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大学受験 古文読解 入試出典ベスト70

大学入試 【古文・漢文・現代文】

【ランキング①~⑩】⇒【論述・穴埋め問題】

芥川龍之介 『 兄貴のような心持――菊池寛氏の印象――

2008-07-26 16:42:01 | ▲文芸誌 
兄貴のような心持
――菊池寛氏の印象――
芥川龍之介



 自分は菊池寛と一しょにいて、気づまりを感じた事は一度もない。と同時に退屈した覚えも皆無である。菊池となら一日ぶら/\していても、飽きるような事はなかろうと思う。(尤も菊池は飽きるかも知れないが、)それと云うのは、菊池と一しょにいると、何時も兄貴と一しょにいるような心もちがする。こっちの善い所は勿論了解してくれるし、よしんば悪い所を出しても同情してくれそうな心もちがする。又実際、過去の記憶に照して見ても、そうでなかった事は一度もない。唯、この弟たるべき自分が、時々向うの好意にもたれかゝって、あるまじき勝手な熱を吹く事もあるが、それさえ自分に云わせると、兄貴らしい気がすればこそである。
 この兄貴らしい心もちは、勿論一部は菊池の学殖が然(しから)しめる所にも相違ない。彼のカルテュアは多方面で、しかもそれ/″\に理解が行き届いている。が、菊池が兄貴らしい心もちを起させるのは、主として彼の人間の出来上っている結果だろうと思う。ではその人間とはどんなものだと云うと、一口に説明する事は困難だが、苦労人と云う語の持っている一切の俗気を洗ってしまえば、正に菊池は立派な苦労人である。その証拠には自分の如く平生好んで悪辣な弁舌を弄する人間でも、菊池と或問題を論じ合うと、その議論に勝った時でさえ、どうもこっちの云い分に空疎な所があるような気がして、一向勝ち映えのある心もちになれない。ましてこっちが負けた時は、ものゝ分った伯父さんに重々御尤な意見をされたような、甚憫然な心もちになる。いずれにしてもその原因は、思想なり感情なりの上で、自分よりも菊池の方が、余計苦労をしているからだろうと思う。だからもっと卑近な場合にしても、実生活上の問題を相談すると、誰よりも菊池がこっちの身になって、いろ/\考をまとめてくれる。このこっちの身になると云う事が、我々――殊に自分には真似が出来ない。いや、実を云うと、自分の問題でもこっちの身になって考えないと云う事を、内々自慢にしているような時さえある。現に今日まで度々自分は自分よりも自分の身になって、菊池に自分の問題を考えて貰った。それ程自分に兄貴らしい心もちを起させる人間は、今の所天下に菊池寛の外は一人もいない。
 まだ外に書きたい問題もあるが、菊池の芸術に関しては、帝国文学の正月号へ短い評論を書く筈だから、こゝではその方に譲って書かない事にした。序ながら菊池が新思潮の同人の中では最も善い父で且夫たる事をつけ加えて置く。





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底本:「大川の水・追憶・本所両国 現代日本のエッセイ」講談社文芸文庫、講談社
   1995(平成7)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「芥川龍之介全集 第一~九、一二巻」岩波書店
   1977(昭和52)年7、9~12月、1978(昭和53)年1~4、7月初版発行
入力:向井樹里
校正:門田裕志
2005年2月20日作成
青空文庫作成ファイル:

夢野久作能ぎらい/能好き/能という名前  4600字

2008-07-26 16:40:53 | ▲文芸誌 
能ぎらい/能好き/能という名前
夢野久作



   能ぎらい

 日本には「能ぎらい」と称する人が多い。否。多い処の騒ぎでなく、現在日本の大衆の百人中九十九人までは「能ぎらい」もしくは能に対して理解をもたない人々であるらしい。
 ところがこの能ぎらいの人々について考えてみると能の性質がよくわかる。
 目下日本で流行している音曲とか舞楽というものは随分沢山ある。上は宮中の雅楽から下は俗謡に到るまで数十百種に上るであろう。
 ところでその中でも芸術的価値の薄いものほどわかり易くて面白いので、又、そんなものほど余計に大衆的のファンを持っているのは余儀ない次第である。つまりその中に「解り易い」とか「面白い」とか「うまい」とか「奇抜だ」とか「眼新しい」とか言う分子が余計に含まれているからで、演者や、観衆、もしくは聴衆が余り芸術的に高潮せずとも、ストーリーの興味や、リズムの甘さ、舞台面の迫真性、もしくは装飾美等に十分に酔って行く事が出来るからである。
 然るに能はなかなかそうは行かない。第一流の名人が演じても、容易に共鳴出来ないので、坐り直して、深呼吸をして、臍下丹田に力を籠めて正視しても何処がいいのかわからない場合が多い。
「世の中に能ぐらい面白くないシン気臭い芸術はない。日増しのお経みたようなものを大勢で唸っている横で、鼻の詰まったようなイキンだ掛け声をしながら、間の抜けた拍子で鼓や太鼓をタタク。それに連れて煤けたお面を冠った、奇妙な着物を着た人間が、ノロマが蜘蛛の巣を取るような恰好でソロリソロリとホツキ歩くのだから、トテモ退屈で見ていられない。第一外題や筋がパッとしないし、文句の意味がチンプンカンプンでエタイがわからない。それを演ずるにも、泣くとか、笑うとか、怒るとかいう表情を顔に出さないでノホホンの仮面式に押し通すのだから、これ位たよりない芸術はない。二足か三足ソーッと歩いたばかりで何百里歩いた事になったり、相手もないのに切り結んだり、何万人もいるべき舞台面にタッタ二、三人しかいなかったりする。まるで芸術表現の詐欺取財だ。あんなものが高尚な芸術なら、水を飲んで酔っ払って、空気を喰って満腹するのは最高尚な生活であろう。お能というのは、おおかた、ほかの芸術の一番面白くない処や辛気臭い処、又は無器用な処や乙に気取った内容の空虚な処ばかりを取り集めて高尚がった芸術で、それを又ほかの芸術に向かない奴が、寄ってたかって珍重するのだろう……」
 と言うような諸点がお能嫌いの人々の、お能に対する批難の要点らしく思われる。
 更に今一歩進んで、
「能というものは要するに封建時代の芸術の名残りである。謡いも、舞いも、囃子も、すべてが伝統的の型を大切に繰り返すだけで、進歩も発達もない空虚なものである。手早く言えば一種の骨董芸術で、現代人に呼びかける処は一つもない。世紀から世紀へ流動転変して行く芸術の生命とは無論没交渉なものである」
 なぞと言うのはまだ多少お能の存在価値を認める人々の言葉である。
「仮面を冠って舞うなんて芸術の原始時代の名残りだ。その証拠に能楽の歌や節や、囃子の間拍子や、舞いの表現方法までも幼稚で、西洋のソレとは比較にならない程不合理である。あんな芸術が盛んになるのは太平の余慶で、寧ろ亡国の前兆である」
 と言うに到っては、正に致命的の酷評と言っていいであろう。


   能好き

 ところがそんな能ぎらいの人々の中の百人に一人か、千人に一人かが、どうかした因縁で、少しばかりの舞いか、謡いか、囃子かを習ったとする。そうすると不思議な現象が起る。
 その人は今まで攻撃していた「能楽」の面白くない処が何とも言えず面白くなる。よくてたまらず、有難くてたまらないようになる。あの単調な謡いの節の一つ一つに言い知れぬ芸術的の魅力を含んでいる事がわかる。あのノロノロした張り合いのないように見えた舞いの手ぶりが非常な変化のスピードを持ち、深長な表現作用をあらわすものであると同時に、心の奥底にある表現欲をたまらなくそそる作用を持っている事が理解されて来る。どうしてこのよさが解らないだろうと思いながら、誰にでも謡って聞かせたくなる。処構わず舞って見せたくなる。万障繰り合わせて能を見に行きたくなる。
 今まで見た実例によると、能ぎらいの度が強ければ強いほど、能好きになってからの熱度も高いようで、その変化の烈しさは実例を見なければトテモ信ぜられない。実に澄ましたものである。
 しかし、そんな能好きの人々に何故そんなに「能」が有難いのか、「謡曲」が愉快なのかと訊いてみても、満足な返事の出来る人はあまりないようである。
「上品だからいい」「稽古に費用がかからないからいい」「不器用な者でも不器用なままやれるからいい」なぞといろいろな理屈がつけられている。又、実際そうには相違ないのである。しかし、それはホンの外面的の理由で「能のどこがいい」とか「謡いの芸術的生命と、自分の表現欲との間にコンナ霊的の共鳴がある」とか言うような根本的の説明には触れていない。要するに、
「能というものは、何だか解らないが、幻妙不可思議な芸術である。そのヨサをしみじみ感じながら、そのヨサの正体がわからない。襟を正して、夢中になって、涙ぐましい程ゾクゾクと共鳴して観ておりながら、何故そんな気持になるのか説明出来ない芸術である」
 というのが衆口の一致する処らしい。
 正直の処、筆者もこの衆口に一致してしまいたいので、これ以上に能のヨサの説明は出来ない事を自身にハッキリと自覚している。又、真実の処、能のヨサの正体をこれ以上に説明すると、第二義、第三義以下のブチコワシ的説明に堕するので、能のヨサを第一義的に自覚するには「日本人が、自分自身で、舞いか、囃子をやって見るのが一番捷径」と固く信じている者である。
 これは、この記事の読者を侮辱する意味に取られると困るが決してそうでない。以下陳ぶる処の第二義以下の説明を読み終られたならば、筆者の真意の存する処を諒とせらるるであろう。


   能という名前

「能」を説明しようとする劈頭第一に「能」という言葉の註釈からして行き詰まらねばならぬ。「能」という言葉自身は支那語の発音で、才能、天性、効力、作用、内的潜在力、など言ういろいろな意味が含まれているようである。しかしそんなものの美的表現と註釈しても、あまりに抽象的な、漠然たる感じで、あの松の絵を背景とした舞台面で行われる「お能」の感じとピッタリしない。「仮面と装束を中心生命とする綜合芸術」と註釈しても、何だか外国語を直訳したようで、日本の檜舞台で行われる、実物のお能の感じがない。とは言え「能」は事実上そんな物には違いないのであるが、言わば、そんなものを煎じ詰めて、ランビキにかけた精髄で、火を点(つ)ければ痕跡も止めず燃えてしまうようなものである。その感じ、もしくはそのあらわれを「能」と名付けた……とでも言うよりほかに言いようがないであろう。
 別の方面から考えるとコンナ事も言える。人間の仕事もしくは動作は数限りない。歩く。走る。漕ぐ。押す。引く。馬に乗る。物を投げる。鉄鎚を振る。掴み合う。斬り合う。撃ち合う……なぞと無限に千差万別しているのであるが、そんな動作の一つ一つが繰り返し繰り返し洗練されて来ると、次第に能に近づいて来る。
 たとえば、剣術の名手と名手が、静かに一礼して、立ち上って、勝敗を決する迄の一挙一動は、その悉くが五分も隙のない、洗練された姿態美の変化である。極度に充実緊張した、しかも、極度に軽い精神と肉体の調和である。その静止している時には、無限のスピードを含んだ霊的の高潮度が感ぜられる。又は烈しく切り結んでいるうちに、底知れぬ霊的の冷静味がリズム化して流れている事を、客観的にアリアリと感ぜられる。……そうした決闘はそれ自身が「能」である。
 弓を弾く人は知っておられるであろう。弓を構えて、矢を打ち番えて、引き絞って、的に中(あた)った音を聞いてから、静かに息を抜くまでの刹那刹那に、言い知れぬ崇高な精神の緊張が、全身に均衡を取って、充実して、正しい、美しい、かつ無限の高速度をもった霊的リズムの裡に、変化し推移して行く事を、自分自身に感ずるであろう。能を演ずる者の気持よさはそこに根底を置いている。能の気品はそうした立脚点から生まれて来るのである。
 こうした「能」のあらわれは、格風を崩さぬ物の師匠の挙動、正しいコーチと場数を踏んだスポーツマンのフォームやスタイルの到るところにも発見される。……否、そんな特殊の人々のみに限らず、広く一般の人々にも、能的境界に入り、又は能的表現をする人々が多々あるので、そうした実例は十字街頭の到る処に発見される。
 千軍万馬を往来した将軍の風格、狂瀾怒涛に慣れた老船頭の態度等に現わるる、犯すべからざる姿態の均整と威厳は、見る人々に言い知れぬ美感と崇高感を与える。その他一芸一能に達した者、又は、或る単純な操作を繰り返す商人もしくは職人等のそうした動作の中には多少ともに能的分子を含んでいないものはない。
 筆者をして言わしむれば、人間の身体のこなしと心理状態の中から一切のイヤ味を抜いたものが「能」である。そのイヤ味は、或る事を繰り返し鍛練する事によって抜き得るので、前に掲げた各例は明らかにこれを裏書している。
 畢竟「能」は吾人の日常生活のエッセンスである。すべての生きた芸術、技術、修養の行き止まりである。洗練された生命の表現そのものである。そうして、その洗練された生命の表現によって、仮面と装束とを舞わせる舞台芸術を吾人は「能」と名付けて、鑑賞しているのである。
 右に就いて私の師匠である喜多六平太氏は、筆者にコンナ話をした事がある。
「熊(漢音ゆう)の一種で能(のう)という獣がいるそうです。この獣はソックリ熊の形でありながら、四ツの手足がない。だから能の字の下に列火がないのであるが、その癖に物の真似がトテモ上手で世界中で有りとあらゆるものの真似をすると言うのです。『能』というものは人間が形にあらわしてする物真似の無調法さや見っともなさを出来るだけ避けて、その心のキレイさと品よさで、すべてを現わそうとするもので、その能と言う獣の行き方と、おんなじ行き方だというので能と名付けたと言います。成る程、考えてみると手や足で動作の真似をしたり、眼や口の表情で感情をあらわしたり、背景で場面を見せたりするのは、技巧としては末の末ですからね」
「能」という名前の由来、もしくは「能」の神髄に関する説明で、これ位穿った要領を得た話はない。東洋哲学式に徹底していると思う。





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底本:「日本の名随筆87 能」作品社
   1990(平成2)年1月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月1日第3刷発行
底本の親本:「夢野久作全集 第七巻」三一書房
   1970(昭和45)年1月発行
入力:渡邉つよし
校正:門田裕志
2002年11月12日作成
青空文庫作成ファイル:

芥川龍之介   芥川龍之介歌集

2008-07-26 16:20:31 | ▲文芸誌 
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調べもの新聞編集室 中村惇夫


芥川龍之介歌集
芥川龍之介



目次
紫天鵞絨/桐/薔薇/客中恋/若人/砂上遅日


紫天鵞絨


やはらかく深紫の天鵞絨(ビロウド)をなづる心地か春の暮れゆく

いそいそと燕もまへりあたゝかく郵便馬車をぬらす春雨

ほの赤く岐阜提灯もともりけり「二つ巴」の春の夕ぐれ(明治座三月狂言)

戯奴(ジヨーカー)の紅き上衣に埃の香かすかにしみて春はくれにけり

なやましく春は暮れゆく踊り子の金紗の裾に春は暮れゆく

春漏の水のひゞきかあるはまた舞姫のうつとほき鼓か(京都旅情)

片恋のわが世さみしくヒヤシンスうすむらさきににほひそめけり

恋すればうら若ければかばかりに薔薇(さうび)の香にもなみだするらむ

麦畑の萌黄天鵞絨芥子(けし)の花五月の空にそよ風のふく

五月来ぬわすれな草もわが恋も今しほのかににほひづるらむ

刈麦のにほひに雲もうす黄なる野薔薇のかげの夏の日の恋

うかれ女のうすき恋よりかきつばたうす紫に匂ひそめけむ


[#改ページ]



桐 (To Signorina Y. Y.)


君をみていくとせかへしかくてまた桐の花さく日とはなりける

君とふとかよひなれにしあけくれをいくたびふみし落椿ぞも

広重のふるき版画のてざはりもわすれがたかり君とみればか

いつとなくいとけなき日のかなしみをわれにおしへし桐の花はも

病室のまどにかひたる紅き鳥しきりになきて君おもはする

夕さればあたごホテルも灯ともしぬわがかなしみをめざまさむとて

草いろの帷(とばり)のかげに灯ともしてなみだする子よ何をおもへる

くすり香もつめたくしむは病室の窓にさきたる芙藍(サフラン)の花

青チヨオク ADIEU と壁にかきすてゝ出でゆきし子のゆくゑしらずも

その日さりて消息もなくなりにたる風騒(ふうそう)の子をとがめたまひそ

いととほき花桐の香のそことなくおとづれくるをいかにせましや


(四・九・一四)


[#改ページ]



薔薇


すがれたる薔薇(さうび)をまきておくるこそふさはしからむ恋の逮夜は

香料をふりそゝぎたるふし床より恋の柩にしくものはなし

にほひよき絹の小枕(クツサン)薔薇色の羽ねぶとんもてきづかれし墓

夜あくれば行路の人となりぬべきわれらぞさはな泣きそ女よ

其夜より娼婦の如くなまめける人となりしをいとふのみかは

わが足に膏(あぶら)そゝがむ人もがなそを黒髪にぬぐふ子もがな(寺院にて三首)

ほのぐらきわがたましひの黄昏をかすかにともる黄蝋もあり

うなだれて白夜の市をあゆむ時聖金曜の鐘のなる時

ほのかなる麝香(じやかう)の風のわれにふく紅燈集の中の国より

かりそめの涙なれどもよりそひて泣けばぞ恋のごとくかなしき

うす黄なる寝台の幕のものうくもゆらげるまゝに秋は来にけむ

薔薇よさはにほひな出でそあかつきの薄らあかりに泣く女あり


(九・六・一四)


[#改ページ]



客中恋


初夏の都大路の夕あかりふたゝび君とゆくよしもがな

海は今青きをしばたゝき静に夜を待てるならじか

君が家の緋の房長き燈籠も今かほのかに灯しするらむ

都こそかゝる夕はしのばるれ愛宕ほてるも灯をやともすと

黒船のとほき灯にさへ若人は涙落しぬ恋の如くに

幾山河さすらふよりもかなしきは都大路をひとり行くこと

憂しや恋ろまんちつくの少年は日ねもすひとり涙流すも

かなしみは君がしめたる其宵の印度更紗(いんどさらさ)の帯よりや来し

二日月君が小指の爪よりもほのかにさすはあはれなるかな

何をかもさは歎くらむ旅人よ蜜柑畑の棚によりつゝ

ともしびも雨にぬれたる甃石(しきいし)も君送る夜はあはれふかゝり

ときすてし絽の夏帯の水あさぎなまめくまゝに夏や往にけむ


( )


[#改ページ]



若人 (旋頭歌)


うら若き都人こそかなしかりけれ。失ひし夢を求むと市(まち)を歩める。

橡(マロニエ)の花もひそかにさけるならじか。夢未多かりし日を思ひ出でよと。

たはれ女のうつゝ無げにも青みたる眼か。かはたれの空に生まるゝ二日の月か。

しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる。初恋のありとも見えぬ薄ら明りに。

さばかりにおもはゆげにもいらへ給ひそ。緋の房の長き団扇にかくれ給ひそ。

なつかしき人形町の二日月はも。若う人の涙を誘ふ二日月はも。

いとせめて泣くべく人を恋ひもこそすれ。黄蝋の涙おとすと燃ゆる如くに。

湯沸器(サモワル)の湯気もほのかにもの思ふらし。我友の西鶴めきし恋語りより。(Kに)

ほゝけたる花ふり落す大川楊(おほかはやなぎ)。水にしも恋やするらむ大川楊。

香油よりつめたき雨にひたもぬれつゝ。たそがれの銀座通をゆくは誰が子ぞ。

恋すてふ戯れすなる若き道化は。かりそめの涙おとすを常とするかも。

何時となく恋もものうくなりにけらしな。移り香の(憂しや)つめたくなりまさる如。


( )


[#改ページ]



砂上遅日


うつゝなきまひるのうみは砂のむた雲母(きらゝ)のごとくまばゆくもあるか

八百日ゆく遠の渚は銀泥(ぎんでい)の水ぬるませて日にかゞやくも

きらゝかにこゝだ身動(みぢろ)ぐいさゝ波砂に消(け)なむとするいさゝ波

いさゝ波生(あ)れも出でねと高天(たかあめ)ゆ光はちゞにふれり光は

光輪(くわうりん)は空にきはなしその空の下につどへる蜑(あま)少女はも

むらがれる海女(あま)らことごと恥なしと空はもだしてかゞやけるかも

うつそみの女人眠るとまかゞよふ巨海(こかい)は息をひそむらむかも

荘厳(しやうごん)の光の下にまどろめる女人の乳こそくろみたりしか

いさゝ波かゞよふきはみはろばろと弘法麦の葉は照りゆらぎ

きらゝ雲むかぶすきはみはろばろと弘法麦の葉は照りゆらぎ

雲の影おつるすなはちふかぶかと弘法麦は青みふすかも

雲の影さかるすなはちはろばろと弘法麦の葉は照りゆらぎ





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底本:「芥川龍之介全集 第一巻」岩波書店
   1995(平成7)年11月8日発行
入力:もりみつじゅんじ
校正:本木まゆみ
1999年7月18日公開
2004年2月9日修正
青空文庫作成ファイル:

文芸誌

2008-07-22 15:38:47 | ▲文芸誌 
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文芸誌


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最終更新 2006年11月19日 (日) 03:55。Wikipedia®

岡本綺堂 『停車場の少女――「近代異妖編」』7100字

2008-07-11 10:19:12 | ▲文芸誌 
停車場の少女
岡本綺堂



「こんなことを申上げますと、なんだか嘘らしいやうに思召(おぼしめ)すかも知れませんが、これはほんたうの事で、わたくしが現在出会つたのでございますから、どうか其(その)思召(おぼしめし)でお聴きください。」
 Mの奥さんはかういふ前置(まえおき)をして、次の話をはじめた。奥さんはもう三人の子持で、その話は奥さんがまだ女学校時代の若い頃の出来事ださうである。

 まつたくあの頃はまだ若うございました。今考へますと、よくあんなお転婆(てんば)が出来たものだと、自分ながら呆(あき)れかへるくらゐでございます。併(しか)し又かんがへて見ますと、今ではそんなお転婆も出来ず、又そんな元気もないのが、なんだか寂しいやうにも思はれます。そのお転婆の若い盛りに、あとにも先にも唯(た)つた一度、わたくしは不思議なことに出逢(であ)ひました。そればかりは今でも判(わか)りません。勿論(もちろん)、わたくし共のやうな頭の古いものには不思議のやうに思はれましても、今の若い方達には立派に解釈が付いていらつしやるかも知れません。したがつて「あり得(う)べからざる事」などといふ不思議な出来事ではないかも知れませんが、前にも申上げました通り、わたくし自身が現在立会(たちあ)つたのでございますから、嘘や作り話でないことだけは、確(たしか)にお受合ひ申します。
 日露戦争が済んでから間もない頃でございました。水沢さんの継子(つぎこ)さんが、金曜日の晩にわたくしの宅へおいでになりまして、明後日(あさって)の日曜日に湯河原(ゆがわら)へ行かないかと誘つて下すつたのでございます。継子さんの阿兄(おあにい)さんは陸軍中尉で、奉天(ほうてん)の戦ひで負傷して、しばらく野戦病院に這入(はい)つてゐたのですが、それから内地へ後送されて、矢(や)はりしばらく入院してゐましたが、それでも負傷はすつかり癒(なお)つて二月のはじめ頃から湯河原へ転地してゐるので、学校の試験休みのあひだに一度お見舞に行きたいと、継子さんはかね/″\云つてゐたのですが、いよ/\明後日の日曜日に、それを実行することになつて、ふだんから仲の好いわたくしを誘つて下すつたといふわけでございます。とても日帰りといふ訳には行きませんので、先方に二晩泊つて、火曜日の朝帰つて来るといふことでしたが、修学旅行以外には滅多(めった)に外泊したことの無いわたくしですから、兎(と)もかくも両親に相談した上で御返事をすることにして、その日は継子さんに別れました。
 それから両親に相談いたしますと、おまへが行きたければ行つても好いと、親達もこゝろよく承知してくれました。わたくしは例のお転婆(てんば)でございますから、大よろこびで直(すぐ)に行くことにきめまして、継子さんとも改めて打合せた上で、日曜日の午前の汽車で、新橋を発(た)ちました。御承知の通り、その頃はまだ東京駅はございませんでした。継子さんは熱海(あたみ)へも湯河原へも旅行した経験があるので、わたくしは唯(ただ)おとなしくお供をして行けば好いのでした。
 お供と云つて、別に謙遜の意味でも何でもございません。まつたく文字通りのお供に相違ないのでございます。と云ふのは、水沢継子さんの阿兄(おあにい)さん――継子さんもそう云つてゐますし、わたくし共も矢はりさう云つてゐましたけれど、実はほんたうの兄(あに)さんではない、継子さんとは従兄妹(いとこ)同士で、ゆく/\は結婚なさるといふ事をわたくしも予(かね)て知つてゐたのでございます。その阿兄さんのところへ尋ねて行く継子さんはどんなに楽(たのし)いことでせう。それに附いて行くわたくしは、どうしてもお供といふ形でございます。いえ、別に嫉妬(やきもち)を焼くわけではございませんが、正直のところ、まあそんな感じが無いでもありません。けれども、又一方にはふだんから仲の好い継子さんと一緒に、たとひ一日でも二日でも春の温泉場へ遊びに行くといふ事がわたくしを楽ませたに相違ありません。
 殊(こと)にその日は三月下旬の長閑(のどか)な日で、新橋を出ると、もうすぐに汽車の窓から春の海が広々とながめられます。わたくし共の若い心はなんとなく浮立つて来ました。国府津(こうづ)へ着くまでのあひだも、途中の山や川の景色がどんなに私(わたくし)どもの眼(め)や心を楽ませたか知れません。国府津から小田原、小田原から湯河原、そのあひだも二人は絶えず海や山に眼を奪はれてゐました。宿屋の男に案内されて、ふたりが馬車に乗つて宿に行き着きましたのは、もう午後四時に近い頃でした。
「やあ来ましたね。」
 継子さんの阿兄(おあにい)さんは嬉(うれ)しさうに私(わたくし)どもを迎へてくれました。阿兄さんは不二雄(ふじお)さんと仰(おっ)しやるのでございます。不二雄さんはもうすつかり癒(なお)つたと云つて、元気も大層よろしいやうで、来月中旬には帰京すると云ふことでした。
「どうです。わたしの帰るまで逗留して、一緒に東京へ帰りませんか。」などと、不二雄さんは笑つて云ひました。
 その晩は泊りまして、あくる日は不二雄さんの案内で近所を見物してあるきました。春の温泉場――そののびやかな気分を今更(いまさら)委(くわ)しく申し上げませんでも、どなたもよく御存じでございませう。わたくし共はその一日を愉快に暮しまして、あくる火曜日の朝、いよ/\こゝを発(た)つことになりました。その間にも色々のお話がございますが、余り長くなりますから申上げません。そこで今朝はいよ/\発つと云ふことになりまして、継子さんとわたくしとは早く起きて風呂場へまゐりますと、なんだか空が曇つてゐるやうで、廊下の硝子(がらす)窓から外を覗(のぞ)いてみますと、霧のやうな小雨が降つてゐるらしいのでございます。雨か靄(もや)か確(たしか)にはわかりませんが、中庭の大きい椿(つばき)も桜も一面の薄い紗(しゃ)に包まれてゐるやうにも見えました。
「雨でせうか。」
 二人は顔を見あはせました。いくら汽車の旅にしても、雨は嬉(うれ)しくありません。風呂に這入(はい)つてから継子さんは考へてゐました。
「ねえ、あなた。ほんたうに降つて来ると困りますね。あなたどうしても今日お帰りにならなければ不可(いけな)いんでせう。」
「えゝ火曜日には帰ると云つて来たんですから。」と、わたくしは云ひました。
「さうでせうね。」と、継子さんは矢はり考へてゐました。「けれども、降られるとまつたく困りますわねえ。」
 継子さんは頻(しき)りに雨を苦にしてゐるらしいのです。さうして、もし雨だつたらばもう一日逗留して行きたいやうなことを云ひ出しました。わたくしの邪推かも知れませんが、継子さんは雨を恐れるといふよりも、ほかに仔細(しさい)があるらしいのでございます。久振(ひさしぶ)りで不二雄さんの傍へ来て、唯(た)つた一日で帰るのはどうも名残惜(なごりおし)いやうな、物足らないやうな心持が、おそらく継子さんの胸の奥に忍んでゐるのであらうと察しられます。雨をかこつけに、もう一日か二日も逗留してゐたいといふ継子さんの心持は、わたくしにも大抵想像されないことはありません。邪推でなく、全くそれも無理のないことゝ私(わたくし)も思ひやりました。けれども、わたくしは何(ど)うしても帰らなければなりません、雨が降つても帰らなければなりません。で、その訳を云ひますと、継子さんはまだ考へてゐました。
「電報をかけても不可(いけ)ませんか。」
「ですけれども、三日の約束で出てまゐりましたのですから。」と、わたくしは飽(あく)までも帰ると云ひました。さうして、もし貴女(あなた)がお残(のこ)りになるならば、自分ひとりで帰つても可(い)いと云ひました。
「そりや不可(いけ)ませんわ。あなたが何(ど)うしてもお帰りになるならば、わたくしも無論御一緒に帰りますわ。」
 そんなことで二人は座敷へ帰りましたが、あさの御飯をたべてゐる中(うち)に、たうとう本降りになつてしまひました。
「もう一日遊んで行つたら可(い)いでせう。」と、不二雄さんも切(しき)りに勧めました。
 さうなると、継子さんはいよ/\帰りたくないやうな風に見えます。それを察してゐながら、意地悪く帰るといふのは余りに心無しのやうでしたけれど、その時のわたくしは何うしても約束の期限通りに帰らなければ両親に対して済まないやうに思ひましたので、雨のふる中をいよ/\帰ることにしました。継子さんも一緒に帰るといふのをわたくしは無理に断つて、自分だけが宿を出ました。
「でも、あなたを一人で帰しては済みませんわ。」と、継子さんは余ほど思案してゐるやうでしたが、結局わたくしの云ふ通りにすることになつて、ひどく気の毒さうな顔をしながら、幾たびかわたくしに云訳(いいわけ)をしてゐました。
 不二雄さんも、継子さんも、わたくしと同じ馬車に乗つて停車場まで送つて来てくれました。
「では、御免ください。」
「御機嫌よろしう。わたくしも天気になり次第に帰ります。」と、継子さんはなんだか謝(あやま)るやうな口吻(くちぶり)で、わたくしの顔色をうかゞひながら丁寧に挨拶(あいさつ)してゐました。
 わたくしは人車(じんしゃ)鉄道に乗つて小田原へ着きましたのは、午前十一時頃でしたらう。好い塩梅(あんばい)に途中から雲切れがして来まして、細(こまか)い雨の降つてゐる空の上から薄い日のひかりが時々に洩(も)れて来ました。陽気も急にあたゝかくなりました。小田原から電車で国府津に着きまして、そこの茶店(ちゃみせ)で小田原土産(みやげ)の梅干を買ひました。それは母から頼まれてゐたのでございます。
 十二時何分かの東京行列車を待合せるために、わたくしは狭い二等待合室に這入(はい)つて、テーブルの上に置いてある地方新聞の綴込(とじこ)みなどを見てゐるうちに、空はいよ/\明るくなりまして、春の日が一面にさし込んで来ました。日曜でも祭日でもないのに、けふは発車を待ちあはせてゐる人が大勢ありまして、狭い待合室は一杯になつてしまひました。わたくしはなんだか蒸暖(むしあった)かいやうな、頭がすこし重いやうな心持になりましたので、雨の晴れたのを幸ひに構外の空地(あきち)に出て、だん/\に青い姿をあらはしてゆく箱根の山々を眺めてゐました。
 そのうちに、もう改札口が明いたとみえまして、二等三等の人達がどや/\と押合つて出て行くやうですから、わたくしも引返(ひっかえ)して改札口の方へ行きますと、大勢の人たちが繋(つな)がつて押出されて行きます。わたくしもその人達の中にまじつて改札口へ近づいた時でございます。どこからとも無しにこんな声がきこえました。
「継子さんは死にました。」
 わたくしは悸然(ぎょっ)として振返りましたが、そこらに見識つたやうな顔は見出(みいだ)されませんでした。なにかの聞き違ひかと思つてゐますと、もう一度おなじやうな声がきこえました。しかもわたくしの耳のそばで囁(ささや)くやうに聞えました。
「継子さんは死にましたよ。」
 わたくしは又ぎよつとして振返ると、わたくしの左の方に列(なら)んでゐる十五六の娘――その顔容(かおだち)は今でもよく覚えてゐます。色の白い、細面(ほそおもて)の、左の眼(め)に白い曇りのあるやうな、しかし大体に眼鼻立(めはなだち)の整つた、どちらかといへば美しい方の容貌(ようぼう)の持主で、紡績飛白(ぼうせきがすり)のやうな綿衣(わたいれ)を着て紅いメレンスの帯を締めてゐました。――それが何だかわたくしの顔をぢつと見てゐるらしいのです。その娘がわたくしに声をかけたらしくも思はれるのです。
「継子さんが歿(なく)なつたのですか。」
 殆(ほとん)ど無意識に、わたくしは其(その)娘に訊(き)きかへしますと、娘は黙つて首肯(うなず)いたやうに見えました。そのうちに、あとから来る人に押されて、わたくしは改札口を通り抜けてしまひましたが、あまり不思議なので、もう一度その娘に訊き返さうと思つて見返りましたが、どこへ行つたか其姿が見えません。わたくしと列んでゐたのですから、相前後して改札口を出た筈(はず)ですが、そこらに其姿が見えないのでございます。引返(ひっかえ)して構内を覗(のぞ)きましたが、矢はりそれらしい人は見付からないので、わたくしは夢のやうな心持がして、しきりに其処(そこ)らを見廻しましたが、あとにも先にも其娘は見えませんでした。どうしたのでせう、どこへ消えてしまつたのでせう。わたくしは立停(たちどま)つてぼんやりと考へてゐました。
 第一に気にかゝるのは継子さんのことです。今別れて来たばかりの継子さんが死ぬなどといふ筈がありません。けれども、わたくしの耳には一度ならず、二度までも確(たしか)にさう聞えたのです。怪しい娘がわたくしに教へてくれたやうに思はれるのです。気の迷ひかも知れないと打消しながらも、わたくしは妙にそれが気にかゝつてならないので、いつまでも夢のやうな心持でそこに突つ立つてゐました。これから湯河原へ引返して見ようかとも思ひました。それもなんだか馬鹿(ばか)らしいやうにも思ひました。このまゝ真直(まっすぐ)に東京へ帰らうか、それとも湯河原へ引返さうかと、わたくしは色々にかんがへてゐましたが、どう考へてもそんなことの有様(ありよう)は無いやうに思はれました。お天気の好い真昼間(まっぴるま)、しかも停車場の混雑のなかで、怪しい娘が継子さんの死を知らせてくれる――そんなことのあるべき筈が無いと思はれましたので、わたくしは思ひ切つて東京へ帰ることに決めました。
 その中(うち)に東京行の列車が着きましたので、ほかの人達はみんな乗込みました。わたくしも乗らうとして又俄(にわか)に躊躇(ちゅうちょ)しました。まつすぐに東京へ帰ると決心してゐながら、いざ乗込むといふ場合になると、不思議に継子さんのことが甚(ひど)く不安になつて来ましたので、乗らうか乗るまいかと考へてゐるうちに、汽車はわたくしを置去(おきざ)りにして出て行つてしまひました。
 もう斯(こ)うなると次の列車を待つてはゐられません。わたくしは湯河原へ引返(ひっかえ)すことにして、再び小田原行の電車に乗りました。

 こゝまで話して来て、Mの奥さんは一息ついた。
「まあ、驚くぢやございませんか。それから湯河原へ引返しますと、継子さんはほんたうに死んでゐるのです。」
「死んでゐましたか。」と、聴く人々も眼(め)を瞠(みは)つた。
「わたくしが発(た)つた時分には勿論(もちろん)何事もなかつたのです。それからも別に変つた様子もなくつて、宿の女中にたのんで、雨のために既(も)う一日逗留するといふ電報を東京の家(うち)へ送つたさうです。さうして、食卓(ちゃぶだい)にむかつて手紙をかき始めたさうです。その手紙はわたくしに宛てたもので、自分だけが後に残つてわたくし一人を先へ帰した云訳(いいわけ)が長々と書いてありました。それを書いてゐるあひだに、不二雄さんはタオルを持つて一人で風呂場へ出て行つて、やがて帰つて来てみると、継子さんは食卓(ちゃぶだい)の上にうつ伏してゐるので、初めはなにか考へてゐるのかと思つたのですが、どうも様子が可怪(おかし)いので、声をかけても返事がない。揺つてみても正体がないので、それから大騒ぎになつたのですが、継子さんはもうそれぎり蘇生(いきかえ)らないのです。お医師(いしゃ)の診断によると、心臓麻痺(まひ)ださうで……。尤(もっと)も継子さんは前の年にも脚気(かっけ)になつた事がありますから、矢はりそれが原因になつたのかも知れません。なにしろ、わたくしも呆気(あっけ)に取られてしまひました。いえ、それよりも私(わたくし)をおどろかしたのは、国府津の停車場で出逢(であ)つた娘のことで、あれは一体何者でせう。不二雄さんは不意の出来事に顛倒(てんとう)してしまつて、なか/\私(わたくし)のあとを追ひかけさせる余裕はなかつたのです。宿からも使(つかい)などを出したことはないと云ひます。してみると、その娘の正体が判りません。どうしてわたくしに声をかけたのでせう。娘が教へてくれなかつたら、わたくしは何にも知らずに東京へ帰つてしまつたでせう。ねえ、さうでせう。」
「さうです、さうです。」と、人々はうなづいた。
「それがどうも判りません。不二雄さんも不思議さうに首をかしげてゐました。わたくしに宛てた継子さんの手紙は、もうすつかり書いてしまつて、状袋(じょうぶくろ)に入れたまゝで食卓(ちゃぶだい)の上に置いてありました。」





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底本:「日本幻想文学集成23 岡本綺堂」国書刊行会
   1993(平成5)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「綺堂読物集・三」春陽堂
   1926(大正15)年
初出:「講談倶楽部」
   1925(大正14)年5月
※ルビを新仮名遣いとする扱いは、底本通りにしました。
入力:林田清明
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月5日作成
青空文庫作成ファイル: