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【河合栄治郎】河合の名前は戦後殆ど忘れられたに等しい

2009-01-04 14:36:12 | ▲論壇
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高大連携情報誌 調べもの新聞

高校生新聞『大学受験ニュース』(ブログ版)



【河合栄治郎】



河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 - 1944年2月15日)は、日本の社会思想家、経済学者。第二次世界大戦前夜における、著名な自由主義知識人の一人。


[編集] 来歴・人物
東京府南足立郡千住町(現在の東京都足立区千住2丁目)の酒屋を営んでいた家に生まれる。①■■行雄を崇拝していた父親の影響で、少年時代から社会的関心が強く、特に②■■蘇峰の平民主義に惹かれていた。

東京府立第三中学校(③現・東京都立■■高等学校)、第一高等学校をへて、1915年④■■帝国大学法科大学卒、⑤■時計受領。在学中に農商務省が刊行した『日本職工事情』を読み、「労働問題は⑥■■■■である」と感奮し、労働問題に生涯を捧げる決意をもって⑦■■■省に入省する。1918年、工場法の研究のため米国に出張し、⑧ジョンズ・■■■■■大学に滞在、米国労働総同盟(AFL-CIO)会長のサミュエル・ゴンパーズら労働運動の指導者と会見する。帰国後⑨第1回■■■(国際労働機関)会議に対する日本政府方針草案の起草に尽力したが、その改革案は容れられず辞職した。この間の経緯を『朝日新聞』紙上に「官を辞するに際して」として連載し、自己の所信を論じて世上の話題となった。

1920年⑩■■帝大助教授となる。1922年より英国に留学し、トーマス・ヒル・グリーンの社会哲学に強い感銘を受ける。帰国後(1926年)に教授となり、社会政策講座を受け持った。また、河合門下三羽烏と呼ばれる⑪■■■一男・⑫■■琢磨・⑬■■健康らを育てた。1936年3月31日から1年間、⑭■■学部長。

河合は自らの自由主義を⑮「第■期■■主義」と称していた。河合によると、それは資本主義を無条件で肯定する第一期自由主義とも、資本主義の弊害を認め適宜是正していく改良主義=第二期自由主義とも異なり、個々人の人格の成長に最高の価値を置く理想主義を根底とし、社会の成員全ての人格の成長が実現される社会を理想とするものであり、共産主義や社会主義とは鋭く対立する、というものであった。

河合は、以前より存在した東大経済学部の勢力争いの中、多数派の領袖格として行動し、少数派の⑯■■■■主義派と対峙していた。さらに時代状況が軍国主義の色合いを濃くする中、次第に⑰■■■■■批判の立場を強めていった。⑱19■■年に二・二六事件が起こると、河合は⑲『■大新聞』に軍部批判論文を寄稿し、軍部批判・抵抗の姿勢を明確にした。(⑲■■文庫「二・二六事件に就て」 )

その後右派陣営からの攻勢は強まり、かつて河合についていた教授も国家主義派(革新派)土方成美の派閥に鞍替えするなど、学部では勢力を失いつつあった。1938年に⑳『ファッシズム■■』など4点の著作が内務省により発売禁止処分に付され、翌年これらの著作等における言論が「安寧秩序を紊乱するもの」として出版法違反に問われ起訴された。また学内においても、河合の対立勢力であった土方らとの対立が激しくなり、1939年総長平賀譲の裁定により、1月31日、河合は休職を発令されるに至った①(★★粛学)。この過程で、「粛学抗議の辞表を撤回するべからず」との師の言に逆らって経済学部に②★★した大河内・安井は事実上の破門となった。

退官後は③★★闘争に明け暮れることとなったが、1943年大審院の上告棄却により、④★★が確定した。晩年は1940年(昭和15年)⑤『★★に与う』を箱根の旅館で執筆するなど、学生叢書の刊行を継続しながら学生・青年に⑥★★主義を説き続けた。また河合と共に助手を辞職した木村健康や猪木正道、関嘉彦、土屋清ら門下生と定期的に⑦★★★を開き、研究を継続していた。関はその後民社党参議院議員となり、猪木、土屋も⑧★★党のブレーンになっている。

1944年、心臓麻痺により逝去。2日前に53歳の誕生日を迎えたばかりであった。


[編集] 後世への影響
河合の名前は戦後殆ど忘れられたに⑨★しい。例外として河合の後継者たちが⑩社★★★社を創業し、河合の精神を受け継ごうとした他、⑪★★昇一が河合を尊敬し、朝日新聞批判を行ったときに河合を追想していたことなどがあげられる。

また、1972年、⑫★★一朗司会の東京12チャンネル(現在のテレビ東京)の番組「私の昭和史」に、木村健康が出演し河合のことを語った。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%90%88%E6%A0%84%E6%B2%BB%E9%83%8E" より作成
カテゴリ: 1891年生 | 1944年没 | 日本の経済学者 | 日本の官僚 (農商務省・商工省)⑬ | 戦前・戦中の★★弾圧 | 東京都出身の人物

最終更新 2008年11月2日 (日)









河合栄治郎

河合 栄治郎(かわい えいじろう、1891年2月13日 - 1944年2月15日)は、日本の社会思想家、経済学者。第二次世界大戦前夜における、著名な自由主義知識人の一人。


[編集] 来歴・人物
東京府南足立郡千住町(現在の東京都足立区千住2丁目)の酒屋を営んでいた家に生まれる。尾崎行雄を崇拝していた父親の影響で、少年時代から社会的関心が強く、特に徳富蘇峰の平民主義に惹かれていた。

東京府立第三中学校(現・東京都立両国高等学校)、第一高等学校をへて、1915年東京帝国大学法科大学卒、銀時計受領。在学中に農商務省が刊行した『日本職工事情』を読み、「労働問題は人間の問題である」と感奮し、労働問題に生涯を捧げる決意をもって農商務省に入省する。1918年、工場法の研究のため米国に出張し、ジョンズ・ホプキンス大学に滞在、米国労働総同盟(AFL-CIO)会長のサミュエル・ゴンパーズら労働運動の指導者と会見する。帰国後第1回ILO(国際労働機関)会議に対する日本政府方針草案の起草に尽力したが、その改革案は容れられず辞職した。この間の経緯を『朝日新聞』紙上に「官を辞するに際して」として連載し、自己の所信を論じて世上の話題となった。

1920年東京帝大助教授となる。1922年より英国に留学し、トーマス・ヒル・グリーンの社会哲学に強い感銘を受ける。帰国後(1926年)に教授となり、社会政策講座を受け持った。また、河合門下三羽烏と呼ばれる大河内一男・安井琢磨・木村健康らを育てた。1936年3月31日から1年間、経済学部長。

河合は自らの自由主義を「第三期自由主義」と称していた。河合によると、それは資本主義を無条件で肯定する第一期自由主義とも、資本主義の弊害を認め適宜是正していく改良主義=第二期自由主義とも異なり、個々人の人格の成長に最高の価値を置く理想主義を根底とし、社会の成員全ての人格の成長が実現される社会を理想とするものであり、共産主義や社会主義とは鋭く対立する、というものであった。

河合は、以前より存在した東大経済学部の勢力争いの中、多数派の領袖格として行動し、少数派のマルクス主義派と対峙していた。さらに時代状況が軍国主義の色合いを濃くする中、次第にファシズム批判の立場を強めていった。1936年に二・二六事件が起こると、河合は『帝大新聞』に軍部批判論文を寄稿し、軍部批判・抵抗の姿勢を明確にした。(青空文庫「二・二六事件に就て」 )

その後右派陣営からの攻勢は強まり、かつて河合についていた教授も国家主義派(革新派)土方成美の派閥に鞍替えするなど、学部では勢力を失いつつあった。1938年に『ファッシズム批判』など4点の著作が内務省により発売禁止処分に付され、翌年これらの著作等における言論が「安寧秩序を紊乱するもの」として出版法違反に問われ起訴された。また学内においても、河合の対立勢力であった土方らとの対立が激しくなり、1939年総長平賀譲の裁定により、1月31日、河合は休職を発令されるに至った(平賀粛学)。この過程で、「粛学抗議の辞表を撤回するべからず」との師の言に逆らって経済学部に残留した大河内・安井は事実上の破門となった。

退官後は裁判闘争に明け暮れることとなったが、1943年大審院の上告棄却により、有罪が確定した。晩年は1940年(昭和15年)『学生に与う』を箱根の旅館で執筆するなど、学生叢書の刊行を継続しながら学生・青年に理想主義を説き続けた。また河合と共に助手を辞職した木村健康や猪木正道、関嘉彦、土屋清ら門下生と定期的に勉強会を開き、研究を継続していた。関はその後民社党参議院議員となり、猪木、土屋も民社党のブレーンになっている。

1944年、心臓麻痺により逝去。2日前に53歳の誕生日を迎えたばかりであった。


[編集] 後世への影響
河合の名前は戦後殆ど忘れられたに等しい。例外として河合の後継者たちが社会思想社を創業し、河合の精神を受け継ごうとした他、渡部昇一が河合を尊敬し、朝日新聞批判を行ったときに河合を追想していたことなどがあげられる。

また、1972年、三國一朗司会の東京12チャンネル(現在のテレビ東京)の番組「私の昭和史」に、木村健康が出演し河合のことを語った。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E5%90%88%E6%A0%84%E6%B2%BB%E9%83%8E" より作成
カテゴリ: 1891年生 | 1944年没 | 日本の経済学者 | 日本の官僚 (農商務省・商工省) | 戦前・戦中の言論弾圧 | 東京都出身の人物

最終更新 2008年11月2日 (日)






















【大学別就職者数】

[出典:サンデー毎日臨時増刊2008-10-11 毎日新聞社・大学通信 P79]





【放送・NHK】150

①早稲田大学 38

②慶応義塾大学18

③東京大学16

④京都大学9

⑤一橋大学5

⑤上智大学 5

⑦国際基督教大学 4

⑦中央大学 4

⑦立教大学 4

⑩東京外国語大学 3

⑩横浜国立大学 3

⑩学習院大学 3

⑩法政大学 3

⑩同志社大学3

⑩立命館大学 3

⑯茨城大学 2

⑯東京藝術大学 2

⑯広島大学 2

⑯九州大学 2

⑯芝浦工業大学 2

⑯多摩美術大学 2

⑯東京理科大学 2

⑯日本大学 2

⑯関西学院大学 2

⑯福岡大学 2





【新聞・毎日新聞社】45

①早稲田大学 11

②同志社大学 3

③大阪大学 2

③慶応義塾大学 2

③上智大学 2

③立命館大学 2

③関西大学 2





【新聞・朝日新聞社】約90

①早稲田大学 16

②慶應義塾大学 6

③東京大学 5

④法政大学 4

⑤筑波大学 3

⑤神戸大学 3

⑦北海道大学 2

⑦一橋大学 2

⑦九州大学 2

⑦中央大学 2

⑦明治大学 2

⑦同志社大学 2

⑦関西学院大学 2



【新聞・讀賣新聞社】109

①早稲田大学 18

②東京大学 8

②京都大学 8

④慶応義塾大学 7

⑤九州大学 5

⑥上智大学 5

⑦同志社大学 3

⑦立命館大学 3

⑨大阪大学 2

⑨成蹊大学 2

⑨中央大学 2

⑨関西大学 2





【出版・ベネッセコーポレーション】87

①早稲田大学 20

②同志社大学 5

③慶応義塾大学 4

③上智大学 4

③明治大学 4

③立教大学 4

③立命館大学 4

⑧東京大学 3

⑧青山学院大学 3

⑩小樽商科大学 2

⑩大阪大学 2

⑩学習院大学 2

⑩東京女子大学 2

⑩二松学舎大学 2

⑩関西学院大学











【テレビ東京】21

[大学院] 

早稲田大学 1

上智大学  1

[大学]

慶應義塾大学 5

早稲田大学 4

中央大学 2

ICU   2

産能大学1

上智大 1

神戸大 1

法政大 1

日大 1

名古屋大1

[出典:就職四季報 P1037 ]






































諸君!(しょくん)は、株式会社文藝春秋が発行する月刊オピニオン雑誌。毎月1日発売、定価680円。

2008-07-26 16:25:13 | ▲論壇
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞編集室 中村惇夫

諸君!

この記事の内容の信頼性について検証が求められています。確認のための文献や情報源をご存じの方はご提示ください。出典を明記し、記事の信頼性を高めるためにご協力をお願いします。必要な議論をノートで行ってください。
この記事は中立的な観点に基づく疑問が提出されているか、あるいは議論中です。
そのため偏った観点によって記事が構成されている可能性があります。詳しくはノートを参照してください。

諸君!(しょくん)は、株式会社文藝春秋が発行する月刊オピニオン雑誌。毎月1日発売、定価680円。現在の編集長は内田博人。

発行部数は約82,058部(2006年現在)。オピニオン誌としては「現代」や「正論」に次ぐ3位。


[編集] 概要
1969年創刊。株式会社文藝春秋の池島信平は、論壇が左翼一辺倒であると認識していた。そこで、看板雑誌の『文藝春秋』では扱いにくい、「日本人として恥ずかしくない」保守的記事を扱える雑誌を作ろうとした。池島は同様の危機感を持つ、福田恆存、三島由紀夫などを中心に結成された保守系団体「日本文化会議」の依頼を引き受け、その機関誌として創刊する予定であった。しかし社内の反発も強く、現状の形に落ち着いたという。“文春の社説”とも言われる。編集部員は5名と小所帯で制作している。

時の社長・田中健五の意向を強く反映した内容を踏襲している。『正論』、『Voice』、『WiLL』と共に、保守・右派系の代表的な論壇誌であり、リベラル・左派路線の岩波書店の『世界』、朝日新聞社の『論座』などと対をなしている。そのため戦前日本(大日本帝国)を全否定する自虐史観路線とは一線を隔しており、中国や韓国.北朝鮮など周辺諸国(特定アジア)を非難する論文を掲載する傾向にある。北朝鮮の拉致問題は、左派系マスコミが沈黙する中で、当初から大きく取り上げていた。また、初期にはサイエンス関係の企画も扱っていた。

とりわけ朝日新聞批判は創刊以来のライフワーク的存在であり、しばしば特集を組んで批判論陣をはる(もっとも最近では朝日側から批判されることもしばしばで、論座では『「諸君!」それでも「正論」か!』など、同じ系統の雑誌とあわせて揶揄されている。)。古くは本多勝一の『中国の旅』批判、21世紀に入ってからは女性国際戦犯法廷のNHK番組改変問題で、安倍晋三の主張と同じく“捏造を行った朝日”と批判を大々的に行っている。また、主に左派文化人の呼称である「進歩的文化人」批判もしている。特に、左派文化人がソ連共産党の独裁体制や中国の文化大革命、北朝鮮の金日成崇拝を無条件で礼賛していた各種の過去の発言を、雑誌や新聞から発掘し、個人名を挙げて出典付きで紹介する「悪魔祓いの戦後史」(稲垣武)の連載は反響を読んだ。

また、2001年2月号では南京大虐殺論争では多種多様なアンケート結果を掲載し、紙上で石川水穂の司会で否定派の内の中間派秦郁彦と幻派の東中野修道による座談会を行った。

2005年には「あなたが朝日に狙われたら」や「あなたが中国に狙われたら」などの特集が組まれたが、これらの一見荒唐無稽かつ刺激的なタイトルも、いわゆる諸君のタイトル付けの伝統である。特にイザヤ・ベンダサンと本多との誌上論戦は有名で、ベストセラー『日本人とユダヤ人』の著者として有名人であったベンダサンの主張に対して本多の反論(その後数回に渡り往復書簡形式を取ることになる)を載せたことで、本誌の部数の増大には大いに貢献したとも言われる。

自由主義史観の主要論陣拠点である。新しい歴史教科書をつくる会に『正論』とともに深く関わっている。

論客は中西輝政や櫻井よしこら保守論客が常連だが、毎月出過ぎの感も否めなくなったため、最近では漫画家倉田真由美らを加えたが、倉田は脱税問題以降は登場回数を減らしている。

靖国神社参拝を強力にプッシュする立場であったが、2006年の富田メモ発見では自社出身の半藤一利が真贋判定に関わったこともあってか、強硬論を和らげる特集も組むなど、編集方針のとまどいを露呈している。 安倍内閣の時は右派論客に寄稿させる形でまさに「美しい国」に関わる特集を多く組んでいたが、2007年の第21回参議院議員通常選挙で自民党が大敗し、安倍晋三が総理を辞任する直前に編集長を交代。路線転換を図っている。

以前から小林良彰、浅田彰、山口二郎、大塚英志、立山学など、右派陣営に属さない人物に寄稿させることもあったが、近年も上野千鶴子、大沼保昭、稲葉振一郎、井上章一など右派に属さない論客が対談や論説など様々な形で登場しており、この点は「正論」とは異なるところである。また時折アンケートという形で各界の識者の意見を聞く特集を行うが、その場合は登場する面子は左派から政治的な色彩が薄い人物まで様々である。

斎藤貴男によると、ある時期までは「天皇の悪口を言わない限り何を書いてもいい」ところがあったという。また、斎藤は現在の諸君!を「月刊2ちゃんねる」と評している。これは主義主張が2ちゃんねる上で日々行われている反アジア・反リベラル・保守回帰の書き込みと同質である事に加え、毎月の特集の組み方自体が、2ちゃんねる同様に繰り返されている事を批判したものである。同時に、斎藤が自身に同誌から浴びせられた批判に苛立ちを隠せないことも分かる。

仲正昌樹が斎藤らを批判した「サヨクの最後の砦──「格差社会」「愛国心」「共謀罪」ハンタイ」(2006年8月号)に2ページでいいから反論させろと要求したところ、「読者投稿欄なら」との編集部の回答に失望したのだという。(『創』2006年9・10月号)しかし、これまでも投稿欄を利用しての反論のやり取りは同誌では行われており、投稿欄では嫌だという斉藤の主張が一種の横車であるともいえるとの批判もあったが、数ページにわたる批判記事への言論人の反論には2ページ割いて反論を載せるのは諸君の伝統であって石井英夫のそれに対しても俵孝太郎は2ページ反論する機会を与えられている。結局、投稿欄への反論を斉藤は行うことはなかった。


[編集] 関連項目
進歩的文化人
南京大虐殺論争

[編集] 外部リンク
公式サイト
この「諸君!」は、書籍に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。
なお文学作品は文学スタブを、漫画は漫画スタブをご参照下さい。

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カテゴリ: 出典を必要とする記事 | 中立的観点に議論ある項目 | 書籍に関するスタブ | 文藝春秋 | 日本の雑誌 | 政治雑誌


最終更新 2008年5月30日 (金) 11:44。Wikipedia®

【広島市への原子爆弾投下】

2008-07-26 16:24:25 | ▲論壇
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞 (高校生新聞) 中村惇夫



広島市への原子爆弾投下


原爆ドーム




以上、原爆ドーム
広島赤十字病院前にある原爆の爆風でゆがんだ鉄製の窓枠と建物の一部
広島赤十字病院前にある原爆の爆風で窓ガラスの破片が突き刺さった跡が残る壁の一部広島市への原子爆弾投下(ひろしましへのげんしばくだんとうか)

この項目では、第二次世界大戦末期の1945年8月6日にアメリカ合衆国が日本の広島県広島市に投下した原子爆弾に関する記述をする。これは実戦で使用された世界初の核兵器による都市攻撃であり、都市を対象とした爆撃では史上最大級の規模であった。この一つの爆弾により一般市民十数万人が死亡し、都市は壊滅した。

目次 [非表示]
1 原子爆弾投下時
1.1 グアム島
1.2 テニアン島
1.3 四国上空
1.4 広島
1.5 帰島
2 原子爆弾の威力
2.1 爆風
2.2 熱線
2.3 放射線
2.4 黒い雨
3 原爆投下の背景と経緯
3.1 ルーズベルトの決断
3.2 原子爆弾投下阻止の試みと挫折
3.3 原子爆弾投下都市の選択
3.4 模擬原子爆弾「パンプキン」の投下練習
3.5 原爆の輸送
4 広島市の状況
4.1 略史と特徴
4.1.1 中島地区
4.2 原子爆弾投下直前
4.3 原子爆弾投下直後
4.3.1 爆心地
4.3.2 全壊全焼圏内
4.4 被爆救護活動
5 被爆直後の被害調査報告と報道
5.1 第一報 8月6日
5.2 NHK原放送所
5.3 日本政府の声明 8月7日
5.4 米国政府の声明 8月7日
5.5 調査 8月6日~10日
5.6 抗議声明
5.7 原爆被害報道、本格的に始まる
5.7.1 終戦の詔勅、原爆報道など
6 被爆者
6.1 短期的影響
6.1.1 熱傷
6.1.2 外傷
6.1.3 放射能症
6.1.4 二次被爆
6.2 長期的影響
6.2.1 熱傷・ケロイド
6.2.2 放射線症
6.2.3 胎内被爆
6.2.4 精神的影響
6.2.5 社会的影響
7 その後の広島
7.1 終戦
7.2 枕崎台風
7.3 戦後
8 広島原爆をテーマとした作品
8.1 ノンフィクション
8.2 小説
8.3 戯曲
8.4 詩集
8.5 歌集
8.6 手記
8.7 随筆
8.8 映画
8.9 音楽
8.10 漫画
8.11 童話
8.12 絵本
8.13 写真集
8.14 絵画集
8.15 ドキュメンタリー
8.16 TVドキュメンタリー
8.17 TVドラマ
9 脚注
10 関連項目
11 外部リンク
11.1 子供向け説明



[編集] 原子爆弾投下時

[編集] グアム島
8月2日、グアム島の第20航空軍司令部から、テニアン島の第509混成部隊に以下に示す極秘野戦命令が通達された。

作戦命令書13号 1945年8月2日
攻撃日 8月6日
攻撃目標 広島中心部と工業地域
予備第2目標 小倉造兵廠および同市中心部
予備第3目標 長崎市中心部
特別指令 目視投下に限ること

[編集] テニアン島

エノラ・ゲイ乗組員, 左からFerebee, Tibbets, Kirk, Lewis8月4日、B-29エノラ・ゲイ号[1]は最後の原爆投下訓練を終了して、マリアナ諸島テニアン島北飛行場[2]に帰還した。

8月5日21時20分、第509混成部隊の観測用B-29が広島上空を飛び、「翌日の広島の天候は良好」とテニアン島に報告した[3]。同時刻、テニアン島ではブリーフィングでポール・ティベッツ陸軍大佐がエノラ・ゲイの搭乗員に出撃命令を伝えた、「今夜の我々の作戦は歴史的なものだ」。

翌日未明8月6日午前0時37分、まず気象観測機のB-29が3機離陸した。ストレート・フラッシュ号は広島へ、ジャビット3世号は小倉へ、フル・ハウス号は長崎である。午前0時51分には予備機のトップ・シークレット号が硫黄島へ向かった。

続いて午前1時27分、Mk-1核爆弾リトルボーイを搭載したエノラ・ゲイがタキシングを開始し、1時45分にA滑走路の端から離陸した。

その離陸2分後の午前1時47分、原子爆弾の威力の記録を行う科学観測機(グレート・アーティスト号)が、更に2分後の午前1時49分には写真撮影機(#91 or ネセサリー・エビル号)の各1機のB-29も飛び立った。

即ちこの日、6機のB-29が原爆投下作戦に参加し、内3機が広島上空へ向かっていたことになる。

テニアン島から目標の広島市までは約7時間の飛行で到達できる。


[編集] 四国上空
午前6時30分、兵器担当兼作戦指揮官ウィリアム・S・パーソンズ海軍大佐、兵器担当補佐モーリス・ジェプソン陸軍中尉、爆撃手トーマス・フィアビー陸軍少佐らが爆弾倉に入り、リトルボーイの起爆装置から緑色のプラグ(安全)を抜き、赤色のプラグ(点火)を装填した。

作業を終えたパーソンズはティベッツ機長に「兵器のアクティブ化完了」と報告し、機長は「了解」と答えた。機長は機内放送で「諸君、我々の運んでいる兵器は世界最初の原子爆弾だ」と、積荷の正体を初めて搭乗員全員に明かした。

この直後、エノラ・ゲイのレーダー迎撃士官ジェイコブ・ビーザー陸軍中尉がレーダースコープに正体不明の輝点を発見した。通信士リチャード・ネルソン陸軍上等兵はこのブリップが敵味方識別装置に応答しないと報告した。エノラ・ゲイは回避行動をとり、高度2,000m前後の低空飛行から急上昇し、午前7時30分に8,700mまで高度を上げた。

さらに四国上空を通過中に日本軍のレーダー照射を受け、単機の日本軍戦闘機が第一航過で射撃してきたが、被弾はなかった。この日本軍戦闘機(所属不明)はハーフターンして第二航過で射撃を試みたが、射撃位置の占有に失敗した[4]。

エノラ・ゲイ号は危機を回避し、目的地への飛行を再開した。


[編集] 広島

原子爆弾投下前の広島市中央部
同心円の中心が爆心地
すぐ左上に目標の相生橋
画面右上の矩形は広島城午前7時過ぎ、エノラ・ゲイ号に先行して出発していた気象観測機B-29の1機が広島上空に到達した。クロード・イーザリー少佐のストレート・フラッシュ号である。イーザリー少佐は上空が快晴であることを確認し、四国沖上空のエノラ・ゲイ号に作戦可能の連絡を入れた。「天候晴れ、歴史的爆撃作戦に支障なし。視界10マイル、高度15,000フィートの雲量12分の1」この時点で、投下目標は広島に絞られた。原子爆弾の投下は目視が厳命されており、上空の視界の情報が重要であった。なおこの観測機は日本側も捕捉しており午前7時9分に警戒警報が発令されている。

午前7時31分、このB-29はそのまま広島上空を通過離脱していたため、警戒警報は解除された。

午前8時6分、再度2機のB-29が捕捉された。ラジオはこれを放送したが、これらの米軍機は偵察のためであるとした。一般市民らも大したことは無いだろうと考えて、別段パニックは起きなかった。中国軍管区司令部も警戒警報発令の指示は出さなかった[5]。

午前8時9分、エノラ・ゲイ号は広島市街を目視で確認した。

午前8時10分、日本側では3機のB-29が広島県に侵入したことを捕捉した。数分後、広島の中国軍管区司令部は警報発令の準備指示する。その間、エノラ・ゲイ号は既に広島市上空に到達していた。高度は31,600ft(9,632m)。まず原子爆弾による風圧等の観測用のラジオゾンデを吊るした落下傘を三つ落下させた。青空に目立つこの落下傘は、空を見上げた市民たちに目撃されている[6]。

午前8時12分、エノラ・ゲイが攻撃始点(IP)に到達した事を、航法士カーク陸軍大尉は確認した。機は自動操縦に切り替えられた。爆撃手フィアビー陸軍少佐はノルデン照準器に高度・対地速度・風向・気温・湿度等の入力をし、投下目標(AP)を相生橋に合わせた。相生橋は広島市の中央に流れる太田川が分岐する地点にかけられたT字型の橋である。特異な形状は、上空からでもその特徴がよく判別できるため、目標に選ばれた。

午前8時13分、日本側では再度広島に警戒警報が発令された。「中国軍管区情報、敵大型機3機が西条上空を西進しつつあり、厳重な警報を要す」

午前8時15分17秒、核爆弾リトルボーイが自動投下された。3機のB-29は投下後、熱線や爆風の直撃による墜落を避ける為にバンクして進路を155度急旋回した。再び手動操縦に切り替えたティベッツはB-29を激しい勢いで急降下させ、キャビンは一時無重力状態になった。


広島に投下された原爆によるきのこ雲リトルボーイは爆弾倉を離れるや横向きにスピンし、ふらふらと落下した。間もなく尾部の安定翼が空気を掴み、放物線を描いて約43秒間落下した後、高度約600メートルの上空で核分裂爆発を起こした。

(正確な爆心地は、相生橋よりやや東南の島病院上空と戦後に分析された[7]。)


[編集] 帰島
原爆の爆風はエノラ・ゲイにも襲い掛かった。エノラ・ゲイはひどく揺さぶられ、ティベッツは日本軍の高射砲による対空射撃と勘違いして「高射砲だ!」と叫び、フィアビーも「くそ! 撃ってきたぞ!」と叫んだ。しかし間もなく核爆発の衝撃波であると気付いた[要出典]。

午後2時58分、エノラ・ゲイ号は快晴のテニアン島の北飛行場に帰還した。12人の搭乗員は出迎えた数百人の将兵らに祝福された。戦略空軍総司令官カール・スパーツ少将から、ティベッツ大佐には栄誉十字章が、他の12人には銀星章が与えられた。その日は夕方から、第509混成部隊の将兵や科学者らによって、深夜まで盛大な祝賀パーティが催された。

原爆投下時、撮影機はカラーフィルムで撮影していたが、テニアン島に帰還後、現像に失敗したためにその記録は失われた。そのため、爆発から約3分後に別機の科学調査リーダー、ハロルド・アグニューにより8mmカメラによって撮影されたキノコ雲の映像が、世界初の都市への原爆投下を捕らえた唯一の映像となっている。


[編集] 原子爆弾の威力
広島原爆は約50キログラムのウラン235が搭載されており、このうち核分裂を起こしたのは1キログラム程度と推定されている。爆発で放出されたエネルギーは63兆ジュール、TNT火薬換算で1万5千トン(15キロトン)相当に及んだ。エネルギーは爆風(衝撃波)・熱線・放射線となって放出され、それぞれの割合は50パーセント・35パーセント・15パーセントであった。

なおB-29の通常爆弾最大積載量は5トンであるから、B-29の3,000機分の通常爆弾が一度に投下されたことに相当する。比較として東京大空襲(1945年3月10日)の攻撃B-29は344機であるから投下された爆弾(焼夷弾)は総計2,000トンであった。すなわち、広島原爆(15,000トン)はこの東京大空襲の約8倍相当の規模のエネルギーを、東京の十分の一程度の都市の上に一時に投下/放出したことになる。


[編集] 爆風

爆心地から250メートルの全壊したRC建築(広島瓦斯本社ビル)爆発の瞬間の爆発点の気圧は数十万気圧に達し、これが爆風を発生させた。

爆心地における風速は440メートル/秒以上と推定されている。これは音速349メートル/秒[8]を超える超音速の爆風であり、前面に衝撃波を伴い爆心地の一般家屋の殆どを破壊した。

比較するとこの風速は、強い台風の中心風速の10倍である。そして、爆風のエネルギーは風速の3乗に比例する[9]。すなわち、原子爆弾の爆風は、エネルギー比では台風の暴風エネルギーの1,000倍の爆風であった。

また爆心地における爆風圧は350万パスカルに達した(1平方メートルあたりの加重が35トンとなる)。半径1キロメートル圏でも100万パスカルである。耐震設計の鉄筋コンクリート建築以外の建造物は、爆風圧に耐え切れずに全壊した。半径2キロメートル圏で30万パスカルとなり、この圏内の木造家屋は全壊した。


[編集] 熱線

熱線により影が焼き付いた跡核分裂で出現した火球の表面温度は数千度に達した。即ち、地上から数百メートルの地点に第二の太陽が現れた事に相当する。 火球から放出された熱線エネルギーは22兆ジュール(5.3兆カロリー)である。熱線は赤外線として、爆発後約3秒間に大量に放出された。地表に作用した熱線のエネルギー量は距離の2乗に反比例する。地表で受けたエネルギーは、爆心地では平方センチあたり100カロリー、500メートル圏で56カロリー、1キロメートル圏で23カロリーであった。

比較すると、爆心地の地表が受けた熱線は通常の太陽の照射エネルギーの数千倍に相当する。

このような極めて大量の熱量が短期間に照射される特徴から、熱が拡散されず、照射を受けた表面は直ちに高温となった。爆心地付近の地表は3,000~4,000℃に達した。屋根瓦は表面が溶けて泡立ち、また表面が高温となった木造家屋は自然発火した。


[編集] 放射線

レントゲンフィルムの感光の事も書かれている広島赤十字病院の原爆被災の解説核分裂反応により大量のアルファ線・ベータ線・ガンマ線・中性子線が生成され、地表には透過力が強いガンマ線と中性子線が到達した。さらに地表では中性子線により放射化され、誘導放射能が生成された。

爆心地の地表に到達した放射線は、1平方センチあたり高速中性子が1兆2千億個、熱中性子が9兆個と推定されている。

原爆投下後、広島赤十字病院の地下に残っていた未使用のレントゲンフィルムが放射線によって全て感光していたため、広島へ落とされた新型の爆弾は原子爆弾だと決定付ける証拠となった。


[編集] 黒い雨
原子爆弾の炸裂の高熱により巨大なキノコ雲(原子雲)が生じた。これは爆発による高熱で発生した上昇気流に吹き上げられた粉塵が上空で拡散したため、あのように特徴的なキノコ形になったものと考えられる。

低高度爆発であったためにキノコ雲は地表に接し、爆心地に強烈な誘導放射能をもたらした。雲は急速に上昇し、湿った熱気は上空で冷やされ雨を降らせた。この雨は爆風が舞い上げた大量の粉塵・煙を含んでおり、粘り気のある真っ黒で大粒の雨粒が降り注いだ。この雨を黒い雨という。

当日の上空では南東の風が吹いていたため、キノコ雲は徐々に北北西へ移動し、黒い雨の降雨領域は市内から北北西方向へ伸びる長径19km、短径11kmに広がった。この雨は放射性降下物を含んでいたため、雨を浴びた者を被曝させ、土壌や建築物及び河川を放射能で汚染した。原爆の子の像のモデルの佐々木禎子もそれを浴びたことで被曝している。


[編集] 原爆投下の背景と経緯
広島原爆への道程は6年前のルーズベルト大統領に届けられた科学者たちの手紙にさかのぼる。そして、開発された原爆の目標として広島が決定されたのは1945年6月であった。その間には原爆投下を阻止しようと行動した人の存在もあった。以下にその背景と経緯の詳細を示す。


[編集] ルーズベルトの決断

ルーズベルト1939年、ナチスから逃れてアメリカに亡命した物理学者のレオ・シラードたちは、当時研究が始まっていた原子爆弾をドイツが保有することを憂慮し、アメリカが原子爆弾開発を行うことを大統領へ進言する手紙を作成した。署名者には同じ亡命科学者の著名なアインシュタインの名を借りた。この手紙は10月11日に送り届けられた。その手紙は当時のウラン鉱石の埋蔵地の位置も示していた。ヨーロッパのチェコのウラン鉱山はドイツの支配下であり、アフリカのコンゴのウラン鉱山をアメリカが早急におさえるように提言している。ルーズベルト第32代アメリカ合衆国大統領は意見を受けてウラン諮問委員会を一応発足させたものの、この時点ではまだ核兵器の可能性は未知数であり、大きな関心は示さなかった。なお1939年9月1日には第二次世界大戦が勃発している。


フリッシュ PJ時のID Card2年経過した1941年7月、イギリスの亡命物理学者オットー・フリッシュ(Otto Robert Frisch)とルドルフ・パイエルスがウラン原子爆弾作成のために必要なウランの臨界量の理論計算と、ウラン原子爆弾の基本原理をレポートにまとめ、MAUD委員会(MAUD Committee, イギリス原子爆弾開発委員会)に報告した(Frisch-Peierls memorandum)。そこで初めて原子爆弾が実現可能なものであり、爆撃機に搭載可能な大きさであることが明らかにされた。1941年10月、このレポートの内容を知ったルーズベルト大統領は原子爆弾の開発に踏み切ることを決断する。


オッペンハイマー, PJ時のID Card1942年6月、ルーズベルトはマンハッタン計画(DSM計画)を秘密裏に開始させた。総括責任者にはレズリー・グローヴス准将を任命した。1943年4月にはニューメキシコ州に有名なロスアラモス研究所が設置される。開発総責任者はオッペンハイマー。20億ドルの資金と科学者・技術者を総動員したこの国家計画の技術上の中心課題はウランの濃縮である。テネシー州オークリッジに巨大なウラン濃縮工場が建造され、2年後の1944年6月には高濃縮ウランの製造の目途がついた。

1944年9月18日、ルーズベルト米国大統領とチャーチルイギリス首相は、ニューヨーク州ハイドパークで首脳会談した。内容は核に関する秘密協定であり、その中では日本への原子爆弾投下の意志が示されていた。その他、核開発に関する米英の協力と将来の核管理についての合意がなされた。(ハイドパーク協定)

前後して、ルーズベルトは原子爆弾投下実行部隊の第509混成部隊の編成を指示した。混成部隊とは陸海軍から集めて編成されたための名前である。1944年9月1日に隊長を任命されたポール・ティベッツ陸軍中佐は、12月に編成を完了し(B-29計14機及び部隊総員1767人)、ユタ州ウェンドバー基地で原爆投下の秘密訓練を開始した。1945年2月には原爆投下機の基地はテニアン島に決定され、部隊は1945年5月18日にテニアン島に移動した。


[編集] 原子爆弾投下阻止の試みと挫折

ボーア理論物理学者ニールス・ボーアは、1939年2月7日ウラン同位体の中でウラン235が低速中性子で分裂すると予言し、同年4月25日には、核分裂の理論を米物理学会で発表した。この時点ではボーアは自分の発見が世界にもたらす影響の大きさに気づいていなかった。

第二次世界大戦が勃発し、ナチスのヨーロッパ支配拡大とユダヤ人迫害を見て、ボーアは1943年12月にイギリスへ逃れた。ここで彼は、米英による原子力研究が平和利用ではなく、原子爆弾として開発が進められていることを知る。原子爆弾の出現による世界の不安定化を怖れたボーアは、これ以後ソ連も含めた原子力国際管理協定の必要性を米英の指導者に訴えることに尽力することになる。

1944年5月16日にボーアはチャーチルと会談したが説得に失敗、同年8月26日にはルーズベルトとも会談したが同様に失敗した。逆に同年9月18日の米英のハイドパーク協定(既述)では、ボーアの活動監視とソ連との接触阻止が盛り込まれてしまう。ボーアは翌年1945年4月25日にも科学行政官バーネバー・ブッシュと会談し説得を試みたが、ルーズベルトに彼の声が届くことはなかった。

また別の科学者の動きとしては、1944年7月にアーサー・コンプトン(シカゴ冶金研究所)が発足させたジェフリーズ委員会が原子力計画の将来について検討を行い、1944年11月18日に「ニュークレオニクス要綱」をまとめている。そのなかで、原子力は平和利用の開発に注力すべきで、原子爆弾の都市破壊への利用をすべきでないと提言している。しかしこの提言も生かされることはなかった。

さらにドイツ降伏後の1945年5月28日には、米国に核開発を進言したその人であるレオ・シラードが、バーンズ長官に原子爆弾使用の反対を訴えている。シラードは、7月17日にも原子爆弾使用反対の書簡を科学者たちと連名で提出したが、流れを変えることはできなかった。


フランク1945年6月11日には、シカゴ大学のジェイムス・フランクが、グレン・シーボーグ、レオ・シラード、ドナルド・ヒューズ、J・C・スターンス、エウゲニー・ラビノウィッチ、J・J・ニクソンたち7名の科学者と連名で報告書「フランクレポート」を大統領諮問委員会に提出した。その中でフランクは、社会倫理的に原爆投下に反対し、原子爆弾の威力を各国の前でデモンストレーション(砂漠か無人島にて)で示すことにより戦争終結の目的が果たせると提案しているが、この提案は政府に拒絶された。またフランクは同レポートで核兵器の国際管理の必要性をも訴えていた。

軍人としては、ヨーロッパ戦線を勝ち抜いたアイゼンハワー将軍が、対日戦の勝利にはもはや原子爆弾の実戦使用は不必要であることを1945年7月20日にトルーマン大統領に進言しており[10]、アメリカ太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ提督も、同様に反対する意見を表明している。また政府側近でも、バードのように原子爆弾を使用するとしても、事前警告無しに投下することには反対するものもいた。

しかし結局、これら一連の原子爆弾投下阻止の試みが、ルーズベルト大統領やトルーマン大統領の決意を動かすことはなかった。


[編集] 原子爆弾投下都市の選択
1945年4月12日のルーズベルトの急死により、トルーマンが大統領に就任した。ルーズベルトの原子爆弾政策の遺志を継いだトルーマンには、「いつ・どこへ」を決定する仕事が残されていた。原子爆弾を投下する都市の選択は、1945年4月27日に開かれた米軍の目標検討委員会第1回会議にて定められた選定基準により、まず17地域が「研究対象」に選ばれた。

選定基準の要約は以下の通り。

市街地が約4.8キロメートル以上の直径を持つこと、また市街地周辺にも居住地が広がっていること。
投下目標は、東京から長崎の間に位置している都市とすること。
目標とする都市が、高度な戦略的価値を持つこと。
この日に研究対象として選ばれた17都市及び地点は以下の通り。

関東
東京湾、川崎市、横浜市
東海
名古屋市
関西
大阪市、神戸市、京都市
中国
広島市、呉市、下関市、山口市
九州
八幡市、小倉市、熊本市、福岡市、長崎市、佐世保市
この時、上記17都市及び地点の内、既に空爆で破壊した都市は除外するべしとされた。















『正論』(せいろん)は、産経新聞社が発行している月刊誌。発行部数は月に9万部強。

2008-07-26 16:22:35 | ▲論壇
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正論 (雑誌)

『正論』(せいろん)は、産経新聞社が発行している月刊誌。発行部数は月に9万部強。また産経新聞本紙にも同名のオピニオン欄が連載されている。現在の編集長は上島嘉郎。

目次 [非表示]
1 沿革
2 別冊正論
3 現在の連載
4 主な執筆者
5 関連項目
6 外部リンク



[編集] 沿革
日本が戦後の荒廃から立ち上がり、高度経済成長へと変貌をとげていくなかで、対外的には冷戦とイデオロギーの対立、国内的には、学園紛争や、進歩的文化人という左派勢力全盛といった時代が到来した。このことに対して日本の財界人また保守派を標榜する勢力は非常な危機意識をもつようになって来た。そうした時代背景の中、1968年、フジテレビジョンから水野成夫前社長の後を継ぎ産経新聞社社長に就任した鹿内信隆は社長に就任すると同時に政府・財界人の利益や保守系の立場の人を代弁するような立場を濃厚にして、広告主むけの説明会において、「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものになってるでしょうか」「敢然と守ろう『自由』 左翼的商業主義を警戒せよ」という掛け声の下、彼独自の持論であった「反共路線による自由社会の保守と日米同盟強化」という反共主義・親米保守の持論の成果として正論路線を提唱し、1970年には同紙紙上において「正論」欄を置いた。

その後、1973年にはサンケイ出版(現・扶桑社)から『雑誌・正論』を創刊。当初は産経新聞紙上の正論欄に掲載された記事・論文を一括整理などして縮刷版のような体裁で発行していたが、その後、正式なオピニオン雑誌としての体裁を整えるために右派・タカ派文化人を総動員して現行の書籍としての体裁を整えた。当初はソ連脅威論を提唱して日米同盟(=日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)の強化や、独自の軍備・改憲論などを提唱をしていたが、近年では改憲論・反共論の他にも、日教組教育への批判として自前で新しい歴史教科書などにみられる独自の歴史教科書・公民教科書などを執筆・作成するなどしていることでも有名になった。

現在も親米反共を基本としつつ、戦争責任問題や領土問題を抱える中国・韓国・北朝鮮などを「反日国家」と批判し(但し“親日”国についての論評はほとんど出ない。金美齢との絡みからか中華民国についてわずかに言及する程度である)、さらに自由民主主義、個人主義、男女平等、などについても「日本の伝統文化に合わない」と懐疑的であり、ジェンダーフリー、性教育についても否定的である。評論・ルポのタイトルは“憂国”調のものが多い。2003年5月号では西村博之のインタビューにおいて、小泉訪朝の際に2ちゃんねるを席巻した「チョンを殺せ」の多数の書き込みに“関東大震災の際のデマを思い起こし、閉鎖も考えた”という西村に対し、聞き手の記者が“反北朝鮮は国益では”と「愛国無罪」論を展開した。

執筆者は産経新聞のコラムや正論欄と同様の論調であるが、幸福の科学や光言社(統一協会)など、反共・右翼系宗教団体・ミニコミ紙主宰の言論人・評論家が多いことでも有名である。広告もこれらの団体及び系列企業のものが多く、資金面でも支えられていることが窺える(2007年からはフジサンケイグループ系列各社と靖国神社崇敬会、「戦争博物館」、印刷製本を請けている大日本印刷の広告のみになった)。

鹿内は正論発刊当時に、「正論時代の幕開け」という論題で「いままでは右手に朝日ジャーナルでしたが、そのうち、右手に正論という時代が到来するでしょう」などと発言している(実際にかつての朝日ジャーナルは廃刊となり、正論は業界第1位となった)。

なお、類似姿勢の雑誌に『諸君!』や『WiLL』、『Voice』等があり(ムックには別冊宝島等)、一方、考えが対極にある雑誌が『週刊金曜日』や『世界』や『論座』、『現代』等である。

漫画家の小林よしのりとはかつては懇意で度々寄稿していたが、2001年に台湾を巡る認識に端を発し、9・11後の親米・反米、「親小泉」・「反小泉」を巡り産経新聞社とは長く対立関係にあったが、2007年に入ると小林の論文が度々見られるようになった。

投書欄の占めるページ数が他の雑誌に比べ極めて多い(毎月30ページ前後)。

現在、日本の月刊オピニオン誌としては、発行部数第1位である。


[編集] 別冊正論
2006年1月より季刊として刊行。東アジア情勢や近現代史に関して掘り下げた、テーマ性の深い内容となっている。


[編集] 現在の連載
この節には現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。

稲垣武「マスコミ照魔鏡」
中村粲「NHKウォッチング」
福島泰樹「祖国よ!」
東谷暁「寸鉄一閃」
石堂淑朗「平成餓鬼草子」
(匿名ライター・“セイコ”)「『朝ナマ』を見た朝は…」

[編集] 主な執筆者
安倍晋三 自由民主党衆議院議員
石原慎太郎 東京都知事・作家
石平 “中国人”評論家
稲田朋美 弁護士、自由民主党衆議院議員
上坂冬子 評論家
金美齢 評論家
工藤雪枝 フリーライター
黄文雄 評論家
古森義久 評論家・産経新聞論説委員兼ワシントン駐在編集特別委員
小堀桂一郎 評論家・東京大学名誉教授
櫻井よしこ 評論家・元ニュースキャスター
曽野綾子 評論家・作家
志方俊之 東京都参与・元陸上自衛隊北部方面隊総監
高市早苗 自由民主党衆議院議員
田久保忠衛 新しい歴史教科書をつくる会顧問
中川昭一 農林水産大臣・自由民主党衆議院議員
中川八洋 評論家・筑波大学教授
中嶋嶺雄 評論家 国際教養大学長
西尾幹二 評論家 電気通信大学名誉教授
西岡力 評論家・現代コリア研究所研究員 「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」副会長 東京基督教大学教授
野村旗守 ジャーナリスト
長谷川三千子 評論家・埼玉大学教授
兵頭二十八 自称“軍学者”、軍事評論家
兵本達吉 左翼運動評論家 元日本共産党員・参議院議員秘書
藤岡信勝 自由主義史観研究会・新しい歴史教科書をつくる会代表
八木秀次 高崎経済大学教授・日本教育再生機構会長
山谷えり子 自民党衆議院議員
屋山太郎 評論家
米田建三 帝京平成大学教授、元自民党衆議院議員
渡部昇一 評論家・上智大学名誉教授
和田秀樹 精神科医
など(50音順、インタビュー含む)。


[編集] 関連項目
正論大賞
進歩的文化人
親米保守
タカ派
反共主義
報道2001
フジテレビジョンの番組。いわばテレビ版『正論』。保守系論客の出演が多く、中にはこの雑誌の寄稿者もいる。
日本は侵略国ではありません!

[編集] 外部リンク
公式ホームページ
雑誌『正論』編集部 関連ブログ一覧
雑誌『正論』編集部公式ブログ
[表示]表・話・編・歴フジサンケイグループ
フジテレビ
グループ フジテレビジョン・BSフジ・共同テレビジョン・フジクリエイティブコーポレーション・フジアール・八峯テレビ・フジライティング・アンド・テクノロジイ・ディノス・クオラス・フジミック・扶桑社(ESSE、SPA!)・フジパシフィック音楽出版・フジランド・フジサンケイ人材センター・エフシージー総合研究所・フジテレビ出版・フジテレビサービス・フジテレビキッズ・サテライト・サービス・FUJISANKEI COMMUNICATIONS INTERNATIONAL,INC.・バンエイト・共同エディット・ベイシス・バスク・セントラルインペックス・フジミック埼玉・フジミック新潟・フジプラス
産経新聞
グループ 産業経済新聞社(産経新聞東京本社・大阪本社、サンケイスポーツ、夕刊フジ、SANKEI EXPRESS、競馬エイト、正論、TVnavi)・日本工業新聞社(フジサンケイ ビジネスアイ)・産経デジタル、産経広告社、サンケイ広告社・サンケイ総合印刷 (東京)・サンケイ総合印刷 (大阪)・産経新聞メディックス・産経新聞出版・サンケイサービス・産経新聞開発 (東京)・産経新聞開発 (大阪)・大阪サンスポ企画・かんそく・大阪放送(ラジオ大阪)
ニッポン放送
グループ ニッポン放送・ニッポン放送プロジェクト・一口坂スタジオ・フジサンケイエージェンシー
サンケイビル
グループ サンケイビル・サンケイ会館・サンケイビルテクノ・サンケイビルマネジメント・サンケイビルメンテ・ヒューメディアジャパン・サンケイビルクリーンサービス
ポニーキャニオン
グループ ポニーキャニオン・ポニーキャニオンエンタープライズ・サウンドマン・ニッポンプランニングセンター・ポニーキャニオンミュージック
リビング新聞
グループ サンケイリビング新聞社・リビングプロシード・リビングくらしHOW研究所・仙台リビング新聞社・湘南リビング新聞社・静岡リビング新聞社・高松リビング新聞社
公益法人
グループ 財団法人 彫刻の森美術館(彫刻の森美術館、美ヶ原高原美術館)・財団法人 日本美術協会(上野の森美術館)・財団法人 サンケイスポーツセンター・社会福祉法人 産経新聞厚生文化事業団・財団法人 国際文化交換協会・サンケイスポーツランド
文化放送
グループ※ 文化放送・セントラルミュージック・文化放送開発センター
シンボルマーク 目玉マーク
主な友好企業
(グループ外) 関西テレビ放送・東宝・ヤクルト本社(東京ヤクルトスワローズ)・中日新聞社(中日ドラゴンズ・東海テレビ放送など)・北海道新聞社(北海道文化放送など)・西日本新聞社(テレビ西日本など)・日本海テレビジョン放送(NTV・NNN/NNS系列)・九州朝日放送(EX・ANN系列)・スカイパーフェクト・コミュニケーションズ
関連項目 FNN・FNS・NRN・TBSグループ・ブロック紙・キャセイパシフィック航空・フジサンケイグループ広告大賞・高松宮殿下記念世界文化賞・放送持株会社・大阪新聞・新しい歴史教科書をつくる会
関連人物
前田久吉・水野成夫・鹿内信隆・鹿内春雄・鹿内宏明・浅野賢澄・日枝久・羽佐間重彰・村上光一・豊田皓・横澤彪・亀淵昭信・高崎一郎・村上七郎・出馬迪男・千草宗一郎・清原武彦・住田良能・俵孝太郎・石井英夫・石田弘
※文化放送グループは、フジサンケイグループに含める場合と含めない場合がある。

この「正論 (雑誌)」は、書籍に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。
なお文学作品は文学スタブを、漫画は漫画スタブをご参照下さい。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%AB%96_%28%E9%9B%91%E8%AA%8C%29" より作成
カテゴリ: 節現在進行 | 日本の雑誌 | 政治雑誌 | 産経新聞 | 書籍に関するスタブ


最終更新 2008年6月10日 (火) 11:44。 Wikipedia®

『文藝春秋』、『諸君!』、『中央公論』、『世界』、『正論』など、いわゆる「論壇」を形成する雑誌群を

2008-07-22 15:38:29 | ▲論壇
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調べもの新聞編集室 中村惇夫

総合雑誌

総合雑誌(そうごうざっし)とは、政治・経済・社会・文化全般についての評論などを掲載する雑誌。文藝春秋社の『文藝春秋』、『諸君!』、中央公論新社の『中央公論』、岩波書店の『世界』、扶桑社の『正論』など、いわゆる「論壇」を形成する雑誌群を指す。これら以外の雑誌が、広い話題を扱うという意味で「何々の総合雑誌」と謳う事もあるが、基本的にはこれら「論壇誌」を意味する。かつては世論形成において大きな役割を果たし、「知識人」のみならず学生などの若者たちにも広く読まれていたが、1970年頃を境に次第に若者の論壇誌離れが進んだ。『朝日ジャーナル』など廃刊となった例もあるものの、発行部数の減少による採算割れにも関わらず前述の雑誌を始めとして、幾つもの雑誌が存続しており、発行部数により影響力は限定されるものの、市場の論理を超えた「言論の場」を形成している。


[編集] 関連項目
文藝春秋
中央公論
論座
世界
正論
諸君!
朝日ジャーナル
この項目「総合雑誌」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。
このテンプレートは分野別のスタブテンプレート(Wikipedia:スタブカテゴリ参照)に変更することが望まれています。ただし、サーバー負荷軽減のため、スタブテンプレートの変更は加筆とともに行ってください。

"http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B7%8F%E5%90%88%E9%9B%91%E8%AA%8C" より作成
カテゴリ: スタブ | 雑誌


最終更新 2008年5月18日 (日) 13:07。 Wikipedia®

論座(ろんざ)は、朝日新聞出版(2008年4月号までは朝日新聞社)が発行す

2008-07-22 15:37:52 | ▲論壇
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/

論座

論座(ろんざ)は、朝日新聞出版(2008年4月号までは朝日新聞社)が発行する月刊雑誌。現在の編集長は薬師寺克行。以前「RONZA」という題であったが、改名して現在に至る。

『月刊Asahi』の事実上の後継誌であり、岩波書店の『世界』とともに、リベラル派の雑誌とされる。右翼・保守派論壇紙の『正論(扶桑社)』や『諸君!(文藝春秋)』とは対に見られる。

最近では、リベラルも保守も、自分の陣営に閉じこもりがちな現状を批判しており、保守派に属する言論人(上坂冬子、岡本行夫、石破茂、小林よしのりら)に積極的に誌面を提供し、保守・リベラル両派の間での論戦を意識的に追求する指向を見せている。

また、編集部が出版した本『リベラルからの反撃』(朝日選書)等も売られている。

しかし、最近は発行部数が低迷し事業としては赤字が続いている。このため、2008年9月発売の10月号を持って休刊する意向が一部関係者に通達されているという[1]。


[編集] 脚注
^ リベラルはもう受けない!? 朝日新聞オピニオン誌「論座」休刊へ

[編集] 関連項目
朝日ジャーナル
フォーリン・アフェアーズ

[編集] 外部リンク
論座(asahi.com内)
この項目「論座」は、調べものの参考にはなる可能性がありますが、まだ書きかけの項目です。加筆、訂正などをして下さる協力者を求めています。
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カテゴリ: 日本の雑誌 | 朝日新聞出版 | 政治雑誌 | スタブ


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文藝春秋 (雑誌)

2008-07-22 15:31:41 | ▲論壇
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調べもの新聞編集室 中村惇夫

文藝春秋 (雑誌)

『文藝春秋』(ぶんげいしゅんじゅう)は、株式会社文藝春秋が発行する雑誌(総合誌)である。

目次 [非表示]
1 概要
2 編集長
3 内容
3.1 常時連載
3.2 連載中
3.3 連載終了
4 話題となった記事
5 関連項目
6 外部リンク



[編集] 概要
1923年1月、菊池寛が大きく揺れ動いた時代を背景に私財を投じて創刊した(文藝春秋創刊の辞)。文藝春秋という誌名は菊池寛が『新潮』で連載していた文芸時評のタイトルから来ている。敗戦後、菊池寛が戦争犯罪の責任を問われたため一時廃刊の危機にあうが、鷲尾洋三が編集長となり文藝春秋新社を興して再スタート。

伝統、風格、売り上げ、質、以上の全ての面で日本を代表する言論誌である。月刊で、毎月1日発行、10日発売。判型はA5判、ページ数は通常は448ページ。目次は折り畳み式。カバーするジャンルは政治、経済、経営、社会、歴史、芸能、軍事、皇室、教育、医療、スポーツと多岐に及ぶ。政治家、研究者、実業家、ジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家による論文や記事が、毎号三十本ほど掲載される。

創刊時は倉田百三、島田清次郎などの女学生に人気のあった作家のゴシップを掲載する記事も多く見られた。70年代前半までは菊池寛時代の名残から作家の人物批評やゴシップ記事が何度も取り上げられた事があったが、80年代に入ると出版社の肥大化によって商業主義的色彩を強めざるをえなくなりこうした記事は一切見られなくなった。近頃は読者層の高齢化に合わせてか、団塊の世代が好む昭和ネタを組む事が多い。

傾向としては日本共産党、社会民主党など左派政党には批判的で、これらの政党の政治家の文章は全くと言っていいくらい掲載されない(2005年9月号では、社会民主党元党首土井たか子の戦争体験談が掲載されるなどしており若干の例外がある)。公明党と創価学会も同じ。

複数の文学賞を主催しており、2月号で文藝春秋読者賞、3月号と9月号で芥川賞、6月号で大宅壮一ノンフィクション賞、7月号で松本清張賞、12月号で菊池寛賞の受賞者が発表される。特に芥川賞等の時は販売部数が大きく増大する。金原ひとみや綿矢りさの受賞作掲載では記録的な販売となったこともあり、受賞者選定自体が販売を念頭にした話題作りではないかという声もあがった。

会社の看板媒体でもあることから、文春社内では「本誌」と通称されている。


[編集] 編集長
菊池寛
池島信平(1944年 -)
鷲尾洋三
半藤一利
上林吾郎(- 1959年)
田中健五(1972年 - 1977年)
岡崎満義(1982年 -)
白石勝
飯窪成幸(現在)

[編集] 内容

[編集] 常時連載
この節には現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。

日本の顔 - モノクログラビアで、その時々の話題の人物を紹介する。
小さな大物 - 各界の著名人の子供の時の写真を掲載。
同級生交歓 - 同じ学校出身の有名人が面会して、昔を懐かしむ。
巻頭随筆 - 10人の著名人による、四段組の短いエッセイ。同時に短歌、俳句、詩も掲載される。
丸の内コンフィデンシャル - 経済、金融、実業家の情報。無記名。
霞が関コンフィデンシャル - 官僚、政治家の情報。無記名。
文春LOUNGE - カラー写真で様々な最新の流行、賞品を紹介。アンケートもある。官製はがきにその回答を書いて編集部に郵送すると抽選で30名に、出版社にゆかりのある小説家の写真を使用した、非売品の特製図書カード3000円分が贈呈される。
新聞エンマ帖 - 無記名の新聞批評。「朝日新聞」、「読売新聞」、「毎日新聞」、「産経新聞」、「東京新聞」、「日本経済新聞」を、厳しく批評する。
オヤジとおふくろ - 各界の著名人が自分の親への思いを語る。
赤坂太郎 政局ドキュメント - 複数の記者が持ち回りで書いている匿名コラムである。
BOOK倶楽部 - 書評。評者は麻木久仁子、猪木武徳、加藤陽子、佐藤優。
新書一点賭け - 日垣隆が話題の新書1冊を論じる。
本屋探訪 - 全国にある個性的な書店の紹介。
今月買った本 - 恩田陸、斎藤環、なぎら健壱、成毛眞の4人が1ヶ月間に購入した本の内訳を語る。
三人の卓子 - 読者の投稿。
蓋棺録 - 最近亡くなった著名人5人を悼む。
社中日記 - 無記名の日記。編集部での失敗談、笑える話、エピソードを、面白おかしく紹介。

[編集] 連載中
表紙の絵 平松礼二
巻頭随筆の中でも、以下は特別な連載である。
阿川弘之「葭の髄から」 - 保守的な社会時評、又は身辺雑記。
塩野七生「日本人へ」 - 保守的な社会時評。
宮城谷昌光「三国志」
山崎豊子「運命の人」
福田和也「昭和天皇」 
あさのあつこ「おとなの絵本館」 
坪内祐三「人声天語」 - 社会時評。
江上剛「アジア・ビジネス最前線」
芝山幹郎「スターは楽し」 - 往年の映画スターの知られざるエピソードを紹介。
鴨下信一「昭和のことば」
東嶋和子「新・養生訓」
岩崎元郎「悠々山歩き」

[編集] 連載終了
巻頭随筆の中でも、以下は特別に連載されていた。
司馬遼太郎「この国のかたち」 - 日本歴史論。本誌の長い歴史の中でも、最も人気のあった連載。司馬の急死により突然の終了を迎えた。
自伝
浅利慶太「時の光の中で」
小林信彦「テレビの黄金時代」
石原慎太郎「わが人生の時の人々」
評論
山本夏彦「笑わぬでもなし」
小説
山崎豊子「大地の子」
村上龍「希望の国のエクソダス」
ノンフィクション
柳田邦男「がん50人の勇気」
映画
わたしの映画スタア - 各界の著名人が自分の好きな映画俳優、女優を語る。
映画漫歩 - 無記名の映画批評。4本の最新作を大変に丁寧に解説する。

[編集] 話題となった記事
1974年11月特別号で、田中健五編集長は「田中政権を問い直す」という特集を組み、立花隆「田中角栄研究-その金脈と人脈」と児玉隆也「淋しき越山会の女王」の2つのレポートを掲載する。これが田中角栄の内閣を退陣へと追い遣るきっかけになった。
1990年12月号に「昭和天皇の独白8時間 太平洋戦争の全貌を語る」を掲載。話題を呼び、発行部数は105万部を記録。その後「昭和天皇独白録」(文春文庫)として出版された。
2004年3月号では第130回芥川賞の受賞作が掲載され、金原ひとみと綿矢りさという同賞史上最年少者が受賞したことが話題を呼び、初回刷数が80万部、最終的には過去最高の118万5000部を発行した。このことからか、話題作りの芥川賞選定の傾向が強まったとも言われる。
2005年12月号に掲載された「『バターン死の行進』女一人で踏破」の記事をめぐって、「歴史を誤って伝えるものである」としてユダヤ人人権団体「サイモン・ウィーゼンタール・センター」から抗議を受けた。

[編集] 関連項目
阿川弘之
立花隆
半藤一利
本多勝一
後藤謙次
滑稽新聞

[編集] 外部リンク
文藝春秋 - 公式サイト
この「文藝春秋 (雑誌)」は、書籍に関連した書きかけ項目です。この記事を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。
なお文学作品は文学スタブを、漫画は漫画スタブをご参照下さい。

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最終更新 2008年6月1日 (日) 06:19。Wikipedia®

中央公論

2008-07-22 15:31:23 | ▲論壇
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中央公論

中央公論(ちゅうおうこうろん)は明治時代に創刊され、大正・昭和・平成と続く月刊誌(総合雑誌)。現在は中央公論新社が発行する。

目次 [非表示]
1 歴史
2 嶋中事件
3 関連項目
4 外部リンク



[編集] 歴史
前身は西本願寺系の普通教校(龍谷大学の前身)学生有志で組織された反省会の機関誌「反省会雑誌」で、1887年(明治20年)に刊行された。禁酒を主張したり、青年の生き方を探る雑誌であった。後に「反省雑誌」と改題。

1899年(明治32年)1月から「中央公論」に改題。次第に宗教色は無くなり小説や評論などを掲載するようになった。明治末に入社した滝田樗陰は名編集者として知られる。大正期には吉野作造の政治評論をはじめ、自由主義的な論文を多く掲載し、大正デモクラシー時代の言論をリードした。また、小説欄は新人作家の登竜門であった。しかし、マルクス主義が流行し、1919年(大正8年)、より急進的な「改造」が発刊されると、中道的な路線となる。

第二次世界大戦中、横浜事件が起こり、1944年、軍部の勧告により「改造」と共に廃刊される。

終戦後の1946年に復刊。現在に至るまで様々な評論、小説が掲載される総合雑誌として継続している。

1960年同誌に掲載された深沢七郎の「風流夢譚」のため右翼によって社長宅が襲われ嶋中夫人が負傷、お手伝いが死亡する事件が起こり(風流夢譚事件)、続けて同社が『思想の科学』の天皇制特集号の刊行をとりやめるなどして、天皇制への批判は同誌ではタブーとなった(粕谷一希『中央公論社と私』)。

1999年、発行元の株式会社中央公論社が経営危機に陥り、旧中央公論社の出版・営業など一切の事業を読売新聞社(現・読売新聞東京本社、読売新聞グループ本社)の全額出資で設立された新会社『中央公論新社』に譲り受ける(旧中央公論社は特別清算され、解散時の商号は『株式会社平成出版』と称していた)。これに伴い、読売新聞の販売店でも「中央公論」を取り扱うようになった。

読売新聞傘下に入り、読売新聞社発行の総合誌『This is 読売』(1990年創刊、1999年3月廃刊)が廃刊となったため、親米保守的論調が色濃くなった。


[編集] 嶋中事件
1960年12月号に掲載された深沢七郎の小説「風流夢譚」の中で皇太子妃が民衆に殺される部分や民衆が皇居を襲撃した部分が描かれた事などについて不敬であるとして、右翼が抗議し、翌年、17歳の右翼少年が中央公論社社長の嶋中鵬二宅に押しかけ、家政婦と嶋中夫人を殺傷するという事件が起こった(嶋中事件)。岸信介首相襲撃事件、浅沼稲次郎暗殺事件など、安保闘争に対抗するかのような一連の右翼テロの1つであった。


[編集] 関連項目
滝田樗陰
横浜事件
宮脇俊三(紀行作家) - 中央公論社在籍時代編集長を務めた事がある。
村松友視(作家) - 中央公論出身
佐藤観次郎 - 元編集長、後衆議院議員
雨宮庸蔵
藤田圭雄
三枝佐枝子
粕谷一希
蝋山政道

[編集] 外部リンク
中央公論
[表示]表・話・編・歴読売新聞グループ
本社所在地 東京(読売新聞東京本社)1・大阪(読売新聞大阪本社)1・福岡(読売新聞西部本社)1
支社所在地 名古屋(読売新聞中部支社)・札幌(読売新聞北海道支社)・高岡(読売新聞北陸支社)
主な刊行紙・刊行雑誌 読売新聞・ザ・デイリー読売・読売ウイークリー・大相撲・読売新聞縮刷版・読売新聞衛星版・中央公論・婦人公論
読売新聞社以外の新聞社 報知新聞社(スポーツ報知)・福島民友新聞2
出版社 中央公論新社1・旅行読売出版社
主要放送局3 日本テレビ・読売テレビ・CS日本・BS日テレ・RFラジオ日本
映像制作事業 読売映像
広告事業 読売メディアセンター・読売エージェンシー・読宣4・読売連合広告社4・大阪読売広告社4
折り込み広告事業 読売情報開発・読売インフォメーションサービス・ヨミックス5
人材派遣事業 東京読売サービス・大阪読売サービス・ヨミックス5
コンピュータソフトウェア開発事業 よみうりコンピュータ・読売システック
印刷事業 東京メディア制作
スポーツ・レジャー関係事業 読売ジャイアンツ1・日本テレビフットボールクラブ(東京ヴェルディ、日テレ・ベレーザ)6・よみうりランド・よみうりカントリークラブ
小売・不動産事業関係 プランタン銀座7・読売不動産
引越運送会社 読売引越センター
文化事業関係 読売旅行・読売・日本テレビ文化センター・財団法人 読売日本交響楽団・
学校法人 読売理工学院・専門学校 読売自動車大学校・社会福祉法人 読売光と愛の事業団・読売育英奨学会
海外現地法人 読売香港有限公司
人物 正力松太郎・正力亨・務臺光雄・竹井博友・小林與三次・渡邉恒雄・氏家齊一郎・長嶋茂雄
関連項目 NNN・NNS・コボちゃん・yorimo・新s
1中核子会社5社(読売新聞社も参照されたし)
2福島県の地方紙
3主要な放送局のみ掲載
4大阪本社が出資
5北海道を中心に折り込み広告事業、人材派遣事業を行う会社
6日本テレビ100%の子会社
7建物の所有のみ行う。小売の運営は事実上、三越が中心となって支援している

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最終更新 2008年5月31日 (土) 08:41。Wikipedia®

世界 (雑誌)

2008-07-22 15:31:04 | ▲論壇
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世界 (雑誌)

世界(せかい)とは、岩波書店が発行している論壇誌である。1945年12月創刊。革新リベラル色の濃い雑誌であり、諸君!や正論といった雑誌とは反対のスタンスである。

目次 [非表示]
1 概要
2 朝鮮問題についての報道
2.1 北朝鮮の代弁者
3 脚注
4 外部リンク



[編集] 概要
初代編集長は吉野源三郎。最高責任者には岩波書店創業者岩波茂雄の親友であった安倍能成を擁した。安江良介(のちの岩波書店社長)も長きにわたって編集長を務めた。現在の編集長は岡本厚。

内容は学術性と正確性を重視し、テーマとして平和問題を扱い、また冷戦時においては第三世界論の展開で東側陣営よりも西側陣営に批判的なスタンスをとり、現在でも日本やアメリカに対する批判に比べて中国や韓国に対する批判は少ない。[1]

編集のスタンスは社会運動、政治運動を目指しているというよりは、知識人やインテリ層を対象とする傾向が強いという指摘がある。

発行部数は、1950年代~1960年代には公称20万部を超えていたが、1990年代以降は公称7万部。実売はさらに激減し、1万部を切っているとも言われている。そのためもあって、同誌をおかない書店も増えてきた。ただし岩波書店の出版物は売れ残りの返品を受け付けないことから、書店側が仕入れに躊躇してしまうのも一因であるとされる。


[編集] 朝鮮問題についての報道
安江良介が編集長の時代、安江の戦前における日本の朝鮮への支配やそれにまつわる朝鮮人差別に対する贖罪意識から、当時軍事政権であった韓国に対して独裁政権の民衆への弾圧などに関する問題を中心とした『韓国からの通信』を掲載した。その一方、金日成の独裁体制にある北朝鮮に対しては好意的な記事が多く、70年代当時確立されつつあった世襲制による独裁体制や粛清が行われたことについては認識が甘かった。また、在日朝鮮人を北朝鮮へ帰還させるいわゆる在日朝鮮人の帰還事業に対して無批判だったことについても、帰還事業によって悲劇的な生活を送らざるを得なくなった在日朝鮮人や日本人妻などの家族への視点が欠けていたこと、日本社会が在日韓国・朝鮮人と共生をしようという意識に欠けていたために彼らを日本から追い出す側面があったことについて無自覚だったのではないかという批判もなされている。

また、こうした事情に加え、日朝国交回復を優先するあまり、北朝鮮による日本人拉致問題に対して、拉致による人権侵害を軽視する傾向についても厳しい批判にさらされることになった。なお、拉致問題については、北朝鮮に対する報道姿勢は冷静に臨むとの旨を宣言している(外部リンク参照)。

T・K生という韓国在住を装った匿名の筆者による長期の連載レポート『韓国からの通信』は、後に岩波新書で一部がまとめられた。しかし、途中で単行本化は中止された。その理由について現在まで岩波書店は明解な説明をしていないため、様々な臆測がなされている。筆者の正体も長い間謎とされ、一時は当時の安江編集長が韓国人を騙って書いていたのではないかとも推測がされていたが、2003年になり、当時東京女子大学教授として日本滞在中だった池明観(現在、翰林大学日本学研究所長)がT・K生であったと公表している(安江編集長の関与もみとめている)[2]。


[編集] 北朝鮮の代弁者
韓相一は、世界で執筆している知識人に対して、「日本の左派知識人には、最低限の徳目である「事実確認」と「実証的態度」が欠如しており、実体と経験に全く根拠を置かないまま「北朝鮮=善」という単純な論理をそのまま表に出していた」と痛烈に批判、北の代弁人と断罪している[3]。


[編集] 脚注
^ 独裁政権、軍事政権時代の韓国については批判的であった。
^ [1]池明観教授「日本月刊誌『世界』の韓国通信の筆者は私」 朝鮮日報online 2003/07/25 ]
^ 「北の代弁人」に転落した日本の左派知識人 | Chosun Online | 朝鮮日報

[編集] 外部リンク
公式サイト
『世界』編集部「朝鮮問題に関する本誌の報道について」
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なお文学作品は文学スタブを、漫画は漫画スタブをご参照下さい。

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最終更新 2008年6月3日 (火) 14:18。Wikipedia®

正論 (雑誌)

2008-07-22 15:29:41 | ▲論壇
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調べもの新聞編集室 中村惇夫

正論 (雑誌)

『正論』(せいろん)は、産経新聞社が発行している月刊誌。発行部数は月に9万部強。また産経新聞本紙にも同名のオピニオン欄が連載されている。現在の編集長は上島嘉郎。

目次 [非表示]
1 沿革
2 別冊正論
3 現在の連載
4 主な執筆者
5 関連項目
6 外部リンク



[編集] 沿革
日本が戦後の荒廃から立ち上がり、高度経済成長へと変貌をとげていくなかで、対外的には冷戦とイデオロギーの対立、国内的には、学園紛争や、進歩的文化人という左派勢力全盛といった時代が到来した。このことに対して日本の財界人また保守派を標榜する勢力は非常な危機意識をもつようになって来た。そうした時代背景の中、1968年、フジテレビジョンから水野成夫前社長の後を継ぎ産経新聞社社長に就任した鹿内信隆は社長に就任すると同時に政府・財界人の利益や保守系の立場の人を代弁するような立場を濃厚にして、広告主むけの説明会において、「新聞が本当に不偏不党の立場でまかり通るような安泰なものになってるでしょうか」「敢然と守ろう『自由』 左翼的商業主義を警戒せよ」という掛け声の下、彼独自の持論であった「反共路線による自由社会の保守と日米同盟強化」という反共主義・親米保守の持論の成果として正論路線を提唱し、1970年には同紙紙上において「正論」欄を置いた。

その後、1973年にはサンケイ出版(現・扶桑社)から『雑誌・正論』を創刊。当初は産経新聞紙上の正論欄に掲載された記事・論文を一括整理などして縮刷版のような体裁で発行していたが、その後、正式なオピニオン雑誌としての体裁を整えるために右派・タカ派文化人を総動員して現行の書籍としての体裁を整えた。当初はソ連脅威論を提唱して日米同盟(=日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約)の強化や、独自の軍備・改憲論などを提唱をしていたが、近年では改憲論・反共論の他にも、日教組教育への批判として自前で新しい歴史教科書などにみられる独自の歴史教科書・公民教科書などを執筆・作成するなどしていることでも有名になった。

現在も親米反共を基本としつつ、戦争責任問題や領土問題を抱える中国・韓国・北朝鮮などを「反日国家」と批判し(但し“親日”国についての論評はほとんど出ない。金美齢との絡みからか中華民国についてわずかに言及する程度である)、さらに自由民主主義、個人主義、男女平等、などについても「日本の伝統文化に合わない」と懐疑的であり、ジェンダーフリー、性教育についても否定的である。評論・ルポのタイトルは“憂国”調のものが多い。2003年5月号では西村博之のインタビューにおいて、小泉訪朝の際に2ちゃんねるを席巻した「チョンを殺せ」の多数の書き込みに“関東大震災の際のデマを思い起こし、閉鎖も考えた”という西村に対し、聞き手の記者が“反北朝鮮は国益では”と「愛国無罪」論を展開した。

執筆者は産経新聞のコラムや正論欄と同様の論調であるが、幸福の科学や光言社(統一協会)など、反共・右翼系宗教団体・ミニコミ紙主宰の言論人・評論家が多いことでも有名である。広告もこれらの団体及び系列企業のものが多く、資金面でも支えられていることが窺える(2007年からはフジサンケイグループ系列各社と靖国神社崇敬会、「戦争博物館」、印刷製本を請けている大日本印刷の広告のみになった)。

鹿内は正論発刊当時に、「正論時代の幕開け」という論題で「いままでは右手に朝日ジャーナルでしたが、そのうち、右手に正論という時代が到来するでしょう」などと発言している(実際にかつての朝日ジャーナルは廃刊となり、正論は業界第1位となった)。

なお、類似姿勢の雑誌に『諸君!』や『WiLL』、『Voice』等があり(ムックには別冊宝島等)、一方、考えが対極にある雑誌が『週刊金曜日』や『世界』や『論座』、『現代』等である。

漫画家の小林よしのりとはかつては懇意で度々寄稿していたが、2001年に台湾を巡る認識に端を発し、9・11後の親米・反米、「親小泉」・「反小泉」を巡り産経新聞社とは長く対立関係にあったが、2007年に入ると小林の論文が度々見られるようになった。

投書欄の占めるページ数が他の雑誌に比べ極めて多い(毎月30ページ前後)。

現在、日本の月刊オピニオン誌としては、発行部数第1位である。


[編集] 別冊正論
2006年1月より季刊として刊行。東アジア情勢や近現代史に関して掘り下げた、テーマ性の深い内容となっている。


[編集] 現在の連載
この節には現在進行中のことを扱っている文章が含まれています。性急な編集をせず事実を確認の上投稿してください。

稲垣武「マスコミ照魔鏡」
中村粲「NHKウォッチング」
福島泰樹「祖国よ!」
東谷暁「寸鉄一閃」
石堂淑朗「平成餓鬼草子」
(匿名ライター・“セイコ”)「『朝ナマ』を見た朝は…」

[編集] 主な執筆者
安倍晋三 自由民主党衆議院議員
石原慎太郎 東京都知事・作家
石平 “中国人”評論家
稲田朋美 弁護士、自由民主党衆議院議員
上坂冬子 評論家
金美齢 評論家
工藤雪枝 フリーライター
黄文雄 評論家
古森義久 評論家・産経新聞論説委員兼ワシントン駐在編集特別委員
小堀桂一郎 評論家・東京大学名誉教授
櫻井よしこ 評論家・元ニュースキャスター
曽野綾子 評論家・作家
志方俊之 東京都参与・元陸上自衛隊北部方面隊総監
高市早苗 自由民主党衆議院議員
田久保忠衛 新しい歴史教科書をつくる会顧問
中川昭一 農林水産大臣・自由民主党衆議院議員
中川八洋 評論家・筑波大学教授
中嶋嶺雄 評論家 国際教養大学長
西尾幹二 評論家 電気通信大学名誉教授
西岡力 評論家・現代コリア研究所研究員 「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」副会長 東京基督教大学教授
野村旗守 ジャーナリスト
長谷川三千子 評論家・埼玉大学教授
兵頭二十八 自称“軍学者”、軍事評論家
兵本達吉 左翼運動評論家 元日本共産党員・参議院議員秘書
藤岡信勝 自由主義史観研究会・新しい歴史教科書をつくる会代表
八木秀次 高崎経済大学教授・日本教育再生機構会長
山谷えり子 自民党衆議院議員
屋山太郎 評論家
米田建三 帝京平成大学教授、元自民党衆議院議員
渡部昇一 評論家・上智大学名誉教授
和田秀樹 精神科医
など(50音順、インタビュー含む)。


[編集] 関連項目
正論大賞
進歩的文化人
親米保守
タカ派
反共主義
報道2001
フジテレビジョンの番組。いわばテレビ版『正論』。保守系論客の出演が多く、中にはこの雑誌の寄稿者もいる。
日本は侵略国ではありません!

[編集] 外部リンク
公式ホームページ
雑誌『正論』編集部 関連ブログ一覧
雑誌『正論』編集部公式ブログ
[表示]表・話・編・歴フジサンケイグループ
フジテレビ
グループ フジテレビジョン・BSフジ・共同テレビジョン・フジクリエイティブコーポレーション・フジアール・八峯テレビ・フジライティング・アンド・テクノロジイ・ディノス・クオラス・フジミック・扶桑社(ESSE、SPA!)・フジパシフィック音楽出版・フジランド・フジサンケイ人材センター・エフシージー総合研究所・フジテレビ出版・フジテレビサービス・フジテレビキッズ・サテライト・サービス・FUJISANKEI COMMUNICATIONS INTERNATIONAL,INC.・バンエイト・共同エディット・ベイシス・バスク・セントラルインペックス・フジミック埼玉・フジミック新潟・フジプラス
産経新聞
グループ 産業経済新聞社(産経新聞東京本社・大阪本社、サンケイスポーツ、夕刊フジ、SANKEI EXPRESS、競馬エイト、正論、TVnavi)・日本工業新聞社(フジサンケイ ビジネスアイ)・産経デジタル、産経広告社、サンケイ広告社・サンケイ総合印刷 (東京)・サンケイ総合印刷 (大阪)・産経新聞メディックス・産経新聞出版・サンケイサービス・産経新聞開発 (東京)・産経新聞開発 (大阪)・大阪サンスポ企画・かんそく・大阪放送(ラジオ大阪)
ニッポン放送
グループ ニッポン放送・ニッポン放送プロジェクト・一口坂スタジオ・フジサンケイエージェンシー
サンケイビル
グループ サンケイビル・サンケイ会館・サンケイビルテクノ・サンケイビルマネジメント・サンケイビルメンテ・ヒューメディアジャパン・サンケイビルクリーンサービス
ポニーキャニオン
グループ ポニーキャニオン・ポニーキャニオンエンタープライズ・サウンドマン・ニッポンプランニングセンター・ポニーキャニオンミュージック
リビング新聞
グループ サンケイリビング新聞社・リビングプロシード・リビングくらしHOW研究所・仙台リビング新聞社・湘南リビング新聞社・静岡リビング新聞社・高松リビング新聞社
公益法人
グループ 財団法人 彫刻の森美術館(彫刻の森美術館、美ヶ原高原美術館)・財団法人 日本美術協会(上野の森美術館)・財団法人 サンケイスポーツセンター・社会福祉法人 産経新聞厚生文化事業団・財団法人 国際文化交換協会・サンケイスポーツランド
文化放送
グループ※ 文化放送・セントラルミュージック・文化放送開発センター
シンボルマーク 目玉マーク
主な友好企業
(グループ外) 関西テレビ放送・東宝・ヤクルト本社(東京ヤクルトスワローズ)・中日新聞社(中日ドラゴンズ・東海テレビ放送など)・北海道新聞社(北海道文化放送など)・西日本新聞社(テレビ西日本など)・日本海テレビジョン放送(NTV・NNN/NNS系列)・九州朝日放送(EX・ANN系列)・スカイパーフェクト・コミュニケーションズ
関連項目 FNN・FNS・NRN・TBSグループ・ブロック紙・キャセイパシフィック航空・フジサンケイグループ広告大賞・高松宮殿下記念世界文化賞・放送持株会社・大阪新聞・新しい歴史教科書をつくる会
関連人物
前田久吉・水野成夫・鹿内信隆・鹿内春雄・鹿内宏明・浅野賢澄・日枝久・羽佐間重彰・村上光一・豊田皓・横澤彪・亀淵昭信・高崎一郎・村上七郎・出馬迪男・千草宗一郎・清原武彦・住田良能・俵孝太郎・石井英夫・石田弘
※文化放送グループは、フジサンケイグループに含める場合と含めない場合がある。

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最終更新 2008年6月10日 (火) 11:44。Wikipedia®

諸君!

2008-07-22 15:29:24 | ▲論壇
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞編集室 中村惇夫

諸君!

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諸君!(しょくん)は、株式会社文藝春秋が発行する月刊オピニオン雑誌。毎月1日発売、定価680円。現在の編集長は内田博人。

発行部数は約8万2058部(2006年現在)。オピニオン誌としては「現代」や「正論」に次ぐ3位。


[編集] 概要
1969年創刊。株式会社文藝春秋の池島信平は、論壇が左翼一辺倒であると認識していた。そこで、看板雑誌の『文藝春秋』では扱いにくい、「日本人として恥ずかしくない」保守的記事を扱える雑誌を作ろうとした。池島は同様の危機感を持つ、福田恆存、三島由紀夫などを中心に結成された保守系団体「日本文化会議」の依頼を引き受け、その機関誌として創刊する予定であった。しかし社内の反発も強く、現状の形に落ち着いたという。“文春の社説”とも言われる。編集部員は5名と小所帯で制作している。

時の社長・田中健五の意向を強く反映した内容を踏襲している。『正論』、『Voice』、『WiLL』と共に、保守・右派系の代表的な論壇誌であり、リベラル・左派路線の岩波書店の『世界』、朝日新聞社の『論座』などと対をなしている。そのため戦前日本(大日本帝国)を全否定する自虐史観路線とは一線を隔しており、中国や韓国.北朝鮮など周辺諸国(特定アジア)を非難する論文を掲載する傾向にある。北朝鮮の拉致問題は、左派系マスコミが沈黙する中で、当初から大きく取り上げていた。また、初期にはサイエンス関係の企画も扱っていた。

とりわけ朝日新聞批判は創刊以来のライフワーク的存在であり、しばしば特集を組んで批判論陣をはる(もっとも最近では朝日側から批判されることもしばしばで、論座では『「諸君!」それでも「正論」か!』など、同じ系統の雑誌とあわせて揶揄されている。)。古くは本多勝一の『中国の旅』批判、21世紀に入ってからは女性国際戦犯法廷のNHK番組改変問題で、安倍晋三の主張と同じく“捏造を行った朝日”と批判を大々的に行っている。また、主に左派文化人の呼称である「進歩的文化人」批判もしている。特に、左派文化人がソ連共産党の独裁体制や中国の文化大革命、北朝鮮の金日成崇拝を無条件で礼賛していた各種の過去の発言を、雑誌や新聞から発掘し、個人名を挙げて出典付きで紹介する「悪魔祓いの戦後史」(稲垣武)の連載は反響を読んだ。

また、2001年2月号では南京大虐殺論争では多種多様なアンケート結果を掲載し、紙上で石川水穂の司会で否定派の内の中間派秦郁彦と幻派の東中野修道による座談会を行った。

2005年には「あなたが朝日に狙われたら」や「あなたが中国に狙われたら」などの特集が組まれたが、これらの一見荒唐無稽かつ刺激的なタイトルも、いわゆる諸君のタイトル付けの伝統である。特にイザヤ・ベンダサンと本多との誌上論戦は有名で、ベストセラー『日本人とユダヤ人』の著者として有名人であったベンダサンの主張に対して本多の反論(その後数回に渡り往復書簡形式を取ることになる)を載せたことで、本誌の部数の増大には大いに貢献したとも言われる。

自由主義史観の主要論陣拠点である。新しい歴史教科書をつくる会に『正論』とともに深く関わっている。

論客は中西輝政や櫻井よしこら保守論客が常連だが、毎月出過ぎの感も否めなくなったため、最近では漫画家倉田真由美らを加えたが、倉田は脱税問題以降は登場回数を減らしている。

靖国神社参拝を強力にプッシュする立場であったが、2006年の富田メモ発見では自社出身の半藤一利が真贋判定に関わったこともあってか、強硬論を和らげる特集も組むなど、編集方針のとまどいを露呈している。 安倍内閣の時は右派論客に寄稿させる形でまさに「美しい国」に関わる特集を多く組んでいたが、2007年の第21回参議院議員通常選挙で自民党が大敗し、安倍晋三が総理を辞任する直前に編集長を交代。路線転換を図っている。

以前から小林良彰、浅田彰、山口二郎、大塚英志、立山学など、右派陣営に属さない人物に寄稿させることもあったが、近年も上野千鶴子、大沼保昭、稲葉振一郎、井上章一など右派に属さない論客が対談や論説など様々な形で登場しており、この点は「正論」とは異なるところである。また時折アンケートという形で各界の識者の意見を聞く特集を行うが、その場合は登場する面子は左派から政治的な色彩が薄い人物まで様々である。

斎藤貴男によると、ある時期までは「天皇の悪口を言わない限り何を書いてもいい」ところがあったという。また、斎藤は現在の諸君!を「月刊2ちゃんねる」と評している。これは主義主張が2ちゃんねる上で日々行われている反アジア・反リベラル・保守回帰の書き込みと同質である事に加え、毎月の特集の組み方自体が、2ちゃんねる同様に繰り返されている事を批判したものである。同時に、斎藤が自身に同誌から浴びせられた批判に苛立ちを隠せないことも分かる。

仲正昌樹が斎藤らを批判した「サヨクの最後の砦──「格差社会」「愛国心」「共謀罪」ハンタイ」(2006年8月号)に2ページでいいから反論させろと要求したところ、「読者投稿欄なら」との編集部の回答に失望したのだという。(『創』2006年9・10月号)しかし、これまでも投稿欄を利用しての反論のやり取りは同誌では行われており、投稿欄では嫌だという斉藤の主張が一種の横車であるともいえるとの批判もあったが、数ページにわたる批判記事への言論人の反論には2ページ割いて反論を載せるのは諸君の伝統であって石井英夫のそれに対しても俵孝太郎は2ページ反論する機会を与えられている。結局、投稿欄への反論を斉藤は行うことはなかった。


[編集] 関連項目
進歩的文化人
南京大虐殺論争

[編集] 外部リンク
公式サイト
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最終更新 2008年5月30日 (金) 11:44。 Wikipedia®

月刊現代

2008-07-22 15:28:28 | ▲論壇
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高大連携情報誌「大学受験ニュース」
調べもの新聞編集室 中村惇夫

月刊現代

『月刊現代』(げっかんげんだい)は、講談社が発行している月刊誌。発行部数は月に9万2500部で、文藝春秋を除く総合月刊誌の中ではトップの部数を誇る。なお、戦前・戦中期の1920年 - 1945年、同じ講談社(大日本雄弁会講談社)から刊行されていた雑誌『現代』とは別の雑誌である。

創刊 / 1966年12月
発売日 / 毎月1日
定価 / 720円
目次 [非表示]
1 概要
2 主な連載
3 話題となった記事
4 主な執筆者
5 外部リンク



[編集] 概要
総合月刊誌として政治、経済、社会、メディア、スポーツ、健康、教育、夫婦関係など幅広い分野を扱う。「右」にも「左」にもぶれないリベラルの論調が多い。自民党や経団連に対して批判的であり、近年の憲法改正や集団的自衛権問題に関しても慎重な意見を出している。

また、月刊誌には珍しくスクープ的に巨悪を暴く特集も多く、ジャーナリスティックな雑誌であることも特徴。事件などに応じた独占手記も多い。

「テレビより活字に信頼を置く世代へ、政治・経済から医療まで生活に密着した情報と、月刊誌ならではの取材力で読みごたえ十分な長編ノンフィクションで勝負する総合誌。45歳以上と明確な読者ターゲットのため広告情報に対する高い反応が特徴」(公式ページより)


[編集] 主な連載
音羽人事観測所
著名人の人事短信を掲載するコーナー。他のライバル月刊誌と同様、官僚の人事情報も扱うだけでなく経済界、芸能人、スポーツ選手などジャンルを問わない。
早耳・空耳・地獄耳
毎月の様々な事象を執筆者の視点を交えながら紹介。特に女子アナの人物情報や担当番組情報に関しては、兄弟関係の週刊現代よりかなり早い段階で記事化しており、週刊現代が後追いすることも多い。
絶景鉄道の旅
全国各地の鉄道を美しい写真で紹介。旅情をかき立てる内容となっている。
in Focus
カラーグラビアで旬の人を紹介。
メジャー通!
元メジャーリーガー・長谷川滋利による野球事情紹介。

[編集] 話題となった記事
「巨大メディアは何を誤ったか〜NHK vs.朝日新聞「番組改変」論争・「政治介入」の決定的証拠」(2005年9月号)
女性国際戦犯法廷を扱ったNHKのドキュメンタリー・ETV特集の改変問題とその後に起きた朝日新聞とNHKの論争に関して、ジャーナリストの魚住昭が朝日新聞の内部から流出したと思われる取材資料を基に真相を記事化。安倍晋三、中川昭一議員の圧力に応じる形で番組を改編したという松尾武放送総局長らNHK幹部たちの証言が紹介され、安倍・中川の両議員、そしてNHKにとって不利となると思われた。しかし、朝日新聞の情報流出のみがクローズアップされ(のちに朝日新聞は社内処罰も実施)、安倍・中川両議員には何ら影響を及ぼさなかった。
このETV特集改変問題に関しては、VAWW-NETジャパン、ドキュメンタリージャパン、NHKの間で裁判が行われていたが、2007年1月に東京高裁で出された判決では「NHKが政治家の言葉を忖度して改変した」とされ、NHKに損害賠償命令が出された。ただし、判決では政治家の圧力に関しては否定した。
「平成の政商・宮内義彦」(2006年8月号-)
オリックスの宮内義彦会長が、政府の規制改革・民間開放推進会議議長という立場を利用して、自身の業務拡大を行ったこと、また村上ファンドと密接な関係であることなど、闇の部分を連載としてシリーズ記事化。宮内は名誉毀損として、講談社と作者に対して2億2千万円にのぼる訴訟を起こした。

[編集] 主な執筆者
魚住昭
町田徹
佐野眞一
野村進
松田賢弥
青木理
斎藤貴男
立花隆
立石泰則
二宮清純
南伸坊
長谷川滋利
山藤章二
永六輔

[編集] 外部リンク
Moura 月刊現代 - 月刊現代公式サイト
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最終更新 2008年4月18日 (金) 14:30。 Wikipedia®

省察 MEDITATIONES   デカルト Renati Descartes  三木清訳

2008-07-18 14:00:15 | ▲論壇
省察
MEDITATIONES
神の存在、及び人間の霊魂と肉体との区別を論証する、第一哲学についての
DE PRIMA PHILOSOPHIA, IN QUIBUS DEI EXISTENTIA, ET ANIMAE HUMANAE A CORPORE DISTINCTIO, DEMONSTRANTUR.
デカルト Renati Descartes
三木清訳




神の存在、及び人間の霊魂と肉体との区別を
論証する、第一哲学についての省察



     書簡


   聖なるパリ神学部の
 いとも明識にしていとも高名なる
    学部長並びに博士諸賢に
        レナトゥス デス カルテス

 私をしてこの書物を諸賢に呈するに至らしめました理由は極めて正当なものでありますし、諸賢もまた、私の企ての動機を理解せられました場合、この書物を諸賢の保護のもとにおかれまするに極めて正当な理由を有せられるであろうと確信いたしますので、ここにこの書物を諸賢にいわば推薦いたしまするには、私がその中で追求しましたことを簡単に申し述べるにしくはないと考える次第であります。
 私はつねに、神についてと霊魂についてと、この二つの問題は、神学によってよりもむしろ哲学によって論証せられねばならぬ諸問題のうち主要なるものであると、思慮いたしました。と申しますのは、われわれ信ある者には、人間の霊魂の肉体と共に滅びざること、また神の存在したまうことは、信仰によって信ずることで十分でありますとはいえ、たしかに、信なき者には、まず彼等にこの二つのことが自然的理性によって証明せられるのでなければ、いかなる宗教も、またほとんどいかなる道徳上の徳すらも説得せられうるとは、思われないからであります。そしてこの世においてはしばしば徳よりも悖徳にいっそう大きな報酬が供せられるのでありますから、もし神を畏れず、また来世を期待しないならば、利よりも正を好む者は少数であるでありましょう。もとより、神の存在の信ずべきことは、聖書に教えられているところでありますから、まったく真でありますし、また逆に聖書の信ずべきことは、これを神から授けられたのでありますから、まったく真であります。まことに信仰は神の賜物でありまするゆえに、余のことがらを信ぜしめんがために聖寵を垂れたまうその神はまた、神の存在したまうことをば我々をして信ぜしめんがために聖寵を垂れ得たまうからであります。とはいえ、これはしかし、信仰なき人々に対しましては、彼等はこれを循環論であると判断いたすでありましょうから、持ち出すことができませぬ。そして実に私は、単に諸賢一同並びに他の神学者たちが神の存在は自然的理性によって証明せられ得ると確信いたされるということのみではなく、また聖書からも、神の認識は、被造物について我々が有する多くの認識よりもさらに容易であり、まったくその認識を有しない人々は咎むべきであるほど容易であることが推論せられるということに、気づきました。これはすなわちソロモンの智慧第十三章の言葉から明かでありまして、そこには、またそのゆえをもって彼等は宥すべからざらなり、けだし彼等もしこの世のものを賞で得るほど知り得たりとせば、いかにしてその主なる神をさらに容易に見出さざりしぞ、とあるのであります。またロマ書第一章には、彼等、弁解することを得ず、と言われております。そしてまた同じ箇所にある、神に就きて知られたる事柄は彼等において顕わなり、という言葉によりまして、神について知られ得る一切のことがらは、他の処においてではなく我々の精神そのものにおいて求めらるべき根拠によって、明白にし得るということが告げられていると思われるのであります。しからば、いかにして然るか、いかなる道によって神はこの世のものよりもさらに容易にさらに確実に認識せられるかを探究いたしますことは、私に無関係なことではないと考えた次第であります。
 また霊魂に関しましては、多くの人々はその本性は容易に究明せられ得ないと判断いたしており、そして或る者は人間的な根拠からは霊魂が肉体と同時に滅びると説得せられるのほかなく、ひとり信仰によってのみその反対が理解せられるとすら敢えて申しておりますとはいえ、しかしレオ十世の下に開かれましたラテラン公会議は、第八会同におきまして、彼等を非とし、そしてキリスト教哲学者たちにかの人々の論拠を破り、全力を挙げて真理を証明するように命ずるのでありますから、私もまたこれを企てることを恐れなかった次第であります。
 さらに私は、多数の不信者が神の存したまうこと、人間の精神が身体から区別せられることを信じようと欲しない原因はまさに、この二つのことがらは従来何人によっても論証せられ得なかったと我らが申しますところに存することを知っておりますゆえに、もちろん私は決して彼等に同意するものではなく、反対にこれらの問題に対して偉大なる人々によって持ち出されましたほとんどすべての根拠は、十分に理解せられます場合には、論証の力を有すると考えておりますし、従って私は前に他の何人かによって発見せられなかったような根拠はほとんど何も与え得ないと信じておりますとはいえ、しかもひとたびそれらすべての根拠のうち最もすぐれたものを克明に考究し、そして厳密に明瞭に解明し、かくてすべての人々の前に今後これが論証であることを確かにいたしますならば、哲学においてこれにまさる有益なことは為し得ないと思慮いたすのであります。そして最後に、私がもろもろの学問におけるあらゆる難問を解決するための或る方法を完成いたしましたことを知っております或る者は―――もちろんこの方法は新しいものではありませぬ。と申しますのは、真理よりも古いものはないのでありますから。けれども彼等は私がそれをしばしば他のことがらにおいて使用して実のり多かったことを見ているのであります。―――この仕事が私によって為されることを切に請い求めましたゆえにかようにして私はこれについて若干試みることが私の義務であると考えた次第であります。
 さて私が為し遂げ得ましたほどのことはことごとくこの論文の中に含まれております。もっとも、かのことがらを証明すべきものとして持ち出され得るであろう様々の根拠のすべてをこの中に集録することに努力いたしたわけではありませぬ。と申しますのは、かかることは、何ら十分に確実な根拠を有しない場合にしか、労力に値しないと思われるからであります。かえって私はただ第一の、何よりも重要な諸根拠をば、今これらを極めて確実な、極めて明証的な諸論証として提出することを敢えて致し得るような仕方で、追求したのであります。なおまた私は、これらは、惟(おも)うに、人間の智能にとりましてはさらにすぐれた根拠を発見し得るいかなる道も開かれていないような性質のものであるということを、附け加えるでありましょう。すなわち、ことがらの緊要性と、これがことごとく関係するところの神の栄光とは、この場合私の習慣の常とするよりもいくらか無遠慮に私の仕事について語るように私を強要する次第であります。もっとも私は、私の根拠を確実で明証的なものと考えますにしても、それだからと申してすべての人の理解力に適合しているものとは信じませぬ。まことに幾何学におきましては、アルキメデス、アポロニオス、パッポス、あるいは他の人々によって多くのことが書かれておりますが、これはもちろん、それ自身として見られるならば認識するに極めて容易でないような何物も、またそれにおいて後続するものが先行するものと厳密に関聯しないような何物もまったく含まないゆえに、すべての人によって極めて明証的でまた確実なものと看做(みな)されておりますとはいうものの、しかしそれはどちらかといえば長く、そして非常に注意深い読者を要求いたしますから、まったく少数の者によってのほか理解せられないのであります。あたかもそのように、私がここに使用いたしますものは、確実性と明証性とにおきまして幾何学に関することがらと同等あるいはこれを凌駕しさえすると私は認めておりますとはいえ、しかし多くの人々によって十分に洞見せられ得ないであろうと恐れる次第であります。すなわち、一つにはこれらもどちらかといえば長く、そして一は他に依繋いたしているからであり、また一つには主として、先入観からまったく解放せられた、自己自身を感覚の連累から容易に引き離すところの精神を要求するからであります。そして確かに世の中には形而上学の研究に適する者は幾何学の研究に適する者よりも多く見出されないのであります。さらにまた次の点に差異が存しております。すなわち、幾何学におきましては、すべての人が、確実な論証を有しないいかなることがらも書かれない慣わしであると信じておりますゆえに、精通しない者は、真なる事柄を反駁することにおいてよりも、偽なることがらを、これを理解すると見せ掛けようと欲しまして、是認することにおいていっそうしばしば過ちを犯すのでありますが、これに反して哲学におきましては、双方の側において論争せられ得ないいかなることがらもないと信じられておりますゆえに、少数の者のみが真理を探索し、そして大多数の者は敢えて最もすぐれた説を攻撃することによって、智能ある者との名声を得ようと努めるのであります。
 かるがゆえに、私の根拠がいかなる性質のものでありましょうとも、ともかく哲学に属しているのでありますから、諸賢の庇護によって助けられるのでなければ、それらの根拠をもって労力に値する大きな効果を挙げ得ようとは、私は期待いたしませぬ。しかるに諸賢の学部につきましてはすべての人が深く尊敬の念を抱いており、またソルボンヌの名ははなはだ権威を有しており、かくて単に信仰に関することがらにおいて聖なる公会議に亜(つ)いで諸賢の団体ほど信頼せられているおよそいかなる団体も存しないのみでなく、また人文的な哲学におきましても、他のいずこにも[#「いずこにも」は底本では「いずこも」]さらに大きな明察と堅実性とが、また判断を下すにあたってさらに大きな健全性と叡智とが存しないと看做されているのであります。かるがゆえに、もし諸賢においてこの書物に対しまして、まず第一に、それが諸賢によって訂正せられますように、―――すなわち、単に私の人間的な弱さのみでなく、何よりもまた私の無知を想起いたしまして、この書物の中に何らの誤謬も存しないと私は確信いたしませぬ。―――次に、欠けていることがら、あるいは十分に完全でないことがら、あるいはさらに詳細な説明を要求することがらが、諸賢みずからによりまして、それとも、諸賢から告げられました後に、少くとも私によりまして、附け加えられ、完全にせられ、闡明せられますように、そして最後に、神の存したまうこと、また精神の身体とは別のものであることを証明するこの書物の中に含まれる根拠が、実にこれを極めて厳密な論証と看做さねばならぬほどまで、明瞭性に達せしめられました後に、―――私はそれがかかる明瞭性に達せしめられ得ると確信いたしております、―――諸賢がまさにこのことを言明し、公に証言して下さいますように、かように高配を賜りますならば、その場合には、これらの問題についておよそ存しましたすべての誤謬はまもなくもろもろの人間の精神から拭い去られるますことを、私は疑わないのであります。すなわち、真理そのものは容易に余の智能の士並びに博学の士が諸賢の判断に同意いたすようにするでありましょう。また権威は、智能の士とか博学の士とかであるよりもむしろ多くは一知半解の徒であるのを慣わしといたします無神論者が、反対する心を棄てるように、それのみかは、おそらくすべての学識ある人々によってそれが論証と看做されていることを彼等が知っているところの根拠を、理解せぬと思われたくないために、彼等みずから弁護するようにさえ、するでありましょう。そして最後に、その余のすべての者はかくも多くの証拠に容易に信をおくでありましょう。そしてもはや世の中には神の存在とか、人間の霊魂と肉体との実在的な区別とかを敢えて疑う者は誰もないでありましょう。そのことがいかほど有益であるかは、諸賢みずから、諸賢の並々ならぬ叡智において、すべての人のうちで最もよく評価せられることができる次第であります。つねにカトリック教会の最大の柱石であらせられた諸賢に、神と宗教とに関することがらをこれ以上の言葉を費してここに推薦いたしますことは、私にはふさわしくないでありましょう。
[#改丁]

     読者への序言

 神及び人間の精神に関する問題は、すでに少し前、フランス語で一六三七年に公にせられた『理性を

【大学 吉本隆明 :①~⑩】

2008-07-08 10:21:20 | ▲論壇
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高大連携情報誌「大学受験ニュース」東京工業大学

【大学 吉本隆明 :①~⑩】 の検索結果 約 121,000 件中 1 - 10 件目


吉本隆明は、大学進学を渋るばななさんに、「大学に行けば、そこが ...吉本隆明は、大学進学を渋るばななさんに、「大学に行けば、そこがどんなにくだらないところか分かる」と言って説得したといいますが、正確な台詞が知りたいです。この話の初出、ないし、伝聞の形式ではなく記されているものは何でしょうか? ...
q.hatena.ne.jp/1101123870 - 31k - キャッシュ - 関連ページ

吉本隆明をめぐるシンポジウム現在、明治学院大学国際学部教授。著書:『<在日>という根拠』(ちくま学芸文庫)、『陽水の快楽』(ちくま学芸文庫)、『意味とエロス』(ちくま学芸文庫)、『現代思想の冒険』(毎日新聞社)、『世界という背理-小林秀雄と吉本隆明』(講談社学術 ...
www.valdes.titech.ac.jp/sympo/s1.htm - 10k - キャッシュ - 関連ページ

ほぼ日刊イトイ新聞 - 2008年吉本隆明僕のきょうだいは、みんな 大学行ってないです。 みんな工業学校までです。 糸井, 吉本さんだけ幸か不幸か、大学に(笑)。 .... 吉本隆明さんと糸井重里の 「2008年について」の連載は これでおしまいです。 ご愛読ありがとうございました。 ...
www.1101.com/2008yoshimoto/2008-02-27.html - 12k - キャッシュ - 関連ページ

和光大学ホームページ|大学開放センター|オープン・カレッジぱいで ...吉本隆明の作品もそんな本の一つではないでしょうか。本講座では、『共同幻想論』を一章ずつ、ときほぐしながら読み進め、思想の ... 神奈川工科大学兼任講師。専門は、日本文学、文学・批評理論、思想文化。博士(学術)。ひろく思考の背後にあって思考 ...
www.wako.ac.jp/kaihou/koza08/detail.php?id=50 - 16k - キャッシュ - 関連ページ

茂木健一郎 クオリア日記: 吉本隆明さん2006年7月5日 ... 会場を出たところで、函館未来大学学長の中島秀之さんに会って、しばらく立ち話をする。 .... 世界的にも類い稀なる知性の巨人であられる吉本隆明さんとのお話…。(当然、よしもとばななさんのお父さんでもあられるのですが) ...
kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2006/07/post_dcc1.html - 31k - キャッシュ - 関連ページ

東京工業大学 世界文明センター:講座・催しへようこそビデオ講義とWeb公開・単行本化に先立って、その全貌を紹介し、吉本表現思想の意義を検討する。 ◆パネリスト:吉本隆明 特任教授(ビデオ出演) 瀬尾育生(詩人、首都大学東京教授) 田中理恵子(水無田気流)(詩人、世界文明センターフェロー) ...
www.cswc.jp/lecture/lecture.php?id=31 - 11k - キャッシュ - 関連ページ

吉本隆明 - フレッシュアイペディアだが、吉本は東京工業大学に進学した [1]。吉本は「死地に赴く同級生たちを裏切った」という罪悪感を感じたという [2]。 ... にうんざりしていた学生や知識人の拠り所となり、広く読まれ支持を受けた。1968年から『吉本隆明全著作集』が刊行されている。 ...
wkp.fresheye.com/wikipedia/吉本隆明 - 39k - キャッシュ - 関連ページ

日本工業大学 図書館-読書のすすめオンライン日本工業大学図書館. ... 本書は詩人・思想家である吉本隆明家の家族が熊本県天草から一族を挙げて上京し、大正13年4月に東京月島に移り住み、その年の12月に隆明が生まれた家での暮らしに始まり、戦時下の疎開をはさみ、幾たびかの引越しを重ね、 ...
nit-lib.cc-town.net/modules/book/booksingle.php?id=16 - 10k - キャッシュ - 関連ページ

吉本隆明鈔集i版1969年(「実朝論」1969.6.5と6.12筑摩書房主催筑摩総合大学公開講座での講演於新宿紀伊国屋ホール 「展望」1969.9月号筑摩書房に掲載 「敗北の構造」1972.12.15弓立社に収録 「語りの海 吉本隆明②古典とは何か」1995.4.18中公文庫に収録) 太宰における実朝と ...
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Wapedia - Wiki: 吉本隆明吉本 隆明(よしもと たかあき、男性、1924年11月25日 - )は、思想家、(詩人、文芸批評家) 「隆明」を音読みして「りゅう ... だが、吉本は東京工業大学に進学した[1] 。吉本は「死地に赴く同級生たちを裏切った」という罪悪感を感じたという [2] 。 ...
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【イタリア戦争:①~⑩】

2008-07-06 12:51:44 | ▲論壇
ポータルサイト 検索の達人 http://www.shirabemono.com/
高大連携情報誌「大学受験ニュース」
〈東大・早大・慶大・学生街・大学食堂・図書館・〉
調べもの新聞 (高校生新聞) 中村惇夫

【イタリア戦争:①~⑩】 の検索結果 約 216万 件中 1 - 10 件目

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イタリア戦争 - Wikipediaイタリア戦争(イタリアせんそう)は、16世紀に主にハプスブルク家(神聖ローマ帝国・スペイン)とヴァロワ家(フランス)がイタリアを巡って繰り広げた戦争である。戦争の期間は一般には1521年-1544年とされ、広く取って1494年-1559年とされることも ...
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イタリアの歴史 - Wikipedia16世紀初頭、主要な通商路が地中海から大西洋に移ってしまったことで、イタリアは経済危機に見舞われていた。さらにイタリアを舞台にしたイタリア戦争が頂点に達し、イタリアのほとんどの弱小国家はスペインなどの外国勢力に敗れた。 ...
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イタリア軍世界中で語り継がれているイタリア軍、その強さの秘密とは?
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イタリア戦争これが「イタリア戦争」 (1498~1559) の始まりである。この時はこれで終わったように思われたが、実はこれは長い長い戦いの序曲に過ぎなかった。 ... 「イタリア戦争」である。イタリアはその戦場となり、混乱と荒廃の中に叩き込まれるのである。 ...
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イタリア戦争なお、いわゆる「イタリア戦争」とはこの時から44年まで繰り返される皇帝カール5世(スペイン王カルロス1世)とフランス王フランソワ1世との戦争のことであるが、広い意味ではそれ以前のシャルル8世・ルイ12世が起こした戦争もこれに含むことも ...
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イタリア戦争 - 戦国史Wikiイタリア戦争. 作者:, 冬至楼均. 現バージョン:. 最終更新:. 動作環境:, SE◎ FE○ 旧×. シナリオデータ. 規模:, イタリア. 開始年月:, 1502年10月. 勢力数:, 43. 街数:, 195. 武将数:, 284 ...
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イタリア戦争イタリア戦争は,封建制国家を犠牲にした絶対制国家間の領土拡張競争といえる。脆弱な勢力均衡に依拠して繁栄を保っていたイタリア諸邦は,中央集権化を達成した絶対制国家の干渉の前に団結して抵抗することもなく,むしろ自国存続のために列強の権力に ...
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Category:イタリア戦争 - フレッシュアイペディアカテゴリ “イタリア戦争” にあるページ. このカテゴリには 34 のページがあります。 ... 2008年1月21日 06:22 GMT 版【Category:イタリア戦争】変更履歴 · フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 Text is available under GNU Free ...
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イタリア戦争これが、狭義においてのイタリア戦争である(広義では、1494年からのフランス・シャルル8世のイタリア侵略からをイタリア ... しかしこの第四次イタリア戦争でもフランソワ1世は敗退し、1544年のクレピーの和約でもって、カール5世の勝利が決定し、 ...
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タグ イタリア戦争とは - FC2ブログ(blog)「イタリア戦争」でブログ検索 · 「イタリア戦争」でマイサーチから検索 · 「イタリア戦争」でブックマークから検索 · Amazonから「イタリア戦争」検索. 「イタリア戦争」で検索:1件の記事の登録があります。 ...
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