとは知りませんでした。というのは、もし赤いということがわかったなら、カレンがそのくつをはいて、堅信礼(けんしんれい)を受けに行くことを許さなかったはずでした。でも、カレンは、その赤いくつをはいて、堅信礼をうけにいきました。
 たれもかれもが、カレンの足もとに目をつけました。そして、カレンがお寺のしきいをまたいで、唱歌所の入口へ進んでいったとき、墓石の上の古い像(ぞう)が、かたそうなカラーをつけて、長い黒い着物を着たむかしの坊さんや、坊さんの奥さんたちの像までも、じっと目をすえて、カレンの赤いくつを見つめているような気がしました。それからカレンは、坊さんがカレンのあたまの上に手をのせて、神聖な洗礼のことや、神さまとひとつになること、これからは一人前のキリスト信者として身をたもたなければならないことなどを、話してきかせても、自分のくつのことばかり考えていました。やがて、オルガンがおごそかに鳴って、こどもたちは、わかいうつくしい声で、さんび歌をうたいました。唱歌組をさしずする年とった人も、いっしょにうたいました。けれどもカレンは、やはりじぶんの赤いくつのことばかり考えていました。
 おひるすぎになって、お年よりの奥さまは、カレンのはいていたくつが赤かった話を、ほうぼうでききました。そこで、そんなことをするのはいやなことで、れいぎにそむいたことだ。これからお寺へいくときは、古くとも、かならず黒いくつをはいていかなくてはならない、と申しわたしました。
 その次の日曜は、堅信礼のあと、はじめての聖餐式(せいさんしき)のある日でした。カレンははじめ黒いくつを見て、それから赤いくつを見ました。――さて、もういちど赤いくつを見なおした上、とうとうそれをはいてしまいました。その日はうららかに晴れていました。カレンとお年よりの奥さまとは、麦畑のなかの小道を通っていきました。そこはかなりほこりっぽい道でした。
 お寺の戸口のところに、めずらしいながいひげをはやした年よりの兵隊が、松葉杖(まつばづえ)にすがって立っていました。そのひげは白いというより赤いほうで、この老兵はほとんど、あたまが地面につかないばかりにおじぎをして、お年よりの奥さまに、どうぞくつのほこりを払わせて下さいとたのみました。そしてカレンも、やはりおなじに、じぶんのちいさい足をさし出しました。
「はて、ずいぶんきれいなダンスぐつですわい。踊るとき、ぴったりと足についていますように。」と、老兵はいって、カレンのくつの底を、手でぴたぴたたたきました。
 奥さまは、老兵にお金を恵んで、カレンをつれて、お寺のなかへはいってしまいました。
 お寺のなかでは、たれもかれもいっせいに、カレンの赤いくつに目をつけました。そこにならんだのこらずの像も、みんなその赤いくつを見ました。カレンは聖壇(せいだん)の前にひざまずいて、金のさかずきをくちびるにもっていくときも、ただもう自分の赤いくつのことばかり考えていました。赤いくつがさかずきの上にうかんでいるような気がしました。それで、さんび歌をうたうことも忘れていれば、主(しゅ)のお祈をとなえることも忘れていました。
 やがて人びとは、お寺から出てきました。そしてお年よりの奥さまは、自分の馬車にのりました。カレンも、つづいて足をもちあげました。すると老兵はまた、
「はて、ずいぶんきれいなダンスぐつですわい。」と、いいました。
 すると、ふしぎなことに、いくらそうしまいとしても、カレンはふた足三足、踊の足をふみ出さずにはいられませんでした。するとつづいて足がひとりで、どんどん踊りつづけていきました。カレンはまるでくつのしたいままになっているようでした。カレンはお寺の角のところを、ぐるぐる踊りまわりました。いくらふんばってみても、そうしないわけにはいかなかったのです。そこで御者がおっかけて行って、カレンをつかまえなければなりませんでした。そしてカレンをだきかかえて、馬車のなかへいれましたが、足はあいかわらず踊りつづけていたので、カレンはやさしい奥さまの足を、いやというほどけりつけました。やっとのことで、みんなはカレンのくつをぬがせました。それで、カレンの足は、ようやくおとなしくなりました。
 内へかえると、そのくつは、戸棚にしまいこまれてしまいました。けれどもカレンはそのくつが見たくてたまりませんでした。
 さて、そのうち、お年よりの奥さまは、たいそう重い病気にかかって、みんなの話によると、もう二どとおき上がれまいということでした。たれかがそのそばについて看病(かんびょう)して世話してあげなければなりませんでした。このことは、たれよりもまずカレンがしなければならないつとめでした。けれどもその日は、その町で大舞踏会(ぶとうかい)がひらかれることになっていて、カレンはそれによばれていました。カレンは、もう助からないらしい奥さまを見ました。そして赤いくつをながめました。ながめたところで、べつだんわるいことはあるまいとかんがえました。――すると、こんどは、赤いくつをはきました。それもまあわるいこともないわけでした。――ところが、それをはくと、カレンは舞踏会(ぶとうかい)にいきました。そして踊りだしたのです。
 ところで、カレンが右の方へ行こうとすると、くつは左の方へ踊り出しました。段段(だんだん)をのぼって、げんかんへ上がろうとすると、くつはあべこべに段段をおりて、下のほうへ踊り出し、それから往来に来て、町の門から外へ出てしまいました。そのあいだ、カレンは踊りつづけずにはいられませんでした。そして踊りながら、暗い森のなかへずんずんはいっていきました。
 すると、上の木立(こだち)のあいだに、なにか光ったものが見えたので、カレンはそれをお月さまではないかとおもいました。けれども、それは赤いひげをはやしたれいの老兵で、うなずきながら、
「はて、ずいぶんきれいなダンスぐつですわい。」と、いいました。
 そこでカレンはびっくりして、赤いくつをぬぎすてようとおもいました。けれどもくつはしっかりとカレンの足にくっついていました。カレンはくつ下を引きちぎりました。しかし、それでもくつはぴったりと、足にくっついていました。そしてカレンは踊りました。畑の上だろうが、原っぱの中だろうが、雨が降ろうが、日が照ろうが、よるといわず、ひるといわず、いやでもおうでも、踊って踊って踊りつづけなければなりませんでした。けれども、よるなどは、ずいぶん、こわい思いをしました。
 カレンはがらんとした墓地(ぼち)のなかへ、踊りながらはいっていきました。そこでは死んだ人は踊りませんでした。なにかもっとおもしろいことを、死んだ人たちは知っていたのです。カレンは、にがよもぎが生えている、貧乏人のお墓(はか)に、腰をかけようとしました。けれどカレンは、おちつくこともできなければ、休むこともできませんでした。そしてカレンは、戸のあいているお寺の入口のほうへと踊りながらいったとき、ひとりの天使がそこに立っているのをみました。その天使は白い長い着物を着て、肩から足までもとどくつばさをはやしていて、顔付きはまじめに、いかめしく、手にははばの広いぴかぴか光る剣を持っていました。
「いつまでも、お前は踊らなくてはならぬ。」と、天使はいいました。「赤いくつをはいて、踊っておれ。お前が青じろくなって冷たくなるまで、お前のからだがしなびきって、骸骨(がいこつ)になってしまうまで踊っておれ。お前はこうまんな、いばったこどもらが住んでいる家を一軒(けん)、一軒と踊りまわらねばならん。それはこどもらがお前の居ることを知って、きみわるがるように、お前はその家の戸を叩かなくてはならないのだ。それ、お前は踊らなくてはならんぞ。踊るのだぞ――。」
「かんにんしてください。」と、カレンはさけびました。
 けれども、そのまに、くつがどんどん門のところから、往来や小道を通って、畑の方へ動き出していってしまったものですから、カレンは、天使がなんと返事をしたか、聞くことができませんでした。そして、あくまで踊って踊っていなければなりませんでした。
 ある朝、カレンはよく見おぼえている、一軒の家の門(かど)ぐちを踊りながら通りすぎました。するとうちのなかでさんび歌をうたうのが聞こえて、花で飾られたひつぎが、中からはこび出されました。それで、カレンは、じぶんをかわいがってくれたお年よりの奥さまがなくなったことを知りました。そして、じぶんがみんなからすてられて、神さまの天使からはのろいをうけていることを、しみじみおもいました。
 カレンはそれでもやはり踊りました。いやおうなしに踊りました。まっくらな闇の夜も踊っていなければなりませんでした。くつはカレンを、いばらも切株の上も、かまわず引っぱりまわしましたので、カレンはからだや手足をひっかかれて、血を出してしまいました。カレンはとうとうあれ野を横ぎって、そこにぽつんとひとつ立っている、小さな家のほうへ踊っていきました。その家には首切役人(くびきりやくにん)が住んでいることを、カレンは知っていました。そこで、カレンはまどのガラス板を指でたたいて、
「出て来て下さい。――出て来て下さい。――踊っていなければならないので、わたしは中へはいることはできないのです。」と、いいました。
 すると、首切役人はいいました。
「お前は、たぶんわたしがなんであるか、知らないのだろう。わたしは、おのでわるい人間の首を切りおとす役人だ。そら、わたしのおのは、あんなに鳴っているではないか。」
「わたし、首を切ってしまってはいやですよ。」と、カレンはいいました。「そうすると、わたしは罪を悔い改めることができなくなりますからね。けれども、この赤いくつといっしょに、わたしの足を切ってしまってくださいな。」
 そこでカレンは、すっかり罪をざんげしました。すると首斬役人は、赤いくつをはいたカレンの足を切ってしまいました。でもくつはちいさな足といっしょに、畑を越えて奥ぶかい森のなかへ踊っていってしまいました。
 それから、首切役人は、松葉杖といっしょに、一ついの木のつぎ足を、カレンのためにこしらえてやって、罪人(ざいにん)がいつもうたうさんび歌を、カレンにおしえました。そこで、カレンは、おのをつかった役人の手にせっぷんすると、あれ野を横ぎって、そこを出ていきました.
(さあ、わたしは十分、赤いくつのおかげで、苦しみを受けてしまったわ。これからみなさんに見てもらうように、お寺へいってみましょう。)
 こうカレンはこころにおもって、お寺の入口のほうへいそぎましたが、そこにいきついたとき、赤いくつが目の前でおどっていました。カレンは、びっくりして引っ返してしまいました。
 まる一週間というもの、カレンは悲しくて、悲しくて、いじらしい涙を流して、なんどもなんども泣きつづけました。けれども日曜日になったとき、
(こんどこそわたしは、ずいぶん苦しみもしたし、たたかいもしてきました。もうわたしもお寺にすわって、あたまをたかく上げて、すこしも恥じるところのない人たちと、おなじぐらいただしい人になったとおもうわ。)
 こうおもいおもい、カレンは勇気を出していってみました。けれども墓地の門にもまだはいらないうちに、カレンはじぶんの目の前を踊っていく赤いくつを見たので、つくづくこわくなって、心のそこからしみじみ悔いをかんじました。
 そこでカレンは、坊さんのうちにいって、どうぞ女中に使って下さいとたのみました。そして、なまけずにいっしょうけんめい、はたらけるだけはたらきますといいました。お給金(きゅうきん)などはいただこうとおもいません。ただ、心のただしい人びととひとつ屋根の下でくらさせていただきたいのです。こういうので、坊さんの奥さまは、カレンをかわいそうにおもってつかうことにしました。そしてカレンはたいそうよく働いて、考えぶかくもなりました。夕方になって、坊さんが高い声で聖書をよみますと、カレンはしずかにすわって、じっと耳をかたむけていました。こどもたちは、みんなとてもカレンが好きでした。けれども、こどもたちが着物や、身のまわりのことや、王さまのように美しくなりたいなどといいあっているとき、カレンは、ただ首を横にふっていました。
 次の日曜日に、人びとはうちつれてお寺にいきました。そして、カレンも、いっしょにいかないかとさそわれました。けれどもカレンは、目にいっぱい涙をためて、悲しそうに松葉杖をじっとみつめていました。そこで、人びとは神さまのお声をきくために出かけましたが、カレンは、ひとりかなしく自分のせまいへやにはいっていきました。そのへやは、カレンのベットと一脚(きゃく)のいすとが、やっとはいるだけの広さしかありませんでした。そこにカレンは、さんび歌の本を持っていすにすわりました。そして信心ぶかい心もちで、それを読んでいますと、風につれて、お寺でひくオルガンの音(ね)が聞こえてきました。カレンは涙でぬれた顔をあげて、
「ああ、神さま、わたくしをお救いくださいまし。」と、いいました。
 そのとき、お日さまはいかにもうららかにかがやきわたりました。そしてカレンがあの晩お寺の戸口のところで見た天使とおなじ天使が、白い着物を着て、カレンの目の前に立ちました。けれどもこんどは鋭い剣のかわりに、ばらの花のいっぱいさいたみごとな緑の枝を持っていました。天使がそれで天井にさわりますと、天井は高く高く上へのぼって行って、さわられたところは、どこものこらず金の星がきらきらかがやきだしました。天使はつぎにぐるりの壁にさわりました。すると壁はだんだん大きく大きくよこにひろがっていきました。そしてカレンの目に、鳴っているオルガンがみえました。むかしの坊さんたちやその奥さまたちの古い像(ぞう)も見えました。信者のひとたちは、飾りたてたいすについて、さんび歌の本を見てうたっていました。お寺ごとそっくり、このせまいへやのなかにいるかわいそうな女の子のところへ動いて来たのでございます。それとも、カレンのへやが、そのままお寺へもっていかれたのでしょうか。――カレンは、坊さんのうちの人たちといっしょの席についていました。そしてちょうどさんび歌をうたいおわって顔をあげたとき、この人たちはうなずいて、
「カレン、よくまあ、ここへきましたね。」といいました。
「これも神さまのお恵みでございます。」とカレンはいいました。
 そこで、オルガンは、鳴りわたり、こどもたちの合唱の声は、やさしく、かわいらしくひびきました。うららかなお日さまの光が、窓からあたたかく流れこんで、カレンのすわっているお寺のいすを照らしました。けれどもカレンのこころはあんまりお日さまの光であふれて、たいらぎとよろこびであふれて、そのためはりさけてしまいました。カレンのたましいは、お日さまの光にのって、神さまの所へとんでいきました。そしてもうそこではたれもあの赤いくつのことをたずねるものはありませんでした。






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底本:「新訳アンデルセン童話集 第二巻」春秋社
   1955(昭和30)年7月15日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:大久保ゆう
校正:鈴木厚司
2005年6月1日作成
青空文庫作成ファイル:


アラビヤンナイト 一、アラジンとふしぎなランプ  菊池寛

2008-07-02 11:05:13 | ▲教育
アラビヤンナイト
一、アラジンとふしぎなランプ
菊池寛



 昔、しなの都に、ムスタフという貧乏(びんぼう)な仕立屋が住んでいました。このムスタフには、おかみさんと、アラジンと呼ぶたった一人の息子(むすこ)とがありました。
 この仕立屋は大へん心がけのよい人で、一生けんめいに働きました。けれども、悲しいことには、息子が大(だい)のなまけ者で、年が年じゅう、町へ行って、なまけ者の子供たちと遊びくらしていました。何か仕事をおぼえなければならない年頃になっても、そんなことはまっぴらだと言ってはねつけますので、ほんとうにこの子のことをどうしたらいいのか、両親もとほうにくれているありさまでした。
 それでも、お父さんのムスタフは、せめて仕立屋にでもしようと思いました。それである日、アラジンを仕事場へつれて入って、仕立物を教(おし)えようとしましたが、アラジンは、ばかにして笑っているばかりでした。そして、お父さんのゆだんを見すまして、いち早くにげ出してしまいました。お父さんとお母さんは、すぐに追っかけて出たのですけれど、アラジンの走り方があんまり早いので、もうどこへ行ったのか、かいもく、姿は見えませんでした。
「ああ、わしには、このなまけ者をどうすることもできないのか。」
 ムスタフは、なげきました。そして、まもなく、子供のことを心配のあまり、病気になって、死んでしまいました。こうなると、アラジンのお母さんは、少しばかりあった仕立物に使う道具(どうぐ)を売りはらって、それから後は、糸をつむいでくらしを立てていました。
 さて、ある日、アラジンが、いつものように、町のなまけ者と一しょに、めんこをして遊んでいました。ところがそこへ、いつのまにか背(せい)の高い、色の黒いおじいさんがやって来て、じっとアラジンを見つめていました。やがて、めんこが一しょうぶ終った時、そのおじいさんがアラジンに「おいで、おいで」をしました。そして、
「お前の名は何と言うのかね。」と、たずねました。この人は大へんしんせつそうなふうをしていましたが、ほんとうは、アフリカのまほう使でした。
「私の名はアラジンです。」
 アラジンは、いったい、このおじいさんはだれだろうと思いながら、こう答えました。
「それから、お前のお父さんの名は。」また、まほう使が聞きました。
「お父さんの名はムスタフと言って、仕立屋でした。でも、とっくの昔に死にましたよ。」
と、アラジンは答えました。すると、この悪者のまほう使は、
「ああ、それは私の弟だ。お前は、まあ、私の甥(おい)だったんだね。私は、しばらく外国へ行っていた、お前の伯父(おじ)さんなんだよ。」
と言って、いきなりアラジンをだきしめました。そして、
「早く家へ帰って、お母さんに、私が会いに行きますから、と言っておくれ。それから、ほんの少しですが、と言って、これをあげておくれ。」と言って、アラジンの手に、金貨(きんか)を五枚にぎらせました。
 アラジンは、大いそぎで家へ帰って、お母さんに、この伯父さんだという人の話をしました。するとお母さんは、
「そりゃあ、きっと、何かのまちがいだろう。お前に伯父さんなんか、ありゃあしないよ。」と、言いました。
 しかし、お母さんは、その人がくれたという金貨を見て、ひょっとしたら、そのおじいさんはしんるいの人かもしれない、と思いました。それで、できるかぎりのごちそうをして、その人が来るのを待っていました。
 まもなくアフリカのまほう使は、いろいろめずらしい果物や、おいしいお菓子をどっさりおみやげに持って、やって来ました。
「なくなった、かわいそうな弟の話をしてください。いつも弟がどこに腰(こし)かけていたか、教えてください。」
と、まほう使は、お母さんとアラジンに聞きました。
 お母さんは、いつもムスタフが腰かけていた、長いすを教えてやりました。すると、まほう使は、その前にひざまずいて、泣きながらその長いすにキッスしました。それで、お母さんは、この男はなくなった主人の兄さんにちがいない、と思うようになりました。ことに、このまほう使が、アラジンをなめるようにかわいがるのを見て、なおさら、そうときめてしまったのでした。
「何か、仕事をしているかね。」まほう使がアラジンにたずねました。
「まあ、ほんとうに、おはずかしゅうございますわ。この子は、しょっちゅう町へ行って、遊んでばかりいまして、まだ何にもしていないのでございますよ。」
 お母さんが手をもみながら、そう答えました。
 アラジンは、伯父さんだという人が、じっと自分を見つめているので、はずかしそうに、うつむいていました。
「何か仕事をしなきゃあいけませんな。」
 まほう使は、こうお母さんに言っておいて、さて、こんどはアラジンに、
「お前はいったい、どんな商売がしてみたいのかね。私はお前に呉服店(ごふくみせ)を出させてあげようと思っているのだが。」と、言いました。
 アラジンは、これを聞くと、うちょうてんになってよろこびました。
 あくる日、伯父さんだという人は、アラジンに、りっぱな着物を一そろい買って来てくれました。アラジンは、それを着て、この伯父さんだという人につれられて、町じゅうを見物して歩きました。
 その次の日もまた、まほう使はアラジンをつれ出しました。そして、こんどは、美しい花園(はなぞの)の中を通りぬけて、田舎(いなか)へ出ました。二人はずいぶん歩きました。アラジンは、そろそろくたびれはじめました。けれども、まほう使がおいしいお菓子や果物をくれたり、めずらしい話を次から次と話して聞かせてくれたりするものですから、大してくたびれもしませんでした。そんなにして、とうとう二人は山と山との間の深い谷まで来てしまいました。そこでやっと、まほう使が足をとめました。
「ああ、とうとうやって来たな。まず、たき火をしようじゃあないか。かれ枝を少し拾(ひろ)って来ておくれ。」と、アラジンに言いました。
 アラジンはさっそく、かれ枝を拾いに行きました。そして、すぐ両手にいっぱいかかえて、帰って来ました。まほう使は、それに火をつけました。かれ枝は、どんどんもえはじめました。おじいさんはふしぎな粉(こな)を、ポケットから出しました。それから、口の中で何かぶつぶつ言いながら、火の上にふりかけました。すると、たちまち大地がゆれはじめました。そして、目の前の地面がぱっとわれて、大きな、まっ四角な平たい石があらわれてきました。その石の上には、輪(わ)がはまっていました。
 アラジンはこわがって、家へ走って帰ろうとしました。けれども、まほう使はそうはさせませんでした。アラジンのえりがみをつかんで、引きもどしました。
「伯父さん、どうしてこんなひどいことをするんです。」アラジンは泣きじゃくりながら見上げました。
「だまって、私の言う通りにすればいい。この石の下には宝物(たからもの)があるのだ。それをお前に分けてやろうというのだ。だから私の言う通りにおし。すぐに出て来るからな。」
と、まほう使が言いました。
 宝物と聞くと、アラジンは今までのこわさはすっかり忘れて、よろこんでしまいました。そして、まほう使の言う通りに、石の上の輪に手をかけると、石はぞうさなく持ち上りました。
「アラジンや、ごらん。そこに下へおりて行く石段が見えるだろう。お前が、その石段をおりきるとね、大広間(おおひろま)が三つならんでいるんだよ。その大広間を通って行くのだが、その時、外套(がいとう)がかべにさわらないように気をつけなきゃあいけないよ。もしさわったが最後、お前はすぐに死んでしまうからね。そうして、その大広間を通りぬけると、果物畠(くだものばたけ)があるのだよ。その中をまた通りすぎると、つきあたりに穴ぐらがある。その中に一つのランプがとぼっているからね、そのランプをおろして、中の油を捨(す)てて持ってお帰り。」
 まほう使はこう言いながら、おまもりだといって、まほうの指輪(ゆびわ)をアラジンの指にはめてくれました。そして、すぐに出かけるようにと命令(めいれい)しました。
 アラジンは、まほう使の言った通りにおりて行きました。何もかも、まほう使が言った通りのものがありました。アラジンは三つの大広間と果物畠を通りぬけて、ランプのあるところまで来ました。そこで、ランプをとって油を捨てて、だいじにふところにしまってから、あたりを見まわしました。
 アラジンは、ゆめにさえこんな見事な果物畠は見たことがありませんでした。なっている果物がいろいろさまざまの美しい色をしていて、まるでそこら一面、にじが立ちこめたように見えるのです。すきとおって水晶(すいしょう)のようなのもありました。まっ赤(か)な色をしていて、ぱちぱちと火花をちらしているのもありました。そのほか緑、青、むらさき、だいだい色なんどで、葉はみんな金と銀とでできていました。この果物は、ほんとうはダイヤモンドや、ルビーや、エメラルドや、サファイヤなどという宝石(ほうせき)だったのですが、アラジンには気がつきませんでした。けれども、あんまり見事だったものですから、帰りにこの果物をとって、ポケットに入れておきました。
 アラジンがやっと石段の下までたどりついた時、地の上では、まほう使が一心に下の方を見つめて待っていました。そしてアラジンが石段をのぼりかけると、
「早く、ランプをおよこし。」と言って、手をのばしました。
「私が持って出るまで待ってくださいな。出たらすぐにあげますから。ここからじゃとどかないんですもの。」と、アラジンは答えました。
「もっと手を持ち上げたらとどくじゃないか。さあ、早くさ。」
 おじいさんは、おこった顔(かお)をしてどなりつけました。
「すっかり外へ出てから渡しますよ。」アラジンは同じようなことを言いました。
 すると、まほう使は、はがゆがってじだんだをふみました。そして、ふしぎな粉をたき火の中へ投げこみました。口の中で何かぶつぶつ言いながら。そうすると、たちまち石がずるずるとふたをしてしまい、地面の上へかえる道がふさがってしまったのでした。アラジンはまっ暗な地の下へとじこめられてしまいました。
 これで、そのおじんさんは、アラジンの伯父さんではないということがはっきりとわかりました。このまほう使は、まほうの力によって遠いアフリカで、このランプのことをかぎつけたのでした。このランプは大へんふしぎなランプなのです。そのことは、読んでゆくにしたがって、だんだん皆さんにわかってくるでしょう。しかし、このまほう使は、自分でこのランプをとりに行くことはできないのでした。だれかほかの人がとって来てやらなければ、だめなのでした。それで、アラジンにつきまとったわけです。そして、ランプさえ手に入ったら、アラジンを殺(ころ)してしまおう、と思っていたのでありました。
 けれども、すっかりあてがはずれてしまいましたので、まほう使はアフリカへ帰ってしまいました。そして長い長い間、しなへは、やって来ませんでした。
 さて、地の下へとじこめられたアラジンは、どこかにげ道はないかと、あの大広間や果物畠の方へ行ってみましたが、地面の上へかえって行く道はどこにもありませんでした。二日(ふつか)の間アラジンは泣きくらしました。そして、どうしても地の下で死んでしまわなきゃならないのだと思いました。そして、両方の手をしっかりとにぎりあわせました。その時、まほう使がはめてくれた指輪にさわったのでした。
 すると、たちまち大きなおばけが、床(ゆか)からむくむくとあらわれ出て、アラジンの前に立ちはだかりました。そして、
「坊(ぼっ)ちゃん、何かご用でございますか。私は、その指輪の家来(けらい)でございます。ですから、その指輪をはめていらっしゃる方のおっしゃる通りに、しなければならないのでございます。」と、言うのです。アラジンはとび上るほどよろこびました。そして、
「私の言うことなら、どんなことでも聞いてくれるんだね。よし、じゃ、こんなおそろしいところからすぐつれ出しておくれ。」と、こうたのみました。
 そうすると、すぐに地面へ上る道が開きました。そして、あっというまに、もう自分の家の戸口まで帰っていました。お母さんがアラジンが帰ったので、涙を流してよろこびました。アラジンもお母さんにだきついて、何度も何度もキッスしました。それから、お母さんにこの間からのいちぶしじゅうを話そうとしましたが、お腹(なか)がぺこぺこでした。
「お母さん、何かたべさせてくださいな。私はお腹がぺこぺこで死にそうなんです。」と、アラジンが言いました。
 お母さんは、
「ああ、そうだろうとも、ねえ。だがこまったよ、もう家の中には、少しぽっちの綿(わた)よりほかには何にもないんだよ。ちょっとお待ち、この綿を売りに行って、そのお金で何か買って来てあげよう。」と、言いました。
 するとアラジンは、
「お母さん、待ってください。いいことがあります。綿を売るよりも、この、私の持って帰ったランプをお売りなさいな。」と言って、あのランプを出しました。
 けれども、ランプは大へん古ぼけていて、ほこりまみれでした。少しでもきれいになったら、少しでも高く売れるだろうと思って、お母さんはそれをみがこうとしました。
 しかし、お母さんが、そのランプをこするかこすらないうちに、大きなまっ黒いおばけが、床(ゆか)からむくむくと出て来ました。ちょうど、けむりのように、ゆらゆらとからだをゆすりながら、頭が天じょうへとどくと、そこから二人を見おろしました。
「ご用は何でございますか。私はランプの家来でございます。そして私はランプを持っている方の言いつけ通りになるものでございます。」と、そのおばけが言いました。
 アラジンのお母さんは、このおばけを見た時、こわさのあまり気をうしなってしまいました。アラジンは、すぐお母さんの手からランプを引ったくりました。そしてふるえながら、自分の手に持っていました。
「ほんの少しでもいいから、たべるものを持っておいで。」
 アラジンは、やっぱりふるえながら、こう言いました。おそろしいおばけが、やっぱり天じょうからにらみつけていたものですから。が、その時、ランプの家来は、しゅっとけむりを立てて消えてゆきました。けれども、またすぐに、金のお皿(さら)の上に上等のごちそうをのせて、あらわれて来ました。
 この時、アラジンのお母さんは、やっと気がつきました。けれども、このごちそうをたべるのを、大へんこわがりました。そして、すぐにランプを売ってくれと、アラジンにたのみました。あのおばけが、きっと何か悪いことをするにちがいないと考えたものですから。けれどもアラジンは、お母さんのこわがっているのを笑いました。そして、このまほうのランプと、ふしぎな指輪(ゆびわ)の使い方がわかったから、これからは、この二つをうまく使って、くらしむきのたすけにしようと思う、と言いました。
 二人は金のお皿を売って、ほしいと思っていたお金を手に入れました。そして、それをみんな使ってしまった時、アラジンはランプのおばけに、もっと持って来いと言いつけました。こうして、親子は何年も何年も楽しくくらしていました。

 さて、アラジンの住んでいる町にあるお城(しろ)の王さまのお姫(ひめ)さまは、大へん美しい方だということでした。アラジンも、このうわさを聞いていましたので、どうにかしてお姫さまを一度おがみたいと思っていました。それで、いろいろお姫さまをおがむ方法を考えてみましたけれど、どれもこれもみんなだめらしく思われるのでした。なぜかというと、お姫さまは、いつも外へお出ましになる時は、きまったように、深々とベールをかぶっていらっしゃったからであります。けれども、とうとう、ある日、アラジンは王さまの御殿(ごてん)の中へ入ることができました。そして、お姫さまがゆどのへおいでになるところを、戸のすきまからのぞいてみました。
 それからアラジンは、お姫さまの美しいお顔が忘れられませんでした。そしてお姫さまがすきですきでたまらなくなりました。お姫さまは夏の夜のあけ方のように美しい方でした。アラジンは家へ帰って来て、お母さんに、
「お母さん、私はとうとうお姫さまを見て来ましたよ。お母さん、私はお姫さまをおよめさんにしたくなりました。お母さん、すぐに王さまのお城へ行って、お姫さまをくださるようにお願(ねが)いしてください。」と言って、せがみました。
 お母さんは、息子のとほうもない望みを聞いて笑いました。そしてまた、アラジンが気ちがいになったのではないかと思って、心配もしました。しかし、アラジンはお母さんが「うん」と言うまではせがみ通しました。
 それで、お母さんは、あくる日、王さまへのおみやげに、あのまほうの果物をナフキンにつつんで、ふしょうぶしょうにお城へ出かけて行きました。お城には、たくさんの人たちがつめかけて、うったえごとを申し出ておりました。お母さんは何だかいじけてしまって、進み出て自分のお願いを申し上げることができませんでした。だれもまた、お母さんに気がつきませんでした。そうして、毎日々々、お城へ出かけて行って、やっと一週間めに王さまのお目にとまりました。王さまは大臣(だいじん)に、
「あの女は何者だな。毎日々々、白いつつみを持って、来てるようだが。」と、おたずねになりました。
 それで大臣は、お母さんに王さまの前へ進むように申しました。お母さんは、少し進んで、地面の上へひれふしてしまいました。
 お母さんは、あんまりおそれ多いので、何も言うことができませんでした。けれども、王さまが大そうおやさしそうなので、やっと勇気(ゆうき)を出して、アラジンにお姫さまをいただきたいとお願いしました。それから、
「これはアラジンが王さまへのささげ物でございます。」と言って、まほうの果物をつつみから出して、さし上げました。
 あたりにいた人々は、こんなりっぱな果物を生れて一度も見たことがなかったものですから、びっくりして声を立てました。果物はいろいろさまざまに光りかがやいて、見ている人たちがまぶしがるほどでした。
 王さまもおおどろきになりました。そして大臣を別のへやへお呼びになって、
「あんなすばらしいささげ物をすることができる男なら、姫をやってもいいと思うが、どうだろうな。」と、ご相談(そうだん)なさいました。
 ところが大臣は、ずっと前から、お姫さまを自分の息子のおよめさんにしたいと思っていたものですから、
「そんなにいそいで約束をあそばないで、もう三月(みつき)ほど、待たせなさいまし。」
と、申し上げました。王さまも、なるほどそうだとお思いになりました。それで、アラジンのお母さんに、もう三月待ったら、姫をやろう、とおっしゃいました。
 アラジンは、お姫さまがいただけると聞いて、自分くらい仕合せ者はないと思いました。それからは、一日々々が矢のように早くすぎてゆきました。ところが、それから二月もすぎたある夕方、町じゅうが大そうにぎやかなことがありました。アラジンは何事かと思って人にたずねました。するとその人は、今晩、お姫さまが、大臣の息子のところへおよめにいらっしゃるからだ、と教えてくれました。
 アラジンはまっ赤(か)になっておこりました。そしてすぐ家へ帰って、まほうのランプをとり出してこすりました。すると、じきにあのおばけが出て来て、何をいたしましょうかと聞きました。
「王さまのお城へ行って、お姫さまと、大臣の息子をすぐつれて来い。」と、言いつけました。
 たちまちおばけは御殿へ行って、二人をつれて帰って来ました。そしてこんどは、
「大臣の息子をこの家からつれ出して、朝まで外で待たしておけ。」と、命令(めいれい)しました。
 お姫さまはこわがって、ふるえていました。けれども、アラジンは、けっしてこわがらないでください、私こそはあなたのほんとうのおむこさんなのでございます、と申し上げました。
 あくる朝早く、アラジンの言いつけた通りに、おばけは、大臣の息子をつれて家の中へ入って来ました。そして、お姫さまと一しょにお城へつれて帰りました。
 それからまもなく王さまが、
「お早う。」と言って、お姫さまのおへやへ入っていらっしゃいますと、お姫さまは涙をぽろぽろこぼして泣いていらっしゃいました。そして大臣の息子は、ぶるぶるふるえていました。
「どうしたのかね。」と、王さまがおたずねになりました。けれども、お姫さまは泣いていて、何にもおっしゃいませんでした。
 その晩もまた、同じようにアラジンはおばけに言いつけて、二人をつれて来させました。そしてもう一度、大臣の息子を家の外に立たせておきました。
 次の日もやはり、お姫さまが泣いていらっしゃるのを見て、王さまは大そうおおこりになりました。そして、お姫さまが何を聞いても、やっぱりだまっていらっしゃるので、なおなおおこっておしまいになりました。
「泣くのをおやめ、そして早くわけをお話し。話さないと殺してしまうよ。」と、おしかりになりました。
 それで、やっとお姫さまは、おとといの晩からの出来事を、すっかりお話しになりました。大臣の息子はふるえながら、どうぞおむこさんになるのをやめさせてくださいまし、とお願いしました。もうもう一晩だって、あんな目にあうのは、いやだと思ったものですから。
 















 
底本:「アラビヤンナイト」主婦之友社
   1948(昭和23)年7月10日初版発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
入力:大久保ゆう
校正:京都大学点訳サークル
2004年11月2日作成
青空文庫作成ファイル:






イワンの馬鹿 トルストイ Tolstoi 菊池寛訳

2008-07-02 11:04:53 | ▲教育
イワンの馬鹿 (抜粋)
SKAZKA O IVANE-DURAKE

菊池寛訳



        一

 むかしある国の田舎にお金持の百姓が住んでいました。百姓には兵隊のシモン、肥満(ふとっちょ)のタラスに馬鹿のイワンという三人の息子と、つんぼでおしのマルタという娘がありました。兵隊のシモンは王様の家来になって戦争に行きました。肥満(ふとっちょ)のタラスは町へ出て商人に[#底本では「に」が重複]なりました。馬鹿のイワンと妹のマルタは、家(うち)に残って背中がまがるほどせい出して働きました。兵隊のシモンは高い位と広い領地を得て、王様のお姫様をお嫁さんに貰いました。お給金もたくさんだし領地から上(あが)る収入(みいり)も大したものでしたが、彼はそれを、うまくしめくくっていくことが出来ませんでした。おまけに主人がもうけたものをお嫁さんが滅茶に使ってしまうので、いつも貧乏していなければなりませんでした。
 そこで兵隊のシモンは自分の領地へ出かけて行って収入(みいり)をあつめようとしました。すると執事は言いました。
「収入(みいり)どころか、牛も馬も鋤(すき)も鍬(くわ)もありません。何よりも先にそれを手に入れなくちゃいけません。そうすりゃ、やがてお金も入って来るでしょう。」
 そこでシモンは父親のところへ行って言いました。
「お父さん、あなたはお金持なのに私にはまだ何もくれませんでした。あなたの持ちものを分けてその三分の一を私に下さい。そうすりゃ私の領地の手入をすることが出来ますから。」
 すると年寄った父親は言いました。
「お前は家(うち)のためになることを何もしたことはない。それにどうして三分の一やることが出来よう。第一イワンやマルタにすまない。」
 と、シモンは、
「イワンは馬鹿です。それにマルタはお嫁に行く年はとっくに過ぎていて、おまけにつんぼでおしです。あれ等に財産を持たしたってそれが何になるでしょう。」
と言いました。おじいさんは、
「じゃ、イワンが何というか聞いてみよう。」
と言いました。
 イワンは、
「兄さんの欲しいだけ上げなさい。」
と言いました。
 そこで兵隊のシモンは父親から分前(わけまえ)を貰ってほくほくもので自分の領地へうつしまた王様のところへ行って仕えました。
 肥満のタラスもたくさんのお金をもうけてある商人の家(うち)へおむこさんに行きましたが、それでもまだお金が欲しいと思いました。そこでやはり父親のところへ出かけて行き、
「私にも私の分け前を下さい。」
と言いました。
 しかし父親はタラスにも分けてやりたくなかったので、
「お前は、何一つ家(うち)へは持って来なかった。この家(うち)にあるものは、みんなイワンがかせぎ上げたのだから、どうしてあれや娘によくないことが出来よう。」
と言いました。が、しかしタラスは言いました。
「イワンに何が入るものですか、あいつは馬鹿です、誰だって嫁に来るものはありません。またあのおしだって何にもいりはしませんよ。」
 そしてイワンに向って、
「おいイワン。おれに穀物を半分おくれよ。おれは道具なんか貰おうとは思わない。あの葦毛(あしげ)の馬を一匹貰おう。あれはお前の畑仕事にはちっと不向きのようだから。」
と言いました。イワンは笑って、
「何でも入るだけ持って行くがいい。私はまたかせいで手に入れるよ。」
と言いました。
 そこでタラスにも分前だけやりました。で、タラスは荷車で穀物を町へ運び、種馬をつれて行きました。こうしてイワンはよぼよぼの牝馬(めうま)を一匹だけ残され、以前(まえ)通り百姓をして両親を養って行きました。

        二

 ところが、それを年よった悪魔が見ていました。悪魔は、兄弟たちが財産の分け方でけんかをするだろうと思っていたのに、べつにいさかいもなく、仲良く別れて行ったので大へん腹を立てて、早速三人の小悪魔(しょうあくま)を呼び集めました。そして言いました。
「ここに兵隊のシモン、肥満(ふとっちょ)のタラス、馬鹿のイワンと言う三人の兄弟がいる。こいつらは当然けんかをしなくてはならないのに仲良く暮し合っている。あの馬鹿のイワンの奴がすっかりおれの仕事をだいなしにしてしまったのだ。ところでお前たち三人は兄弟三人に取(と)ついて奴等がお互いに目玉を引っこぬくようにしてやるのだ。どうだ、出来るかな。」
「はい、一つやってみましょう。」
と三人の小悪魔は言いました。
「じゃ、どんな風にはじめる。」
「わけはありません。」
と小悪魔は言いました。
「まず第一にあいつ等を一文無しにしてしまいます。そして一片(ひときれ)のパンも無くなった時分にみんなをおち合わせることにします。そうすりゃけんかするにきまっています。」
「なるほど、そいつはいい思いつきだ。お前たちもだいぶ仕事がうまくなったようだ。じゃ、行って来い。そしてあいつ等を仲たがいさせるまでは決して帰って来るな。でないとお前たちの生皮(なまかわ)を引(ひん)むいでしまうぞ。」
 小悪魔たちは早速ある沼地へ行って仕事について打合せをしはじめました。そしてめいめいが一番割りのいい役を取ろうとしてぎろんしました。が、とうとうくじ引で役割を決めることにしました。そしてもし一人が先に片づいたら他へ手伝いに行くことにしました。そこでくじ引をし、また日を決めて、だれがうまくやりとげたか、だれが手伝がほしいかを、知らせあうことにしました。
 やがて約束の日が来ましたので、小悪魔たちは、沼地へ集まりました。すると兵隊シモンのところへ行った小悪魔が、
「おれの仕事はうまくすすんで行っている。明日シモンは親爺(おやじ)のところへ帰るだろう。」
と口を切りました。
「どうしてそううまくやったのだ。」
と仲間が聞きました。すると第一の小悪魔は、
「まず第一におれはシモンを大へんな向う見ずにしてやった。するとあいつは大たんになって、王様に、全世界を攻め取ってやると言ったのだ。ところが王様がそれをほんとにして、あいつを大将にして印度(いんど)王征伐にやった。両軍は向い合って陣をとった。ところがおれはその前の晩シモンの陣にある火薬をすっかりしめらせておき、また印度王の方にはかぞえ切れないほどの藁の兵隊をこしらえてやった。するとシモンの兵隊は、その大ぜいの藁兵にとりかこまれて、すっかりおそれてしまった。シモンは打てと命(い)いつけた。ところが鉄砲も大砲も弾丸(たま)が出なかった。そこでシモンの兵隊はおびえて羊のように逃げ出し、印度王はそれを、すっかり討ち取った。シモンはさんざんだ。王様は大そう怒って、シモンの領地を取り上げてしまうしみなは明日やつを死刑にしようとしている。それでおれの仕事はあと一日だけ、あいつをあいつの田舎へ逃してやるために牢屋から出してやればいいのだ。明日になりゃ、お前たちに手をかしてどんなことでもしてやるよ。」
 すると今度はタラスのところへ行った第二の小悪魔が、
「おれの方は手伝ってもらわなくてもいい、うまく運んでいる。」
と言いながら、話し出しました。
「タラスはもう一週間と持ちこたえないだろう。おれはまず第一にあれをいっそうよくばりにし、肥満(ふとっちょ)になるようにした。あいつのよくはいよいよひどくなって行って、何でも見るものごとに買いたくなるように仕向けてやった。それであいつはあり金をすっかりつかってしまい、なおさかんに買い込んでいる。もう大へん借金して買っている。一週間たつとかんじょうの日が来るが、その前に、おれはあいつの買い込んだ品物を、すっかりだいなしにしてやるんだ。するとあいつは支払が出来なくなって、親爺のところへくるだろう。」
「ところで、お前の方はどうだ。」
と二人の悪魔は第三の悪魔(イワンの係)に聞きました。
「そうだな。」
と第三の悪魔は元気なく言いました。
「おれの方はどうもうまく行かない。まずおれはあいつに、腹痛(はらいた)を起させてやろうと思ってあいつのお茶の中に、唾を吐き込んでやった。それからあいつの畑を、石のようにかんかんに固めて鋤(す)き返しが出来ないようにしておいた。そして、あいつはとても鋤きに出て来やしないだろうと思っていた。ところがあいつはとてつもない馬鹿で鋤を持って来て鋤きはじめた。あいつは腹が痛いので、うんうん唸りながら、それでも仕事は止(や)めない。そこでおれはあいつの鋤を破(こわ)してやった。ところがあいつは家(うち)へ行って別のを持って来てまた鋤きはじめた。おれは地面へもぐり込んでその鋤先を捉えた。が、鋤先にはいい捉えどころがない。あいつは一生けんめい[#底本では「い」が重複]鋤へ寄っかかる。おまけに鋤先は鋭く切れる。とうとうおれは手を切った。あいつはその畑をほとんど鋤いてしまって、あと小さい畝(うね)一つ残しただけだ。兄弟たち、一つ手を貸しに来てくれ。あいつの始末をつけないと、折角(せっかく)の骨折(ほねおり)もだいなしになってしまう。もしあの馬鹿がああして畑の仕事をつづけて行くと、あいつらは困るということを知らないだろう。あいつが二人の兄を養って行くだろうからね。」
 兵隊のシモン係の小悪魔は明日から手伝いに行くと約束しました。こうして彼等は別れました。

        三

 イワンは畑をたった一畝残したきり、鋤き返しました。それでまだ腹は痛みましたが、残りの一畝を片づけるつもりで、またやって来ました。そして例の牝馬に鋤を取りつけて、仕事にかかりました。ところが、一畝鋤きおわってまた後へ鋤き返そうとすると、何か鋤が木の根にでも引っかかったように、動かなくなってしまいました。それは例の小悪魔が、両脚(りょうあし)を鋤先にからみつけて、引き戻しにかかっているのでした。
「これあ妙だ。」
とイワンは考えました。
「木の根っこなんて一つもなかったのに、さてはやはりあったんだな。」
 イワンは片手を畝へ突っ込んで、探りました。すると、何かやわらかいものにふれたので、それを引っ掴んで出しました。見るとそれは木の根のようにまっ黒で、しかも、のたくり廻っているのでした。それはまぎれもなく、例の小悪魔でした。
「なんて汚えもんだ。」
 イワンはそう言って、鋤にぶっつけようとして、それをふり上げました。すると小悪魔は苦しがって声をたてながら、言いました。
「どうかひどくしないで下さい。そのかわり何でもあなたの言いなり次第にいたします。」
「手前(てめえ)何が出来る。」
「あなたの言いなりに何でも。」
 イワンは頭をかいて考えました。そして言いました。
「おりゃ腹が痛い。どうだ、なおせるか。」
「はい、なおせますとも。」
「よし、じゃなおしてくれ。」
 小悪魔はすぐ畝の中へ這い込んで、しばらく爪で引っかいてさがし廻っていましたが、やがて、三本根の出た木の根を引っこぬいて来て、イワンに渡しました。そして、
「この根を一本だけお上りなさい。これを召し上がればどんな病気だってなおらないことはありません。」
と言いました。
 イワンはそれを受取ると、根を一本むしり取って飲みました。腹痛(はらいた)はそれですぐなおりました。小悪魔はまた放して下さいとたのみました。
「私はすぐさまこの地の下へ飛込んでしまいます。そして二度と再び出ては参りません。」
と言いました。
「よろしい。」
とイワンは言いました。
「じゃ行け、神様がお前をお守り下さるように。」
 イワンが神様の名を口にするかしないかに、小悪魔は水に落ちた石のように地面へはまり込みました。そして後には小さい穴が一つ残りました。
 イワンは残りの木の根二本を帽子の中へしまって、また仕事をつづけました。そしてすっかり鋤きおえると、家(うち)へ帰りました。彼は馬をときはなして家(うち)へ入りました。するとそこには、兄の兵隊のシモンとそのお嫁さんが、夕飯(ゆうめし)を食っていました。シモンはその領地をすっかり取り上げられてしまい、命からがら牢屋をぬけ出して父親の家(うち)で暮すつもりで帰って来たのでした。
 シモンはイワンを見ると、こう言いました。
「おれはお前と一しょに暮すつもりでやって来たんだが、おれの主人が見つかるまでおれと家内をやしなってくれ。」
「いいとも、いいとも。」
とイワンは言いました。
「どうぞいなさるがいい。」
 ところがイワンが長椅子へ腰を下そうとすると、シモンのお嫁さんがその着物の臭いのを嫌って、シモンに、
「私はこんな汚い百姓と一しょに御飯をたべるのはいやです。」
と言いました。
 そこでシモンは、
「お前の着物が大へん臭いので家内がいやだというのだよ。お前外へ行って飯を食ったらいいだろう。」
と言いました。
「いいとも、いいとも。」
とイワンは言いました。
「どうせ私は馬の飼葉(かいば)の世話をせにゃならんから、外へ行こう。」
 そうしてイワンは少しのパンと外套(がいとう)を持って牝馬をつれて野原へ行きました。














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底本:「小學生全集第十七卷 外国文藝童話集上卷」興文社、文藝春秋社
   1928(昭和3)年12月25日発行
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。
その際、以下の置き換えをおこないました。
「一層→いっそう か知ら→かしら 位→くらい 毎→ごと 此の→この 凡て→すべて 大分→だいぶ 一寸→ちょっと て置→てお て見→てみ て貰→てもら 何處→どこ どの道→どのみち 中々→なかなか 殆ど→ほとんど 先づ→まず 又→また 迄→まで 間もなく→まもなく 若し→もし や否や→やいなや 私→わし」
※底本は総ルビですが、一部を省きました。
入力:京都大学電子テクスト研究会入力班(加藤祐介)
校正:京都大学電子テクスト研究会校正班(大久保ゆう)
2004年5月18日作成
2005年12月17日修正
青空文庫作成ファイル:

村の学校(実話)アルフオンズ・ドーデー Alphonse Daudet鈴木三重吉訳

2008-07-02 11:04:34 | ▲教育
村の学校(実話)
鈴木三重吉訳




 今からちようど六十年前に、フランスはドイツとの戦争にまけて、二十億円のばい償金を負はされ、アルザス・ローレイヌ州を奪はれました。その土地はこの前の世界戦争で、やつと又とりかへしました。このお話は、アルザス・ローレイヌがドイツ領になつて、村々の小学校も先生がみんなドイツ人にかはつてしまつたときのお話です。



    一

 私たちの小さな学校は、ハメル先生がどかれてから、がらりとかはつてしまひました。ハメル先生のときには、朝学校へつくと、授業までには、かならず五六分間ゆとりをおいてもらつたものです。みんなはその間、ストーヴのまはりに輪になつて、指をあたゝめたり、着物についてゐる雪やみぞれをおとしたり、お弁当の中身を見せ合つたりしながら、しづかに雑談をしました。ですから、村のとほくのはてから来る子たちも、始業まへのお祈りと点呼とにも、らくに間に合ひました。
 しかし、今ではさうはいきません。どんな遠くのものでも時間には、きつちり着かなければなりません。今度のドイツ人のクロック先生は、じようだん口一つきゝません。八時十五分前から、もう教壇につッ立つてゐます。ぢきわきにはふとい杖がそなへてあります。おくれて来たものはそれでもつてなぐりつけられるのです。だから小さな中庭には、急いでかけつける木靴の音がつゞき、教場の戸口のところで「はい。」と、いきをきらして、あえぎ叫ぶ声を聞かなければなりません。
 このおそろしいドイツ人にたいしては、何一つ、にげ言葉がきゝません。「母さんが洗濯場に下着をはこぶのを手つだつてゐましたから」とも「父さんについて市場へいつたので」とも言はれません。クロック先生は何にも耳に入れてはくれません。この情のない先生の目からは、私たちは、家も家の人もなく、たゞドイツ語ををそはるために、そしてふとい杖でぶたれるために、わきの下に本をかゝへて、小学校の生徒としてこの世に生れて来ただけのものでした。
 ほんとに私も、はじめの間は、ずゐぶんぶたれました。木びき工場をしてゐる私の家からは学校はかなり遠いのでした。それに私のところは、冬は日の出るのがおそいので、よく、遅刻しました。後には毎晩のやうに手の指や背中や、そこらじゆうに、ぶたれたあとの赤いあざをつけてかへるので、父は、私を寄宿舎へ入れました。
 しかし、寄宿舎はとても、つらくて、なれるまでが中々でした。それは寄宿生にとつてはクロック先生のほかに、クロック夫人がゐるからです。夫人は先生よりも、もつと意地のわるい女です。その上に小さなクロックの一群までがゐるのです。その子たちは、寄宿生をはしご段で追つかけまはします。フランス人はみんななまけものだとどなります。たゞ幸なことに、日曜に母さんが私に会ひに来てくれるときには、いつも食べものをどつさりもつて来ました。
 クロックの家中のものは、だれもかれも大もの食ひなので、母さんのもつて来たものをぱく/\食べました。それで、私だけはこの家の人たちが、かなりよく世話をしてくれるやうになりました。


    二

 私たちの仲間だつた子で、私がいつも、をしい子だとおもふのはガスパール・ヘナンです。ガスパールも、やはり一しよに屋根うらの小さな部屋に寝かされました。二年まへに両親になくなられた子で、粉ひき業をしてゐる叔父が、厄介ばらひに、ハメル先生にたのんで、すつかり学校へまかしたのです。
 ガスパールは来たときには年は十だつたのですが、大がらなので十五ぐらゐに見えました。ガスパールは、その年まで、学校で本ををそはるなぞといふことは夢にも考へず、一日中家の中を走りまはり、外であそびくらして来たのでした。それですから、学校へ入れられると、つながれた犬がくんくんなくのと同じやうに、たゞ泣いてばかりゐました。
 とても人のよい子で、少女のやうな、やさしい目もとをしてゐました。前のハメル先生は、苦心に苦心をかさねて、やつとのことでガスパールを手ならしました。先生は近所に用事が出来ると、ガスパールをお使ひに出してやりました。ガスパールは、そのたびに、自由になつたのをよろこんで、小川にはいつて水をはねとばしたり、日にやけた顔に日射病までうけて来ました。しかしクロック先生になつてからは、まるで、わけがちがつて来ました。
 かはいさうにガスパールは、ないしようでフランス語を読み習ふのに、苦労をしてゐるので、ドイツ語は一つもおぼえるひまがありませんでした。ガスパールはドイツ語の一つの動詞の変化を口に言はされるのに、数時間もつッ立ちつくしてゐました。ガスパールの、しわめた眉の中には、習はうとする注意よりも、剛情と怒りとがひそんでゐるのが、だれにも感づけました。授業時間ごとに、同じ場面がくりかへされました。
「ガスパール・ヘナン、立て。」と先生が言ひます。
 ガスパールは、ふくれッつらをして立ち上ると、つくゑによりかゝり、からだを左右にふるだけで、何にも答へずにすわるのでした。クロック先生はいきなりなぐりつけたり、あとで、食べものをやらなかつたりしました。しかし、そんなにされてもガスパールはちつとも、ものをおぼえませんでした。
 晩になつて、尾根うらの小さな部屋へのぼつていくときに、私はよく、ガスパールに言ひました。
「泣くの、およしよ。ぼく見たいにやるんだよ。ドイツ語をよむのをおぼえなくちやだめだよ。だつてあいつらは、とてもつよいんだもの。」
 でもガスパールは、いつもかういひました。
「ぼくはいやだ。いきたいんだ。うちへかへりたいんだ。」
 ガスパールのこの考へは、しよせん、動かしやうがありませんでした。
 最初のころの、ものうさが、ガスパールの上に一そう、つよくもどつて来ました。夜あけがたに、ガスパールが寝床の上にすわつて、目を見すゑてゐるのを見ますと、私には、ガスパールが、今じぶん、もう目をさましてゐる水車場や、小さいときに、はいつてかきまはした、きれいな小川のことを考へてゐるのが感じられました。さういふものが、遠くからガスパールを引つぱるのです。その上に、先生がひどいことをするので、それがます/\ガスパールを家の方へおしやるのでした。ガスパールは、すつかり、荒くれて来ました。
 とき/″\、ガスパールが杖でたゝかれたあと、その二つの目が、怒りで一ぱいになるのを見ますと、私は、じぶんがクロック先生だつたら、その目つきがおそろしいだらうと思ひました。でも先生はちつともおそれませんでした。杖でなぐりつけたつぎには断食をさせました。しまひには牢屋を発明しました。ガスパールはその中におしこめられたきり、ほとんど外へは出されませんでした。


    三

 或日曜のことでした。ガスパールはすでに二月以上も外の空気をすはなかつたので、先生は、ガスパールを私たちと一しよに、村のはづれの牧場(まきば)へつれていきました。
 その日は、すばらしい、いゝお天気でした。私たちは人取りあそびをして、せい一ぱい走りまはりました。雪や氷すべりを思ひ出させる、つめたい北風を頬にうけて、はしやぎ喜びました。
 ガスパールは、いつものやうに、みんなからはなれて森のへりに立ち、木の葉をうごかしたり、枝を切つたりして、一人であそんでゐました。しかし、かへるとき、整列すると、ガスパールが一人だけゐません。みんなでさがしまはり、よび立てました。ガスパールは、にげ出したのです。クロック先生はいきり立ちました。先生の太い顔がまつ赤な色になり、舌のさきはドイツの、のろひの言葉でこはゞりもつれました。
 先生は、みんなをつれてかへつた上、私と、もう一人、大きな生徒をつれてガスパールの叔父のヘナンの水車場へ向つていきました。
 夜になりました。どの家でもみんな窓をとぢてよくもえた火と、日曜日のおいしいごちそうとであたゝまつてゐました。一すじの火影が道の上に流れてゐます。人々は、もう部屋の中で食事についてゐるのだとおもはれました。
 ヘナンのうちへつきますと、水車もとまつてをり、柵もとざされ、粉をはこぶ獣も人も、みんなかへり去つてゐました。下ばたらきのものが私たちのために戸をあけてくれたとき、馬や羊が、わらの中にうごきました。鳥小屋のとまり木の上では、はげしい羽ばたきの音と、おそれのさけび声がしました。それらの生ものが、みんな、こはいクロック先生を知つてゐでもしたやうに。
 水車場の人たちは、あたゝかな、あかるくあかりのついた大きな台所で食事をしてゐました。時計の振子から、釜にいたるまで、みがかれ、光つてゐました。
 ガスパールはヘナンと、おかみさんとの間にはさまつてテイブルのはしにすわり、だいじにされ、愛しなでられてゐる、幸福な子のうれしさを顔中にあふれさせてゐました。
 ガスパールは、にげかへつて、けふはオーストリアの大公の、だれ/\のお祝ひで、ドイツ人にも祭日なので、かへつて来たのだと、こしらへごとを言つたのです。それでヘナンやおかみさんたちは、ガスパールのかへつたのを祝つてゐるところだつたのです。
 ガスパールは、クロック先生が来たと知ると、かはいさうに、どこかににげ口はないものかと、ぐるりを見まはしました。しかし先生の太い手は、すぐに、ガスパールの肩の上におかれました。先生は手みじかにガスパールがにげ出したことをヘナンに話しました。
 ガスパールは頭を上げました。もう、しくじりをしてつかまつた生徒のやうな、はにかんだ容子はしてゐません。いつも、めつたに口をきいたことのないガスパールは、そのとき、ふいにじぷんの舌を見つけ出しでもしたやうにどなり立てました。
「あゝ、さうだよ。ぼくはにげて来たんだよ。二度と学校にいきたくないんだよ。ぼくはドイツ語なんか――どろぼうの、人殺しの言葉なんか、話さないよ。父さんや母さんのやうに、フランス語を話したいんだよ。」
 ガスパールは、怒りでぶる/\ふるへながら、すさまじい、けんまくで、かう、どなりました。
「おだまり、ガスパール。」と叔父はおさへようとしました。でも何ものもガスパールをとめることは出来ませんでした。クロック先生は、
「かまひません。かまひません。ほつときなさい。私がいまに憲兵と一しよにつれに来ます。」と、あざわらひました。大きなほう丁がテイブルの上にのつかつてゐました。ガスパールは、それを、むづりとつかんだので、先生はあとすざりをしました。ガスパールは、
「いゝとも、憲兵をつれて来いよ。」と、どなりました。叔父はこはくなり出したと見え、とびかゝつてそのほう丁をもぎとりました。ガスパールが、
「ぼくはいかないよ。いかないんだい。」と、さけびつゞけるのを、人々はよつてたかつて、そこいらへしばりつけました。ガスパールは歯をくひしばり、あわをふいて、
「をばさァん。」とよびました。叔母さんは、泣きふるへながら二階へ上つてしまつてゐました。
 馬車のしたくをする間に、ヘナンは、私たちに食事をさせようとしました。私は、ひもじいどころではありませんでした。クロック先生だけは、むさぼるやうに食べました。ヘナンは、ガスパールが先生とドイツ皇帝をのゝしつたことを、くりかへし/\先生にわびました。憲兵がおそろしかつたのです。


    四

 何といふ、かなしい、もどり道だつたでせう。ガスパールは、馬車のおくのわらの上に、病気の羊のやうによこたはつたきり、もう一とことも言ひませんでした。私はガスパールが怒りと涙とにつかれつくして、寝入りこんだのだと思ひました。帽子もかぶらず、マントも着ないまゝなので、ひどく寒いだらうと気づかひました。しかし先生がこはいので何も言へません。
 つめたい雨がふり出しました。クロック先生は、毛皮うらのついた帽子を耳まですつぽりかぶつて、鼻うたをうたひながら、馬を平手でたゝきました。
 星の光りが風でをどりました。私たちは白い氷つた道をすゝみました。もう水車から遠くはなれて、せきのひゞきもきこえません。そのときよわ/\しい、訴へるやうな泣き声がふいに車のおくから聞え出しました。その泣き声は、私たちの、アルザスの方言で言ひました。
「放しておくれよ、クロック先生。」
 それはいかにも悲しい声だつたので、私は目に涙がにじみました。クロック先生は意地わるさうに笑つて、馬にむちをあてながら、うたをうたひました。
 しばらくすると、また泣き声がおこりました。
「はなしておくれよ、クロック先生。」
 やはり、ひくい、かなしい、機かい的な調子でした。かはいさうに、ちようどお祈りをでも暗誦してゐるやうに、つゞけました。
 とう/\車はとまりました。私たちは学校へもどつたのです。クロック夫人は、校舎のまへに、がんどうぢようちんをもつて待つてゐました。
 夫人はひどくおこつてゐて、いきなりガスパールをぶちのめさうとしました。クロック先生は、それをおさへとめ、意地わるさうに笑つて言ひました。
「あす計算をつけよう。今晩はもうたくさんだ。」
 全くです。ガスパールは、あれだけいぢめられれば十分です。ガスパールは熱でからだがふるへ、歯がかち/\になつてゐます。私たちは、ガスパールを寝床につれていきました。
 私もその晩は、熱が出ました。私は夜どうし、あの車の牢屋を感じ「はなしておくれ、クロック先生」といふあはれなガスパールの声が、いつまでも耳をはなれませんでした。





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底本:「日本児童文学大系 第一〇巻」ほるぷ出版
   1978(昭和53)年11月30日初刷発行
底本の親本:「鈴木三重吉童話全集 第八巻」文泉堂書店
   1975(昭和50)年9月
初出:「赤い鳥」赤い鳥社
   1931(昭和6)年2月
入力:tatsuki
校正:浅原庸子
2007年4月13日作成
青空文庫作成ファイル: