篠窪の四季写真

神奈川県大井町篠窪(しのくぼ)から見える冨士山は超きれいで感動します。
春夏秋冬それぞれ見所があります。 現代版頼朝?

篠窪(しのくぼ)の了全塚に眠る「二階堂政貞公」お墓を示す石碑を設置しますよ(2019/10/28)

2019-10-28 10:15:12 | 03_ウォーキング_さるく

 こんにちは

篠窪の歴史に詳しいi.i様が了全塚に設置しようと作成された石碑です。

了全山(りょうぜんさん)の山頂には「二階堂出羽守政貞」が眠っております。

了全塚と言います。 その由来を判り易く纏め、石碑に掘って下さいました。

だいぶ分かりやすくなりましたが、まだ、パット見では何か理解しにくいものです。

小屋の中にある多少いびつなまん丸の石は何なの?

・・・ (地頭6代目)二階堂出羽守政貞没のお墓で応永元年(1394年)に没した卵の形をしたお墓です。

 

室町時代で625年も前に建てられたお墓です。

自分が開基した臨済宗地福禅寺のお墓には入らず、すぐ側の山の山頂に葬ってもらっています。

山の下には「入方の道祖神」がありますが、これは江戸時代に建てられたもので約350年前のものです。

わずか350年前の道祖神でさえ時が過ぎると表面はつるつるとなり何が掘られているか判らなくなります。

二階堂出羽守政貞は世の中は色即是空の世界

どんな立派なお墓を建てても、時とともに無になる。

丸い石ころで十分だと悟りを開いていたのかも知れません。

丸い石ころで何も書かれていなくとも篠窪の人たちは625年たった今でも二階堂出羽守政貞公を大事にしています。

 

ところで、今回の台風の影響で了全山の登り口の道がくずれてしまいました。

地権者の土地であり、勝手には作業が出来ず、まだ手つかずの状態です。

とっくに設置していたはずですが、300キロを超すであろう石碑を抱えて運搬用のユンボは 当面、登れそうにありません。

皆、年とってきましたので、明日の作業(命)は保障できません。

このため、i.i様に許可を貰い、先行して作成した石碑を公開致します。

・・・無事に山頂で見れましたら、皆元気だったと喜んで頂けたら幸いです。

 

【設置したい了全塚と書いた石碑】

↑ 今回設置しようとした石碑   柿色はこんな景色を見ているかもとのコメントです

↑ これが二階堂出羽守政貞公のお墓 (卵塔です)  約625年も前に祭られています

↑ お墓の由来を書いた解説の石碑

 

↑ 了全塚の位置を示します

 

【了全塚】

 

 

↑ ここのどこかに設置されます

 

【見はらす景色が素敵】

↑ 富士山が見えます

 

 

↑ 大山(丹沢)が見えます

 

 

【NPO法人しのくぼが除草】  

↑ 桜の植樹とシカの被害除けのネット

 

 

 

 

 

 

↑ 地元のおばあちゃんが休憩にスイカなどの差し入れをして下さいます

 

 

 

 

 

 

↑ ひと山あり、とても広く草ボウボウなので一日では終わりません。

 

【素晴らしい遠景】

 

 

 

 

 

 

 

 

↑ お隣の山 タカンド(高田堂)より見る景色

↑ 彼岸花の奥の山が了全山

↑ 了全山をバックに記念写真。

 

 

↑ 隣にある地福禅寺 お墓の上から見る景色

↑ 篠窪大橋の側には 了全塚入口の石碑が建ちました。

 

【入方(いりかた)の道祖神】

↑ 入方(いりかた)の道祖神 

  江戸時代に建てられたもので約350年前のもの

↑ 350年でも字が消えかかって読めません 

 

【地福禅寺の墓石】

↑ 地福禅寺 こんな立派な開基した臨済宗地福禅寺のお墓には入らずいます

↑ こんな立派な墓石があっても存続できず、やがて無縁仏になってしまったようです。

  地福禅寺で供養してくれています

↑ ものすごく沢山の無縁仏が祭られています。

 

 

 

 

↑ 雨の力、太陽の力とは凄いですね。 まさに色即是空の世界

 

【石碑の作成前後】

↑ 切り出した元の石

↑ 心をこめて掘り上げた石

  ・・・・・自然には勝てません。 せっかく掘り上げたのに台風で道が壊れて運べません。

 

【(余談)次回作品用の大きな真鶴石】

 

↑ どんな作品が出来上がるか楽しみです

  人の背丈ほどもあります。 これも真鶴石です。

 

【その他】

   時間が許せば「NPO法人しのくぼ」のホームページも見てくださいね。

   http://nposhinokubo.web.fc2.com/


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