篠窪の四季写真

神奈川県大井町篠窪(しのくぼ)から見える冨士山は超きれいで感動します。
春夏秋冬それぞれ見所があります。 現代版頼朝?

篠窪(しのくぼ)の了全塚に眠る「二階堂政貞」の子孫はなんと「幕末の三舟」の一人「高橋泥舟」です(2019/3/24)

2019-03-24 16:52:07 | 03_ウォーキング_さるく

 こんにちは
篠窪の歴史に詳しいi.i様からの情報提供です。
元新聞記者でアマゾンの森林破壊などを現地まで出かけ写真撮影して雑誌など出版されている方です。
すごく博識で、今住まわれている篠窪の歴史についても色々調査し教えて下さいます。

了全山(りょうぜんさん)の山頂には「二階堂出羽守政貞」 が眠っております。
山頂を表す三角点のマークより、更に1.5メートル程の高さに塚が作られています。
その上には祠(ほこら)があり、祠の中にはあまり見られない卵の様なお墓があります。
質素そのもので、墓石(石塔)である卵塔には何も書かれていません。
・・・・子孫の心の中で生き続けています。
    毎年、命日の4月11日の前日には供養の念仏が唱えられています。

江戸幕府が終わるころ「幕末の三舟」と呼ばれる、有能な幕臣がおります。
勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟の3名です。

なんと「高橋泥舟」が了全さんである「二階堂出羽守政貞」の末裔であることが判明しました。

【判明までの経緯】
i.i様が山岡鉄舟の詠んだ歌に惹かれてしましました。

山岡鉄舟の名句
「晴れてよし 曇りてもよし富士の山 もとの姿は変わらざりけり」

素晴らしい歌に惹かれて、山岡鉄舟を調べていたら、「江戸無血開城」と言う新本が発行されておりました
岩下 哲典(いわした てつのり)東洋大学文学部史学科・大学院文学研究科史学専攻教授であり専門は幕末維新史(情報活動史)の方です。
二階堂出羽守政貞の家系図まで調べられており、なんと「幕末の三舟」とうたわれた「高橋泥舟」は二階堂家の養子として迎え入れられたと述べてありました。
i.i様が精魂込めて了全塚の案内石碑を掘っていた矢先であり、素晴らしい情報に巡り合えるとは、何かの縁で結ばれていたのかもしれませんね。

どんな人だったかを感じ取る為に「高橋泥舟」「山岡鉄舟」が眠る東京谷中にあるお墓まで見に行かれています。

約600年の時を経て「二階堂出羽守政貞」と「高橋泥舟」は結ばれたことになります。
・・・死んだら終わりではなく、人生捨てたものではないですね。面白い。

高橋泥舟の名句
「欲深き人の心と降る雪は積もるるにつれ道を失う」

了全塚に祭られている「二階堂出羽守政貞」の卵塔を見ていると、「高橋泥舟」に出会えた不思議さを感じます。 


【了全山の山頂】

山頂へと続く道


了全塚の山頂には祠があり、「二階堂出羽守政貞」が祭られています


了全山は篠窪の守り神。 大事にされています


NPO法人しのくぼが定期的に草刈りを実施しています










高貴なお坊さんのお墓で良く見る卵の様な丸い卵塔のお墓です。
何も書かれていないのがまた、凄い



【案内の石碑を作る】
 石碑の文字は南足柄の書道家 中原茅秋様(なかはら ぼうしゅう)様の書です
 世界的に有名な方です。 石碑は遠くからでも目立ちます。

篠窪は色んな生きたままの状態で花たちが見れます








石碑の文字は南足柄の書道家 中原茅秋様(なかはら ぼうしゅう)様の書です。
これを下地にして石碑を掘られています。













立派な石碑で目立ちます




これで了全塚まで案内ができますね


細い道を進むと更に案内の石碑があります


地元の方たちが定期的に草を刈り、清掃して下さいます。


道の途中に2個目の案内石碑があります










草刈りしないと草ボウボウで初めての方は昇る勇気がでません。昇ろうとして引き返してきた方がおられました。


i.i様が緊急で暫定作業として、道の草刈りを実施されました






山頂に近付くとユリの花が出迎えてくれました




土が残って、草木に囲まれた環境が空気が美味しい理由かも


NPO篠窪の定期活動として、除草を実施してくれました。
ピカピカに変身してとても綺麗です。
















山頂はとても広いです。 ターザンロープで遊べるかも








植樹した桜も育ってきました


登り口もとても綺麗になりました




了全山は遠くから見ても卵の様に丸い山で綺麗です




こんな感じで山頂の了全塚へ向かいます。案内の石碑が目印です。

【了全山は美しい】

彼岸花の向こうに了全山が見えます
















【高橋泥舟のお墓】
  東京戸都谷中・大雄寺 ・・・上野動物園の近く



高橋泥舟のお墓の前でi.i様が記念写真を

【山岡鉄舟のお墓】
  東京都谷中・全生庵 ・・・日暮里、谷中霊園の近く







【山岡鉄舟の掛け軸】
  i.i様がお持ちの山岡鉄舟の名句
  石碑を作りたいと構想を練られていたネタをパチリ。

  達筆で読めません
  「晴れてよし 曇りてもよし富士の山 もとの姿は変わらざりけり」
  と書かれているのだそうです。
  無知な私には「富士の山の絵」だけが判ります。
  山岡鉄舟も高橋泥舟もとても達筆です。





【その他】
  時間が許せば「NPO法人しのくぼ」のホームページも見てくださいね。
  http://nposhinokubo.web.fc2.com/


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2 コメント

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Unknown (ぜり)
2019-10-21 01:54:34
初めまして。昨日渋沢から徒歩でお伺いさせていただきました。
篠窪の偉人で、大切にされていることがよくわかりました。新しい石碑でびっくりしましたが、本当につい最近建てられたのですね。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=2577223942358009&id=100002112858488
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来て頂き有難うございます (篠窪の四季写真)
2019-10-21 19:24:45
ぜり様

こんばんは
コメント有難うございます。
昔新聞記者をしており、「アマゾンの森林破壊」を現地まで調査に行き、写真を撮り、記事まで書かれた方がおられます。
もう現役は引退され、80才をとうに過ぎていますがとても元気な方です。

その方が、篠窪には昔の宝物が沢山に残されているのに、地元の方も説明できない世代交代の時期となっています。
大事にされなくなってきた事に心をいため、個人で真鶴石を購入され、ご自分で石にコツコツと掘って設置されております。

【了全塚の様子】
了全塚の石碑は卵塔で「落ちている丸い石」を置いている様な多少いびつな形をしています。
このため、何の石なの?、汚い小屋は何?、一番高い場所の下に山頂を示す三角点があるのは何故?
・・・・登られた方は疑問がいっぱいで帰られていました。
この為に設置された説明文です。 出来たてホヤホヤです。

【了全塚に更に追加予定】
了全塚には最終的にもう一つ石碑を設置される予定だそうです。
設置する石は、下記のブログ一番に最終ページに載せてあります。
NPO法人しのくぼ活動報告 了全山(りょうぜんさん)の除草作業 (2019/9/15(日)と2019/10/06(日))
https://blog.goo.ne.jp/shinokubo_picture/e/f81e0304598be41bc9638ba00082d1dc

【今後のお知らせ】
追加予定の石碑は、本当は既に設置されていた予定でしたが、了全山登り口の道が台風で土砂崩れし登れなくなってしまいました。
「ユンボ+300キロ超の石碑」を運ぶのは危険すぎるので、道を作りなおすまで保留となります。
最終的に設置されましたらまたブログで公開させて頂きますので、是非お越しくださいませ。
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