岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

著書:新宿クレッシェンド
とりあえず過去執筆した作品、未完成も含めてここへ残しておく

6 新宿プレリュード

2019年07月14日 12時13分00秒 | 新宿プレリュード

 

 

5 新宿プレリュード - 岩上智一郎の作品部屋(小説・絵・漫画・料理等)

12345678910職場で、北野さんと顔を合わせるのは気まずい……。しかし、そんな心配など杞憂に過ぎなかった。翌日俺は喉の腫れが再発し、もがき苦しんでいた。昨...

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 特に送別会もなくホテルに別れを告げた俺は、新天地を探すべく動き始めた。
 新たな職場…。俺にはバー以外考えられない。
 とことんカクテルを追求する。それだけが光明が見えるような気がした。
 地元の知り合いのバーのマスターらが、うちに来ないかと誘ってくれたが、とりあえず自力でなんとかしたかったので、断らせてもらう。
 その間、保険の木村さんから連絡あり、病院で診断書を書いてもらったり、保険会社お抱えの医師と会う時間を設けさせられたりした。
 職なしで、給料が入ってこない状況下の中、診断書を作成してもらう為の手数料五千円など、手痛い出費が重なる。
 ホテルを辞め、二週間が過ぎた。まだ仕事は決まらないでいる。
 しかし、この程度でめげてはいられない。
 自分のバーテンダーとしての腕を追求したい。それには、まずどうすればいいのか。町のバーで働くのはいまいち気が乗らないでいる。
 考えろ…。他のホテルでは、あまり進歩がない。じゃあ、どうする……。
 悩んだ時は肉だ。とにかく肉を食べよう。
 まだ、昼間だったので、駅前の喫茶店へ向かう。
 別にラウンジやバーといった形式に、こだわらなくてもいいんじゃないか。
 例えば、繁華街……。
 新宿、渋谷、池袋……。
 そのような場所なら、深夜喫茶などいくらでもあるだろう。深夜喫茶なら、夜になれば、酒を出してもおかしくはない。そこで、俺がいるからカクテルも出せますよと売り込んでみる。うん、それなら不自然ではないはずだ。
 では、どうやって深夜喫茶で働く伝手を見つけるのか……。
 考えてみたが、すぐには思いつかなかった。
 まあいい、とりあえず飯を食おう。ミックスフライ定食を注文し、本棚にあったスポーツ新聞を手に取る。

 今は関係なくなってしまったが、プロレス自体への興味が薄れた訳ではない。
「……!」
 一面の表紙を見て、俺はビックリした。
『歌舞伎町の空に二千万円の札束が振る』
 また派手な見出しをつけたもんだ。本当なのか?
 興味を持って記事を読んでみた。
《慌しい正月の三箇日が過ぎた次の日の事だった。西武新宿駅前の道路を急いで渡ろうとした一人の若い男が車に跳ねられ死亡した。被害者の名前は岩崎靖史さん(二十三歳)。道路を横断する際、両手でダンボール箱を持ったままだったので、よそ見運転で突っ込んでくる車に気がつかなかったようだ。事故の状況を見ていた証人の証言によると、岩崎さんは数回クラクションを鳴らされたのに、そのまま道路へ飛び出したらしい。問題はダンボールの中身。推定二千万円もの一万円札が入っており、跳ねられた衝撃で札束が宙を舞った。野次馬たちの一部の人間が、その札束を少しでも多く拾おうと取っ組み合いの大騒動に発展する》
 岩崎靖史……。
 まさかあの岩崎じゃないよな?
 ただの同姓同名だろう。
「……」
 俺は死亡した岩崎の顔写真を見てビックリした。間違いなく俺の同級生だったあの岩崎だったのだ。
 まだ俺たち二十五歳だぞ。
 何でおまえ、そんな死に方をしたんだ?
 学生時代、そんなに仲が良かった訳じゃない。小学から一緒の同級生というだけ。久しぶりにバッタリ出会い、地元のスナックで酒を飲んだのが最後である。それなのに俺は何故、こんなにも悲しいのだろう。
 俺は何度も新聞を読み直した。あの岩崎が死んだ……。
 信じられない。その事実を受け止めるまで、俺は何度見直す。
 二千万円もの金をおまえはどうして持っているんだ? 不可解な岩崎の死。ただの事故じゃないような気がした。
 ホテルを辞め、方向性の定まらなかった俺。しかしこれで一つの方向性だけは決まった。
 歌舞伎町へ行ってみよう。何故か分からないが、そう背中を押されたような気がする。
 俺は喫茶店を出ると、駅の売店で同じ新聞を購入した。

 新宿歌舞伎町……。
 テレビや漫画でしか見た事のない街。電車で一時間ほどのところに住んでいながら、俺は一度も新宿へ行った事がなかった。
 悪党が渦巻いているイメージが強い街。俺はどの程度、通用するのだろうか。そう考えると、ワクワクしてくる。
 先ほど買った新聞を広げ、また岩崎死亡記事を読んだ。二千万円をばら撒きながら死んでいく。あいつ、どんな生活をあの街でしてきたというのだ? 何度も一万円冊が飛び交う写真を眺める。
 もうあいつと酒を飲む事は生涯ない。ありえない。こんな事になるなら、前に一度ぐらい俺から誘って酒を飲めばよかった。
 頭の中を整理してみる。まず働く場所は新宿歌舞伎町。これは決定。職種は深夜喫茶。ここならホテルの経験も活かせるだろうし、何より情報も色々とあるはず。岩崎が何故あのような不可解な死を遂げたのか知りたかった。
 そして見知らぬ地で、自分一人を試してみる。
 悪くない。昔から俺は、いつだってそうだったはずだ。
 しばらく岩崎の記事を見たあと、別の記事も読んでみた。
「ん?」
 新聞に載っている求人広告欄。そこには喫茶という文字の求人がたくさんあった。
「何々…、喫茶店の仕事で日給一万二千円? マジか?」
 どの求人も似たような給料を提示している。繁華街という土地柄で給料がいいのだろうか。これなら収入面でも安定する。俺は一つ一つ広告を見てみた。ほとんどの店が三行広告だ。内容は喫茶と日給と電話番号のみ。こんなんで人が来るのだろうか?
 家で考えていてもしょうがない。まずどこかの店に電話してみよう。すべてはそこからだ。
 俺は『ダークネス』という名前の店に電話をしてみる事にした。
 思ったより簡単に面接の日時が決まる。
 時間は明日の午後五時。場所は歌舞伎町コマ劇場裏手にあるアマンドという喫茶店の前で待ち合わせ。
 妙な違和感を覚えた。面接自体は問題ない。しかし何故、喫茶店へ面接行くのに、他の喫茶店の前で待ち合わせをせねばならないのだろう。
 まあ、それよりも新宿には行った事すらないのだ。無事その場所まで迷わず着けるかどうかが怪しい。明日は早めに到着するようにしておくか。
 履歴書に過去の経歴を書き出してみる。
「まずは高校を卒業して、自衛官…。約一年で辞めて、次は探偵…。その次は広告代理行と…。そのあとプロレスで…、お次がホテルと……」
 ブツブツと声に出して、過去の職業を思い出しながら、書き込んでいく。
 まだ俺は二十五歳…。高校を卒業して七年間で、これだけの職業を転職しているのか。面接で不利にならないだろうか? いや、なってもいい。同じ業種を転々となら分かるが、俺はあの厳しかったプロレスの世界にもいたのだ。それを理解してくれない経営者など、俺から断ってやる。
 自己PRを分析してみた。
 まず一に体力。次はバーテンダーとしてのスキルと接客術…。それに企画書を作成したり、張り込み尾行したりと…。いや、探偵の仕事はあまり使えないな。それと印刷、広告関係へのマニュアル全般。
 喫茶店で必要なもの。体力はそこまでいらないか。だとしたら、接客術がとにかく重要なポイントになるだろう。そこで慣れ自分をうまく売り込めれば、カクテルもといった感じにもっていけるはずだ。
 自分の腕を信じて頑張って、明日、新宿へ挑もう。
 この日、珍しく俺は早めに眠りについた。

 初めての新宿。西武新宿線西武新宿駅の目の前から広がる歌舞伎町。
 この道路で岩崎は車に跳ねられ亡くなったのか。しばしの間、俺は黙祷を捧げた。新聞の一面に載っていた一万円札が飛び交う写真を思い出す。そんな危ない目に遭っていたなら、何故ひと言俺に声を掛けてくれなかったんだ、岩崎。
 不夜城とか眠らない街とか言われてはいるが、実際どんなものだか……。
 何も新宿について知らないという部分が、好奇心を掻き立てる。街の中は派手で下品なネオンが、早くもチカチカとあちこちで点滅していた。道路もそこら中、ゴミでいっぱいの汚い街である。
 ここへ来た目的は二つ。一つは深夜喫茶で働く事。もう一つは岩崎が不可解な死の情報を得る事。
 コマ劇場という場所がいまいち分からないので、通行人に聞いてみた。
「あの~、コマ劇場ってどの辺にありますか?」
 親切な通行人はこの道を真っ直ぐ行けば、左にあると教えてくれる。礼を言ってから向かうと、すぐそばにコマ劇場があった。確か裏手にある喫茶店のアマンドという店の前って言っていたよな…。コマ劇場を半周すると、アマンドが見える。
 店の前には、いかにも胡散臭そうな五十台のオヤジが立っていた。
 他には、二人で会話をしている女性二人。
 呼び込み風の派手な格好の男。
 誰が、俺を待っているのだろう。まだ待ち合わせの時間には少し早かった。とりあえず時間まで、ここで待っていればいいだろう。俺はアマンドに背を向け、コマ劇場の方向を見た。
 突然、背後から肩を叩かれる。
 瞬間的に体を翻し、肩の上に乗った手をつかみ、関節を捻った。
「あ~、いてててててぇ~!」
 先ほどからいた五十台の胡散臭そうなオヤジが、顔を歪めながらつかまれた腕を必死に離そうとしている。
「何でしょう?」
「は、離せ!あ~、いてててぇ~!」
 近くに居合わせた人間たちが、俺たちのほうを注目しだす。知らない土地で目立つのも、あまり好ましくない。俺は素直に手を離した。
 五十台の口髭を生やした男は、右手首を擦りながら、「フーフー」と息を吹き掛けている。
「まったくいきなり何だ、貴様は!」
「何だじゃないですよ、勝手に俺の肩を気安く触ろうとするからです」
「面接で待ち合わせの子だと思ったんだよ」
「え?」
「まったく……」
 ひょっとしてこの胡散臭そうな男が、俺がこれから面接を受ける為に迎えに来た人なのだろうか。だとしたら……。
「あ、あの~……」
「な、何だ?」
「面接って……」
「おまえには関係ない!」
 完全に男は怒っていた。まあ、当たり前だ。肩を叩いただけで腕の関節をいきなり極められたばかりなのだ。
「間違っていたら、すみません…。自分、神威と申しますが」
「え! 君が神威君?」
「ええ……」
 しばらくお互い無言の状態が続いた。
 間違いなく俺はこの喫茶店の仕事、駄目だろうな……。
「さっきはすみませんでした……」
 とりあえず謝ってみた。
「……」
 口髭の男は、ジロリと一瞥しただけで黙っている。
「や、やっぱ駄目ですよね……」
「当たり前だ!」
「はい…、すみませんでした……」
 また、出直せばいいさ。明日からまた頑張ろう。俺が口髭男に背を向けた時だった。男の携帯電話が鳴る。自然と聞き耳を立てた。
「あぁ、鳴戸君か…。うん、うん…。いやね…、いるけど、そいつとんでもない男でね…。いや~、帰れって怒鳴ったところだよ」
 このクソ野郎が…。俺の目の前で堂々と好き勝手抜かしやがって……。
 こんな男の電話など、盗み聞きしても何もならない。俺は黙って歩き出そうとした。
「え! い、いや…、でもね、鳴戸君…。わ、分かったよ……」
 せっかく来たんだ。新宿の町並みをぶらっと見てから帰るかな。
 コマ劇場の横を過ぎたぐらいに、背後から俺の叫ぶ声が聞こえたような気がした。
「か、神威く~ん……」
 振り向くと、さきほどの口髭男が、俺に向かって懸命に走っている。その姿が妙に滑稽で、思わず吹き出しそうになった。

 五十台の男は俺のところまで来ると、膝に手をついて下を向き呼吸を整えていた。
「ハァ~、ま、待って…。ハ、ハァ~、ま、待ってくれ…。ハァ~、ハァ~」
「何でしょう? 俺にはもう、用がないじゃないですか」
「ハァ~、ハァ~」
 息の乱れがなかなか戻らないようだ。俺は屈み込んだ男の姿を観察してみた。
 灰色のスーツ上下に、貧相な蜂の巣のようなパーマ。何よりもピンクのネクタイが、胡散臭さを醸し出している。ろくに運動もせず、ただ威張り散らしているだけという印象を感じた。
「ま、待ってくれ……」
「だから、さっきから、ちゃんと待ってますよ」
「ハァ~、ハァ~……」
 アマンドのところからここまで、ほんの数十メートルしかないのに、まだ息切れをしている。俺が年をとったとき、こうはなりたくないものだと、しみじみ思う。
「わ、私は水野っていうんだ」
「はあ」
「でね、私と一緒に経営している者もいてね。それがせっかく新宿へ来たんだから、面接ぐらいしてあげようじゃないかって言い出してね……」
 この男が経営者…。しかも喫茶店の…。本当に大丈夫なのか心配になってくる。
「はあ」
「今から、店に行こう」
 さっきは駄目だと言っておきながら、今度は行こうと言う。よほどもう一人の経営者のほうが力関係では上なのだろう。
「あの~、一ついいですか?」
「ん?」
「ダークネスという喫茶店ですよね?」
「ああ、そうだよ」
「よろしくお願いします……」
 まあ、せっかく面接を受ける為に、ここへ来たのだ。俺は水野と名乗る男の後ろを黙ってついていく事にした。

 水野は、コマ劇場裏のアマンドの横にある細い通りを歩く。左右にはいかがわしそうな店が並んでいる。一円ゲーム? 一体何の事だろう。
「おい、キョロキョロしてないで早くついてきて」
「あ、はい」
 おいおい…。どんどん華やかな通りから、遠ざかっているじゃねえか……。
 入り込んだ細い道の両脇には、裸の女のポスターが貼ってある店がたくさんあった。エロ商売なのだろうが、一体、何屋なのだろう。
 しかし、二十メートルぐらいの狭い道を潜り抜けると、水野は目の前のビルへ入っていった。ビルといっても、三階建ての貧相な雑居ビルである。外観はその辺にある薄汚れたマンションとほとんど変わらない。
 こんなところのどこに、喫茶店があるというのだろうか……。
「おい、神威君。何をやっているんだ?」
 階段を上がる水野は途中で足をとめ、声を掛けてきた。
「い、いや…。さっきも言いましたけど、本当にここに喫茶店があるんですよね?」
「当たり前だろ! 早く来なよ」
 まあいざピンチとなったら、暴れて逃げればいいか…。軽く深呼吸をして、落ち着きを取り戻す。
 二階で水野は、一つしかない部屋のドアをノックする。
 まさか、ここが喫茶店…。いや、ひょっとしたら経営者の事務所なのかもしれない。
 しばらくしてドアがゆっくり開く。
 ドアの隙間からは、目の細い男が用心深そうに外をキョロキョロ眺めている。
(怪しい…。ここは絶対に怪しいところだ…。逃げろ……)
 心の中で警告音が鳴っている。
「さあ、早く中へ……」
 考え事をしていた俺は、つい、ドアの向こうへ入ってしまった。

 広さは十畳ぐらい。真っ白な壁。入り口から向かって、右手にはミニキッチン。
 そこまではごく普通の作りであるが、肝心の店内は、昔流行ったインベーダーゲームのような筐体テーブルが、全部で十台並んでいた。
 テーブルは左から三台ずつ、真ん中の列だけ四台設置してあるレイアウト。右列の隅にはサラリーマン風の三十台後半の男が座り、笑顔で俺を見ている。
 キッチンには、先ほど入り口を開けた目の細い男がグラスを洗っていた。
 どう見ても、客らしき人間はいない。
 何だ一体、ここは……。
 壁に貼ってあるシンプルな紙切れには、『コーラ、烏龍茶、アイスコーヒーなど』と飲物の名前が書いてある。
 まさか新宿では、ゲームをやりながら喫茶店をというものが流行っているのか。いや、どう贔屓目に見ても喫茶店には見えない。
「あ、あの~……」
「神威さんですか、はじめまして。私、鳴戸と言います」
 右側のテーブルにいたサラリーマン風の男が、立ち上がり声を掛けてくる。
「あ、はじめまして…。神威と申します」
「履歴書は?」
「あ、はい……」
 俺は履歴書を取り出して、鳴戸と名乗る男へ差し出した。真剣な表情で俺の履歴書を眺める鳴戸。一見サラリーマン風だが、よく見ると只者じゃない気がした。全体的に醸し出しているオーラがどこか普通ではない。
「神威君ってプロレスやってたんだ?」
「え、ええ……」
「そう、だから体が大きいんですか~」
 感心するように頷く鳴戸。逆に水野は面白くないといった表情をしている。
「リングに上がっていたんですか?」
「いえ…、練習生の段階で怪我をしたので……」
「何だ、じゃあ、大した事ないじゃないか」
 黙っていた水野が、口を挟んでくる。ムッとしたが、ここは堪えておいた。最初に会った時から生理的に嫌いなタイプであったが、俺の直感はこの男に関しては当たっているだろう。間違いなくこの男の下で、俺は仕事など勤まらないな。
「でも神威君、君はすごいよ! プロレスのあとはホテルでバーテンダーか。うん、面白い。それにすごい。なかなかこんな経歴の持ち主いないよ」
 褒め殺しの鳴戸。本心から言っている訳ではないだろうが、それでも嬉しいものだ。
「いえ…、そんな事ないです」
「謙遜具合が、またいいね~」
 目を細める鳴戸。オールバック風の髪を両手で軽く整えながら終始、笑顔である。
「いや、鳴戸君ね…。こいつはいきなり私の腕を捻り上げるような奴だよ」
 また水野が余計な口を挟む。本当に嫌な奴だ。ピンクのネクタイが妙にムカつく対象に見える。着ているワイシャツは、数日間、同じものを着ているような感じの汚れが目立つ。ひょっとこみたいに口を突き出しながらの話し方は、見ているだけで不愉快だ。
 鳴戸の場合、水野とは正反対であり、濃紺の落ち着いたスーツ。綺麗な白のワイシャツ。髪型もビシッと整っているので、清潔感溢れる感じを受ける。言動にしても単純明快で、ハキハキした発音をしているので、非常に分かりやすい。
 こうまで対照的だと、漫才を見ているようだった。
「すみません…。つい、反射的に動いてしまう部分あるんですよ。手荒な目に遭わせてしまい、申し訳ないです」
「君はゴルゴかっちゅーの。だいたいね、後ろから肩を叩かれたぐらいでね~……」
「ちょっと、水野さん」
 鳴戸が声を掛けても水野の文句はとまらない。唾を飛ばしながら目を剥き出し、俺に当り散らしている。
「だいたい君はね~……」
 その時、聞いた事もないような甲高い声が響いた。
「水野さんー! いいですかー? 今は私が彼と話しているところなんですよー。分かりますー? 何であなたが横からグチグチと口を挟んでくるんですかー? 私、間違ってますー? え、どうなんですかー? 水野さんー」
 声の主は鳴戸だった。先ほどの穏やかな声とは打って変わり、本当に同じ人が出している声なのかと思った。
「あ…、す、すまない……」
「いいですかー? 私が話している時にー、口を出すのはあれほどやめて下さいって言いませんでしたかー? えー、私、言いませんでしたー?」
 彼の口調の癖なのか、語尾を妙に甲高くしながら、延ばす話し方…。そばで聞いていると、鳥肌が立つぐらい不気味な迫力があった。それでいて鳴戸の表情は何一つ変わっていない。
 水野は鳴戸の一喝で、一気にしょげてしまった。

 しばらく店内は、静寂に包まれている。
 この部屋にいるのは、俺と鳴戸と水野、あとは名前の知らない従業員の四名……。
 誰一人、口を開こうとしていない。
 この間で何もしないのは、精神的に辛いものがある。誰も俺に注目していないのを確認すると、辺りの壁を見渡した。
 白い壁のところどころに張り紙が貼ってあり、ドリンクのメニュー以外にも、色々な事が書いてある。入り口正面の壁には、『BINGO』と書かれた大きなホワイトボードが掛かっている。
 うまい口実を考え、この場から切り上げたかった。面接に来ただけなのに、何でこんな目に遭っているんだ、俺は……。
 嫌味たっぷりの水野。どう見ても堅気には見えない鳴戸。こんな人間の下で働くなど、想像もつかない。
 キッチンにいる従業員はいつまでグラスを洗っているのか、ホールへ一向に出てくる気配がない。
 緊迫した空気の中、鳴戸が俺の顔を見てきた。
「うん、いいですね~。神威君…。おい、新堂! どうですか、神威君は?」
 キンキン鳴り響く甲高い声ではなく、穏やかな声で話す鳴戸。まるでさっき水野へ怒鳴った事など、何もなかったように平然としている。
「いいと思います、真面目そうですし」
「でしょう~。どうです、神威君。これで決まりですね~」
「え?」
 何を言っているのだ、この人は……。
「うちで働くの、あなたで決定しましたって事ですよ~」
「……」
 そうだ、俺はこんな場所で働こうと面接に来ているんだった。いいのか、こんなもので仕事場を決めてしまって……。
「あ、あの……」
「ん、何でしょう~?」
「ここって喫茶店なんですよね?」
「そうですよ、俗にいうゲーム喫茶ですよ」
 初めて聞く名前だった。ゲーム喫茶…。意味は分からないが、とにかく普通の喫茶店じゃない事だけは確かである。
「明日から大丈夫ですか?」
「え、何がですか?」
「仕事ですよ、仕事」
「は、はい……」
「じゃあうちは朝、夜と二交代制になっているので、神威君は朝の十時に来て下さい」
「は、はぁ……」
「あ、そうそう…。電車賃ぐらい出してあげないとね」
 そう言いながら、鳴戸はスーツの内ポケットから財布を出す。
「……!」
 一万円札を取り出す鳴戸。俺は一瞬だが、ちゃんと見た。鳴戸の財布にどれだけあるか分からないぐらいの札束がギッシリと詰まっているのを……。
「いえ、電車賃なんて、大丈夫ですよ」
「いいからいいから…。ほら、飯代も込みですから受け取っておいて下さい」
 ニコニコ笑いながら一万円札を渡す鳴戸の顔は、薄気味悪く見えた。
「じゃあ、明日十時にここで」
「は、はい…、では失礼します……」
 これでいいのかと思いつつ、とりあえず俺の新しい職場が決定した。
 明日の朝十時までに、またここダークネスへ来るのである。

 鳴戸から受け取った一万円札。
 足代と称してだが、電車賃にしては多過ぎる額であった。
 明日から、あの妙な店で働くのか…。何故、うまくあそこで断れなかったんだろう。前のホテルに比べれば、雲殿の差である。喫茶店と唄いながらも、喫茶店ではない。そんな場所で俺は明日から働くのである。
 多分、水野だけなら絶対に断っていただろう。もう一人のオーナーである鳴戸。彼の存在に多少なりの興味はあった。
 まあ今の俺はどこにも居場所のない死に体だ。煮て食われようが、焼いて食われようが大した違いはない。
「プロレスを目指していたあの頃に比べれば、何とかなるさ……」
 思わず呟いてしまう。
 北野さんは今頃、アジアのどこかへ旅立ったのだろうか。未来はどこかの新しい店ですでに働き出しているかもしれない。
 どちらでもいい。二人に逢いたかった。
 いや、今の俺にはそんな資格などない。甘えるな。
 もうホテルでバーテンダーをやっているというバックボーンは、どこにもない。
 新天地で必死にもがきながらも、居場所を作らねばならないのである。
 ちょうどその時、保険の木村さんから電話があった。
「あ、神威さん」
「あ、どうも」
「資料とか全部そろったから、明日、会社のほうへすべて提出するね」
「はぁ…、すみません、本当に…。何だか狙ってやっているみたいで申し訳ないです」
「いえいえ、大丈夫ですよ。私は保険に入ってくれている方の事をちゃんとケアーするのが仕事なんですからね」
「ご丁寧にすみません」
「いえいえ、なので、もうちょっと申請、待ってて下さいね」
「はい、よろしくお願いします」
 電話を切ると、入院時代に掛かった費用を簡単に計算してみた。総額で二十数万は掛かっている。痛い出費だったが、もし保険金が少しでも入れば、生活的には非常に助かる。木村さんの心遣いが嬉しかった。
 何はともあれ、明日から仕事だ。
 気持ちを切り替えて頑張っていこう。俺はこの日、久しぶりに早めに休んだ。

 爽快な目覚めと共に、初仕事の時間がやってきた。
 かなり不安の感じる店ではあるが、金を稼ぐ事には変わりはない。
 俺は、新宿へ向かう事にした。
 店に着くと、両オーナーである水野、鳴戸の姿はなく、従業員の新堂とその他二名がいた。
「今日からお世話になる神威と申します。よろしくお願いします」
「おう、よろしく」
 新堂は昨日とは打って変わって、大柄な態度で答える。気にするな。いちいち気にしていたら、神経が休まらないぞ。そう自分に言い聞かせた。
「こっちは遅番の責任者、田中君と、従業員の丸山ね」
「どうも、田中です」
「丸山です」
「あ、神威です。よろしくお願いします」
 ちょうど、十時の時点で番の切り替え時間らしい。田中と丸山は普段着に着替え、すぐに帰っていった。
 新堂にゲーム喫茶というものを詳しく聞いてみたところ、俺が想像したものとはやはり違っていたようである。
 名目上、ゲーム喫茶と呼ばれはしているが、やる事はコンピュータのポーカーゲームを使ってやる賭博場らしい。
 レートは一円というもので、分かりやすくいえば一ゲームプレイするのに百円掛かるそうだ。五枚の札を配られ、一回だけチェンジして役が何も揃わなければ百円が消えていくという非常にシンプルなゲーム。
 クレジット(点数)を増やすには、役を揃えただけでは駄目。その揃った役に対し、それぞれ点数が違うので、それをダブルアップといって、七よりも低いと思ったらスモール、大きいと思ったらビッグを押して、点数を増やしていく。当たれば倍になるので、点数が一万点以上になったら一気というゲームオーバー状況になり、その点数はそのまま現金へと換金される。
 そう新堂は一生懸命説明しているが、何を意味するのかさっぱり分からなかった。俺の興味は、いかにして自分の作ったカクテルを出せるかという点だけである。
 しかしそれは、何の意味もない事だと知った。
 客に出すドリンクは、すべて無料。酒はギャンブル中の客に与えても、かえってエスカレートさせる原因になるだけなので、出す事はまずない。
 それを聞いて、初日からガッカリしてしまった。

 この日、客という客が全然来ないでいた。
 一応、繁華街で店を営業している訳なのに、新堂はまるで焦った様子がない。
「新堂さん…、暇ですけど、何かやる事はないですか?」
「いや、何もない。好きな事しててよ。その辺に座って寝ててもいいよ」
 そう言われても、仕事初日から、椅子にただ踏ん反り返っている訳にはいかないだろう。俺は勝手に、店内やトイレを掃除しだした。
「ほぉ~、気が利くね~」
「いえいえ、当たり前ですよ」
「そういえば神威ってよ、プロレスにいたんだって?」
「まあ、かなり前ですよ」
「ふ~ん」
 その時、ドアのチャイムが店内に鳴り響いた。
「やべ、客か……」
 急いで立ち上がる新堂。俺も釣られて立ち上がる。
「おい、いいか。これ、ちょっと見て」
 新堂は、ミニキッチンに入る手前にあるリストへ置かれた白黒のモニタを指差した。玄関の外の様子が、荒い画像で映っている。ドアの前には、オーナーの片割れである水野が立っていた。
 ドアを開けると、水野が店内へ入ってくる。
「お疲れ様です。今日からお世話になりま……」
「どうだね、今日の客入りは?」
 水野は俺の挨拶など気にもせず、新堂へ話し出した。相変わらず無礼な男である。
「いや~、やっぱ昼は暇ですね」
「そうか」
「ええ、いずれ電バリの効果が出ますよ」
 電バリ…。一体、何を指すのか分からないでいた。
「ふ~む……」
 真ん中の列のテーブルへ、腕を組みながら腰掛け、小難しい顔をする水野。さらに胡散臭さが爆発だ。
「まあ、しょうがないな…。あ~、神威君って言ったね?」
「はい」
「一日も早く仕事を新堂君に教わり、早く戦力になってくれよ」
「はい、頑張ります」
 戦力といっても、俺はここで客に何をしたらいいかさえ聞いていない。これじゃ口先だけの台詞である。
 勘違いとはいえ、俺はこの世界に飛び込んでしまった。だとしたら恥ずかしくないよう心掛けて、今まで通り行動するだけだ。

 暇を持て余しているのか、水野はしばらく店に残っていた。
「そういえば、神威君」
「はい、何でしょう?」
「プロレスといったら、あの巨人の大場とかとも知り合いなの?」
「大場社長の事ですか?」
「そうそう、ポォ~とかやるさ~」
 水野は、俺が世話になったプロレス時代のチョモランマ大場社長の物真似をし出した。
「水野さん、すげー似てますよ!」
 新堂は横で大笑いである。俺は黙って右拳を握り、感情を落ち着けるように努力した。大場社長は二メートルを超す大きな身長で、プロレス界だけには留まらず、テレビでバラエティ番組等出演している。物真似をする芸能人はいるが、こう目の前で小馬鹿にしたようにやられたのは初めてだった。
「そうか? ほぉ~、ポォ~」
 大場社長の目の前でなど何一つできないくせに…。こんな薄汚い野郎が、社長を馬鹿にした真似を……。
「ポォ~」
 すっかり図に乗った水野。
「ぎゃはは、水野さん、最高~」
 笑い転げる新堂。
 いいのか、俺は…。こんな事を目の前でされて、平然としてろというのか。
「もう一丁、ポォ~」
 視界が狭まってくる。駄目だ…。自分が世話になった人を目の前で馬鹿にされてまで、こんな仕事にすがりつく必要など、どこにもない。
 若かりし頃、大場社長が言ってくれた台詞……。
『やる気はあるかね?』
『は…、はいっ!』
 当時、圧倒的な存在感の前に、何一つ太刀打ちできず、『はい』と言う言葉しか言えなかった俺。
「ほれ、ポォ~」
「ぎゃははは……」
 崇高な自分の過去を思い切り踏みにじられている。そう、世間はいつだってプロレスに、冷たい嘲笑を浴びせる人が多かった。
 ホテルのラウンジでの人間……。
 そして、ここ歌舞伎町の薄汚いゲーム屋の人間……。
 自分の一番馬鹿にされたくない部分だった。
「あの~、すみません……」
「ん、何だ?」
「自分のいた世界を馬鹿にしないで下さい」
 静まり返る店内。水野と新堂は顔を見合わせていた。
「は? 何を言ってるんだ、おまえは?」
「何だ、急におまえは?」
「非常に不愉快です。やめて下さい」
 二人の目つきが変わりだす。威嚇しているつもりだろうが、こっちはその程度でビビるような軟な生き方などしていない。
「何だと?」
「以前、自分がお世話になったところの恩のある社長です。それを馬鹿にされるのは、正直不愉快です」
「何を言ってるんだ、いかさまプロレス上がりが……」
「そうだ、プロレスなんて八百長だろうが!」
 駄目だ…。こんなところで働こうというのは間違いだったんだ。こんな連中、何をやられても文句言えないよな。
「取り消して下さい……」
「生意気な」
 その時、ドアのチャイムが鳴った。

 慌ててリストへ向かう新堂。
 できれば足を引っ掛けて転ばせてやりたかった。
 横目でモニタを見ると、画面にはあの鳴戸の顔が映っている。客だったらと思ったが、これで俺はクビ決定だろう。
 慎重にドアを開ける新堂は、心なしか怯えているように見えた。
「おはようございます」
「あ、鳴戸さん。まだ朝からですね」
「おはよーございますー!」
「は、はい…、おはようございます……」
 いきなり鳴戸は不機嫌そうに見えた。まずは挨拶をしろといった感じか。
「あのねー、新堂ー」
「は、はい……」
「何であなたはおはよーの前にわざわざ、はいをつけるんですかー? それっておかしくありませんか~?」
「は、はい、すみません……」
「気をつけなさいよ~、まったく」
 先ほどあんな馬鹿笑いしていたのが、ありえないぐらい新堂の顔は青褪めていた。
「いや~、参ったよ、鳴戸君。今日も昼は駄目だね~」
 水野が媚びたようなせせら笑いをして近づく。
「あのね~、水野さん…。あんた、店が調子悪いっていうのに、何がそんなおかしいんですかー?」
「え、いや…、別におかしいなんてさ……」
「じゃあ、何で口元がニヤけてるんですか~?」
 緊迫した店の中。水野も新堂も誰も口を開かないでいる。鳴戸の甲高い声だけが、部屋の隅々にまで行き届いていた。
「いや、鳴戸君さ~」
「何でしょうか?」
「この新人の神威君ね、やっぱ彼は駄目だよ」
 顔つきが変わりだす鳴戸。
「い、いやぁ~ね、新堂にも聞けば分かるよ。なあ、新堂……」
 立場のなくなった水野は、慌てて新堂へ振り出し、話題を俺の件に持っていこうとしていた。まあ、いい…。こんな店、今日限りでおさらばなのだから。
「え、ええ…。こいつ、生意気なんですよ、鳴戸さん」
 物凄い怒声が聞こえると思ったが、静かな口調で鳴戸は言った。
「新堂…、あなたは昨日…、何て言いましたか?」
「え……」
「え、じゃなくてですね…。あなた、昨日、何て言いましたぁ~?」
「いや、あの…、その……」
「あのね~…、あなた、昨日、彼は真面目そうでいいって言いませんでしたかぁ~?」
 ついに炸裂した鳴戸節。新堂は、細い目をさらに縮め、今にも泣きそうな顔をしている。
「は、はい…。言いました……」
「じゃあ、何で次の日になって、急に意見がコロッと変わるんですかー?」
「す、すみません……」
 俺の方向へ振り向く鳴戸。とうとう矛先がこっちにまで来るか…。俺は腹を決めた。
「おはよー、神威君」
「あ、お、おはようございます……」
 急に穏やかな優しい声で挨拶をしてきたので、いささか調子が狂う。鳴戸がどういう人間で何を考えているのか、まったく想像がつかない。
「どうですか、仕事は? あ、そうか。まだ客来てないから、愚問でしたね」
 明るい爽やかな声で話す鳴戸は妙な威圧感があった。新堂は鳴戸の後ろでガタガタ小刻みに震えている。
「右も左も分からない私ですが、頑張ります」
 何故、俺はこんな事を言っているのだろう。辞めるつもりでいたんじゃないのか。
「うんうん…、いいですねー。頑張って下さいよー」
「はい!」
 横で水野は面白くなさそうに、俺の顔を睨んでいた。
「何ですか、水野さん。言いたい事があったら、言えばいいでしょう?」
 鳴戸が水野に言っている事、昨日だと話の途中に口を出すなだったはずだが。
「い、いや~、神威君はさ、いまいち私の言う事を聞かないんじゃないかなと思ってね」
「どういう事ですか?」
 目つきが鋭くなる鳴戸。
「プロレスにいたというから、あれは八百長だろと言ったら怒りだしてね……」
 何て話を自分本位に持っていくのだろうか。呆れてものが言えない。
「私があのチョモランマ大場の物真似をしたら、急に怒りだしたんだよ」
「すみません…。お言葉ですが、自分、本当に体張って、一生懸命やってきたものなんです。それを八百長呼ばわりされたり、世話になった社長を小馬鹿にされたりするような真似されたら、やっぱり我慢できません!」
「ほらね……」
 フンと、口髭を指でなぞりながら、水野は勝ち誇ったような表情をした。その後ろで、新堂はザマーミロといったような顔でニヤけている。
「ポォ~」
 懲りずにまた大場社長の物真似をしだす水野。
「本当にやめて下さい」
「ポォ~」
 水野は、俺をからかって嬉しそうだった。
「お願いします」
「何、そんなムキになってんだ」
 鳴戸はその様子をしばらく静観している。
「もう一丁、ポォ~」
「ギャハハ」
 新堂は溜まらず笑い出した。
「八百長で、ポォ~」
「取り消して下さい!」
「ん、何だ?」
「取り消して下さい、お願いします!」
「まったくこいつは……。ほら、生意気なガキだろ、鳴戸君」
 ゆっくり鳴戸は立ち上がり、俺を睨んだ。心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
「水野さん……」
「ん、何だい?」
 きょとんとする水野。
「あなた、何歳ですかー? えー? 神威は神威で一生懸命やってきたって、何度も言ってるじゃないですかー。何でそれをあなた…、そんな笑っていられるんです? 頭の中身、疑っちゃいますよ。水野さん、これから働こうという部下に、何でそんな事をできるんですかー? 教えて下さいよ~、水野さんー」
「え、いや…、その~……」
「答えになってないですよー。あのですね、いい加減人を馬鹿にして喜ぶ癖、改めたほうがいいですよー?」
「あ、ああ……」
 まさか鳴戸がこんな対応をしてくれるなんて…。少しグッとくるものがあった。
「それと、新堂ー」
「は、はい……」
「おまえ、何ですかー? あの下品な笑い方はー?」
「……」
「黙ってちゃ分からないでしょう? 黙ってちゃ…。あんた、客が負け込んでいたとしても、ああやってゲラゲラ下品に笑うんですか?」
「い、いえ…。すみませんでした……」
「謝るなら私じゃないでしょ。私じゃー」
 新堂は、俺のほうを向き、深く頭を下げた。
「ごめん、神威君……」
「い、いや、やめて下さいよ。問題ないですから……」
 その時だった。鳴戸はテーブルの上にあるガラスの灰皿を手に持つと、新堂の頭目掛けて叩きつけた。
「うぎゃぁ~!」
 両手で頭を抱え込む新堂。手の甲から赤い血が垂れている。
「何でおまえは、私にはすみませんで、彼にはごめんなんですか? 謝るなら誠心誠意。ほら、もう一度やり直しして」
 床に転がりながら頭を抑える新堂に、鳴戸の声は届かなかったようだ。
「おい、私の話を無視してんですかー?」
 倒れている新堂の横っ腹目掛け、つま先で蹴りをぶち込む鳴戸。いくら何でもやり過ぎだ。水野は、全然違う方向を見て、知らんぷりをしている。
「な、鳴戸さん……」
 思わず体が動いてしまった。静かに俺を見る鳴戸。
「何ですか、神威君?」
「す、少し、やり過ぎです……」
 俺がそう言うと、鳴戸の顔がニヤけだした。
「あははは…、うん、神威君! あなたはいい! 本当にいい人材に巡り合えましたよ~」
「え………」
 一体、この鳴戸という男の底が見えなかった。
「これに懲りず、明日もちゃんと出勤して下さいよ」
「え、はい……」
「もしかして、もう来るの嫌だとか思ってますか?」
「いえ、そんな事は……」
「なら、いいです…。まあ、私には嘘つかないで下さいよ」
「嘘なんてつきません!」
 初日から、物凄い場所に来たものだ。さすが歌舞伎町。こんな事が日常的にあるのか。こんな危険な職場だというのに、どこかでそれをワクワクしている自分がいた。
「まあ、従業員の住所は、すべて履歴書に書いてありますからねー」
 楽しそうに笑う鳴戸の顔は、ヤクザ者にしか見えなかった。

 

 

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