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岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド

自身の頭で考えず、何となく流れに沿って楽な方を選択すると、地獄を見ます

10 新宿プレリュード

2019年07月14日 12時18分00秒 | 新宿プレリュード

 

 

9 新宿プレリュード - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

12345678910うちの客の中で俺が一番嫌いな客が来た。ホモビデオを作っている社長だ。醜く太り、髪の毛はほとんど禿げ上がっている。アブノーマルな事を生業にしているせいか...

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 北野さんと約束の日がやってきた。
 いくらストイックに生きると決めても、やはり惚れた女には弱い。
 久しぶりの再開に、心をときめかせている自分がいた。今日ぐらいは贅沢をして、北野さんをもてなしたい。
 俺は顔の利く、新宿プリンスホテルのイタリアンレストランへ、連れて行く事にした。同じホテル業にいたのに、北野さんは少し緊張気味である。俺は陽気に笑い、場を盛り上げた。
 次々と出る料理。コース料理以外のものまで多数、サービスで出してくれた。俺は新宿プリンスホテルの従業員に感謝をしつつ、意識を北野さんのみに集中する。
「こんな素敵なお料理まで…。本当嬉しいです。神威さん、ありがとう」
「いやいや……」
「今日、何の日か知ってます?」
「いや?」
 北野さんは、恥ずかしそうにゆっくり口を開いた。
「私の誕生日なんです……」
「何でもっと早く言ってくれないの?」
「だって、神威さん……」
「何?」
「前もって言うと、またお金いっぱい使って、私にプレゼントとか買ってしまうかなと思って……」
 今のはかなり俺の心に突き刺さった。正直現在の給料はかなりいいほうである。大事な女の誕生日に十万、二十万の金ぐらい使っても全然惜しくない。
「そんな遠慮なんてしなくたって……」
「ううん…、いいんです。だって、こうやって逢ってくれたじゃないですか」
 今日はトレーニングを休んで良かった。心底思えた。
「そういえば、神威さん。以前よりも体が大きくなっていませんか?」
「嬉しいな。分かってくれた?」
「それは分かりますよ」
 楽しい会話の中、俺は現役復帰をする為、トレーニングを再開した事を詳しく説明した。
「体…、壊しちゃいますよ……」
 喜んでくれるはず…。そう思っていた。しかし、北野さんの表情は曇るばかりである。何故、俺がこれだけ頑張っているのに分かってくれないんだ。歯痒さを覚える。
「大丈夫。俺って、すごい強いから!」
「いくら強くても、もっと自分の体を大事にしないと……」
 苛立ちを感じ始めた。大変な思いをして実際にやっているのは、この俺なのだ。自分の体ぐらい自分が一番分かる。
「何で分かってくれない!」
「ご、ごめんなさい……」
 せっかくの楽しい彼女の誕生日も、俺の不機嫌そうなひと言で台無しになってしまう。
 ホテルを出て、一緒に街を歩く。北野さんの表情は暗かった。
「ねえ、またプリクラ撮るかい?」
 機嫌を直してほしく、無理をして言った。
「はい!」
 多少引きつってはいたが、彼女は喜んで笑いながら答える。
 また一緒に撮る際、抱き締めキスをすれば普通に戻るさ。俺はそう思い、彼女を抱き寄せる。
「……」
 視線を合わせようとしない北野さん。心なしか顔も背けているように思う。
「北野さん……」
 顔を近づける。
「い、嫌……」
 彼女は、俺の腕から抜け出し、一定の距離をとりだした。
「一体、どうしたんだ?」
「ごめんなさい…。今日は私、帰ります」
 慌てて彼女の腕をつかむ。
「おい、どうしたんだよ?」
「何だか今日の神威さんって怖い……」
 時間が一瞬、止まったような気がした。俺が怖い?
 俺の手を振りほどき、北野さんはその場から早足で去っていった。
「……」
 しばらく呆然とその場へ立ち尽くす俺。しばらくすると一緒に撮ったプリクラが出てくる。
 皮肉な事に北野さんが俺から嫌がって離れる瞬間をプリクラは捉えていた。


 もう特定の女もいらない。
 俺自身の為…、そして師匠の為…。ひいてはプロレス界の為……。
 それだけでいい。
 ちょうど一ヵ月後に、初の試みである過激な総合ルールの大会が、出場選手の募集をしていた。
『マウントポジション時でもグローブなし素手の打撃解禁』
 謳い文句はとにかく危険という事か…。通常危険である為、総合の試合はグローブを手につけて戦う。それをこの大会はグローブなし、体重無制限ときている。
 俺は親指を突き立ててジッと見た。
「こりゃあ、俺にちょうどいいルールだ……」
 そう呟き、その大会主催会社へ連絡を入れた。
「はい、トーナメントグラップル管理委員会です」
「まだ、選手の募集はしてるかい?」
「はい、しておりますが……」
「神威龍一ってもんだ。登録しといてくれや」
「あ、あの…、すいません」
「何だよ?」
「あなたの格闘歴や戦績などは?」
「そんなもんねーよ。しいて言えば喧嘩百段だな」
「あの~、申し訳ないのですが、素人の喧嘩大会とは訳が違いますので…、ガチャッ」
「あっ!」
 いきなり電話を切られた…。当たり前か…。仕方ない。今の俺はプロレス界とは関係ないが、出すしかない。
 俺は再度、主催会社へ電話を掛けた。
「おい、何を切ってんだよ?」
「すみませんが、当委員会も忙しいので……」
「おいっ! ちょっと待てよ!」
「何でしょう?」
「もう関係ないから言いたくはなかったが……」
「ええ」
「絶対に公表しないと約束できるか?」
「何でしょう?」
「チョモランマ大場社長率いる某プロレス団体の練習生だった者だ。師は、今は亡きヘラクレス大地師匠…。だけど俺のこの行動は勝手に自分で決めたもの。向こうとは何の関係ないし、それについては公表もしてほしくない」
「ちょ、ちょっとお待ち下さい……」
 電話の向こうで、何やら数名で話し合っている声が聞こえた。
 俺は、電話を少し離した状態で、イライラしながら待った。
「お待たせしました…。連絡先をお教え下さい。神威さまの出場が決定致しました」
「ありがとう」
「それでプロレスは公表できないとなると、どこの所属で何の格闘ベースなのかを……」
「所属はもちろんフリー。で、参加している選手の中で、合気道の選手はいる?」
「え…、いませんね」
「じゃあ、合気道代表でいいよ」
 頭の中では、「思い切りレスラーの格好で出てやろう」と、そんな事ばかり考えていた。

 総合格闘技のトーナメント出場を自分の手でもぎ取った俺は、先輩の長谷部さんや原田さんに報告したくて仕方がなかった。
 長谷部さんの店へ行くと、まだ今日は来ていないらしい。そこで長谷部さんに大会出場が決まった事を話した。
「おい、龍一! 止めときなって」
「冗談じゃないですよ」
「おまえ、あの世界は龍一より強い化け物が、いっぱいいるんだぞ?」
「そんなの俺のほうが知ってますよ。化け物の中でずっと一緒にやっていましたからね」
「もっと考えろよ」
「考えた末の行動です。今日はもう帰ります……」
「龍一!」
「大丈夫っすよ。俺、強いから!」
 長谷部さんのところを出る。これ以上、話しても、拉致があかないのが分かったからだ。俺は原田さんの経営するバーへ向かう。
「お、珍しいな。龍一がこっちに来るなんて」
「原田さん、総合の大会の出場…。今日、決まりましたから」
「おまえな……」
 原田さんも、長谷部さんと意見は同じだった。
 俺がどれだけ努力をしてきたと思ってるんだ。ふざけやがって…。すべてを犠牲にして再度また、この体を作り上げたのだ。
 もっと、みんなが祝ってくれるかと思った分、ショックを受けた。
 まあいい…。リングに立てば、戦うのは俺一人なんだから……。
 口で分からないなら、実際に俺が戦うところを見せてやればいい。
 みんな、結局のところ、俺を軽く見ているんだ。非常にストレスが溜まる。俺は、それを吹き飛ばすかのようにトレーニングに没頭した。

 試合の日まであと二日。睡眠時間を削ってトレーニングに励む俺にとって、仕事中が唯一の休憩時間でもあった。奥の休憩室でタバコを吸っていると山羽が声を掛けてくる。
「神威さん、あの~……」
「何だ?」
「十四卓に座っている客…。どうやら中国人のようなんですけど……」
「誰だよ、入れたの」
「長野です。あいつ、話し声を聞くまで分からなかったようでして……」
 俺の店は、客層を限定していた。
 日本一の繁華街である歌舞伎町。
 そこで商売をするには、ある程度の取り決めが必要である。俺は、『外国人、組関係者、暴力団風に見える方はこちらの判断によりお断りします』といった貼り紙を店内に設置していた。
 ちょっとした事で、トラブルになりやすい街なのである。中にはワザと因縁をつけに来て、足代をもらおうと企むチンピラもいるぐらいだった。もちろん俺の店にも何度か因縁をつけに来る輩もいる。
 外国人とは中国人を主に意味していた。何故ならば普通にゲームをして十万単位で負けが込むと、ゴネだす客が多いからだ。以前俺の知り合いで胸を刺された人間がいた。小さなゲーム屋で、従業員はその知り合い一人だけ。客層はほぼ中国人。ひと晩で数十万負けた客がいて、帰る時に「金、たくさん入れた。全部返せ」と言われたそうだ。知り合いは「そんなの無理に決まってるでしょ」と言った瞬間、いきなりアイスピックを出され、胸元を突き刺されたのだ。「ほら、見て下さいよ、神威さん」とその知り合いは未だその傷跡を見せてくる。
 下手に従業員に注意行かせて、万が一怪我されても困るな。
「まあいい、俺が行くわ……」
 タバコを乱暴に消し、ホールに向かう。
 十四卓には横柄な態度で足を組む男が座り、ゲームをプレイしていた。
「すみませんが、お客さま。当店のご来店は初めてですよね?」
「だから何だよ?」
「申し訳ございませんが、当店は会員制となっておりますので、本日はすみやかにお引き取り願いませんか?」
 男の目つきが鋭くなる。しかし完全に俺を無視しながらゲームをしていた。
「お客さま……」
「おまえ、うるさい」
 話にならないので、俺は台の横にあるOUTボタンを押してクレジットをゼロにする。残りのクレジットが三千八百あったので、財布から五千円札を取り出し静かにテーブルの上に置いた。
「申し訳ないですが、こちらをお持ちになりお帰り下さい」
「オマエ…、歌舞伎町、何年いる?」
 さりげなく五千円札をしまいながら、静かなドスの利いた声で脅しているつもりの男。感情的な喋り口調は、日本人でない事を証明している。
「あちらの貼り紙が見えませんか? 当店、外人の方の入店はお断りしているのです」
「オマエ…、歌舞伎町、何年いる?」
 馬鹿の一つ覚えみたいに、同じ台詞を繰り返す男。
「申し訳ありませんが、ここに何年いようとあまり関係ありませんが……」
 いきなり男は立ち上がり、トイレへ向かった。入り口の近くで待っていると、男は不機嫌そうな表情のまま出てくる。
「おしぼり!」
 俺は、仕方なしにおしぼりを手渡した。
「……!」
 男は乱暴に手を拭いたあと、俺の顔目掛けおしぼりを投げつけてきた。反射的におしぼりをつかむ俺。全身から怒りが噴き出した。
 男は店の外へ出ようとしていたので、俺は追い駆け、背後から怒鳴りつける。
「おい、コラ。待てや!」
 階段を上がったところで男は足を止め、こちらを睨みつけてきた。
「オマエ…、歌舞伎町、何年いる?」
「うるせぇんだよ。そんなもん、関係ねえだろが!」
「オマエ…、歌舞伎町、何年いる?」
「さっきのあの態度は何だ? 俺の顔面目掛けて、おしぼりを投げつけやがったな?」
 一番街通りに面した店の入り口。俺とその男は、お互い睨み合いながら対峙した。
「……!」
 その時いつの間にか俺は、数名に囲まれていた。動揺を出さず、冷静に人数を数える。揉めた男を合わせ、全部で十名……。
「オマエ…、歌舞伎町、何年いる?」
 中国人らしき男は、いやらしい笑いを浮かべながらそう言った。

 物怖じしない振る舞い。
 片言の日本語。
 威圧的な台詞。
 気つけば集まっている統率力。
 チャイニーズマフィア……。
 本能的にそう感じた。
「オマエ…、歌舞伎町、何年いる?」
 仲間が増えたからなのか、余裕ぶった男の素振り。残りの九名はみんな、俺の一挙一動を見ている。
 男の横にいる若そうな顔をした男の右手に、キラリと鈍い光が見えた。
 こいつら、この人数で刃物まで……。
 全身にゾワッとした感覚を覚え、鳥肌が立つ。
 感情的になり、一人になったのは失敗だったか……。
 いや、この位置ならうちの監視カメラにギリギリ映っているはず。誰か気付いて、ケツ持ちに連絡してくれればいいが……。
 やめよう……。
 連絡したとして、ケツ持ちが駆けつけてくるのにどれだけ時間が掛かると思ってるんだ。そんな期待などしても意味がない。
「オマエ、歌舞伎町、何年いる?」
「関係ねえよ」
 相手の顔を凝視しながら静かに言った。こんな人数集めなきゃ何もできない奴に、何を俺は恐れているんだ?
 確かにこの人数に刃物を出され、一斉に襲われたら一溜まりもないだろう。
 道端でバッタリだったら、素直に謝っていたかもしれない。しかしここは俺の店なのだ。理不尽な物言いに何故、俺が引かねばならない?
 暴力で引くようなら、今までの俺のやってきた事など何の意味合いもない……。
 二日後に総合格闘技の試合。コンディションはいい。もしここで命を落とすようならそれまでの人生だったという事だ……。
 大丈夫。鳴戸に連れて行かれたヤクザの事務所の時だって、無事帰ってきたじゃないか。あと二日で試合なんだ。引くな。ここで引いたら意味がなくなる。
 しかし得たいの知れない連中にこう取り囲まれるのは正直怖かった。落ち着け。別に俺が悪い訳じゃない。
 俺はゆっくり息を吸い込み、腹を決めた。
 何か俺の身にあったとしても、必ず目の前にいるこの男だけはやってやる。素手で人間の体を壊すだけなら容易い事だ。
 何度も頭の中でシミュレーションをした。背後から一気に襲われたら、俺は終わりである。至るところを刺されるかもしれない。しかしそうなったら、目の前の男の首ぐらいはへし折ってやる……。
 全員に勝とうとしなくていい。
 この男だけやれれば、俺はそれでいい……。
 全神経を目の前の男だけに注ぎ、見据える。
「やるならやれよ…。ただし、おまえだけは絶対に逃がさねえ…。どんな事をしても、おまえだけは、首の骨をへし折ってやるよ……」
 ハッタリでも何でもない。心の底から出た言葉だった。
 ゆっくり一歩を前に踏み込む。
 その瞬間、空気が揺れたような気がした。
 目の前の男の表情に、少しばかりの動揺が見えた。
「行くぞ……」
 短くひと言だけ言葉を発し、男は仲間と一緒にその場を去った。
 しばらく俺は、その後ろ姿を睨みつける。姿が通りから見えなくなると、見えない糸がプツリと切れたようにその場でへたり込んだ。
 俺の気迫が相手にも通じたのだろう。
 全身、ドッと汗が噴き出した。一歩間違えば、命を落とすところだったのである。
 先ほどの俺の気迫。それは、七メートルぐらいある崖の切れ目に向かって、向こう岸に飛ぶような感覚と同じようなものだった。一か八か……。
 どっちにしても、俺のその気迫が相手よりも勝ったのである。
 今まで自分自身がやってきた事に対する、自分への想い。それがあったからこそ、捨て身の心境になれたのだ。そしてその境地へ導いてくれたのは、今は亡き、師匠なのである。
 生きている……。
 そう感じた瞬間、俺の体は大きく震えだした。

 大会当日……。
 緊張感はどこにもなかった。会場へ着き、受付へ向かう。
 その場で誓約書を書かされた。内容は、『試合中命を落とそうが、怪我をしようが大会本部に一切責任追及はしない』といったものである。
 命を掛けた試合…。少しだけワクワクしてきた。出場する選手の中で、裏稼業の人間など俺ぐらいだろう。
「では、選手控え室で準備して下さい」
 誓約書を書き終わり、控え室へ入る。中の様子を見て唖然とした。ほとんどの選手が、全部同じ控え室一つに詰め込まれていたのだから……。
 トーナメント表も酷いものであった。抽選など何もしていないのに、勝手に表の順番は決められている。もちろん俺は一回戦から…。インチキ臭いのは、主催側の運営ジムの選手のみ、すべてシード枠に振り分けられている。きな臭い何かを感じた。
 控え室も主催側運営ジム選手だけ、別の部屋を用意されている。俺と戦う選手ですら、同じ控え室の中なのだ。作為的な何かを感じた。それにしても総合の選手は小さいのが多い。プロレスの中じゃ小さかった俺が、大型選手になってしまうのだから。
 まあいい…。細かい事を考えてもしょうがない。俺と当たる相手をすべて倒していけばいいだけだ。
 試合が始まる。
 控え室を出る際、対戦相手が俺に声を掛けてきた。
「よろしくお願いします……」
「あ、どうも」
 こう礼儀正しくこられると、いささか調子が狂う。『打突』を使う覚悟。それをしたつもりが揺らぐ。
 仕方ない。相手がどうであれ、試合は試合。気持ちを切り替えて望むしかない。

「赤コーナーより、神威龍一選手入場」
 大地師匠、見ていますか? 俺、またこうしてリングの上に戻ってきましたよ。
 久しぶりの感覚…。いや、表舞台では初である。入場シーンはゆっくりと歩きながら、場内を見渡した。リングの上では先ほどの相手がじれったそうに待っている。
 不適な笑みを見せるよう、堂々と優雅に歩く。
 観客席には、見た事のある有名格闘家たちの姿も見えた。
 試合が始まると、相手はいきなりタックルで突っ込んできた。すぐ後方へステップバックし、上から覆いかぶさる。そのまま押しつぶした。
「……!」
 俺が上から体重を乗せているので、相手は身動きできない。あとは膝を延髄に落とすか、もしくは『打突』を横っ腹にぶち込めば終わる……。
「いいのか、こんな状態で……」
 打てば試合は終わる。それが分かっているのに、どこか非情になれない自分がいた。試合前の礼儀正しい挨拶を思い出す。恨みつらみのない相手に、本気の打撃を打ち込む事など俺にはできなかった。それにこんな短い時間で試合を終わりにさせて、どこが面白いのだろうか。
 ナイフをグッと押し込めば、人間誰でも刺さるというのは理解できる。しかしいつでも刺せる状態だからといって、ナイフをそのまま突き刺す訳にはいかない。
 仕方なしに相手の横っ面を上から殴りつける。どうしても加減してしまう自分がいた。
 それでも数発殴ると相手は顔も腫れ、血も滴り落ちる。これ以上、打撃を打つのはつらい。俺は胴へ両腕で抱え込むと、持ち上げようとした。プロレスで言うパワーボムの体勢に持ち込む。
 反射的に俺の両足首へ捕まる相手選手。そうまでして投げられたくないのか、こいつは……。
 アマチュアの試合ならそれでいいが、回りには金を払って見に来てくれる観客がいるのだ。こんな事をして楽しいのか? 俺はパワーボムを諦め、ピシャンと頭を上から叩いた。
「ほら、立って来いよ」
 一気に観客の歓声が沸く。俺がやりたかったのは、こんな試合じゃない。骨身をもっと削るような感覚の中でやってみたかったのだ。
 警戒しながら、パンチを放つ相手。俺は避けず、あえて顔面に攻撃を食らった。痛みは当然ある。しかし笑いを浮かべながら、すぐ相手へ振り返った。
 その時、レフリーがいきなり俺らの間に割って入る。そして試合終了を要請する合図のジェスチャーをしていた。
 何をしているんだ、こいつは?
 レフリーは相手選手の右手をつかみ、そのまま上へあげた。ざわめく会場内。
「おい! 何だ、そりゃ?」
 ダウンした訳でも、ぐらついた訳でもない。何故こんな状況になるんだ?
「これ以上は危険です」
 静かな口調でレフリーは俺に言う。対戦相手も口と鼻から血を出した状態のまま、不思議そうな表情でキョトンとしていた。
「はぁ? 何が危険なんだ、オラ!」
 口の中のマウスピースを取り出し、レフリーの顔面へ投げつける。
「何だ、このクソみてえな大会は? 何が、何でもありだよ? 笑わせんな!」
 全身、怒りの炎が巻き起こり、俺は烈火の如く怒鳴った。
「おい、そこで偉そうに座ってる奴! まだ暴れ足りねえ、おまえが来い!」
 俺はリングサイドすぐそばに座る有名格闘家に向かって挑発した。しかしそいつは両腕を組んで俺をジッと見ているだけで、動こうともしない。
「けっ、腰抜けが……」
 命を懸けますという誓約書まで書かせてこのザマか……。
「プロレスのほうが全然エグいじゃねえかよ!」
 捨て台詞を残し、俺はリングから退場した。くだらない大会に出たものだ。何が過激だ。ふざけやがって……。
 場内の観客だけは、思わぬ展開を見てエキサイトしていた。

 控え室へ帰り、スーツに着替える。さっきの試合の途中で、右小指の爪が半分とれかけているのに気づく。
「この程度で出血しやがって……」
 体力をほとんど使わず不完全燃焼。一心に鍛えたのは何だったのだろうか。悲しくなってくる。
 人の気配を感じ、入り口を見る。主催側ジムの連中だろうか。十名ほどで入り口を固め、俺を見て睨んでいた。大会の進行を遅らせやがってと、お礼参りにきたのか。笑わせてくれる。
 ゆっくり着替えを済ませると、俺はバックを肩に担ぎ、堂々とそいつらの前へ向かう。人数いるせいか向こうの集団は余裕ぶった態度でいる。
「どけっ!」
 見上げながら真っ直ぐ歩くと、たじろぐ奴がいた。
「どけよ」
 俺はとれかけている小指の爪を口で噛み、そのまま派手に千切りとる。毟り取った自分の爪を血と一緒に連中へ向かって吐き出すと、入り口を塞ぐ者は誰一人いなかった。
「おまえら格闘技やめたら? やる前からビビって何の為の格闘技だよ」
 そう言い残し控え室を出ると、先ほどの対戦相手がセコンドの肩を借りて戻るところだった。
「ん?」
 俺が殴った時より、さらに顔は腫れ出血も酷くなっていた。
「おい、さっきまではそんなじゃなかったろ? どうしたんだ?」
 対戦相手だった選手のセコンドが代わりに話す。
「実はあなたとの試合のあと、トーナメントなのに十五分のインターバルで、すぐ試合やらされたんです。さすがに無理ですよ、そんな短い時間じゃ……」
 あれほど輝いて見えた格闘技の世界もこうなっちゃおしまいだ。俺はすっかり燃焼していた熱が醒めた。
 後日格闘技の雑誌を買ってみると、トーナメントと唄っているのに、トーナメント表はどこにも掲載されず、俺があのまま進めば次に当たるはずのシードの選手が優勝となっていた。しかも主催者サイドが運営するジムの選手である。もちろん俺の写真は一枚も掲載されていない。大方主催者側が金を使い、記事に規制を掛けたのだろう。あまりのくだらなさに俺は雑誌をその場で破り捨てた。
 自分で噛み千切った爪以外、傷一つない俺の姿を見て、店の連中はビックリしていた。
 もちろん先輩である長谷部さん、原田さんもである。
 予想外の結果だったが、怪我一つなく無事帰ってきた俺を見て、原田さんは驚きを隠せない様子である。
「龍一って本当に強かったんだな……」
「何をいまさら」
「悪かったよ、変な事を言ってさ」
「分かってくれりゃあ、いいんすよ」
 長谷部さんの店で、いつものように俺と原田さんは朝まで飲んだ。店のシャッターを閉め九時頃まで飲むと、今度は三人でファミリーレストランへ。朝から酒を注文しガンガン飲む俺たちを見て、ウエイトレスはビックリしていた。その後、市場の食堂へ。昼を過ぎた頃、さすがに俺ら三人はグデングデンになっていた。

 現役復帰を果たす為、あれだけやった。
 しかし、今話題になっている格闘技の舞台裏に渦巻く汚さを目の前にして、俺は急速に熱が醒めてしまった。それに本当に嫌いな人間でないと、手加減してしまうという自分の甘さに嫌気がさした。戦うという事に向いてないのかもしれない。これじゃあの世で大地師匠に会った時「まったくおまえは」と笑われそうだ。
 小学時代からの同級生である岩崎靖史の死によって始まった俺の歌舞伎町生活。未だ俺は彼の死の真相を何も分からずにいる。あの街で岩崎に関する情報は一度も聞いた事がない。
 ここまでを振り返ると、俺は歌舞伎町へ行き正解だったと言える。プロレスが駄目になり、自殺を考えていたあの頃。ホテルで必死に自分の居場所を作ろうとしていた不遇の時代。そんなつまらない事を考える暇など、あの街は与えてくれなかった。
 俺はこれからもいつまでになるか分からないが、歌舞伎町で生き続けるだろう。
 仕事をして休みの日は原田さんと一緒に長谷部さんの店で飲む。そんなぐうたら生活習慣は相変わらずである。しかしそのおかげで俺はどれだけ精神的に救われてきたか。二人には感謝してもしきれない。
 総合の試合から一年以上経過しても、北野さんからの連絡は一切ない。
 俺は前にも増して商売女をたくさん抱くようになった。そんな俺をとめる人間は誰一人いない。いや、唯一長谷部さんと原田さんが冗談を言いながらも、俺の身を案じるような発言はしてくれた。しかし母親に対する復讐でたくさんの女を抱いている訳ではない。
 しばらくして、長谷部さんから電話があった。いつも顔を合わせているが、先輩からの電話というのは滅多になく珍しいものだ。
「もしもし、長谷部さんですか」
「あ、龍一。あのさ……」
「ええ、どうしました?」
「原田さん、酒の飲み過ぎとかで入院しちゃったんだよ」
「えー、まあ、確かに原田さん、酒を少し飲み過ぎですよね……」
「まあね…。それでさ、一緒に見舞い行かないか?」
「もちろんですよ! あ、でも…、一昨日、うちの従業員が忙しさの余り二人飛びやがったんですよ。なので新しいの入れて育てるようなんで、二週間後ぐらいでもいいですかね?」
「二週間か…。まあ、そのぐらいは検査とかもあるから、まだ入院してるだろうな…。俺もいつも朝方まで仕事でしょ? なかなか行きたくても、難しいものがあったからなあ」
「似たような生活時間ですしね。俺も長谷部さんも、原田さんも……」
「みんな夜型って訳か」
「ええ、原田さん、今頃太陽の光が眩しいって、ベッドの上でウ~ンて唸ってますよ」
「ははは、そうかもな。じゃあ、龍一さ」
「はい」
「行けそうな時間作れたらさ、前もって連絡くれ」
「了解です」
 突然の原田さんの入院。確かにあの人は飲み過ぎだ。俺は休みの日ぐらいしか飲まないが、あの人はほぼ毎日水のように飲んでいる。体に掛かる負担が大きかったのだろう。
 以前俺が入院した時、長谷部さんと一緒に見舞いへきてくれた原田さん。できれば俺だって、すぐに行ってやりたかった。
 こんな時に限って従業員が何も言わず辞め、しかも店は忙しくなるものである。当然、俺は仕事に費やす時間が増える。因果応報とはよく言ったものだ。物事にはすべて原因と結果がある。
 忙しさを言い訳になかなか俺は、原田さんの見舞いへ行けないでいた。長谷部さんから誘いがまた来るだろう。そんな期待があったのかもしれない。
 そうこうする内に、原田さんは退院してしまったようだ。
 長谷部さんの店で顔を合わした時に侘びを入れたが、原田さんは豪快に笑い、「いいよ、そんな見舞いなんて、気にするなよ」と笑顔で言ってくれた。
 それでも俺と長谷部さんは交互に平謝りした。
「おまえらウザイ…。そんな女の見舞いならともかくよぉ、野郎の見舞いなんぞ、来たって嬉かねえって……」
 ざっくばらんな性格の原田さん。この日いつもと同じように朝まで飲み続ける。
 そして彼は退院した一週間後、急に亡くなった……。


―エピローグ―

 本日は原田さんの葬式だ。
 仕事を休んで、今、俺は葬儀場にいる。
 こんなんで仕事を休むぐらいなら、入院している時に行ってあげれば良かった。でも、後悔してもすでに遅い。思った事はすべて行動に移さないと、取り返しのつかない事だってある。今回がいい例だ。
「俺さ…。原田さんが退院して、うちに飲みに来た時さ……」
 俺の横で、長谷部さんは目を真っ赤にしながら、寂しそうに言った。
「まったく酒で入院したのに、これ以上は飲むのは駄目だって言ったんだ……」
「ええ」
「そしたら、そんな事抜かしたら二度と来ねえぞって……」
「……」
「だから、あんたみたいな懲りない人はいっぺん死ななきゃ直らないよって、言っちゃったんだ……」
「そうですか……」
「原田さんさ……」
「はい」
「退院したの…。医者に、さじ投げられていたからだったらしいんだ……」
「好きな酒を居心地の良かった長谷部さんのところで、好きなだけ飲めて…。絶対に幸せでしたよ、原田さん……」
 葬儀が始まり、棺に入れられた原田さんの顔を見る。ほんの何日かなのに、痩せ細っていた原田さんの顔。
「もっと…、もっとあんたは割腹良かったろうが……」
 長谷部さんはそう言うと、ずっと我慢していた涙を解放し、人目はばからず大泣きした。それが合図のように、会場全体ほとんどの人間が一斉に泣き出した。
 喧嘩を売っちゃいけないと言った馬鹿な同級生の台詞から始まった俺と原田さんの物語は今、ここで終わる。
 俺はしばらく原田さんの死に顔を見ていた。短い人生なのに安らかな寝顔。この人は楽しんで生きてきたのだ。
「……」
 ただ一緒に酒を飲み、酷い時は朝までずっと飲んだだけの間柄。飲み足りないとファミリーレストランへ朝から押し寄せ、昼過ぎまで飲んだ事もある。
 それだけの関係なのに、何でこんなにも俺は悲しいのだろう……。
 熊のような無精髭…。不思議と髭だけはまだ生きているように見えた。
「原田さん…、あんたのトレードマークだったもんな……」
 静かに話し掛けてみた。この人との物語を勝手に終わりにしちゃいけない。これからは俺が作ればいいのだ。
「俺さ、今まで髭生やした事ないけど…。原田さん、俺、あんたの髭…、勝手に受け継ぐよ……」
 その日から俺は、生まれて初めて髭を生やした。
 彼のような無精髭ではいられなかったので、現在でも勝手に継承した髭は形を変え、ずっと生やしている。
 酒飲み友達だった原田さん。この髭が、彼と俺の唯一の繋がりである……。
 俺は勝手に原田さんから受け継いだ髭を携え、今後も歌舞伎町で生きていくだけだ。

 原田さん、今まで本当にありがとう。安らかに眠って下さい。
 俺、あなたの事、絶対に忘れませんから。
 いつになるか分からないけど、いつか一緒にまた酒を飲みましょう。
 朝まで……。


―了―

2007年1月31日~2007年2月23日 19日間 350枚
2008年9月9日 ~2008年9月10日 2日間 390枚
2008年9月14日 402枚

 

 

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プレリュード
 前奏曲(ぜんそうきょく)は、プレリュード(英語:prelude、フランス語:prélude)、フォアシュピール(ドイツ語:Vorspiel、ただし古典派音楽以前に関しては通常Präludium[プレルーディウム]と言う)ともいい、(他の楽曲の・大規模な楽曲の)前に演奏する楽曲の意味である。普通、声楽を伴わない器楽曲である。類似する形態として序曲(オーヴァーチュア)やシンフォニアがある。

 なお、前奏とは、1つの楽曲の中で、声楽曲ならば声楽が始まるまでの器楽部分、器楽曲ならば主奏者(独奏者)が演奏を開始するまでの部分のことである。




2007/2/16
 久しぶりに気合いを入れた
 最後を書いている時、過去を思い出し、恥ずかしながらも、泣きながら執筆した
 この話は、すべて実話話になってしまった
 二十台半ばから、三十歳になった頃の自分を主人公にした作品である
 分かりやすく言うと、この中にある細かい格闘技とプロレスの話が「打突」である
 実話だけど、フィクションである「新宿クレッシェンド」の続編という感じになってしまった
 これは、クレッシェンドを執筆する際、いずれこの「魂の髭」みたいな内容の作品は書くのだろうと思っていたから、スムーズに自然に繋がったような気がする。
 本作品に出てくる原田という人物のバーは、いまだに知り合いの手によって、今でも経営されている
 この作品が、もし本になる事があれば、俺は野原さんのお店に届けたいなと思っている






2008年7月20日
 この作品はもう一度、一から書き直したいと思っている作品
『新宿クレッシェンド』シリーズ第三弾となる作品でもある

 主人公:神威龍一

 幻の第三弾『打突』の主人公でもあり、このあとの話が『新宿プレリュード』となる
 また構成を考え、一から頑張ろう




2008年9月10日
 今月9日より、プレリュードを一から書き始めた
 約一年九ヶ月前に完成させたこの作品。今見直すと未熟な点も多い
 新たな息吹を吹き込み、より魅力的な作品にしなければならない
 何故ならば、この作品が『新宿クレッシェンド』シリーズの本当のスタート作品であるからである

 扉絵も一新し、変えてみた

 


 とある某テレビ局の人から、ある賞へ出してみないかという誘いをもらい、急遽執筆中だった『新宿リタルダンド』を中止し、『新宿プレリュード』へ臨む事にした

 クレッシェンド → でっぱり → プレリュードという順番であるが、この作品がある意味私にとって本質的な作品だという事実は拒めない

 これを仕上げたら、フォルテッシモ、そしてリタルダンド……
 順序よく作品は作っていくように導かれたような気がした

PM8:00 原稿用紙390枚で『新宿プレリュード』完成

 久しぶりに頑張りました




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